六本木心中




「おぉぉ、マイキーひっくり返すの上手いじゃん」
「プロ並みじゃね?」

蘭さんや竜胆が万次郎の手さばきを見て声を上げた。追加で切った材料をテーブルに置きながらわたしも覗き込んでみると、確かにたこ焼き屋さんも真っ青の綺麗な返しだった。

「昔、真一郎のツレが黒龍解散した後にテキ屋やりだしてさ。祭りで店を出した時に何度か手伝いに行ったことあるんだよ」
「へえ、通りで。んじゃー焼くのはマイキーに任せるわ」
「オマエら、食って飲むだけかよ」

春千夜がビールを煽りながら鼻で笑う。そういう春千代はそれこそ何もしてないけど。

「あ?オレとココはネギ切ったし。兄貴は横で口だししかしてこなかったけど」
「こういうのは出来る奴がやればいーんだよ。不慣れなヤツが手を出したら、どうせ失敗すんだから」

蘭さんは澄ました顔でビールを飲んでいる。でもそれも一理あるか、と手元の小皿に入ったネギを見た。刻んであるものの、つまんでみると一連の鎖のごとく、繋がっていた。料理をしたことがないココが切ったらしい。蘭さんの嫌味に耳が痛かったのか、ココは「お、この浅漬け、超美味いっ」と誤魔化している。

、漬物とか作れんだ」
「ああ、それ粉末の出汁と塩で簡単に出来るの。ビールに合うかなと思って買い物行く前に漬けておいた」
、優秀」

蘭さんはそう言って浅漬けを食べてくれたけど、あの蘭さんが漬物を食べるんだとベタなことに驚いた。何となく似合わないから笑いそうになる。

「新しいビール持ってくるね」

万次郎が次々にタコ焼きを焼き上げていく中、ビールが進むのか、アっという間に空き缶が増えていく。ついでに冷蔵庫に補充しておこうと空き缶を下げてキッチンに戻った。さっき箱買いしたビールを冷蔵庫へ入れながらも、ふと家政婦さんは結構大変なんだなと思った。自分がこういう立場になって初めて分かる。でも人の世話を焼くのは意外とわたしに向いてるかもしれない。
これまで他人と深く関わることを避けていたせいか、今の生活が少しずつ楽しいと感じて来ている自分に気づいた。誰かの為に自分が何かをしてあげられる。ホステスとして働いていたのはお金の為だったけど、お客さんの喜んだ顔を見るのは好きだった。ふとそんなことを思い出す。でも――。

――またね。

一瞬、あの刑事の顏が頭を過ぎった。10年も経って目の前に現れるなんて、いったいどういうつもりだろう。

(蘭さんに相談した方がいいのかな…)

あのスーパーに現れたのも偶然じゃなく、もし見張られていたとしたら?この梵天の事務所から外へ出る時は殆どが地下駐車場から出る。だから出入りの際から見られていたとも考えにくい。

(もしかして…ココとあのスーパーへ行った時にわたしを見かけて…あの場所で見張っていたとか…?)

あれこれ考えながら、買い物で使ったエコバッグの中からコーヒー豆や、万次郎の買ったスナック菓子を外へ出す。その時、何かがヒラヒラと舞って床に落ちた。

「レシート…?」

全部財布に入れたと思ったのに、と首を傾げつつそれを拾う。でもそこに打ち込まれた商品は自分達が買ったものじゃなかった。

「…煙草?煙草なんて誰も…」

そこで気づいた。あの刑事からかすかに煙草の香りがしていたことに。でも何であの刑事のレシートがわたしの持っていたエコバッグの中に?そう思った時、無意識にそれを裏返していた。

「……っ」

小さく息を飲んだ。レシートの裏面に走り書きされたケータイ番号、そして"連絡待ってるよ"というメッセージがあった。

「あの人…いつの間に…」

そこでチーズを見ていた時あの刑事が隣に立ったことを思い出す。もしかしたら、あの時すでに書いておいたレシートをバッグにこっそり入れたのかもしれない。

「連絡を待つって…どういうつもりで…」

「―――ッ」

突然背後から声をかけられ、ビクっとした。その瞬間、レシートを手の中で握りつぶしエプロンのポケットへ突っ込む。

「あ…竜胆…空き缶、下げてくれたの?」
「うん。ってか、どした?そんな驚いた顔して…」

竜胆は空いた缶をゴミ箱に捨てると、わたしの方へ歩いて来た。ハイペースで飲んでたからか、少し目がとろんとしている。

「あ、ううん…えっと…ビール取りに来たついでに、これしまおうと思って…」

そう言ってエコバッグから出したばかりのスナック菓子の袋をいくつかキッチンの棚に入れていく。でも上の段は少し高くて背伸びをすると、後ろから腕が伸びて不意に強く抱きしめられた。その拍子に袋が足元へ落ちる。

