六本木心中



1.

あの出来事から一週間後、昼も過ぎた頃にそれぞれ何かしらの仕事で出かけていた幹部達のケータイに、三途から一斉送信されたメッセージが届いた。

"暇なヤツは30分後にオレの部屋に集合!――とマイキーが言ってる"

ちょうどオレと竜胆は大阪支部から戻る途中だった。新幹線を下りて迎えの車に乗り込んだ時、オレと竜胆のケータイが同時に鳴った。

「兄貴、マイキー何の用だと思う?幹部集合って…何か大事な案件でも入ったのかな」
「さーな。でもそれなら全員来いって言うだろ。だいたい組織のことは実質三途が仕切ってんだし、わざわざマイキーの部屋に集合なんてまどろっこしいことするか?アイツが」
「だよな…しかも暇なヤツなんて言わねぇか…」

と竜胆も訝しそうな顔で首を傾げてる。オレも内心同じように感じていたものの、何となく気になって六本木の事務所に急ぐよう、運転手へ告げた。

「つーか六本木でいいんだよな、これ」
「そうだろ?ここ最近は渋谷に戻ってねえし」

言いながらオレは窓の外へ視線を向けた。気になることはあれど、行ってみりゃ分かるかと、三途に了解とだけ送っておく。三途がこれを送って来るところをみると、今日はマイキーと一緒にいるようだ。それは組織内外が平和だということでもある。

「それにしても…マイキーあれ以来、調子いいみたいじゃん」
「ん?あーだな」
「でもマイキーがあんなこと言いだすとは思わなかったよなァ…」

竜胆がシミジミ言いながら苦笑している。それはオレも同感だった。

"をオレから遠ざけろ"

最初にそれを言われた時は、意味が分からなかった。裏切ったとか飽きたとか、何かマイキーの気に障ることでもしたなら消すスクラップ。梵天内で暗黙の了解として大前提にあるもの。なのにマイキーは「殺せ」じゃなく「遠ざけろ」と言った。そりゃオレや竜胆、三途や九井がポカンとしたのも当然だ。無意識にを殺しかけたというのは薄々気づいていただろうし、マイキーはまた自分が彼女に何かするんじゃないかと恐れている。そこに気づいた時、本気で驚いた。

今までの女とは違うなら、もしかして上手く乗り切ってくれるんじゃないかと一縷の望みをかけてはいたが、乗り切るどころの話じゃない。彼女は見事にマイキーの心を掴んだ。それは女としてなのか、それとも一人の人間としてなのかは分からない。でもマイキーは確実にに対して今までにない感情を抱いてるはずだ。じゃなければ、彼女に「わたしはこれまで通り、万次郎のそばにいる」と言われて、素直に受け入れるはずがない。

「ま、のおかげで今まで通り、世話係をしてもらえるんだし良かったけどな。ほんと度胸あるよな、あの子」

竜胆は苦笑交じりで言ってるが、その横顔は意外と嬉しそうだ。来て早々、彼女に手をつけるくらいだから気に入ったのは分かってるが、そこまで竜胆が気にかけるのは珍しいとは思う。

「つーかいなくなったら、ずっと不安定のままになりそうでこえーわ。誰がマイキー制御すんだよって話だし」
「確かに。マジで兄貴の見る目あったってことじゃね。スカウトして正解じゃん」
「でも今じゃ三途まで餌付けされてるっぽいし、ココも仕事手伝わせるって理由でしょっちゅう呼び出してるらしいから、気づいたら影の女ボスになってそうで、それもこえーけど」

想像したらジワって軽く吹き出した。竜胆も笑いながら「それはそれでおもろいけどなァ、オレとしては」なんて言ってる。
まあ、それは冗談だけど、この後、マイキーの部屋に到着した時、ある意味違う意味で恐ろしい光景が待っていた。


「…は?タコパ?」
「うん。何かね、万次郎が急にやりたいって言いだして、春千夜に皆も呼べって…」

キッチンで色々と準備をしていたに説明され、オレと竜胆は一瞬、呆気に取られた。いや、タコパもビビったけど、一つ気になったのは――はいつから三途のことを親しげに「春千夜」なんて呼ぶようになったんだ?確か一週間前までは「春千夜さん」と言ってた気がするんだが。

「あ、蘭さん、たこ焼き嫌い?」
「は?あ、いや…嫌いじゃねえけど…むしろ好きだし」
「良かった。竜胆は?たこ焼き食べれる?」
「当然!前はよく兄貴や六本木の仲間集めてやったよなァ?」

