六本木心中




ねぇ、人が死んでる姿を見たことある?わたしは昔、一度だけ見たことがある。この手で、わたしが殺した男の死体。刃物のように鋭くとがった氷があの男の体を通った時、一面に赤い花が咲いた。
心臓が止まるとね、目を見ればすぐに分かる。直前まで生きていた人間とは思えないほど、虹彩も何もない、濁ったただのガラス玉のような無機質な物体に変わるの。そこで絶命したのが分かった。散々好き勝手に他人を蹂躙し続けたその男は、真っ白な棺桶に埋まって、わたしの世界から消えた。そう思ったらその死体はただの置物に見えたの。
分かる?よく言うでしょ。死んだら人なんてただの肉の塊だって。まさにあれだった。あなたも塊になりたい?まあ、この組織ではそれをスクラップ・・・・・って呼んでるんだけど。








2016年7月――。



眠気知らずなざわめきが似合う街の騒音は、今日も歩くだけで耳から押し込まれてくる。そこら中に起こる人の笑い声や怒鳴り声も、今ではBGMのようだ。
いつも人を惹きつけて止まないくらいにキラキラしているこの街は、今も昔も目に映る景色は何一つ変わらない。

ここは"梵天"が支配する街、TOKYO.六本木――。

オレ達アングラの人間にとっては、いつか墓場となるかもしれない場所だ。




「マイキーは今日発つんだったか?」
「ああ」
「だから三途がいねえのか…」

望月は面倒だと言わんばかりに溜息をつく。場所が場所なだけに、それだけで白い息が舞い上がり、望月は軽く身震いをした。

「はあ…とっとと終わらせようぜ。いくら夏とは言え、ここは寒すぎる」

心底面倒そうな望月の前には二人の男が座らされている。上半身裸の体をロープで縛られ、寒さで歯をガチガチ言わせてた。ここは梵天所有の巨大な倉庫。その中の一つに大きな冷凍庫がある。元々仕入れた大量の鮪を冷凍保存する為のものだから、倉庫の中全てが冷凍庫となっていた。秘密裡に誰かを消したい時は、大抵ここを使う。

「じゃあ…もう一度聞くけど…」

オレは男達の前にしゃがみ、手にした警棒で男の顎を持ち上げた。ここへ来る前、望月に散々痛めつけられた顔は、元の倍以上にも膨れ上がっていて、男がどんな顔だったかも分からない悲惨な状態だ。でも当然だ。コイツらは梵天の情報を外の人間に洩らしていた疑いがある。疑いだけでも、この梵天では万死に値する。

「オマエらはに、どんな・・・情報を洩らしたんだ?」
「し…信じて下さい、蘭さん…!オレは誰にも何も洩らしてないんです…!」

目に涙を溜めながら訴える男は、嘘を言っているようにも見えない。そもそも、ここまで痛めつけられても吐かなかったところを見ると、この情報を持って来た下っ端の方が嘘を言っている可能性すらあった。

「だってさ。モッチー」
「あ?真面目にやれ、灰谷!」
「だーって泣いちゃってるしさぁ。ホントにその情報あってんのー?」

警棒で肩を叩きつつ、立ち上がると、ターレットトラックに座ったままスマホをいじってる竜胆に「交代~」と声をかけた。あからさまに嫌な顔をされたけど。

「オレはコレで死体運ぶ役割だろ?」
「まだ死体になってねーし、とりあえず兄ちゃんは疲れたから交代なー」

警棒を竜胆に向けると「いちいちポーズ決めるのウザい」となかなかに反抗的だ。でもスッと目を細めると、竜胆は渋々ながら降りて来た。代わりにオレがターレットトラックに座り、ついでに後ろで控えている部下に「コーヒー買ってきて。あったかいやつ。あ、アメリカーノのトールで」と頼む。この様子だと長丁場になると思ったからだ。

「あ、オレも!ホワイトモカのトールね」

つかさず竜胆も手を上げる。

「あ?あんな甘そうなもん、オマエ飲んでたっけ。定番はラテだろ」
「あー…まあ。がそれ好きでさ。オレも飲んでみたら結構うまかったから」
「………へえ」

いつの間にそんなことまで知る仲になったんだとツッコミたい気持ちを抑えつつ、部下に「なるはやでー」と声をかけると、「了解です!」と一番下っ端が慌てたように走っていく。望月はまあ、アイツらを殴るのに必死だし飲み物なんていらないかと訊くのはやめておいた。