「り…竜胆…?」
「ん~ちょっと酔ったかも」
「…ひゃ」

後ろから抱き着いてる竜胆は肩越しに顔を埋めて首筋に口付けてくる。くすぐったい感覚がそこから広がりゾクリとした。

「ちょ…竜胆…動けないってば」
「…次、いつ会える…?」
「え…?」
「ふたりきりで会いたい…」

わたしの肩に顎を乗せた竜胆が話すたび、首筋に吐息がかかる、そのくすぐったさに思わず首を窄めた。言われた言葉に鼓動が自然と速くなっていく。

「ふ、ふたりでって言われても…」
「まあ…マイキーがいたら無理か…」

竜胆は苦笑しながら呟くと、お腹に回した腕を緩めてくれた。ホっとして離れようとした時、体を反転させられ、くちびるを強引に塞がれる。廊下の向こうのリビングからは皆の騒ぐ声が聞こえて来るから、今にも誰かがキッチンへ来るんじゃないかと緊張した。そのせいでわたしの体が硬くなったことに気づいたのか、竜胆のくちびるはすぐに離れていった。

「ごめん…酔っ払~い」
「…だ、大丈夫?はい、お水」

髪をかき上げながら壁に凭れる竜胆を見て、すぐにウォーターサーバーの水をグラスに注いで手渡す。いくらビールでも飲みすぎたら意外と酔うのは分かっている。
竜胆は「サンキュ」と言って水を美味しそうに飲み干した。

「そんなに飲んだの?」
「いや、すきっ腹だったからかも。まあ、今はたこ焼き食いすぎて苦しいけど」
「粉ものだからお腹にたまるよね。万次郎はまだ焼いてる?」
「あー、ありゃ店を出す気だな、マイキーは」

と竜胆が顎に手を当てて真顔で呟く。その言葉で万次郎がどれだけ焼いたのかが想像できてしまう。つい吹き出してしまった。

「でも兄貴やココが食いまくってるから減りは早い。三途は酒ばっか飲んでっけど」
「あ、じゃあ冷えたビール持ってかなきゃ。他のお酒も飲む?」
「あーいいよ。、さっきから動いてばっかで何も食ってねぇじゃん。酒とか自分でやるしも食ってこいよ」

竜胆に背中を押され、いいの?と振り向けば頬にちゅっと口づけられてドキっとした。

「いいから早く行けって。そろそろマイキーが――」

と竜胆が言いかけた時、万次郎が「、オリーブオイルは?」とキッチンに顔を出した。でもすぐ竜胆に気づいて苦笑している。

「何だよ、竜胆。ちゃっかりキッチンに避難してたのかよ」
「いや、ビール取りに来て。オリーブオイルってまさか…兄貴?」
「あーうん。、灰谷がアヒージョ食いたいからオリーブオイルねえのかって言ってる。あとオレのチューハイは?」
「あ、チューハイはこれ。オリーブオイルは…ああ、あった」

万次郎は苦いお酒が飲めないからサイダー味のチューハイを手渡した。そしてキッチン台のところに置いてあったオリーブオイルをとる。タコ焼き器で手軽にアヒージョが出来るのは知ってたけど、そうなると…

「あ、ニンニク切らなきゃ」
「あーそれ、オレがやるわ。前にもやらされたことあるし。はいいから早く食べて来いよ」

竜胆が苦笑交じりでわたしの手からニンニクを奪う。

「オマエは家政婦じゃねえんだから、ひとりで全部やることねえよ」
「あ…うん…ありがとう」

ここは竜胆の言葉に甘えることにした。万次郎も苦笑しながら「ちゃんと食えよ。沢山焼いたんだから」とわたしの手を引いて行く。万次郎も随分と機嫌が良さそうだ。酔ってるのもあるんだろうけど、会った頃よりだいぶ顔色もいい。一時は落ち込んでたけど、前と変わらず接していたら万次郎も少しずつ前と同じように甘えてくれるようになった。今じゃ起きていても少しの間だったらわたしが部屋に戻っても平気になったようで、それは凄い進歩だって春千夜が驚いてた。

「多分…安心したんじゃねえかな。オマエは自分を置いてどこかに行ったりしないって」

春千夜がそう言ってたけど、それならわたしとしても安心だ。万次郎が何故あんなに孤独を感じてしまうのかは分からない。でも精神的に少しでも良い方に変ってくれればいいなと思う。

――連絡、待ってるよ。

わたしはいつ、どうなるかも分からないから。万次郎に手を引かれながら、ふと…そう思った。






2.

