六本木心中



1.

「久しぶりだな、ココ!」

顔を見せた瞬間、鶴蝶さんは暑苦しいくらいのハグをオレにかましてきた。凄い力でぎゅうぎゅう抱きしめるもんだから、オレの細腰が悲鳴を上げてる気がする。相変わらず力の加減を知らない人だ。あげく「土産だ!」と言って大きな袋から次々に出しては並べて、事務所のテーブルの上はよく分からない物で埋め尽くされてしまった。

「これ、何スか…?」

とりあえず目についたものを手にして尋ねると、鶴蝶さんは首を傾げながらしばし考えている様子。自分で買って来たのによく分かってないみたいだ。

「あーこれは……分かんねえけど模様が綺麗だから買ったお面だ」
「……どこで使うんスか」
「壁に飾っとけよ。魔除けになりそうだろ」
「いや…逆に怖いっす。で…これは…パンダ?」
「あ~それは西安のミルクチョコレート 。もう一つのも中身はクッキーだ」

パンダの写真がドンと載っている箱が二つほどあって、開けてみると確かに扇形のチョコや、パンダの形をしたクッキーだった。これを強面の幹部が食べてるとこを想像するだけでジワってくる。他にも定番のフォーチュンクッキーや、甘栗なんかもあって、ほぼ甘党のマイキー用なんじゃないかと思う。そういう食べ物の他には貴金属類などもあったりする。ってか中国だしフェイクなんじゃないかと疑ってしまった。

「この真珠…綺麗っスけど、本物?」
「あ?当たり前だろ。カーロンがちゃんとした店に案内してくれて買ったんだよ。オマエの彼女にやればいいだろ」
「いや、オレ、今は彼女いないし」
「え、あの子と別れたのか。えーと…何て言ったっけ…あの細身の…」
「…あー…翠ですか?そんなのとっくに会ってないし彼女じゃないっすよ。ただのセフレだし」

彼女は梵天の運営する高級サロンで接待係として雇っていた女だ。でも彼女はそのサロンでどっかの金持ちの男に囲われて店を辞めていった。父親ほどの男に囲われる方が効率的に稼げると思ったんだろう。鶴蝶さんがちょうど中国に出張になった頃だから知らないのも無理はない。

「そうなのか?じゃあ、あの子にでもやれよ」
「あの子?」
って子だよ」
「え、鶴蝶さん、に会ったんスか?いつ?」
「ん?あー…さっき竜胆の見舞いに行った時に病院でな」
「ああ…そっか」
「いい子そうじゃねえか。蘭も竜胆も可愛がってるみてえだし、マイキーも大事にしてんだって?」
「まあ、そうですね」

大事にしてるどころか、今じゃ彼女がいないとマイキーはきっと前よりも精神が不安定になるんじゃないかと思うほどだ。さっき定期連絡をした際。一応が入院したことを報告したら、ひどく慌てていたのを思い出す。あの様子だと予定通り、三日後には帰国するだろう。

「ところで…向こうはどうでした?」

一通り土産を出した鶴蝶さんが冷蔵庫からビールを出して飲みだしたのを見て、ふと尋ねた。向こうの組織と親密な関係になったのはデカい。鶴蝶さんはかなりいい仕事をしてくれた。

「ああ、楽しかったよ。気候が合うっていうか。ガチャガチャした街も気に入った。カーロンとも兄弟の盃を交わしたしな」
「最初は一筋縄じゃ行かないって思ってたけど、案外カーロンも情に厚い男だったって言ってましたよね」
「アイツはどっちかと言うと人情派だな。金よりも人で動く。そういう人間は裏切らない」
「はは。やっぱり鶴蝶さんに行ってもらって正解でした。オレが行ってたら門前払いだったかもしれねえし」

オレは昔から金を作るのは得意でも、人と何かを築くのは苦手だ。梵天の幹部にはそれぞれ得意なことがあって、個々で役割が違う。そういう点では今回、鶴蝶さんが適任だった。

「ところで…帰国早々申し訳ないんですけど、鶴蝶さんにやってもらいたい仕事があるんですよ」
「ん?何だよ」

オレがさっき作った資料を渡すと、鶴蝶さんの眉間が僅かに寄った。

「椿姫って…あのスポンサーの女か」
「はい。さっき仕事の依頼があって。武臣さんじゃ少し不安だから腕っぷしが強い上の人間を寄こしてくれって」
「…ボディガード?」

と資料を眺めながら鶴蝶さんが鼻で笑う。

「椿姫さん、今夜そこの場所で裏取引きするみたいっすね。相手はドバイの宝石商ってとこが彼女らしいけど。何か相手も真っ当な人間じゃないようで自分の雇ってるボディガードじゃ不安だと。なので望月さんと蘭さんに頼もうと思ったんですけど、鶴蝶さん帰国始めにどうですか?」
「いいな、面白そうだ。どうせ今は三途もいねえし、竜胆もケガをしてる。他に動ける人間いねえんだろ?蘭はあの子に付き添ってるし邪魔すんのも可哀そうだからな」
「え、蘭さん病院ですか?」
「いや、って子がさっき退院したから今はこの上にいるよ」
「え、退院した?」

