六本木心中



1.

万次郎の声の後ろで、ざわざわとした大勢の人の声がするのを聞きながら、この中に蘭さんもいるのかな、と思うと素直に心臓が音を立てた。

春千夜に食事をさせて薬を飲ませたら、疲れていたのか数分で眠ってしまったようだ。その後にキッチンなどを片付けていると万次郎から電話がかかって来た。

『…そんな熱あんのか、アイツ』
「うん…きっと今までの疲れが一気に出たんだと思う。今も死んだように寝てるし」
『まあ…オレが無理させたかもしんねー…』

深い溜息を吐きながら万次郎が呟く。自分の為に春千夜が人の倍は働いてたことを、一番分かっているんだろう。

…』
「え?」
『オレ今日から少しの間、コッチにつめとくから三途のこと頼めるか?』
「それは…いいけど…」
『三途の仕事を把握してんのはオレだけだし、アイツが動けねえ以上、オレが穴埋めしねえとな』
「え、でも…万次郎も体調は平気なの…?一人で無理しちゃまた…」

とそこで言葉を切った。わたしがここへ来る前の万次郎は常に不安定で自分の意志とは関係なく、何かに飲み込まれることが多かったと話してた。だからそれが心配になった。でも万次郎は『一人じゃねえよ』と笑った。

『さすがにオレ一人じゃこなせねえから九井にフォローしてもらうし。まあ三途が復活するまでの間くらいはな』
「そっか…分かった。でもちゃんと寝て無理はしないでね」
『うん、分かってる。だからその間、は三途のこと診てやってくれるか。多分アイツ、には気を許してると思うから』
「もちろん、そのつもりだよ」
『助かる。アイツ、自分の部下でもその部屋に入れねえからさ』
「え…そうなんだ」
『三途、極度の潔癖症だって言ったろ。ケガしても絶対病院のベッドが嫌だっつって帰るようなヤツだしな』

万次郎が苦笑気味に言った。確かに春千夜なら我がままを言って帰りそうだ。

『だから頼むな。また定期的に連絡する』

万次郎はそれだけ言うと電話を切った。

「万次郎までしばらくは本部ってことか…」

蘭さんも言ってたけど本当に忙しいんだな、と溜息を吐く。ふと時計を見れば夜の8時になるところだった。万次郎が帰って来ると思っていたから夕飯を作ってしまったし、遅くなったけどわたしも一人で夕飯を済ませる。一人で部屋にいると随分と広く感じて寂しくなった。自分で食べた分だけの食器を片付けるのもあっという間に終わってしまって、他にやることはなかったっけと考える。もともと活発な方じゃないし、特に趣味もないわたしは、自分のことより誰かの為に何かをしている方が気は楽だった。そういう面では人の世話をするのは性分に合っているのかもしれない。

「あ、様子見て来なくちゃ…」

一度自分の部屋に戻ってシャワーを済ませた後、楽な服に着替えてから春千夜の部屋へ向かう。汗をかいているはずだから、また着替えさせて寝かせたら洗濯でもしちゃおうかなと思った。普通のマンションなら洗濯は避ける時間帯だけど、幸いここは防音設備がしっかりしている。まあその前に住民は今わたしと春千夜くらいしかいないんだけど。
合鍵でドアを開け、静かに中へと入る。わたしが出て行った時と特に変わりはない。ちゃんと靴もあるのを見てホっと息を吐いた。

春千夜は責任感が強いのか、それとも万次郎に対しての忠誠心が強いのか。どちらにせよ、自分の体を休めるといったことに無頓着らしい。あの性格だと少し熱が下がっただけで万次郎のところへ行ってしまうような気がしてた。

(そうか…そう考えると一人で寝かせておくのも心配かも。万次郎に頼まれたからにはキッチリ看病しないと)

特にやることもないし、今夜はここへ泊まりこもうと決めた。あのフカフカのソファなら寝るのに最適だし、毛布一枚あれば今時期は問題ない。この部屋の空調も快適な温度に保たれている。そう思いながら静かに寝室のドアを開けると、一瞬だけ固まった。ベッドの上の布団が捲れていて、春千夜の姿がないからだ。

「え」

まさか本当に出かけたのかと焦ったものの、すぐに寝室の奥の方から物音がしてホっと息を吐いた。

「春千夜…?」
「…あ?何しに戻って来たんだよ…」

春千夜はクローゼットの前で何かを探しているようだった。わたしが入って来たのを見て少し驚いている。

「何しにって汗かいただろうから着替えさせようと思って…あ、着替え探してたの?」

春千夜は上半身だけ裸だったから、てっきりそうだと思った。

「………」

わたしの問いに春千夜はすぐに目を反らした。どこか気まずそうな表情だ。そこでふと彼の手が何かを掴んでいることに気づいた。

「何それ…薬…?」

彼の手には錠剤の入ったシートが握られている。でも風邪薬といった類のものじゃない。それはラムネみたいなカラフルな色をしていた。どういった薬なのかすぐに想像がつく。

「それ…飲む気なの…?」
「チッ…うるせ…えな…オマエは戻ってろ…」
「ダメ…!フラフラして体調悪いのに…っ」
「だから飲むんだろっ?いいから放せっ」

慌てて春千夜の腕を掴むと手から薬のシートを奪う。

「返せよ…っ」
「嫌だよ!今こんなの飲んだら春千夜、どうなるか分かんないじゃないっ」

薬を奪い返そうと春千夜がわたしの腕を掴んで来る。でも渡してしまえば本当に体調が悪化してしまう気がした。体を捩ってどうにか春千夜の腕から逃れようともがく。この薬だけとは限らないけど、春千夜がムキなって奪い返そうとするくらいだ。今は手元にこれしかないのかもしれない。見ればシートの中の錠剤は2つだった。

