六本木心中


1.

「ほんとにいいの…?」

オレが片足を引きずりながらバスルームへ向かうと、は心配そうな顔で着いて来た。ぶっちゃければと風呂に入りたいっていう欲はある。もちろん下心付きで。だけど兄貴のあの様子じゃ、にちょっとでも手を出そうものならマジで指を全部折られかねない。しかも絶対、満面の笑みを浮かべながら折りそうだ。兄貴のヤツ、一切の混じりっ気なくドエスだし。

「いいって。オレ、まだ兄貴に殺されたくねえし」
「え、まさか」

は恥ずかしそうに笑ってる。彼女にこんな顔をさせる兄貴が心底憎たらしい。オレの方が先にと関係を持ったってのに何で兄貴に惚れるかな。逆に兄貴は何故かチンタラしてとは長らく関係を持とうとしてなかったくせに。マジでいっつもいいとこどりだよ、兄貴は。
…ってかオレは最初にがっついたのが良くなったか?

「実の弟にそんなことしないよ」

オレが脳内でアレコレ思いを巡らせていると、はやっぱり呑気なことを言いながら笑っている。その笑顔も可愛い。って言ってる場合か、オレ。

「いや…兄貴なら平気でやる。は知らないだろうけど、あの人見た目の通りドエスだからやるっつったらマジでやる」
「ド…ドエス…?」
「そ。をここへ連れて来た時も、そんな片鱗を見せてたろ?目隠ししたり、手を拘束したり」
「………っ」

オレの言葉にの頬が一瞬で赤く染まった。

「あ…あれは…わたしを試そうとしたからじゃ…」
「まあ、それもあるだろうけど半分は自分の趣味だろ」

心の中で(嘘だけど…)と舌を出す。ワンチャン変態と思われてから引かれればいいんだ、兄貴のヤツ。さっきの電話で散々意地悪された仕返しのつもりだった。はますます頬を赤く染めて何か考えてるようだ。オレはダメ押しとばかりに「エッチの最中、縛られたりしなかった?」と聞いてやった。その瞬間、は驚いたように首を振った。

「さ、されてないよ、そんなこと…」
「………(やっぱ兄貴とエッチしたのか…)」

兄貴の様子と、の首筋に薄っすら残る痕を見て分かっちゃいたけど、実際の口からそれらしき答えを聞かされると、結構心にダメージが入った気がした。何だ、オレも結構本気だったのかよって、つい苦笑が洩れる。

「まあ…とりあえず風呂は自分で入るからは部屋に戻っていいよ。マイキーの部屋も掃除しておきたいんだろ?」
「うん。時々してたけど、埃はすぐたまっちゃうし綺麗にしておいてあげたいから。あ、竜胆はシャワー入ったら出かけるんだっけ」
「ああ。ココから本部の書類仕事が溜まってるから手伝えってご命令。だから渋谷にちょっとな」
「そう。まだ雨も降ってるし気を付けて行って来て」
「うん。ああ、朝飯サンキューな」

玄関に歩いて行くの背中にそう声をかけると、彼女は可愛らしい笑顔で「また必要な時は言って」と言ってくれる。その笑顔を見てたらお嫁さんにしたい…と自然に顔が緩んでしまった。

(まあ…それは夢のまた夢だけど…兄貴のヤツはどうだかなぁ。まさかあそこまで一人の女にドハマりする兄貴にお目にかかれるとはね)

世の中、何が起こるか分かんねえな、と首を傾げつつ、痛む足を引きずりながらバスルームへと入った。






2.

ちょっと掃除をするはずが、一度やり出すとあっちもこっちも気になって、結局半日かけて部屋中を掃除してしまった。寝具なども全て新しいのに変えて、取り換えたのは洗濯をしてサンルームに干していく。ただ天候が良くないから室内の乾燥機をオンにしておいた。

「これで良し、と。あとは…」

キッチンのシンクまでピカピカに磨いた後、冷蔵庫を確認した。残っていた食材はきっちり使ったから、今は飲み物しか残っていない。万次郎が戻る前にある程度の食材を買いに行こうかと思った。時計を見れば夕方の5時過ぎ。行くなら暗くなる前に行っておきたい。

