六本木心中



半年前――。



「"Jewelry"のナンバーワン、ですか?」
「そう。あの子はいい子だった。よく気が付くし、上品でね」

この日、梵天のスポンサーの一人でもある井島社長から、あるナンバーワンホステスの話を聞いた。

「蘭くんとこにもああいう女の子を入れたら更に店が盛り上がるんじゃないかな」

その井島は尤もらしい言葉を言いながら、オレの店で他店の女を褒めちぎる。最初はあまり気分が良くなかった。

「それはウチのナンバーワンより、いい女ってことですか」

苦笑気味に尋ねると、井島は「いや唯ちゃんも可愛いけどね。タイプが違うんだよなあ」と頭を掻く。そこまで言われると少しだけ井島の言うホステスのことが気になって来た。でも極めつけは――「その子は変わっててね、赤い薔薇を極端に嫌うんだ」という一言だった。

「二度目の時にプレゼントで持って行ったら青い顏されてねー。いや、薔薇を嫌う女の子もいるんだと勉強になったよ」
「へえ…赤い薔薇、ですか」
「何でも見るのも香りもダメとか話してたなぁ…。何か嫌な思い出でもあるのかな。昔フラれた男にもらったとか」

井島は笑いながらそんな他愛もない話をペラペラと喋っている。でもオレは何となくそこが気になった。いくら嫌いでも客からプレゼントをされた物を、そこまでハッキリ拒絶するホステスは珍しい。嫌いでもその場は笑顔で受け取るくらいはするものだ。そんな女がナンバーワンというのも興味を引いた。

「今度、蘭くんもJewelryでその子を指名してみるといいよ。ああ、でもライバル店には行きにくいか」
「いえ…井島社長がそこまで言うならぜひ、会ってみたいもんですね」
「ははは。まあ、あの子は蘭くんでも口説くのは一筋縄じゃいかないだろうけどね。なかなか身持ちが固いしね」
「ますます興味が湧いてきましたよ。で――その子の名前は」
「ああ、えーと…確かって言ったかな。派手なタイプじゃないけど、聞き上手でね。彼女と話してると落ち着くんだよ」

その話を聞いてから一週間後、オレは"Jewelry"へ出向き、ナンバーワンのを指名した。彼女が苦手だと言う赤い薔薇を持って。
井島の言っていた通り、上品で当然のことながら美人でスタイルもいい。でも決して派手なタイプではなく、どちらかと言えば地味な部類に入る子だった。なのに彼女が街を歩けば通りすがりに声をかけられ、「お店はどこ?」と訊かれることが多いという。一週間で彼女のことを色々と調べさせてもらったが、不思議なことに悪い評判は一つも出てこなかった。ホステスをやっていれば一つや二つ、そんな話が出て来てもいいものなのに、彼女は至って健全だった。男にだらしないとか、金遣いが荒いとか、そんな話も何もなかった。当然借金もない。
なのに――会った瞬間、分かった。彼女の孤独に満ちた瞳がオレを射抜いた時、何かを隠して生きて来た女だと。オレも裏社会の人間だ。スネに傷を持つ人間の匂いくらい分かる。そして薔薇を見た時の彼女の反応。井島が話してたような理由じゃないことも、何となくだが分かってしまった。それでもオレは彼女を自分の店に引き抜きたくなった。単純に店が潤うと思ったのもある。とにかく、は客の心を掴むのが上手かった。媚びるわけでもなければ、色仕掛けもしてこない。なのに彼女はこの世界に入ってたった数年でナンバーワンへと上り詰めた。色んな意味でオレの興味を引く女だった。

「蘭さんはどうしてわたしをそこまでして引き抜きたいんですか」

がオレの店に行くと言ってくれた夜、彼女とバーで乾杯してた時に言われた言葉だ。彼女がオレの店で働く条件を決めていたら、待遇の良さに驚いたようだ。

「いくらJewelryでナンバーワンだったとしても、蘭さんのお店に入ればわたしは新人です。これじゃ待遇が良すぎると思うんですけど…」
「そりゃこれ以上の売り上げが見込めると思ってるからな。つーかオマエはやっぱ変な女だな」
「変…?」
「普通の女の子なら喜ぶとこなんだけど」

