六本木心中



1.

ここへ連れて来られて約半年。初めて何もしない時間が出来た。
万次郎を見送った後、部屋の中を軽く掃除してから自分の部屋へ戻った。最初に蘭さんが話してた通り、普段この部屋を使うことは殆どない。着替えに戻るだけで今ではキッチンやバスルーム、寝室など全てがモデルルームみたいに生活感がなかった。それでも埃はたまるから定期的に掃除はしているおかげで、この部屋じゃ何もすることがない。

「いきなり一人の時間か…」

今日まで何かしら誰かの為に動いてたせいか、こうして時間をもらえると何をしていいのかも分からない。万次郎は友達と出かけていいようなことを言ってたけれど、彼に言った通り、気軽に誘える親しい友人もいなかった。前に勤めていた"Jewelry"では店の女の子と時々ご飯に行ったりはしてたけど、やっぱりNo.1という立場のわたしに女の子が気を遣うことが殆どで、結局それ以上でも以下でもない関係だった。

「…お酒でも飲もうかな」

まだ昼過ぎだけど、ハッキリ言って久しぶりの一人の時間を持て余していた。幸せなことに、この部屋には何でも揃っている。最近は買い物に出ていないけど、食材なんかも万次郎の為に揃えてあるので豊富だ。たまには自分の為におつまみでも作ろうかという気分になってくる。

「なに作ろう…?」

キッチンに向かい、冷蔵庫の中を覗く。そこで気づいた。

「あ、そっか…殆ど万次郎の部屋だ」

ここで料理をすることはなく、いつも万次郎の部屋で作っている為、食材や飲み物類も殆どが彼の部屋にあった。

「一週間もいないんだし今ある食材は使っちゃおう。ジャーにご飯も残ってたんだっけ」

とりあえず自分の部屋の冷蔵庫に移そうと、運ぶ手段として買い物に行く時に使うエコバッグを出した。これに詰めて運べば一回で済む。万次郎のところで料理をすればいい話だけど、何となく自分の部屋で作りたい気分だった。その方が一人の時間を実感できる気がする。

「あ、エプロンも持って行こう」

万次郎の部屋のキッチンで色々バッグに詰めながら、ふと壁にかけたままのエプロンをとった。これも蘭さんがチョイスしたグッチのエプロンだ。黒の生地全体にGG柄が薄っすら入っていて、紐の部分はレザーになっている。いちいちお洒落なエプロンも最初は汚すことを気にしながら料理をしていたけど、最近は後から自分で買った普通のエプロンを使用していた。でも今は万次郎の服と一緒にクリーニングに出しているので、久しぶりにこっちを使おうと思った。

「あれ?何か入ってる…」

手に持った時、カサっという音がしてエプロンをひっくり返すとポケットの部分に何かが入っている。出してみるとそれはクシャクシャになったレシートだった。

「あ…これ…あの時の」

以前スーパーで話しかけて来た刑事の顔を思い出した。あの刑事が自分の連絡先を書いたレシートをバッグに忍ばせて来た時のものだ。広げてみると、そこには連絡を待ってるよと走り書きされている。あのまま放置してすっかり忘れていた。

「あの人…いったい何の目的があってこんなこと…」

一瞬、電話をして問いただしてみようかと思った。今なら誰にバレることもない。非通知でかければ番号や名義を調べられずに済むはずだ。でも話したところでいい話ではないことも何となく分かるだけに、どうしても躊躇ってしまう。
その時、リビングの方からわたしのケータイの着信音が聞こえて来た。

「いけない。ケータイも置きっぱなしだった」

レシートをポケットに戻し、エプロンとバッグを持ってリビングに向かう。通知を見るとそこには竜胆の名前が表示されていた。一度関係を持って以来、彼はたびたび連絡してきてはデートに誘って来る。またそんな電話かと思った。

「もしもし、竜胆?」
『あ、。マイキーはもう出かけた?』
「あ、うん。30分ほど前に」
『…じゃあ今からそっちに行くわ』
「えっ?」
『ああ、兄貴と一緒に。ちょっとに聞きたいことあんだよ』
「え、訊きたいことって…」
『そっち言ってから話す。ったくオレら朝から何も食わねえで仕事してんだけどー』

竜胆は笑いながら、じゃあ後でと言って電話を切った。何となく、焦ってるような感じの声だった気がする。

「なんだろ…聞きたいことって…」

万次郎の普段の様子などは春千夜に時々報告しているし、それに関してたまに軽く聞かれる程度で、本来あの二人はノータッチだったはずだ。

「飲んでる場合じゃないか…」

小さく息を吐いて荷物を持つと、わたしは万次郎の部屋を後にした。





2.