「一応、蘭さんに伝えておこうかな…」

どうせ見張りとしてついて来る部下の人達からも報告は行くと思うけど、蘭さんには自分からメッセージを送っておく。一度自分の部屋へ戻って軽く着替えると、上に薄手のアウターを羽織った。残暑も過ぎて秋雨前線がきているらしく、湿度は高いのに少し肌寒いのだ。

「これでいいかな」

鏡に映し、チェックをすると、掃除するのに邪魔だった髪を後ろで縛っていたヘアゴムを取る。

「だいぶ伸びちゃったな…」

簡単に髪を手櫛で整えながら、ふと胸元くらいだった髪がその下辺りまで伸びていることに気づいた。これ以上伸びると手入れが大変だなと思いつつ、美容室に行ってもいいか今度聞いてみようと思っていると、わたしのケータイが鳴りだした。メッセージではなく電話だ。ベッドの上に置いたままのケータイを手に取ると、そこには蘭さんの名前。思わず笑みが零れた。さっき送ったメッセージの件かもしれない。

「もしもし」
か?買い物に行くならオレがついてくわ』

開口一番、蘭さんがそんなことを言いだすから驚いた。

「え?でも仕事じゃ…」
『ああ、もう解放された。鶴蝶が勝手に退院してきて、そっちの仕事はお役御免。自分の仕事は一つ終わらせて、後は夜に店の書類仕事がちょっとあるだけだし、それまで時間ある。ああ、今そっち向かってるからは地下に下りてろよ』

蘭さんはそう言ってから電話を切った。まさか一緒に行ってくれるとは思ってなくて、一気に嬉しさがこみ上げて来る。そうなるとゲンキンなもので、適当に選んだ服を脱ぎ捨て、蘭さんの好きそうな大人っぽい服に着替え直した。スッピンは仕方なくても軽くリップグロスで色味をつけて、すぐに部屋を飛び出すと、蘭さんから連絡があったのか、エレベーターホールでは黒服の人達がすでにエレベーターを呼んでくれている。それに乗って地下駐車場に下りると、ちょうど蘭さんを乗せたベンツが滑り込んで来るのが見えた。すぐに出かけるからか、ベンツは一度駐車場をぐるりと回って再び出口付近に停車すると、運転手の太一くんがすぐに降りて来て後部座席のドアを開けてくれる。でも「ありがとう」と声をかけて乗り込もうと身を屈めた瞬間、伸びて来た手に腕を掴まれ、中へ引き込まれた。

「ら、蘭さ…んっ」

驚いて見上げようとしたらすぐにくちびるを塞がれる。その時、背後でドアを閉められる音がした。太一くんに見られたかもしれないと思うと恥ずかしいのに、蘭さんの荒々しい腕とくちびるから逃れられない。深く交わったくちびるを、最後に軽く舐めてから離れていった蘭さんは、「ん、何か甘い」と頬を弛緩させた。

「何か塗った?」
「え…あ、グロスだけ…」
「通りで美味しそうな色してたわ」

蘭さんは笑いながら額にもキスを落とすと、もう一度ぎゅっとして「会いたかった」と耳元で呟いた。何年も離れてたわけじゃなく、たった数時間だ。でも不思議なことにわたしも同じことを思っていた。

「さっき竜胆から本部に行くって連絡きたけど、結局一人で風呂入ったって?」
「え?あ…うん。兄貴はホントに指折るから一人でいいって…」

そう言うと蘭さんは楽しそうに笑った。本当に折る気っだったのかなと思いながら見上げると、「つーかオマエも断れよ」とスネたように見下ろしてくる。

「言ったろ?もうマイキー以外のヤツの誘いは拒否しろって」
「で、でもそういう誘いじゃなくて身の回りの世話だし…」
「世話なんかしなくていいって。ガキじゃねえんだから。分かったー?」
「う…うん」

そういう蘭さんこそ大きな子供みたいに見えてしまって、つい頬が緩んでしまいそうになる。こういうことを言うのも、嫉妬の感情からだと思うと素直に嬉しい。

「――で、何を買うんだよ」

いつもの高級スーパーに蘭さん、そして数人の部下の人達が入ると、やたらと視線を浴びる。ただでさえ目立つし、蘭さんはスーパーに来るような人には見えなくて余計に視線を独り占めしていた。裕福そうなマダムらしき女性たちが、頬を染めてキラキラした瞳で蘭さんを振り返る。でもその気持ちはわたしが一番理解してるかもしれない。高身長で手足が長い蘭さんは、ハイブランドのスーツを見事に着こなしていて、顔立ちは女性かと見紛うほどに眉目秀麗。振り返らない方がおかしい。