「ん…」

誰かに頭を撫でられている。そう思った時、光が瞼を通して刺激してくるのを感じた。

「起きた?」

すぐそばで声がして目を擦りながら瞼を押し上げると、上から万次郎が笑いながら見下ろしていた。頭を撫でていたのは万次郎だったらしい。わたしは彼の膝の上に頭を置いて寝ていた。

「あ、あれ…わたし、寝ちゃってた…?」

上半身を慌てて起こす。そこは万次郎の部屋のリビングで、さっきまで一緒に飲んで騒いでいた皆がいない。万次郎はソファに座っていて、わたしはそこで寝てたようだ。

「一時間くらい寝てた。酔ってたし」
「一時間…って、皆は…」
「もう戻った」
「え…?あ、もう、こんな時間…?」

時計を見れば夜10時になるところ。夕方から今まで随分と長い間、飲んでたようだ。

「あ…片付け…」

と思いながら目の前のテーブルを見たけど、そこにタコ焼き器はなく、グラスや空き缶の類もない。綺麗に片付けられている。呆気に取られていると万次郎が笑った。

「部下呼んで片付けさせた。幹部の連中は酔っ払いだし」
「え、そっか…ごめんね、寝ちゃって…」
「何でが謝んの。色々準備してくれて疲れたろ。オレの我がままに付き合わせたようなもんだし」
「そんなの平気だよ。あ、万次郎、お風呂は?薬も飲まなきゃ――」

万次郎は部屋にいる時、これくらいの時間にお風呂へ入る。その後に睡眠薬を飲ませなくちゃいけない。でも立ち上がろうとしたわたしの手を、万次郎は掴んで「いい」とひとこと言った。

「まだ寝る気分じゃねーし」
「そう?じゃあお湯溜めるね」
「それも自分でやったし大丈夫」

万次郎はそう言って立ち上がると「風呂入って来る」と言ってひとりでバスルームに歩いて行く。足元がフラついてるのは酔っているからかもしれない。わたしも立ち上がって万次郎の体を支えた。

「いいって」
「だってフラフラしてるもん。どのくらい飲んだの?」
「んー…覚えてねえかも」

万次郎は一瞬、天井を仰いで首を傾げながら笑った。あのメンツとなら結構飲まされたのかもしれない。後半に顔を出した望月さんはかなりの酒豪だったし。顔は怖いのに凄く優しい人でちょっとだけ驚いたけど。内容は覚えてないけど蘭さんとの掛け合いがかなり面白かった気がする。そう考えるとわたしも結構飲んじゃったかもしれない。

「あ、手伝うよ」

タオルなどを棚から出していると、万次郎が服と格闘していて吹き出した。酔っ払ってるから適当に脱ごうとしたのに腕が引っかかったみたいだ。

「はあ…オレ、結構酔ってるかも」
「うん。でもわたしもだよ」
「あーもかなり飲んでたもんな。ワイン」
「あれ美味しかった」

望月さんが差し入れと称して持って来てくれた赤ワインが凄く美味しくて、それで飲みすぎてしまったかもしれない。

「万次郎、手あげて」
「ん」

素直にバンザイをする万次郎が子供みたいで可愛い。でもお腹から一気に上へ上げて脱がすと引き締まった体が現れてちょっと驚く。ほぼ無駄な肉がなくて筋肉質な体は、男の人なのに綺麗だと思った。

「万次郎、何かスポーツでもやってたの?」
「あー空手とかガキの頃からやってたかな…あとはまあ…殴り合いはしょっちゅうだったから実戦で」
「万次郎ってケンカ強そう」
「これでもガキの頃は無敵って言われてたし」

と思い出したように笑う。でもわたしはちょっとびっくりした。

「え、じゃあ負けたことないの?」

どちらかといえば小柄なのに無敵とはただごとじゃない。驚いて尋ねると、万次郎は首を傾げつつ「ない」とあっさり言った。

「え、凄い…あ、じゃあこれタオル――」

ふと思い出して持ってたタオルを差し出した手を、ぐいっと引き寄せられた。

「髪、洗って」
「…えっ」
「酔ってるし自分で洗うのめんどい…」

万次郎は子供みたいな顔で口を突き出してる。目もとろんとしてるし風呂場で寝てしまっても困るけど――。

「でも…ひゃ、ちょ、ちょっといきなり脱がないでっ」

言ってる傍からズボンを脱ぎだした万次郎にギョっとして、慌てて後ろを向いた。いつも一緒に寝てはいるけど裸を見たことはないし、まして全裸になられるのは目のやり場に困ってしまう。