「おい、竜胆!交代だ」
「えー…」

望月もさすがに殴りすぎて手が痛くなったらしい。顔をしかめつつ、手の甲についた血を部下のスーツで拭くと(!)こっちに歩いて来た。代わりに名指しされた竜胆が溜息交じりで男達の方へ歩いていく。あの状態で竜胆に絞め技喰らったら、そのまま死ぬかもな。

「う~さみぃ~!やっぱ吐かせてからここに運んだ方が良かったか?ここ連れて来たらさすがにビビって吐くかと思ったけど、アイツらマジでしぶてーわ」
「あの分じゃやっぱ報告してきたヤツの勘違いか…下っ端同士の派閥争いで邪魔な兄貴分を消そうと嘘をついたかのどっちかじゃね?」
「あ?!んな下っ端のくだらねー派閥争いで幹部のオレ達に仕事させたんだとしたら、その報告した野郎もタダじゃおかねえっ」
「だと思って今ソイツもここに連れて来るよう部下にメッセージ送っといた」

言いながらスマホを見せると、望月は軽く舌打ちをして、竜胆に締め上げられてる男達を見た。

「そもそもアイツらはどんな情報流したことになってんだよ」
「…ああ、それね。のことだよ」
「は?って…例のマイキーの女か」
「いや、女じゃないけどな。世話係。高級ホテルで言うところのバトラーみたいな」

苦笑交じりで突っ込むと、「似たようなもんだろ」と望月は笑った。

「何でも歴代一、気に入って可愛がってんだろ?六本木の事務所にいる間はずっとそばに置いてるって九井から聞いてんぞ」
「まあ、あながち間違ってはないけど」

最近のマイキーを思い出して苦笑する。

「いい子そうだったもんなァ。器量も良くて料理上手。それで床上手とくれば男は手放せなくなるわな」
「床上手なんて知らねえだろ、モッチーは。ってか顔がエロっ」
「オレは人が手ぇつけた女に興味ねぇんだよ。ってか、あのマイキーがあんだけ気に入ってんだし、そういうことなんじゃねぇのか。オマエならその辺よく知ってんじゃねーの?どーせあの子に手ぇ出してんだろ」
「いや…オレはまだ出してねえっつーの」

決めつけてかかる望月には苦笑しか出ない。あげく「は?オマエが手ぇ出してねえなんてことあんのか」と失礼なことをほざきだした。

「あのな、オレだって目に入る女全員に手を出してるわけじゃねぇから。武臣くんと一緒にすんな」
「あ~あの人はなァ…」

と顎髭を触りながら、望月が笑った。まあ武臣くんはいい女を抱く為だけに反社やってるようなとこあるから分かるけど。

「でもあの子はオマエが見込んで連れて来たって聞いたぞ。何で手ぇ出してねえんだよ。遂に勃たなくなったんか」
「は?めちゃくちゃ元気だっつーの。それこそ武臣くんと一緒にすんな。オレはあの人みたいに薬に頼らなくても自力でバリバリ勃つし」
「オマエ、さっきからちょいちょい失礼だぞ……ぶはっ」
「いや、モッチーだって笑ってんじゃん」

こんな処刑場とも言える場所で普通にエロトークしてるオレ達もたいがいだなと思いつつ、頑張って締めあげてる竜胆を見る。ってか半分意識ねーじゃん、アイツら。

「兄貴…コイツら、全然吐かねえ」
「あーもういいわ。また起きたら聞いてみるし」
「つーか、マジでさみー!」
「だな。――おい!一旦、冷凍庫のスイッチ切ってー」

震えながらスタンバってた部下に言うと、ぶぅうんという独特の音と共に冷気が止まった。

「でも、あの子の情報をアイツらが流したって…それが本当なら何の意味があるんだよ」

望月は再び話を戻すと、怪訝そうに首を傾げた。

「まあ…今のは内部事情をだいたい把握してるだろうし、幹部のオレらよりも近づきやすいと思って調べてるのかもしんねーな」
「知ってるつってもあの子はマイキーの世話してるだけだろ。知ってんのはマイキーの大好きなオヤツくらいじゃねーの」