「ん?何だよ…」

ふと隣を歩く蘭さんを見上げると、優しい眼差しが降って来る。目が合うだけで胸がドキドキして、これじゃ片思いしてる女子高生みたいだと自分で笑ってしまう。

「蘭さんってスーパー似合わないなあと思って」
「は?チャリの時も言ってたけど、オマエはオレを何だと思ってんだよ」
「だって…浮いてるし」
「言っとくけども浮いてるし似合ってねえからな?」

笑っていると、蘭さんは僅かに目を細めてわたしの頭をクシャっと撫でた。

がスーパーのカゴ持ってんの合成写真みてえだし」
「ご、合成って…」
「そんだけ可愛いからこんなカゴも浮いて見えるってことー」

蘭さんが笑いながらわたしの手からカゴを奪っていく。サラリと可愛いなんて言われて頬が一気に熱くなってしまった。

「で、何買うんだっけ?」
「あ、えっと…じゃあまず野菜から…」
「りょーかい」

蘭さんは言いながら空いてる方の手でわたしの右手を掴むと、しっかり指を絡めて歩き出した。まさか蘭さんとスーパーに来て、こんな風に歩くとは思わなかったし、何となくデートをしているみたいでドキドキしてしまう。普通の恋人同士なら、二人で夕飯の買い物をして、家に帰れば手料理を振る舞ったり、そんな光景が当たり前なんだろうなと思うと、少しだけ羨ましくなった。

「なんか…」
「え?」

食材を選びながらボーっとしていると、ふと蘭さんが呟いた。

「いいな…こういうの」
「…こういうの?」
「そ。と二人でただ買い物するってのも…悪くない」

蘭さんはポツリとそんなことを言って照れ臭そうに視線を反らした。もしかしたら同じようなことを考えてくれてたのかもしれない。ほんのひと時。ささやかな幸せのことを。

「今夜…」
「え?」
「店の仕事終わったら…の部屋に行っていい?」

不意にわたしを見下ろした蘭さんと目が合って小さく鼓動が跳ねた。明日の夕方には万次郎が帰って来るから少しの間、二人きりで会うのは難しくなる。そこに気づいた時、わたしは頷いていた。

「何か…作っておこうか?」
「あー…じゃあ…軽くつまみになりそうなもんがいいかな」

お酒を飲みたいのかなと思って「分かった」と応えながら、自然と頬が緩んでしまう。僅かな時間でも、恋人同士みたいに二人で寛ぎながらお酒を飲みたい。そんな光景が頭に浮かんで、急に楽しみになってきた。

「あ…じゃあチーズも買っておこうかな」
「いいねえ。あ、オレ、カプレーゼ食いたい」
「分かった。あ…そうだ。トマト買うの忘れてた。蘭さん、わたしトマト取って来るからチーズお願いしていい?」
「いいけど。、モッツァレラチーズ以外に何か好きなチーズってあんの」
「えっと…あ、カマンベールかな。ペッパーのヤツ」
「りょーかい。んじゃトマト頼むわ」
「うん。すぐ戻るね」

蘭さんにカゴを預けて、わたしは急いで野菜コーナーに向かう。後ろからは部下の人が一人ついて来てくれていた。もうあの刑事はいないけど、他にも万が一ってことがあるから、と蘭さんは自分がそばにいなくても部下の人をわたしに付けるのを忘れない。後ろにその気配を感じながら、あの刑事のことを今まで忘れていたことに気づいた。事故とは言え、人を刺してしまったのに、わたしもたいがいだなと思う。でもあの人がまともな刑事だったなら、あんなことにはならなかったはずだ。変な欲を出してわたしをお金に変えようとしなければ、まだ生きていられたのに。

慣れとは怖いものだ。義父を殺した時よりも、心は穏やかだった。きっと、梵天の人達と一緒にいることで、より死を身近に感じてしまったのかもしれない。誰かを殺すことが日常になっている皆の中にいると、わたし自身の罪も同化されて当たり前のこととして消化できている。それはそれで怖いことなのに、今のわたしは完全に吹っ切れていた。
もう――赤い薔薇を見ても心が怯えることはない。ふと、そう思った。





3.