竜胆は昔からこういったイベントが大好きで、すでにノリノリになってる。

「…そういや…やったな、そんなことも。ってか懐かしいな、それ」

と言いつつ、ふと気づいた。竜胆も普通に「竜胆」って呼ばれてるってことに。

「え、ってか、何でオレだけ"さん付け"?」
「え?」

話の流れをガン無視して聞けば、はギョっとしたように振り向いた。

「何で…って…オーナーとして最初に会ったからそれで…かも」

首を傾げつつ、はそう応えたものの。

「つか、もうオマエはオレが雇ったホステスじゃねーじゃん」
「…そ、そっか」
「だろ?ってことで…蘭って呼んでみ」
「えっ」

ひとりだけ"さん付け"は何となく疎外感がある気がして、に名前を呼ばせようと言っただけなのに、酷く驚いた顔をされた。

「い、今更言いにくい…」
「は?この中の誰よりも短い名前なのに?」
「兄貴、何ムキになってんだよ、ウケる」
「うるせぇな。オレだけ仲間外れっぽくて嫌なんだよ」
「ガキか」
「あ?竜胆、オマエ、兄ちゃんに向かってガキってなくね?」
「やっぱムキになってるし」
「ちょ、ちょっと…二人ともケンカしないで」

が驚いたように間に入ってきた。この程度の兄弟ゲンカはいつものことなのに、ちょっと驚いた顔をしてる。竜胆も同じことを思ったのかオレと顔を見合わせ吹き出した。

「別に心配しなくても殴り合いなんてしねぇから」
「え…」
「こんなのじゃれ合いみたいなもんだし」
「…そうなの?」

が竜胆を見た。

「そうだよ。だからんな顔すんなって」

そう言って竜胆はやけに優しい眼差しでを見ながら、指先で彼女の頬へと触れた。たったそれだけなのに、は照れ臭そうな気まずそうな何とも言えない顔でオレから視線をそらす。

「と、とにかく今から足りない物を買いに行って来るので、お二人は青ネギ切ってて下さい」
「…は?ネギ?」

と驚く間もなく、青ネギを押し付けられた。

「いや、オレ切ったことねぇけど――」
「細かく切るだけでいいです。あ、竜胆も手伝ってあげてね」
「は?オレも?」

竜胆はに背中をグイグイと押され、キッチンに立たされてる。その光景は笑えるけど、オレの手には青ネギ。弟を笑ってる場合じゃねえかも。

「じゃあ、行ってきます」
「いや、オマエ、買い物って誰と――」

と言いかけた時、そこにマイキーと三途が現れた。

「あ、。早く行こうぜ」

マイキーはノリノリだけど、三途は半分目が死んでる。つーか三途がスーパー行くとかウケる。行ったことねえだろ、多分。でもマイキーが行くなら確実について行くだろう。ってマジでこのメンツでタコパすんのかよ。
その時、ふとマイキーと目が合った。でも合った瞬間、マイキーは「ぷっ」と吹き出し、

「灰谷…ネギ似合わねえな。合成写真みてえ」
「…いや似合いたくはねぇよ、オレだって」

と思わず苦笑する。なのには「似合わなくても切って下さいね」と可愛い顏して容赦がない。って結局も笑ってんじゃねぇか。

「マジでこれ切んの」

三人が出かけた後、キッチンに残されたオレと竜胆は互いに顔を見合わせ、溜息を吐く。だいたい切るってどのくらい切りゃいいのかサッパリ分かんねえ。竜胆は竜胆でスーツの上着を脱いでシャツの袖をまくり始めた。

「竜胆、やる気満々じゃん」
「いや、だっての焼いたたこ焼き食いてぇし、オレは前に兄貴にやらされてたから、これくらい出来るわ」
「へえ…じゃあオレのおかげじゃん」
「え、そういう理屈?」

と、そこへ「あれ?」っと声がして振り向くと、九井が立っていた。

「何で蘭さん、青ネギ持ってんすか。似合ってねぇし」
「ネギに似合う似合わねえってあんのかよ。ってかいーとこに来たわ、九井くん♡」
「な…何すか…その呼び方…(嫌な予感)」

顔を引きつらせながら後退していく九井の手にネギを押し付けた。

がこれ、ココに"切っておいて♡"って可愛く言ってたから頑張れ」(!)
「は?オレ?つーか、今日は何の集まりっすか。オレ、マイキーくんに呼ばれて来たのに今、三途やと買い物行くって行っちゃったんすけど…」

どうやら廊下で三人に会ったらしい。でも事情は何も聞いてないのか、先にネギを切り出した竜胆を見て目を丸くしてる。って、素直か、竜胆。

「タコパやるから手伝えだって」
「……タコ…パ?このメンツで?」
「楽しそうだろ?」
「……いやまあ…はい」

肩を組んで顔を覗き込むと、九井の口元が更に引きつっていく。まあ、確かにこんな呑気なパーティやんのはオレも久しぶりだ。いや梵天では初めてか。が来るまで幹部連中とは外で酒を飲むくらいしかしたことがない。たった一人の女が加わっただけで、こうも空気が和やかになんのか、と苦笑が洩れた。何となく、天竺の頃に戻った気分だ。