望月は呑気に笑ってるが、もバカじゃない。組織内部に関係することを見たり聞いたりしても知らないフリをしてるはずだ。

「お、お待たせしました!」

そこにコーヒーを買いに行かせてた部下が戻った。

「おーサンキュー」
「待ってた~オレのホワイトモカ♡」

オレと竜胆がコーヒーを受けとると、望月は「何だそりゃ!オレの分は」と騒ぎだした。

「んなもん頼んでねーわ」
「はあ?ちょっと寄こせ、オレにも!さみーんだよっ」
「げ、やめろって!モッチーと関節キスしたくねーっつーの!」

無理やりオレの手から奪おうとする望月から逃げると、望月はふざけんなと文句を言いつつ「オレの分も買って来い!」と再び部下を買いに行かせてる。けどそこへ情報を持って来た下っ端がオレの部下に連れて来られた。

「おう、オマエか。アイツらが情報洩らしたって密告してきたのは」
「は…はい…!」

その男は20歳そこそこの本当に末端の男だった。今気絶してる男達の下で働いてると言う話だ。

「オマエはアイツらがウチの情報を外部に洩らしたって言ったんだよなァ?」
「そ、そうです…」
「でもアイツら、あんだけ痛めつけても吐かなかったんだよ。これってどーいうことだと思う?」
「も、もう死んでるんですか…」

男は震えながら気絶している二人に視線を向けた。

「いーや、まだ生きてる。つーか、今度はオレに直接教えてくんね?オマエは何を見たんだよ」
「は、はい…!あれは三日前の夜です…。居酒屋で兄貴たちが飲んでた時、隣に座った男から話しかけられて…兄貴たち酔っ払って自分たちは梵天だってソイツに話し始めたんです。そしたらその男が梵天に女はいるか、と訊いて来て…」
「…へえ。それで?」
「兄貴たちも最初はいるわけねーだろって笑ってたんですけど、思い出したようにボスの世話係は女だけどなってポロっと話しちゃったんです…。そしたらその男が面白がって詳しく教えろって…」

震えながら話す男の目に嘘はないように見えた。ということはアイツらが酔ってて何を話したのか覚えてないってこともあり得る。

「詳しく教えろ、ねえ。オマエは聞いてたのか」
「は、はい…兄貴たちは座敷で飲んでたんですけど…話しかけて来たその男は隣の部屋で飲んでたヤツです。オレは座敷の入口で見張ってたので中での会話は聞こえてました…」
「アイツらは何を話してた?マイキーの世話係のことはオレら幹部しか詳しいことは知らねーんだけど」
「え、えっと…世話係の女は毎回幹部の人間が選別して連れて来るってことと…今の女はボスが気に入ってて常にそばに置いてるってこと。あとは…」
「あとは?」
「一度見かけたことあるけど…めちゃくちゃいい女だったってことです!」
「……あ、そう」

ビビりながらもデカい声で言った男に、竜胆と望月は吹き出している。まあ、いくら隠しててもはずっと部屋に閉じこもっているわけじゃない。出かけたりする時は部下もつけるし、その辺りから下に多少の話が洩れるのは仕方のないことだ。でも例え世話係のことでも梵天内部の情報には違いない。それを外部の、それも会ったばかりの人間に話すのは、やはり見過ごせないだろう。

「分かった。その話はこっちで確認する。ただし嘘だと分かったらオマエはもう一度、ここへ来ることになるのは覚えておけ」
「は、はい…!」

男は心底ビビったような青い顔をしながら姿勢を正して返事をした。その様子から嘘は言ってないと感じた。コイツは兄貴たちの話を聞いていただけだろうが、たかが世話係のことだと口を滑らせたあの二人よりも、それが梵天の情報漏洩だと判断して上にチクったこの男の方が使えると思った。

「アイツ、オレの下に入れるわ。運転手として」
「は?兄貴、マジで言ってる?」
「ああいう根が真っすぐのヤツは可愛がれば組織の為にがむしゃらに働くタイプだ。働きに応じて相応の仕事の質も上げてやれば更に裏切る可能性は低くなる」
「へえ、そういうもん?まあ、その辺兄貴の方がオレより見る目あるし任せるけど。で?どーすんの、アイツらは」

と、竜胆が気絶している二人を見た。オレは少し考えていたものの、待機してる部下に手で合図を送ると、再び冷気が下りて来る。望月が怠そうに舌打ちした。

「竜胆、アイツら叩き起こせ」
「りょーかい」

こういう時、分かり合えてる兄弟は便利だ。余計な質問をしてこない。

「さて、と…じゃあ…さっきの続きでも始めますか」
「ったく…今頃、九井は部屋で金の計算か?オレもそっちの仕事の方が良かったわ」

首をコキコキと鳴らしながら望月が苦笑する。コイツがパソコンと睨み合う姿を想像するだけでジワる。ってかモッチー数字に弱いだろ。

「やめとけ。ココが泣く」

肩にポンと手を置けば、また舌打ちが返って来た。







「忘れ物はない?」
「ん」

荷物の最終チェックを終えて、最後にもう一度訪ねると、万次郎は小さく頷いた。今日から一週間、彼はフィリピンへ発つことになっている。これは年に数回の恒例行事みたいなものらしい。現地では組織に必要な物を仕入れたりもするようだけど、万次郎の目的は大好きだったお兄さんの思い出の地を巡ることだと教えてくれた。