「蘭さん」

が歩いて行くのを見送っていると、不意に背後から名を呼ばれて振り向く。そこには見覚えのある女の顏があった。

「…唯?」
「お久しぶりです」

明るい笑顔を見せながらオレの方へ歩いて来たのは、オレの店の元ナンバーワンで、に嫌がらせをして刺されそうになった女だった。

「意外。蘭さんもこういうスーパーに来るんですね」
「別に、人に付き合って来ただけだ。オマエこそ、どうした?」

唯のこの様子だと、と一緒のところを見られたわけじゃなさそうだ、と内心ホっとする。別にどちらも店を辞めさせているから特に見られても問題はないが、この唯は一応あの件に関しては被害者という立場だ。あの時はへの被害届を出すと言う唯をオレが上手く説得したものの、辞めさせたはずのとオレが今一緒にいるところを見られれば、また何を言い出すか分からない。

「私はお店の前にコーヒー豆を買いに寄っただけです。この店の輸入品の豆は美味しいので」
「ああ…そういやウチの幹部もそう話してたな、前に」

ふと九井の顔が浮かんだ。アイツは書類仕事が多いせいかコーヒーをバカみたに飲むところがある。やはり一日中、飲んでいると次第に拘りが出て来たようで、意外とコーヒー豆にはうるさい方だった。

「それより…新しい店にはもう慣れたのか?」
「はい。それなりに楽しく働かせて頂いてます。蘭さんから紹介された店だから、私のことも大事にしてくれますし」
「なら良かったわ。まあ唯ならどの店に行ってもすぐナンバーワンになれんだろ」

言いながらも、いつが戻って来るかと気になっていると、唯が不意に笑い出した。

「あの子が戻って来たらどうしよう、とか思ってます?」
「…あ?」

突然、唯の声のトーンが変わったことに気づき、彼女を見下ろせば、真っ赤に塗られた唇が妖しく弧を描いていた。

「知らなかったなぁ。蘭さんがちゃんと付き合ってたなんて」
「…付き合ってねえよ」
「嘘ばっかり。私、見てたんだから。二人が手を繋ぎながら買い物してるの、ずっと前から」
「………」

なるほど、と苦笑が洩れた。コイツは最初から分かっててオレに声をかけて来たようだ。に下らない嫌がらせをしていたと聞いた時も思ったことだが、唯はとことん性根が腐った女らしい。見た目は文句なしの美人で客の扱いも上手かったが、それは表向きだけ。中身は嫉妬や妬みでどろどろの醜い女のようだ。

「蘭さんも人が悪いなあ。私とあの子、どっちもクビにして丸く収めたように見せかけて、私に被害届すら出させなかった。でも実はちゃんとこんな関係だったんですね。もしかして…ほとぼり冷めたらまた自分の店に戻す気だったりして」
「…は?んなわけねえだろ」
「どうだか。こんな風に二人きりで買い物するくらいの関係なんですよね。まさか店に引き抜いた頃からの関係ですか?だからあんなに贔屓してたんだ」
「…どう思われようと構わねえけど、オレは店にいる間、アイツに贔屓した覚えはねえぞ。働きに見合った報酬をやってたつもりだ。自分との格差を感じたなら、それはオマエがナンバーワンって立場に胡坐かいて接客に手を抜いてたからだ。違うか?」

客のことを第一に考えた接客をすると、客に自分を接待させるような唯とでは、元々格が違ったのかもしれない。なまじ容姿が良くて甘え上手だった唯だけなら、まだ可愛いとチヤホヤされていただろうが、しっかりと客の望むものを与えられるが入ったことで、その差がハッキリと見えて来るようになってしまった。大半の男なら、高い物を貢がす女よりも、自分を気遣いながらしっかり楽しませてくれるを選ぶ。だが唯の我がままを可愛いと思う客も当然いる。だからそれはそれでバランスが良かった。自分が一緒に酒を飲みたい相手を選ぶのは客だ。異なるタイプの女がいてこそ店は成り立つ。なのに唯は自分の嫉妬を消化できず、ガキみたいな嫌がらせに走って店の空気を悪くしただけじゃなく、を精神的に追い込んで潰そうとした。これは店にとっての営業妨害に等しい。実際、あれがキッカケとなり、仕方なく二人をクビにしたことはオレにとっても利益の損失だった。未だに変な邪推をしている唯はそのことをすっかり忘れたらしい。