「でもマイキーくんまで買い物行くとか、初めてじゃないっすか?」
「あー…確かに。まーたお菓子山ほど買ってきそー」
「言えてる。でも大丈夫かな」
「あ?」
「ほら、オレこの前、変な男につけられたし、まさか今回も…」
「……ああ、そういやそんなこと言ってたな。でも今は特にウチを狙ってる組織がいるなんて情報は入ってねえけど…」

とは言っても、そんな奴らは消しても次から次へと出て来るのがこの世界だ。呑気に構えてるわけにもいかない。

「三途にそのこと話したのか」
「はい、一応。だからマイキーくんも行くならそれなりに部下は連れてくと思いますよ」
「…だよな。ま…オレもその辺ちょっと情報屋に探り入れてみるわ」
「そうですね。頼みます」
「ああ、ココはネギ、頼むな」
「……はい」

ケータイで情報屋の番号を探しなら付け加えると、やっぱり切るのか、という顔でココは竜胆の方へ歩いて行った。

(…ココを付けてた男か…。風貌を聞けば裏の人間ぽくなかったって話だけど…組織のヤツじゃなく雇われた人間ってことか?探偵とか…)

梵天の情報を知りたがる人間はそれこそ大勢いる。こっちに面が割れてる組織のヤツが探偵を雇うってこともあるだろう。

(その辺も頼んでみるか…)

オレの子飼いの情報屋に電話をかけながら、あらゆる可能性を一つ一つ潰していくことにした。





2.

「あ、あった。紅ショウガ」

棚から目当ての商品を手に取ってカゴへ入れると、「、これも」と万次郎が天かすをカゴへ入れた。

「あとは肝心のタコ買わないと」
「タコってどこに売ってんの、三途」
「……え、タコ…」

不意に万次郎が尋ねたことで、後ろを歩いていた春千夜の顏が引きつった。どう考えても彼がスーパー内の配置を知っているようには見えない。というかスーパーに来るような恰好じゃないからかなり目立ってる。彼の後ろにはそれこそ黒スーツの集団が少し離れてくっついて来てるから余計だ。この前ココと来た時よりも護衛の人数が増えてる気がする。しかも全員判を押したように人相が悪い。

「あ、春千夜、タコはこっち。鮮魚コーナーにあると思う」

わたしが助け船を出すと、あからさまにホっとした顔をした。

「ってか、マジでタコパやんの…」

わたしの方に歩いて来た春千夜が小声で訊いて来る。

「だって万次郎がテレビでタコパ特集見てやりたいって言いだして」
「……まあ、それはいーんだけどよ…他のヤツ、呼ぶ必要あんのかよ」
「だからそれも万次郎が皆を呼ぼうぜって…」
「…チッ」

春千夜は小さく舌打ちをしながらそっぽを向いた。でも何だかんだ手伝ってくれてるのは万次郎の為なんだろうなと思う。春千夜が万次郎を大切に思ってるのがわたしにも伝わって来る。一見、口も態度も怖いように見えるけど、根は優しい人なんだろうな。

――オマエには…感謝してる。

あのことがあった後、万次郎がわたしを遠ざけようとした。それを拒否したわたしに、春千夜が言ってくれた言葉だ。結局、わたしは万次郎のそばにいることを選んだ。殺されかけた時は少し驚いたけど、でも万次郎は正気に戻ってくれた。皆には驚かれたし、何がどうなったのかなんてわたしが知るはずもないけど、でもやっぱり万次郎を一人にすることは出来ないと思った。その気持ちを春千夜に伝えたら「怖くねえのかよ」って驚かれたけど、怖いと言うより、もし今ここで梵天から離れたとして、前の生活に戻っても絶対に万次郎のことが心配になるだろうなと思っただけだ。

――オレはマイキーの為なら…オマエを死ぬまで梵天に縛り付けるぞ。

――それでかまいません。春千夜さんの好きにして下さい。

そう応えた後、彼はどこかホっとした顔をした。その後で「春千夜でいい」と言ってくれたのだ。何となく認めてもらえた気がして嬉しかった。

「おい」
「え?」
「タコってどれ買えばいーんだよ」

先に鮮魚コーナーに行った春千夜が困ったように振り向いた。見ればカットされパック詰めになっている物が数種類置いてある。

「生産会社が違うだけだからどれでもいいよ。あ、それは生だから、このボイルしたヤツの方かな」
「へえ。で、何パック?」
「んー。蘭さんに竜胆にココ…他の幹部の人は何人?」
「…ああ、武臣は来ねえから望月ってやつが後から合流するって」
「そう。わたし、その二人とは会ったことないよね」
「別に会わなくていーだろ…ってか、マイキーは?」
「え…?万次郎は後ろに…」