てっきり明日まで入院しているのかと思っていただけに少し驚いた。でも蘭さんが付き添ってるなら心配はいらなそうだ。

「じゃあ椿姫さんの仕事は望月さんと鶴蝶さんでお願いしていいですか」
「ああ。あの女はいけ好かないが、まあ大スポンサー様、なんだろ?」
「そういうことです」

鶴蝶さんの皮肉に苦笑しながら、すぐに椿姫さんへ連絡を入れる。ついでに蘭さんにも報告だけはしておこうとメッセージを送った。こうした依頼内容は幹部で共有しておいた方が、後々楽なこともあるからだ。すると、すぐに返信が来た。

"それオレも行った方がいい?"

そのメッセージを読んで苦笑が洩れた。竜胆くんが動けない今、自分がその分のフォローをしなければと思っているはずだ。でもが体調を崩して心配だからそばにいてやりたい。そういう思いもあるだろう。

"今回は二人に行ってもらうので、蘭さんはのそばにいてあげて下さい"

そうメッセージを打ちながら、時々、自分の性格が恨めしくなる。こういう時に彼女にはオレがついてるんで蘭さんも行って下さい、とは言えない辺りが弱い部分なのかもしれない。

"そういう頼みごとなら喜んで。悪いな"

そんなメッセージが返って来て、つい笑みが零れる。あの蘭さんが謝るなんて珍しいこともあるもんだ。今、外で吹き荒れている豪雨はそのせいかもしれない、なんて失礼なことを思いながら、ケータイをポケットに押し込んだ。
その時――背後で「ふご…っ」という変な声が聞こえて振り向いた。

「え、鶴蝶さん…?」

いつの間にかソファでイビキをかいている鶴蝶さんを見て、ハッとした。

「そう言えばこの人、さっきビールを飲んでたような…」

見ればテーブルの上に缶ビールが置かれている。それを見て思わず手で顔を覆った。

「忘れてた…鶴蝶さん、ほろ酔いでも泥酔する人だった…」

酒に弱いくせに酒好きだから困ってしまう。でもまあ、約束は今日の深夜。それまでに起きてくれればいいか、と思いながら、寝ている鶴蝶さんにそっと上着をかけた。






2.

未だに降り続けてる雨が窓を濡らすのを見ながら、温かい紅茶の入ったカップを両手で包む。夏の終わりを現わすようなお天気のせいで、少し肌寒さが室内を包んでいるからか、蘭さんが茶葉から淹れてくれた。「こういうことするの意外…」と言ったわたしに、蘭さんは照れ臭そうな顔で「うっせーよ」と苦笑いを零した。それでも冷えないよう足元にはリネンのサマーブランケットをかけてくれて、結構マメな性格なんだとやっぱり驚いた。

さっきココから何か連絡が入ったようで、何度かやり取りした後、蘭さんが急に「今日はオフになったわ」と嬉しそうに報告してきた。

「だから…ここにいていーい?」

首を傾けて微笑む蘭さんに、思わず笑みが零れた。もう少し一緒にいたいと思ったのはわたしも同じだ。頷いたわたしを見て、蘭さんはふと思い出したように「ちょっと部屋に戻って着替えてくるわ」と言い出した。手は洗ったみたいだけどシャワーに入りたかったらしい。きっとわたしと同じように、血で汚れた感触が嫌なんだろう。でも30分を過ぎた頃には戻って来て、「寒くねえ?」とわたしの為に紅茶を淹れてくれたのだ。

蘭さんも隣に座りながら、紅茶を飲んでいる。普段のスーツ姿ではなく、肌触りの良さそうな首元の大きく開いた黒のシャツとゆったりしたパンツといった軽装だからか、いつもとはイメージが違う。足も素足で完全に寛ぎモードらしい。なのに座ってるだけで絵になる人だと思う。ティーカップを掴む長い指とか、大きく開いた襟元から覗く鎖骨ですら男の色気を感じて、つい視線を反らしてしまった。蘭さんの香水の匂いが鼻腔をくすぐるたび、勝手に心臓が音を立てる。