「…やっぱり蘭さんはあの子の味方なのね。何か悔しいなあ」
「味方とかじゃねえよ。事実を言ってるまでだ。オマエも少しは反省してると思ったから今の店を紹介してやったんだけどな」
「何でわたしが反省しなくちゃいけないの?悪いのはちゃんなのに。私のこと刃物で切りつけたのあの子じゃない」

唯はそう言うと、「やっぱり…被害届出そうかなあ」と嫌な笑みを浮かべた。

「あ?もうケガは治ってるだろ」
「でも私、実はとってあるんです、証拠」
「…証拠?」
「あの時の傷の写真と診断書。日付はもちろんあの日の日付だし被害届と一緒に見せたら警察の人も一応は事情聴取するんじゃない?」

唯は心底楽しいと言った様子で笑っている。女の嫉妬もここまで来ると面倒としか言いようがない。

「そんなことしてオマエに何のメリットがあんだよ」
「別に。ただ私は蘭さんのこと好きだったのに…あの子を選んだことが悔しいだけ」

唯は言いながら馴れ馴れしくオレの腕に自分の腕を絡めてきた。なるほど、そういう意味か、とオレもつい苦笑が洩れた。唯がオレに気があったのは知ってる。何度か遠回しに誘われたこともあった。でもオレは自分の店の商品に手を付ける趣味はねえから全て気づかないふりをしてやり過ごしていた。

もし唯が被害届を出したとして、確かに警察も一応はの取り調べを行うだろう。でもせいぜい任意の事情聴取をして、証拠不十分で釈放されるはずだ。が唯を斬りつけたハサミはとっくに処分してしまっている。物的証拠は何もないはずだ。唯の持ってる写真も誰にケガを負わされたのか立証できるものじゃない。ただ、一瞬でも警察が介入してくるのは面倒だった。はすでに梵天と深く関わっている。と唯との関係を調べる中で、店のオーナーであるオレのことまで深く調べられたら、梵天の幹部と知られてもおかしくはない。小さなリスクでも排除しておくべきだろう。

「…ふん。で?唯はオレにどうして欲しいんだよ」

誘うように尋ねると、唯は案の定「私を…蘭さんの女にして」と下らない要求をしてきた。

「もし私を蘭さんの女にしてくれるなら…あの子のことは誰にも言わないし、被害届も出さないであげる」
「へえ…まあ、いいけど。もうオマエはオレの店のキャストじゃねえしな」

言いながら唯の頬を指で撫でると、僅かにその場所が熱を持った。

「ホントに?」
「ああ」
「じゃあ…早速今夜、会える?お店の終わった時間に」

そう言われてふと先ほど交わしたとの約束を思い出す。だが今はこっちが優先だ。

「いいよ。なら…仕事が終わった後、このホテルへ来い」

胸の内ポケットからホテルの名刺を取り出し、唯へ渡すと、彼女は上気した頬を綻ばせて「分かったわ」と頷いた。
その時、が戻って来るのが見えた。オレは顎で出口を示して「早く行け」と告げると、唯は「分かった。じゃあ…今夜」と嬉しそうに微笑みながら歩いて行く。それを見送りながら、部下に目くばせをした。

あの場所・・・・、使えるようにしとけ」
「……了解しました」

何も言わずとも察したようだ。部下の一人がその場から姿を消した。

「蘭さん、トマトこれでいい?」

が笑顔でオレの方に走って来る姿に、オレも自然に笑みが零れる。

「ん?あーいいよ。すげー真っ赤じゃん」
「色んな種類あるし迷っちゃったけど、一番、美味しそうなの選んで来ちゃった」

無邪気に笑う彼女を見ていると、今の苛立ちも綺麗に解消されていく。
ハッキリ言って、あんな女はどうでもいい。周りを飛び回るハエを消すには潰す以外、オレは他に方法を知らない。

「ああ、
「え?」
「今夜ちょっとだけ遅くなるかもしんねえけど……起きて待っててくれる?」
「…うん。待ってる」

照れ臭そうに頷くの肩を抱きよせると、身を屈めて彼女の頬に軽くキスを落とす。
あの女のことを、に話す気はなかった。どうせ全てを燃やし尽くせば、後は灰しか残らないんだから。