オレがそう言って笑うと、はどこか困ったような顔をして視線を反らした。後から思えば、は過去に犯した自分の罪のことで引け目みたいなものを感じてたのかもしれない。人を殺した自分が、こんな好条件で働いてもいいのかと。

オレから言わせると、自分に酷い仕打ちをした人間を殺したところで、何も悩む必要なんかない。後悔もしない。そもそもの養父が殺されたのも自分のせいだ。人を踏みつけて傷つけて来た報いを受けたに過ぎない。そしては自分の身を守っただけ。オレ達が人を殺すのとは罪の重さが違う。因果応報とはよく言ったもんだ。その理屈で行けばオレだっていつ殺されるかも分からない。それだけのことをしてきた自覚はある。もちろん竜胆だってあるはずだ。だから今回、竜胆が女に殺されかかったのも、もしかしたら因果応報ってやつなのかもしれない。
だけど――は違う。理由もなく、傷つけていい人間じゃなかった。ベッドに組み敷いた彼女を上から見下ろしながら、ふとそう思った。

「蘭…さん…?」

初めてと会った日のことを思い出したらおかしくなった。まさか半年後、こんな状況になってるなんてオレでも思わない。
癒してくれと言ったオレに、が黙って頷いたのを見て、どこまで従順なんだと失笑が漏れた。

「…はっ、ほんと…は真面目だな」
「…え?」

掴んでいた腕を放して上体を起こすと、は戸惑ったように瞳を揺らした。オレ自身、何でこんなことをしてるのかと首を傾げたくなる。竜胆があんな目にあって、やはり多少は動揺してるらしい。

「悪い…冗談」
「……冗…談?」
「もういいからも自分の部屋で休めよ。オレは寝るから」

言いながら彼女に背中を向けてベッドへ腰を掛ける。いくら動揺したからと言って、彼女に縋ろうとした自分に呆れてしまう。はバカ正直にオレの言ったことを守ろうとする。それを分かってたはずなのに。は梵天に必要な存在になった。こんな形で抱きたくはない。
その時だった――。背中にぼふっと何かが当たって、驚いて振り返ると、今度は顔に枕が飛んで来た。

「…ぃて…」

枕が顔に当たってぽすんとベッドの上に落ちる。一瞬、何事かと驚いてを見ると、薄闇の中、彼女の瞳が涙で揺れているのが見えた。彼女に枕をぶつけられたことよりも、そっちの方に驚いた。

「…?どうした――」
「蘭さんは勝手だよ…」
「……え?」
「そうやって…甘い言葉で人を惑わすくせにいつも冷静で…弱いところも見せてくれない…今だってそう…」
「…オマエ…何言ってんの…?」
「わたしは…蘭さんに弱いとこも見せて欲しい…もっと…素顔を見せて欲しい……わたしは本気で蘭さんのこと心配してるのに…冗談であんなこと言って欲しくない…っ!からかってるならやめて下さい…っ」

こんな感情的になるを、オレは見たことがなかった。

「おい――!」

ベッドから下りて走って行こうとするの腕を、思わず掴んで引き寄せた。でも彼女は「放して!」とオレの手を振り払おうと暴れている。その腕ごと強く抱きしめた。

「や…っ放してよ…!」
「…放さねえよ!つか…落ち着けって…!オレが悪かったから…!」

女に本気で焦らされて、本気で謝ったのは初めてだったかもしれない。

「…別に…オマエをからかったわけじゃねーよ…」
「…うそ…っ」
「うそじゃねえって!ただ…さっきは…自分が参ってるからってに甘えんのは違うって…オレの身勝手で抱きたくないって…思ったんだよ」
「……っ?」
「あー…とにかく…オマエを傷つけるつもりはなかったっつーか…」