拷問も終わり、あの二人は望月に任せて、オレは竜胆と六本木のマンションに戻って来た。あれから更に二人を問い詰め、あの下っ端―名前は太一たいちらしい――から聞いた話をしてやると、だんだんと思い出して来たようで、これまでとは一転、あっさりと認めた。まさかコロコロと変わっていた世話係のことまでが大事な情報だとは考えてもいなかったようだ。

「そのしつこく訊いて来たっていう男のことを教えろ」

オレが訊ねると、男達は思い出しながら話し出したが、あまり詳しいことは分からなかった。気のいい感じのオッサンで、どう見ても自分達と同じ世界の人間には見えなかったという。風貌を聞き、絵の上手い部下に似顔絵を描かせたが、確かに敵対している組織といった類の人間っぽくない気がした。

「でもさあ、兄貴」

マンションの駐車場で車から下りた時、竜胆が口を開いた。

「何でにそんな男のこと訊くんだよ」

竜胆は少し不満げな顔だ。を問い詰めるようなことをしたくないのが見え見えだった。オレだってこんな話を彼女にしたいわけじゃない。でも少し気になった。この似顔絵の男が、わざわざ見た目も恰好もバリバリ反社ですっていうアイツらに話しかけたことも不自然だし、まして梵天の名を聞いてビビりもせず、何故か女がいるのかと一見どうでもいいような質問をしたこと。太一の話が正しければ、男は梵天の話よりも"世話係の女"の話を聞きたがってるようにも思える。明らかに狙いだとオレにはそう感じた。

「この男…のことを探ってるのかもしんねえ」
「…えっ?何でだよ」
「何もかも不自然なんだよ。一般人があんな人相の悪い二人に話しかけるのも、女のことを聞き出そうとしたのもな。またどっかの記者とかそういう連中かもしんねえだろ」
「え、記者…」
「前にも何度かあったじゃん。梵天のこと嗅ぎまわってたフリーのライターとか」
「ああ!何人かいたな、そう言えば。でもアイツら、確か…」
自殺・・したけどな、全員」

梵天のネタを表に出せばスクープにでもなると思ったんだろう。警察にすら殆ど顔を知られていないオレら幹部を探ろうとする自称フリーライターという輩が増えた時期があった。あの時も奴らは下っ端連中に上手いことを言って近づいて来たはずだ。今回もそれに近いやり方だと思った時、やはりああいう連中のことが頭に浮かんだ。ただ梵天を調べていた連中が全員自殺をしたという結果は他の奴らにも恐怖を与えたのか、それ以来、オレ達を嗅ぎ回ろうとするヤツはぱったり姿を消した。といって油断も出来ない。

「オレら幹部に直接手が届かないのなら、身近な素人を探ろうとした可能性もあんだろ」
「あーなるほど。女なら余計に探りやすいと思ったのかな」
「もしかしたらにどこかで接触したか、出かけた時に見られた可能性が高い。その辺のことを聞きたい」

オレがそう説明すると、竜胆が明らかにホっとした顔をした。

「何だよ。オレがを拷問するとでも思ったー?」
「い、いや別にそこまでは…」

エレベーターに乗り込みつつ、竜胆は気まずそうな顔で最上階のボタンを押した。コイツは昔から分かりやすい性格だ。だいたい顔に出る。

に入れ込んでねぇで…オマエ、自分の彼女のケアをしろよ」
「……何だよ、それ」
「この前、会った時、ボヤいてたぞ~?最近竜胆が冷たいって。浮気してんじゃねーかって、まだ疑ってたな、あれは」
「は?アイツ、兄貴にそんなこと言ったん。ってか、いつアイツと会ったんだよ」
「たまたま飲みに行ったラウンジで彼女が飲んでたんだよ。だから愚痴を聞くついでに一杯おごっただけ」
「チッ。アイツ絶対、兄貴のこと待ち伏せしたな。常連の店は知ってるから」

竜胆は一気に不機嫌になった。まあ最近あまり上手くいってないってのもあるんだろう。あの彼女は確かに可愛いけど、束縛とかそーいうのがヤバい。半年くらい前、一度竜胆のケータイにGPS仕込んで大喧嘩になって以来、竜胆は彼女と距離を置くようになったみたいだ。そんな時にと会ったってことも大きく関係してる気がする。

「別れたいならサッサと別れろ。ああいう子は放置しておくと後々面倒だし」
「分かった…今夜アイツに会って来るわ」

竜胆はそれだけ言うと、ケータイで何やらメッセージを打ちつつ、開いたドアからサッサと降りて歩いて行く。オレと違って竜胆はそれほど女に対してマメじゃないが、こうと決めたら行動は早い。今夜は修羅場になりそうだな、と内心苦笑が洩れた。
ただ一つ問題なのは、面倒な女と別れた後のことだ。梵天の内部事情は話していないだろうが、竜胆の顏や個人情報を知っている。それも大事な情報だ。金で片をつける方がいいが、もしそれでもバカな行動をとるようなら、始末しなければならなくなる。竜胆は今夜その辺を教え込むことになるだろう。

(だから素人の女には手を出すなってあれほど言ったのに…)

メッセージを送ったのか、多少ホっとしたような顔での部屋のインターフォンを鳴らしてる竜胆を見ながら、ため息が漏れた。

「あ、竜胆、蘭さんも。お疲れ様」

開いたドアから明るい笑顔を見せたに、竜胆は早速「ただいまー」と言いながら抱き着いている。アイツは新婚夫婦の旦那か。は気まずそうにしながらも「どうぞ」と言ってオレと竜胆を中へ促した。

