六本木心中



1.

「はい、林檎」
「え、何これ!市松模様とシマシマ?」

剥いた林檎をテーブルに置くと、竜胆は目を大きく見開いて感動している。その表情が子供みたいでちょっと笑ってしまった。

「林檎の飾り切りしてみたの。見栄えが可愛いでしょ」
「おー!すげー可愛い!え、どうやんの?」
「皮に切り込みいれて縦に入れるか斜めに入れるかの違いで、ストライプや市松模様になるの。簡単だよ」

包丁を洗いながら説明すると、竜胆はマジマジと目の前の林檎を見ている。さっき望月さんがフルーツの盛り合わせを持って来てくれてた。色々ある中で竜胆に何が食べたいか訊いたら「林檎。ウサギになってるやつ」と可愛いリクエストをされたのだ。どうせなら、とウサギの他に皮をアレンジしたものを出したら、予想以上に喜んでくれている。竜胆が子供の頃に熱を出すと、母親が林檎をウサギの形に切って食べさせてくれたらしい。そう言う記憶は意外と大人になっても残ってるものなんだなと驚く。わたしの記憶にある母は一度も看病なんてしてくれたことはない。竜胆は愛されてたんだろうなと思った。

ってマジで何でも出来んだな」
「何でもってことはないけど…」

と洗ったものをしまってベッドの方へ歩いて行く。この病室は特別室らしく、ミニキッチンやトイレ、シャワールームまで完備されていた。竜胆が寝ているベッドもキングサイズで、とても病室とは思えない。高級マンションのワンルームといった感じだ。闇医者とは言っても全然"闇"じゃないくらいに明るい雰囲気の病室だった。梵天所有だから設備も本格的で、肝心の医者もその辺の医者よりは腕がいいらしい。


「ん?」

ベッド脇に用意されたテーブルの上を片付けていると、竜胆がわたしの腕を引っ張った。不意をつかれたことで勢いのままベッドの上に転がされて、気づけば竜胆を見上げていた。いつの間にか押し倒された状態で、彼は本当に怪我人なのかと疑ってしまう。

「な…何して――っん」

突然くちびるを塞がれ、驚きで目を見開いた。身を捩って体を押し戻そうとしても、力で敵うはずもなく。竜胆の好きなようにくちびるを貪られる。触れるだけのキスを繰り返して、少しずつそれが深いものへ変わっていく。舌でくちびるをなぞられ、自然と開いた隙間からすぐにそれが侵入してきた。

「ん…ふ…」

濃厚に舌を絡み取られ、成す術もないまま竜胆のくちびるを受け止める。そのうちわたしの手首を掴んでいた彼の手が、ノースリーブのブラウスの中へ滑り込んで来た。

「…ん、」

直接肌を撫でられ、すぐに胸の膨らみへ辿り着く。ブラジャーの上から敏感なところを指で擦られ、ビクリと肩が跳ねた。

「可愛い。感じた?」
「ちょ…竜胆…?」

くちびるが離れ、今度は首筋へ吸い付いた竜胆の声は甘さを含んでいる。

「や…ダメだよ…ケガしてるのに」
「んー…我慢できない…に触れるの久しぶりだし」
「…ダメだってば…ぁっ」

ブラウスのボタンを器用に外しながらも、胸を弄る手は止めない。ブラジャーを押し上げるように滑り込ませた指先が、直接乳首に触れて、さっき以上に甘い痺れがそこから広がっていく。

「…ん、や…だ…」
、ここ弄られんの好きだよな。硬くなってきた」
「や…やめて…よ…りん…ぁ」

竜胆の言葉通り、指で擦られた場所が硬くなって更に敏感になっている。でもこんな病室で、それもいつ誰が来るか分からない場所ではさすがに抵抗がある。なのに竜胆はすっかりその気で、太腿に硬いものが触れて顔が熱くなった。ギプスをしてるのに本気でわたしを抱く気なのかと驚いてしまう。

「ダ、ダメだってば…傷口開いちゃう…っ」
「大丈夫だよ。もうそんな痛くねーし」

次々にボタンを外していく手を慌てて止めても、竜胆はそんなことを言いながらキスを仕掛けてくる。その時だった。ガチャっというドアの開く音と共に、「こーんなことだろうと思った」という、やけに不機嫌そうな低音の声が聞こえて、竜胆が慌ててわたしの上から避けた。