「何だよ」

紅茶を飲んでいた蘭さんがふとカップをテーブルの上に置いて、顔を覗き込んで来るからドキッとした。

「な、何でもない」
「今、目ぇ反らしたろ」
「そ、そんなことないよ」
「いーや、反らしたわ。ってか今も反らしてんじゃん。こっち見ろよ」
「…ちょ…」

伸びて来た大きな手に顎を掴まれ、強引に顔を向けられる。その瞬間、鼻先にちゅっと口付けられた。きっとわたしの頬は赤くなっているはずだ。

「もしかして…何か警戒してる?」
「…え?」

予想していなかったことを訊かれてちょっと驚いた。蘭さんは困ったような笑みを浮かべてわたしを見ている。わたしのおかしな態度を見て勘違いしたのかもしれない。

「オレに襲われるーとか思ってんの」
「そ、そんなこと思ってない…」
「じゃあ何でこっち見ねえの?」
「ちょ…ち、近い…」

わたしと蘭さんの間に一人分の空間があったはずなのに、いつの間にか距離が埋まっていて、少しでも視線を上げると至近距離で目が合ってしまう。蘭さんの瞳に見つめられると、どうしようもなく胸の奥が焦がれてしまうから今のわたしにはちょっとだけ心臓に負担がかかる気がした。

「そんな全力で拒否らなくてもいーだろ。地味にへこむわ」
「え、ご、ごめん――」

急にシュンとしたように呟かれ、慌てて顔を上げた途端、蘭さんの腕がわたしの背中へふわりと回った。優しく抱き寄せてくる腕に軽くぎゅっとされて、蘭さんの香りに包まれるだけで胸が苦しくなっていく。もっと触れたい。もっと触れて欲しい。一度正直になって溢れた想いは留まることを知らないくらいに心を満たしていく。

「…病み上がりのオマエをどうこうする気はねえよ」

抱きしめながら、蘭さんは苦笑交じりにわたしの頭へくちびるを寄せた。でも違う。そんなことを怖がってるわけじゃなくて、これ以上この想いが溢れてしまったら自分がどうにかなりそうで怖いのだ。

…?」

蘭さんの背中に腕を回してぎゅっと力を入れると、彼は少し驚いたようにわたしを見下ろした。

「今日は…ありがとう…」
「何だよ、急に」
「ちゃんとお礼、言ってなかったから…蘭さんがいなかったらわたし…今度こそ殺人犯で捕まってたと思う」

顔を上げて、もう一度「ありがとう、蘭さん」と伝えれば、彼はちょっと驚いた後に苦笑いを浮かべた。

「バーカ。あんなの助けた内に入んねえわ。言ったろ。邪魔な人間消すのは日常茶飯事だって。のことがなくてもアイツは梵天にとって邪魔だったから消しただけ。だから――気にすんな」
「でも…」

その時、蘭さんの顏が近づいて、そっとくちびるが重なった。触れるだけの優しいキスが、何度も角度を変えながら降って来て、そのうち啄んだり、食むようなキスへと変わる。蘭さんにキスをされると、全身が熱くなって蕩けるくらい思考が完全に遮断されていく。永遠にこのまま時が止まればいいのに。ふとそう思った時、ちゅっという音と共にくちびるが離れていった。蘭さんのキスは、まるで麻薬みたいだ。触れるだけのキスをされただけなのに、ふわふわしてしまうほどに酔わされる。

「…寝んなよ?」
「え…?ん、」

目がとろんとしてしまってたからか、蘭さんが苦笑交じりで呟く。でも応える前にまたくちびるをやんわりと啄まれて、ドキっとする間もなく頬や額にも口付けられる。静かな室内に、かすかな雨音だけが響いていた。タワーマンションの最上階は外の世界から遮断されたかのような錯覚を起こさせる。再び重ねられたくちびるの熱が交じり合って、彼の香りに包まれていると、このまま一つになっていくような、そんな感覚になっていく。その時、僅かにくちびるが離れて蘭さんがわたしの首筋に顔を埋めた。

「あー…のくちびる、柔らかくて気持ちいいからずっとキスしてたいわ」
「…ぇ…」

何度目かの口付けの後、切なそうな吐息と共に、耳元で蘭さんが呟いた。本気ともつかない彼の言葉で、わたしの心臓は容易く鳴ってしまう。そのまま両手に頬を絡めとられ、額同士を合わせて見つめてくる蘭さんは火照った頬にもキスを落としてふっと笑みを浮かべた。

「でもこれ以上、キスしてたら他の欲求が出てくっからダメだな」

そう言って腕を放すと、軽くわたしの頭を撫でた。きっと体調のことを気遣ってくれてるんだろうけど、わたしの方が離れたくないなんて思ってしまった。

「今日はずっととのんびり過ごしたいしな」
「…のんびり?」
「そー。オレもこういう時間は久しぶりだしに癒してもらおうと思って」

蘭さんは言いながらわたしの体を抱えると、自分の膝の上に座らせた。驚いて彼の肩につかまれば、不意打ちのキスが額に落とされた。蘭さんはわたしを惑わせる天才かもしれない。それに――知らなかった。蘭さんがこんなにもハッキリと愛情表現をしてくれる人だなんて。女に対してはもっとクールなのかと思っていたから、そのギャップで余計にドキドキさせられてしまうのかも、なんて考えていると、「何考えてんだよ」と鼻をつままれた。