「え、何かいい匂いすんだけど」

部屋の中に入ると、竜胆がいち早く気づいた。言われてみれば確かに空腹の今のオレにはたまらない味噌汁の匂いがする。何とも言えない懐かしさを感じた。

「あ…何も食べてないって言ってたから簡単に食べられるもの作ったんだけど…」

ふとキッチンのカウンターテーブルには純和風な食事が用意してあった。味噌汁や何かよく分かんねえ黄色くて丸っこいの。サラダにおにぎり。こういう素朴な食事を見たのは何年ぶりだろう。まだ実家にいた頃とかだから15年前くらいかもしれない。竜胆も同じことを思ったのか、「うまそー!こういうのに飢えてたんだよ。食っていい?」と早速スツールに腰を掛けている。

「うん。食べられそうなら食べて。あ、蘭さんも良かったら」
「あーうん…サンキュ」

少々呆気に取られつつ、オレも竜胆の隣に座って目の前に並ぶ食事を見た。一瞬、ここが梵天の事務所だってことを忘れそうになるくらい平和な風景かもしれない。つーか、マイキー毎日こんな食事を食ってんのか。そりゃ体調も良くなるわな。

「美味い!人が握ったおにぎりって何年ぶりだっけ?食べてもコンビニのやつだし」
「確かに…ってか、この黄色くて丸いの、なに?」

オレが訊ねると、「あ、それミニオムレツなの」とが笑った。何でもツナや刻んだハムを入れた溶き卵をラップに包んでレンチンするだけの即席オムレツらしく、一口サイズで食べやすい上に美味い。

「へえ、、何でも出来るんだな。この前の浅漬けも美味かったし」
「こんなの簡単だし蘭さんならすぐ作れるよ」
「いや、オレは料理とか無理」
「そーそー。兄貴は包丁なんて凶器にしか使わねえし」
「うるせえぞ、竜胆」

まあ当たってるけど。は笑いながらも、ふとオレを見て「それで…話って…」と切り出した。

「ん、ああ…いや。さ、コイツの顔って見たことある?」

上着の胸ポケットからさっきの似顔絵を出してに見せた。は怪訝そうにその紙を受けとると、ゆっくりと開いていく。オレは黙って彼女の反応を伺った。

「…これ…」
「知ってるって顔だな」

似顔絵を見た時、が小さく息を飲むのが分かった。やはり彼女はこの男を知っているようだ。

「知ってるって言うか…この人のことで蘭さんに相談しようと思ってたの」
「…相談?ってか…何かあったのか」
「え、マジ?、コイツと接触でもしたのかよ」

竜胆も驚いて尋ねると、は男について詳しく語り始めた。

「…は?刑事…?」
「マジかよ…フリーライターとかじゃねーんだ」

は困ったような顔で頷いた。まさかオレもこの男が刑事とは思わなかった。警察の人間なら単独でオレ達に近づくことはしない。

「じゃあ…の事件を担当したのが…」
「うん…この田所って刑事。半年くらい前にスーパーで会ってびっくりしたの…」
「何でその時に言わねーんだよ」
「…ごめんなさい。この人もその時はわたしと一緒にいたのが梵天の幹部ってこと知らなかったみたいだから大ごとにしたくないと思って迷ってるうちに…」

はシュンとしたように項垂れた。竜胆は「気にすんなって」と言いながら、ちゃっかりの肩を抱いてソファに並んで座っている。まるで彼女を心配する彼氏みたいだ。

「とにかく…この男のことはオレが調べさせる。目的もまだ分かんねーしな」
「はい…お願いします」

はどこかホっとしたような顔で微笑んだ。きっとひとりで悩んで不安に思ってたのかもしれない。

(それにしても…この男の目的はどっちだ?か、それとも梵天か…)

2010年に時効が撤廃されたが、過去15年間に起きた殺人や強盗殺人の未解決事件で時効が完成していないものは対象に含まれる。の事件もその対象に含まれているはずだから今後も時効は成立しない。今でも証拠さえ揃えばいつでも逮捕は出来るということだ。この刑事はそれを狙ってるのかが気になった。

(バカな男だ。何が狙いか知らないが、梵天関係者を探るなんて悪手もいいとこだ…)

椿姫さんの知り合いに警察上層部の人間がいる。金さえ積めばいくらでも捜査の手を他に向けることが出来る人物だ。こんな刑事の一人や二人、消すのは簡単だろう。

「兄貴どうする…?」

と竜胆がオレの隣に座った。何も言わないが竜胆もこの後のことを予想くらいはしてるって顔だ。

「ま、調べた後、面倒なことになりそうなら…あの人に頼んでみるよ」
「…蘭さん…?」

竜胆と小声で話していると、が不安そうに歩いて来た。

「心配すんなって。オマエも今は梵天の一部だ。誰にも近づけさせねえし何もさせねーよ」

そう言って頭をくしゃりと撫でれば、やっと笑顔を見せてくれた。ガラにもなくドキっとさせられるくらい、安心感に満ちた笑顔だった。