を抱きしめながら、少し混乱した頭でどうにか自分の本音を伝えた。ぶっちゃければめちゃくちゃ恥ずかしいことを言ってる気がする。女に対して真剣に何かを伝えたことなんか今まで一度もなかったせいだ。
気づけばは大人しくなっていた。少しだけ腕の力を緩めると、オレの胸元に顔を押しつけてしまったせいか、が苦しそうに息を吐いてる。

「わりぃ…苦しかったろ」

は軽く首を振って、ふとオレを見上げた。涙で濡れた瞳は少し落ち着きを取り戻したようだった。

「わたしも…ごめんなさい」
「…何でオマエが謝んだよ」
「枕……ぶつけちゃったし…」

急にシュンとしたように俯くに、オレは「ああ…」とさっきの攻撃を思い出した。よく考えたら女に枕ぶつけられたのも初めてで、少しだけおかしくなった。

「あれは……驚いたわ。オレの人生の中で一番効いた攻撃だったかも」
「え、ご、ごめんなさい…痛かった…?」

が慌ててオレの頬へ手を添える。その手首を掴んで「そういう意味じゃねえし」と笑った。物理的なことで言えば全然痛くはなかった。でも、精神的なダメージは喰らったかもしれない。

「まさかにキレられるとは思わなかった」
「…キ、キレたわけじゃ…」
「ウソつけ。からかわないで!ってキレてたろ」
「あ、あれは……だって…」

苦笑交じりで言えば、は困ったようにしどろもどろになっている。そんな彼女が素直に可愛いと思った。

「…ごめん」

もう一度、今度は優しく抱きしめると、一瞬は体が跳ねたものの、も素直に身を預けて来る。腕の中にすっぽりと納まるくらい華奢な体のどこにあんな強い力があるんだろうと不思議だった。どれくらいそうしていたのか、の体温が少しずつオレの体に移っていく心地良さに、さっきまであった不安や緊張感がほぐれて来るのを感じた。

「なあ…」
「…は、はい」
「やっぱ甘えていい…?」
「え…?」

言った瞬間、彼女の体ごとベッドに横になる。向かい合う形で視線を合わせると、は少し驚いたようにオレを見つめた。

「あ、あの――」
「一緒に寝て欲しいつったら…やだ?」
「え…」
「何もしねえから。約束する。ただ一緒に寝るだけ。ダメ?」

は一瞬目を見開いて、でもすぐに首を振った。

「いいの?」

もう一度訪ねると、は小さく頷いてくれた。ホっとして、「じゃあ…お休み」と早速を抱き寄せると、彼女は慌てたように顔を上げた。

「え…でも蘭さん、スーツ皺になっちゃう…」
「何だよ。大人しく寝るっつってんのにオレを脱がせたいわけ?」
「ち…違います…!」
「冗談だよ」

すぐムキになるに軽く吹き出しながら、ジャケットだけ脱いでその辺に放り投げた。

「これでいい?」
「え、あ、あのハンガーにかけないと――」

まだ心配そうに起き上がろうとする彼女を引き寄せると、そのまま唇を塞ぐ。真面目な性格のせいか、こういう小さなことも気になるようだ。塞いだ唇をすぐに放して「いいから」と言うと、は頬を赤くして見つめて来る。正直、その顏は反則だと思った。

「…んな顔で見んなよ。せっかく大人しく寝ようと思ったのに変な気分になんだろーが」

苦笑気味に言ってを抱きよせると、彼女の腕がそっとオレの背中に回った。その弱々しい腕の力が伝わってくる。その時――が呟いた。

「…わたしが…蘭さんに抱かれたいって…言ったら…?」
「…は?」
「…ダメ、ですか…」

そう言いながら顔を上げたと目が合う。オレの心臓が素直に反応した瞬間だったかもしれない。引き寄せられるように、オレとはキスを交わした。