「あ…兄貴?!」
「え…?ひゃ…っ」

何事かと起き上がった途端、両腕が背中に回って抱えるようにベッドから降ろされた。驚いて顔を上げると、そこには仏頂面の蘭さんがわたしを見下ろしている。

「ら…蘭さん…?」
「…何、病院で盛ってんだよ、竜胆」

言いながら、蘭さんは外されたわたしの胸元のボタンを一つ一つ留めてくれている。呆気に取られていると、竜胆も不満そうな顔でベッドに寝転がった。

「…仕方ねーだろ?久しぶりだし、二人きりだし、そーいう気分になるっつーの」
「はあ?オマエ、怪我人って自覚あんの。腹の傷口開くぞ」

蘭さんはわたしのブラウスのボタンを全て留め終えると、「悪かったな。バカな弟が」と頭へポンと手を置いた。その優しい眼差しにドキっとして思わず首を振る。

「バカって何だよ。普通だろ。可愛い子がそばにいりゃーその気にくらいなるっつーの」
「へえ」
「…何だよ」

蘭さんがニヤリとして、竜胆は眉間を寄せながら上半身を起こした。

「いや、オマエの気持ちがその程度で良かったわ」
「…は?どーいう意味――」
「ってことで…」

と言いながら、蘭さんは病室のドアを開けると、「武臣さん、頼むわ~」と声をかけている。すると知らない男の人と一緒に数人の派手な女の子が入って来た。

「おー竜胆!元気そうじゃねーか」
「…た、武臣さん…?」

竜胆も驚いてぎょっとしている。武臣と呼ばれた人は顔に大きな傷があり、蘭さん達より随分と年上に見えた。前に話に聞いたことのある幹部の一人だ。わたしが会うのは初めてだった。

「オマエの為に安心安全の可愛い子を連れて来てやったぞ」
「…え…」
「武臣さん、この人?看病して欲しいっていう可愛い男の子って」
「そーそー。たっぷり可愛がってやれよ」
「ほーんと可愛い~!」
「は?あ、いや、ちょっと――」

女の人に群がられ、竜胆は驚きながら布団の中に潜っている。唖然としていると、笑いを噛み殺している蘭さんと目が合った。

「え、あの…これって…」
「どーせ遅かれ早かれ竜胆が盛るの目に見えてっから先手打ったんだよ」
「…え」
も嫌だろ?こんな場所で襲われんの」
「はあ…え、でも――」

今後の世話はどうするんだろうと思った時、「あー君がちゃん?」と声をかけられた。振り向くと武臣という人がわたしと蘭さんの方へ歩いて来る。

「初めましてだなー?オレは明司武臣。梵天の相談役だ。宜しくな」
「あ、はい。といいます。宜しくお願いします」

言いながら慌てて頭を下げると、武臣さんは楽しげに笑いだした。

「噂通り、ほんとに真面目な子っぽいなァ。新鮮で可愛いじゃねーか、蘭」
「まあ可愛いは否定しねーけど、武臣さんのタイプではないだろ」
「アホか。オレがいつもいつも年上ばっか相手にしてると思ってンの」

と言いながら、武臣さんは私の方へ身を屈めた。

「ってことで…今夜どう?オレと」
「…え?」
「武臣さん」

ドキっとした瞬間、蘭さんが突然わたしの手を掴んで自分の後ろへ隠すようにしながら武臣さんの前に立ち塞がる。少し驚いていると、武臣さんが軽く吹き出した。

「何マジになってんだよ。冗談だよ、冗談。オレがマイキーの世話係にゃ興味ねーの知ってんだろ」
「まあ、金はもらえないしな」

武臣さんの言葉に蘭さんも苦笑しながら応えている。今、一瞬だけ蘭さんの空気が変わった気がしたけど気のせいみたいだ。幹部の言葉には逆らうな。これは武臣さんでも当てはまることだ。本気で誘われたら断れないところだった。もしかして…蘭さんはわたしを庇ってくれたんだろうか。
でも――何故?