「い、今、準備して行くから先に入って体洗ってて…」
「…ん。早くね」

万次郎はそれだけ言うとバスルームへと入っていく。扉が閉まると同時に息を吐き出した。

「わたしの前の世話係もこういうことしてたのかな…」

万次郎は時々子供みたいになるからありえる。とりあえず準備しなくちゃと、すぐに自分の部屋へ行って濡れても良さそうな服を探した。でもどれも高級なものしかない。

「もー蘭さんってばこういう時の想定してなかったのかな…」

仕方ないと、まだ一度も身につけていないシルクのキャミソールとペチコートにした。あまりに肌触りが良くて濡らすのがもったいない気もする。その上から薄手のガウンを羽織ってヘアゴムで髪を縛ると、すぐに万次郎の部屋へ戻った。バスルームからはシャワーの音が聞こえている。中へ入ると「まだー?」という声が聞こえた。

「今いく」

羽織っていたガウンを脱いで軽く深呼吸をすると、バスルームのドアを開けた。バスルーム内はかなり広い。滑り止めなのか、薄いマットのようなものが敷かれている。万次郎は鏡の前の椅子に座ってシャワーで髪を流していた。

「あれ、着替えて来たの」
「う、うん。濡れちゃうし…あ、あまり見ないで」

視線を感じて顔を反らすと、万次郎が笑いながら前を向いた。

「わざわざ着替えなくてもも脱げばいいのに」
「そ…それは恥ずかしいし…えっと…シャンプーはこれ?」
「ああ、うん。そう」

棚に置いてあるボトルを手に万次郎の後ろに膝をつく。シャワーのお湯で早速濡れたけど、ここまで来たらやるしかない。

「じゃあ洗うね」
「ん」

手にシャンプーを出して濡れている万次郎の髪を両手で揉んで泡立てていく。人の髪を洗うのはさすがに初めてだ。

「気持ちいい…」
「そう?どこか痒いとこある?」
「ん-ん。ない」

軽く首を振る万次郎は本当に子供みたいだ。今もジっとしながら目を瞑っているのが鏡越しに見える。でもあまり鏡を見ちゃうと変なとこまで見えそうで慌てて目を反らした。シャワーの湯気で見えにくくて良かったかもしれない。

「これくらいでいいかな。じゃあ流すから目を瞑っててね」
「うん」

シャワーを手に取って髪の泡を綺麗に流していく。

「じゃあ次はトリートメント?」
「あーうん。それは適当に」
「これかなぁ。何か高そうなボトル」

見たことのないボトルを手に取ると、万次郎がかすかに笑った。

「そーいうの三途が買って来るんだよ。オレは何でもいいのに」
「え、そうなんだ。でも万次郎も春千夜も髪綺麗だもんね。っていうか他の皆もサラサラだけど」
も髪、綺麗じゃん」
「前は月に二回くらい美容室でヘアケアしてもらってたから…」
「マジで?それも仕事の為?」
「うん、そう」

そう言えばここに来てから一度も美容室に行ってないなと思い出した。でも店に出るわけじゃないから別にいいかと思いながら、万次郎の髪にトリートメントを揉み込んでいく。

「そーいうの行きたい?」
「…え?」

不意に万次郎が訊ねてきた。

「女の子なら美容室とかネイルとか行きたいんじゃねーの?前の子らも行ってたし」
「わたしは…もう店に出るワケじゃないからいいの。あ、流すね」

もう一度シャワーでトリートメントを念入りに流して、最後にタオルで簡単に拭いていく。

「はい、出来た――」

と手を放した瞬間、万次郎が振り向いた。そしてわたしの手を取ると、今は何もつけていない爪を見る。

「最初に来た頃はネイルしてたじゃん。取っちゃったのかよ」
「あ…うん。伸びて来てたから切っただけ。ネイル用のお手入れセットは部屋に用意してあったし。蘭さん、そういうのマメ――」

と言いかけた時、万次郎の薄いくちびるにわたしの指先が吸い込まれた。

「な、何…」

ちゅっと吸われてドキっとする。万次郎はそのまま視線をわたしに向けると、ふっと笑みを浮かべた。

「…透けてる」
「え?」

そう言われてハッとした。適当に選んだキャミソールが白だったことを思い出す。見れば確かに濡れて薄いシルク生地がピタリと肌に張りついていた。胸はもちろん、外気に触れてツンと主張した先端までがハッキリ見えて、慌てて隠そうとしたその腕を万次郎に引っ張られた。素肌同士が触れる感触にドキっとさせられる。

「何で隠すんだよ」
「だ…だって…」
「綺麗なんだから見せて」
「…え…ぁっ」

気づけば天井を見上げていて、上から万次郎が見下ろしている。その上をシャワーが降り注いで、更に万次郎とわたしを濡らした。

「ま、万次郎…?」

未だに万次郎とはそういう関係になっていない。だから――余計に、この状況が落ち着かなかった。