も一緒に行くか?」

と訊かれたけど、あいにくパスポートは持っていない。組織経由で偽造パスポートならすぐ用意できるらしいけど、それ相応のリスクも高まる。最近は出入国も厳しくなってるみたいだから、春千夜はなるべく万次郎がいる時は大きなリスクを冒したくないと言っていたので、わたしは残ることにした。

「ま、もたまにはオレから解放されたいよな」

万次郎はそんなことを言って笑うだけで、特に無理強いはしてこなかった。多分、その思い出の地は万次郎も一人で行きたいんじゃないかと思った。春千夜と部下は仕事の関係で一緒に行くけど、万次郎が"その場所"へ行く時は誰も連れて行かないと話してたからだ。

「じゃあ行って来る。オレのいない間はも好きなことしろよ」

万次郎はいつものラフな格好に着替えると、愛用しているビーサンを履いて振り向いた。海外に行く時でも彼のスタイルは変わらない。

「うん…でも特にすることないし部屋でお酒飲むくらいかな」
「何だよ。それじゃ普段と変わりねーじゃん。友達と外で飲めばいーだろ?部下は邪魔にならねーとこにいさせるし」
「友達なんていないもん」

これまで親しくした他人はいない。過去に付き合ってた彼氏でさえ、わたしは一線を引いていた。万次郎は少し驚いたような顔をしたけど、不意に手を引いて抱きしめて来た。

「寂しい?」
「…ううん。十代の頃はそんな気持ちもあったけど…今は寂しくないよ。大人だし」

罪を犯した時から、普通の人生は送れないと覚悟はしている。一人で生きていくと決めた時、わたしは誰かに縋るという気持ちを捨てた。それは自分の人生に相手を巻き込みたくなかったからだ。深く付き合えば、もしわたしが何かのキッカケで捕まった時、その人たちを傷つけることになる。親しくしてた人間が殺人犯だったなんて、そんな最悪の傷は残して欲しくない。

「…には…オレ達がいるしいっか」
「…え?」

耳元でふと万次郎が呟いた。腕の力を緩めてわたしの顔を覗き込んだ彼は、おどけたような笑みを浮かべている。

「まあ……人相悪いのばっかだけど。望月を筆頭に」
「万次郎…」
「オレがいない間、何か困ったことがあればアイツらを頼れよ。灰谷兄弟や九井もいるし、どっか連れてってもらえばいい」
「でも皆、忙しいのに…」
「いいんだって。どうせオレがいない間はアイツらいっつも羽伸ばしてるみてーだし」

万次郎はそう言って笑った。最近は良く眠れるようで、会った頃に目立っていた隈も消えて、今はかなり顔色もいい。時々夜になると不安そうに甘えて来ることはあるけど、あれ以来、乱暴なことはされていない。

「万次郎は大丈夫?ひとりで眠れる?」
「フィリピンに行くと意外と平気なんだ。兄貴を身近に感じるせいかもな…」
「そっか…ならいいけど」
「ま、寂しくなったら電話するかも」
「うん」

そう頷いた時、やんわりとくちびるを塞がれ、ちゅっと軽く啄まれた。

「なに赤くなってんだよ」
「え、だって…」
「そーいうとこ可愛くて好きだけど」

言いながら同時にくしゃりとわたしの頭を撫でて、万次郎が笑いながら部屋を出て行く。廊下では春千夜がすでに待機をしていた。

「春千夜も気を付けて」
「ああ。留守中は何かあれば灰谷か九井に言え」
「うん。万次郎にも言われた」
「そうそう。もうオレが言ったっつーの」

万次郎が笑うと、春千夜も苦笑しながら軽く手を上げ、先にエレベーターホールへと歩いて行く。

「じゃあ、行って来る」
「うん、行ってらっしゃい」

歩いて行く背中にそう声をかけると、万次郎は僅かに微笑んで「行ってきます」と手を振った。