「そーいうこと。ま、あの子達は置いてくし、竜胆の暇つぶしくらいにはなんだろ」

武臣さんは言いながらベッドの方へ視線を向ける。竜胆はすでに女の子達に囲まれ、さっきわたしが剥いた林檎を「あ~ん」と言われながら食べさせられていた。さっきまで焦ってたけど、今はどこか楽しそうだ。

「じゃあオレは約束あるから帰るわ」
「ああ。わざわざ女の子集めてくれてサンキュー。助かったよ」
「これくらいお安い御用だ。その子に息抜きさせてやれ」

武臣さんは笑いながら蘭さんの肩をポンと叩くと、そのまま病室を出て行く。でもわたしは今の武臣さんの言葉が気になって蘭さんを見上げた。

「わたしの…息抜きって…?」
「あー…いや。せっかく今週は自由なんだし竜胆の世話まですることねーよって話だよ」
「…でも別にわたし、他にすることないし、そこまで気遣ってくれなくても…」
「やることあんだろ」
「…え?」

何のことかと思ったけど、蘭さんは笑いながら「ちょっと一緒に来いよ」とわたしの手を掴む。蘭さんはそのままわたしのバッグも持つと、

「竜胆。オレとは帰るけど、オマエはもう気兼ねなく好きなだけ楽しんでいーぞ。――ああ、傷口は開かない程度に攻めてやって♡」
「は?兄貴…?」
「「「「は~い♡」」」」

蘭さんの言葉に女の子達が一斉に返事をして竜胆は地味に焦っている。廊下に出ると病室から竜胆の変な悲鳴が聞こえて来た。

「ちょ、脱がすなって…!あ、おい…っそ、そこはやめろ……ぁっ♡」

何をされてるのか分からないけど、隣では蘭さんが一人で爆笑している。その姿にまたしても唖然としてしまった。

「…いいの?彼女達に任せちゃって…」
「いーんだよ。あの子らは武臣さんが個人的に飼ってる風俗嬢。武臣さんが自分の大事な客を接待させてる。まあ、その辺はプロフェッショナルだから竜胆なんてイチコロだろ」
「そ、そう…なんだ…」

ということはさっきのは悲鳴じゃなくて――と気づいた時、顏が熱くなった。実の弟になんてことを仕掛けるんだとビックリしてしてしまう。

「それとも…は竜胆のそばにいたかった?」
「え?」

その問いに思わず顔を上げると、蘭さんは少しだけ目を細めてわたしを見下ろしていた。

「どうしてそんなこと訊くの…?」
「質問に質問で返すなよ」
「あ…ごめん…なさい」

その時、頭をくしゃりと撫でられた。

「ジョーダンだよ。とりあえず行くぞ」
「え、どこに――」

蘭さんはわたしの手を引いて車に乗り込むと、運転手の太一くんに「六本木の事務所に戻れ」と告げている。車はすぐに走り出した。

「え、事務所に戻るの…?」
「まあ…。つーか、。竜胆んとこ行くなら行くでオレに連絡くらいしろよ」
「え、あ……ご、ごめん…ちょっとお見舞いのつもりで…」
「モッチーから竜胆んとこにがいるって聞いてビックリしたわ」
「…することないし…竜胆から電話で来て欲しいって言われたからその…あ、でもちゃんと部下の人に頼んで送ってもらったし――」
「まあ、その連絡は九井の方にいったみてーだけど」

と蘭さんは苦笑した。さっきとは違って今は機嫌が良さそうだ。ただ、何の為に事務所に戻るのかが分からなかった。

「あの…戻って…どうするの?」
「んー?ああ、そりゃー…」

と言葉を切った蘭さんは優しい笑みを浮かべながら、わたしの手を軽く握った。

のしたいことする」
「え…?」
「まあ行ってからのお楽しみ♡」

そう言って、蘭さんはわたしの頬に軽くキスを落とした。





2.