と言って振り向くと、部下の人が一人歩いて来た。

「ボスはトイレに行くと言うので他のヤツをついて行かせました」

と、その人が言った瞬間、春千夜の顔色が変わった。

「あ?何ですぐオレに言わねーんだよ、クソがっ」
「す、すみません!」
「どこのトイレだ」
「そこの通路奥です」
「チッ。はここで待ってろ」
「あ、うん」

春千夜が慌てたように部下の人を連れて歩いて行く。やっぱり一瞬でも目を離すのが心配なのかもしれないと思いつつ、タコをいくつかカゴへ入れた。

「あ、そうだ…万次郎がチーズも入れたいって言ってたっけ」

ふと思い出してそのまま乳製品売り場へ足を向ける。鮮魚コーナーから近いから誰に断らなくてもいいだろう。

「あ、あった…えっと…普通のチーズだったよね」

固形チーズを細かく切って入れると美味しいらしい。

(どのメーカーでもいいかな)

そう思いながらチーズへ手を伸ばした時、不意に背後から「お久しぶりです」という声がして、ビクっと肩が跳ねた。

「お元気そうで」
「…あ、あの…」

気づけば男が隣に立っていた。スーツの上からトレンチコートを羽織った40代半ばくらいの男だった。男は久しぶりと言ったが見覚えがない。

「人違いじゃないですか?」

そう言ってみると、男はニヤリと嫌な笑みを浮かべた。

「い~え。間違えてないですよ。さん」
「……っ?」
「ちなみに…オレとアンタは会ったことがある。ここから遠い…雪国で」

その瞬間、ドクンと心臓が音を立てた。白い雪に飛び散る薔薇が、脳裏にフラッシュバックする。

「顔色が変わったね。思いだしてくれたかい?」
「ア、アナタ…あの時の…刑事さん…」

――君がやったんだろう?正直に言いなさい。

わたしにそう詰め寄った刑事と、目の前の男の面影が重なった。

「あれから10年か…随分と大人になったね」
「……な、何の…用ですか」

突然、忘れたい過去が目の前に現れ、動揺してしまった。自然と声や手が震えて頭の中が真っ白になる。

「…君が一緒にいる男達は誰なんだい?この前も派手な男と一緒にいたよね」
「……っこの前…?」
「どう見ても真っ当な連中じゃない。反社だろ。君はそこの情婦にでもなったのか」
「……お話することは…ありません」

ダメだ。わたしのせいで彼らが梵天の人間だと知られるわけにはいかない。以前わたしが訊いた噂では警察でさえ梵天幹部の顏は知らないということだった。こんなところでバレるわけにはいかない。

「ふーん…話せないってことかな。でもあれだね。人殺しはやっぱりそういう連中とくっつくもんなんだなぁ」

男は苦笑交じりで言いながら、何かを考えている。どうやって振り切ろう。そう思った時だった。

「…!」
「―――ッ」

万次郎の声で呼ばれてドキっとした。でも男の方もすぐにわたしから距離をとる。

「またね」

万次郎のいる位置から死角となる商品棚の方へ身を隠した男は、薄ら笑いを浮かべながら立ち去った。ちょうどその時、万次郎が歩いて来る。

「どこ行ったのかと思った」
「あ…チーズ買うの思い出して…」
「あーそうだった。これこれ」

万次郎はわたしの選んだチーズを手に取り、「これ入れると美味いんだ」と笑った。

「あ、あとはの好きなシャンパン買おう」
「え…」

万次郎がわたしの手を取り、お酒コーナーに歩いて行く。そんな話したっけと思っていると、万次郎が「灰谷から聞いた」と言った。

「あ、蘭さん…」
「好きなんだろ?」
「えっ?」
「シャンパン」
「あ、ああ…うん」

一瞬、蘭さんのことを言われたのかと思った。そんなはずないのに。

「オレ、ウチに来る前ののこと知らねーし、この前ちょっとだけ灰谷に聞いたんだよ」
「そ、そっか…」
「あとは何が好き?」
「え?」

万次郎がふとわたしを見た。

「もっとのこと知りたくなった」
「…わたしの…こと?」
「過去のことは聞いたけど、そーうんじゃなくてこう…好きな物とか嫌いな物とか、そーいうの」

そう言って笑う万次郎の気持ちが嬉しかった。こんなわたしのことを知りたいと思ってくれるだけで、わたしは救われた気持ちになる。
なのに――過去がまた、少しずつ近づいてくるのを感じた。自由になれたと思ったのは一瞬で、この先どこまでもきっとついて回る。そんなこと、分かっていたはずなのに。
わたしは逃げられないのかもしれない。永遠に。