「だ、だって…わたしの知ってる蘭さんじゃないから…」
「んー?どういう意味ー?」
「だから……蘭さんってこう…もっと女には素っ気ないんだろうなって思ってたし」
「…あー……」

蘭さんは思い当たるところがあったのか、少し考える素振りをしてから苦笑した。

「まあ…そうだったかも」
「え?」
「いや…オレ、あんま女に対してここまで執着したことねーんだよ。恋人もいたけど、の想像通り、あんまいい彼氏でもなかったし、こっちの都合で振り回して相手が疲れて離れてったり、逆に女に執着されてオレが面倒になったりして…って、こういうこと言うと最低な男だと思われっか」

笑いながら、蘭さんはわたしの髪を指で梳いて耳にかけてくれる。その指先が耳に触れるくすぐったさで首を窄めると、バイオレットの虹彩がかすかに細められた。

「でも…何でかな…。オマエにはずっと触れていたいって思う」

その一言で頬がじわりと熱くなった。それはわたしも同じかもしれない。こんなにくっついていても、もっと触れていたいと思うのは初めてだ。

この日、蘭さんとわたしは恋人同士のような時間を過ごした。食事も消化のいいもんにしろって言うから、夏なのに鍋焼きうどんを作って、暑いって言いながら一緒に食べたり、蘭さんもわたしも普段は見たことのないゴールデンタイムのバラエティ番組を一緒に見て二人で笑ったりして。その間も蘭さんは手を繋いで来たり、また膝にわたしを抱えたりして、時々触れるだけのキスをしてくれた。密室にいるのに、セックスもしないで男の人とこんなに穏やかな時間を過ごしたのは初めてだったかもしれない。

「やべえ…」
「え?」

次は何を見る?なんて言いながら、番組表を見ている時、ふと蘭さんが呟いた。

「なーんか幸せ感じてっかも」
「…幸せ…?」
「女と一緒にいてこんなに気持ちが穏やかなのは初めてだわ」

蘭さんはわたしの頭を抱き寄せて、「これだけで癒されてる」って笑った。でも顔を上げると、ふと真剣な眼差しと目が合う。蘭さんはわたしの頭を撫でながら「一つだけ勝手なこと言うけど、いい?」と訊いて来た。

「…なに?」

ドキっとしながらも尋ねると、蘭さんは一言「マイキー以外のヤツにはもう抱かれんな」と言って、わたしを抱きしめた。

「"幹部の言うことには逆らうな"。最初にそう言ったのはオレだし、勝手なこと言ってんのは分かってんだけど…」
「蘭さん…」

まさか――そんなことを言ってくれるなんて思わなかった。突然のことで思わず泣きそうになる。

「嫌なんだよ…他の男が…に触れんのは…。まあ…マイキーは仕方ねえって諦めつくんだけど…って、これも1000歩くらい譲っての話だけどなー」

蘭さんは苦笑しながら、どこか悲しげな顔をするからわたしまで悲しくなった。でも本当にいいんだろうかと心配になる。

「なら…断っていいの?もし――」
「あ?もし誘って来たら全力で断れよ。ってか竜胆や九井には釘刺してあっから、もうオマエに手を出そうとはしねえと思うけど」
「え…」

少し驚いて顔を上げると、蘭さんは不満そうな顔で「それでも手ぇ出してくるかもしんねーから、迫られたらから断れよ」と目を細めている。

「もう断ってもがどうこうされることはねえし…分かった?」
「…う…うん。分かった」

蘭さんがそこまで言うなら本当に大丈夫なんだろうと思った。だから素直に頷くと、途端に機嫌が戻って蘭さんが微笑む。もしかしたら蘭さんは凄くヤキモチ妬きなのかもしれない。

「何だよ…何笑ってんの」

笑いを堪えていると、再びスネたように訊いて来る。そういう姿が意外で、つい――。

「だ、だって…蘭さん、可愛いから」
「あ?可愛いって何だよ。バカにしてんの」
「し、してない」

と言った瞬間、くちびるを塞がれた。蘭さんとは何度もキスを交わしたのに、口付けられるたびファーストキスみたいなドキドキが襲ってくる。誰かに大切に想われることの幸せが、わたしの空っぽだった心を満たしていく。苦しいくらいに、蘭さんが愛しい。
たとえ1000の指で、誰に口説かれても、あなたしかいらない――。