オレが竜胆の病室にを迎えに行くことになる少し前のことだった。竜胆の事件があった夜にやるはずだった仕事を消化して一度事務所に戻ると、何故かオレの部屋の前に自転車が置いてあった。何の変哲もないただちょっとデザインがお洒落ないわゆるママチャリ型の自転車だ。ドアを塞ぐように置かれていたそれを見て、いったい誰の嫌がらせかと思った。そこに九井と望月がちょうど帰って来た。

「あれ、灰谷じゃねーか。何してんだよ、部屋の前で」
「モッチー」
「オマエも竜胆んとこ行くんじゃねーのか」
「そんな毎日毎日オレが行くかよ。マジでアイツ軽傷だし」
「まあ、確かに元気そうだったな」

と望月が笑ったのを見て、「え、いつ行ったんだよ」と訊いた。

「いや今だよ。フルーツ持って行ったら、ほら、あのって子がいたから、その子に渡して来たんだ。あの子に竜胆の世話までさせてんだな、オマエ」
「は?させてねーし。ってか、竜胆んとこにいんのかよ」

何も聞いてなかったことで少し驚いた。あんなに世話なんかしなくていいって言ったのに何やってんだ。

「甲斐甲斐しくお世話してたけど?竜胆もデレデレしてたわ。あの様子だとそのうちヤるな。普通の病院みてーに看護師が見回りにくるわけじゃねーし、病院って場所はそそられんだろ」

望月はゴツい顔をニヤつかせてそんなことを言いだした。後ろの九井は苦笑いを浮かべている。その光景が簡単に想像できてしまったせいか、色んな意味でイラっとした。

「ああ、蘭さん」

そのまま病院へ向かおうとした時、九井に呼び止められ、「何だよ…」と睨みつけると、九井はオレの部屋の前の自転車を指さした。

「これ、のなんで蘭さんから渡しておいて下さい」
「…は?のって……つーかそれそこに置いたのテメェかよ」
「まあ、約束したんで。彼女と」
「…約束?」

そこで九井はが自転車を欲しがってたという理由を話し出した。

「…ってことでが欲しがってた自転車がこれ。因みに彼女、自転車乗れないみたいだから蘭さんが教えてやって下さい」
「…は?オレが?」
「蘭さんが教えないならオレが教えるけど。手取り足取り」

言いながら九井は自転車を持って行こうとする。それを見てむかっとしたオレは九井の手から自転車を奪い返す。

「オレが教えるわ」
「蘭さん自転車乗れるんすか」
「めちゃくちゃ乗れるわ」
「にあわねえーっ」
「オマエに言われたくねーっつーんだよ!そもそも自転車似合うヤツ、梵天にいねーだろ」
「確かに。じゃあまあ…宜しくです」

九井は笑いながら言うと、望月と二人で普段幹部が集まる部屋へ入っていく。思わず舌打ちが出たものの、こうしちゃいられないと一度自転車を元の場所に置いて、オレは竜胆の病院へと向かった。





3.

「お、行ったようだぞ」
「なら良かった」
「つーか、カッコいいじゃねーか、ココ。オマエもあの子気に入ってたんだろ?」

蘭さんが慌てたように走っていくのをコッソリ見ていた望月さんが、苦笑交じりで振り向いた。

「いや、カッコ悪いでしょ。勝負下りたんだから」
「それも彼女の為なんだろ?」
「いや…まあ。今度こそ本気で好きになれそうだったんだけど…オレ、女運ねえのかな」

言いながら、お人よしすぎる自分にも呆れる。ただ…蘭さんの為だけじゃなく、きっとも蘭さんに惹かれてる部分があるんじゃないかと思った。じゃなければ、自分を梵天に引き入れた相手に対してあんな無防備な涙は見せないはずだ。

「またいい子と出会えるって」
「いや、あんな子は滅多にいないっすよ」
「じゃあ二人で灰谷をボコすか。鶴蝶も誘ってよ。アイツ、帰国早まって今週中に帰ってくんだろ、確か」
「いいっすね。鶴蝶さんがいればカリスマに勝てそう」

笑いながら言うと、望月さんは黙ってオレの肩を抱いた。

「灰谷ボコしたら3人で祝杯だな」
「いや、でも鶴蝶さん、ほろよいで泥酔するじゃないっすか」
「…確かに」

望月さんは苦笑しながら頷くと、「じゃあ、まずは今夜二人で飲むか。キャバクラで」と言って豪快に笑った。