「あ?!テメェ、何して…っ」

隙を見て錠剤を出すと、わたしはそれを2つとも自分の口の中へと放り込んだ。そのままの勢いで一気に飲み込むと、口内に変な甘味が残った。

「バカかよ?何、飲み込んでんだっ」

掴みかかって来る春千夜は相当慌ててるように見えた。

「こ、こうでもしないと春千夜が飲んじゃうでしょ…っ。そんなフラフラしてるクセに」
「うるせぇ…吐き出せ!それがどんな薬か分かってんのか、テメェっ」
「ひゃ…っ」

足元がフラついた春千夜の体を支えようとしたけど重みで後ろへ傾いた。尻もちをつくような形で床へ倒れ込み、わたしの上から春千夜も倒れて来る。直に触れた肌は熱く、まだ熱があるんだと思った。

「い、いいから春千夜は横になって…まだ熱があるし…」
「…チッ…オレに触ん…な…っいいから吐き出せって!」
「春千夜を寝かせてからちゃんと吐き出すから」

どうにか体を起こして春千夜の腕を引っ張る。あまり力が入らないのか、春千夜はベッドの方へ倒れ込んだ。でも上半身は裸のままだから何か羽織るものを着せなきゃとクローゼットの方へ歩き出す。その時、頭がクラっとして思わず壁に手をついた。

「オイ……?」
「だ、大丈夫…」

別に薬を本当に飲む気はなかった。ああすれば春千夜が諦めてくれると思ったのだ。それにすぐ吐き出せばそれほど問題はない。そう思ってたのにお腹の辺りからジワジワと熱くなっていく感覚が強くなって来た気がする。それでも足を進めてクローゼットを開ける。酷くふわふわした感覚が襲って何かにすがろうと手を伸ばせば、ハンガーがカチャカチャと音を立てた。

…っ?大丈夫かよ…っ」
「へ、平気だってば」

言いながらも新しいTシャツを手に取って長袖なのを確認すると、それを持ってベッドの方へと戻る。一歩歩くたびに頭がふわふわして天井が回る気がした。

「こ、これ着て寝て」
「…バカか、オマエの方がフラついてんだろっ!あの薬は即効性があんだよ…っ」
「え…そ、そう…なんだ…」
「あ、オイ…!」

応えた瞬間、ベッドの方へ身体が傾いていく。それを春千夜が受け止めてくれた気がした。強いお酒でも飲んだみたいに目が回る。でも気分が悪いわけじゃない。むしろ高揚していく感覚だった。

「オイ…!大丈夫かよ?」
「大丈夫…何かふわふわしちゃって…。あ…ごめん」
「バカ、動くな…っ」

春千夜に正面から抱き着く形になっていて、身体を起こそうとした。でも背中を抱き寄せられてベッドへ倒される感覚に、重たい瞼を閉じてしまわないように何とか瞬かせる。そうすることで、ぼんやりと春千夜の呆れたような顔が視界に入った。どうやら春千夜も横になったらしい。気づけばわたしが持って来たTシャツをきちんと着てくれているようだ。

「はる…ちよ…?」
「もう少し横になってろ…今動いたらオマエ、確実にあちこちぶつけるか、ぶっ倒れる」
「で、でも…吐き出さないと…」
「もうおせェよ…。まあ…オマエが飲んだのは即効性はあるがさほど強い薬じゃねえ。しかも2錠だけだしな。ちょっと酔っぱらった感覚になるだけだろ」
「そ…そっか…ごめん」
「…あ?」
「看病しに来たのに…わたしの方が動けなくなっちゃって…ベッドも半分…占領して…るし」

話すのも億劫なほど呼吸も荒く、酔っ払って睡魔に襲われてるみたいだった。でも特に危ないわけじゃないと聞いてホっとする。

「はっ…何でオマエが謝んだよ…」
「……それも…そうだね」

素直に頷けば、春千夜は怖い顔をこっちに向けた。

「あっ?そもそもオマエがオレの薬ぶんどったせいだけどなっ」
「だって…あんなのダメだって…思ったんだもん…」
「オマエが飲んだあの量じゃオレには大して効かねえ」
「それでも…ダメだよ、危ない…薬…は…」
「チッ。テメェはいいのかよ?止める為とはいえ、フツー飲まねえぞ」

言いながら春千夜はわたしの頭を小突いた。それだけでクラクラする。確かに無謀だったとは思う。どんな薬かも分からないのに口にするのは。でも、これ以上春千夜にそんなものを飲ませたらいけない気がした。

「……春千夜に…何かあったら…万次郎が悲しむよ…」
「…あ?」
「もっと…自分を大切にして…」

頭がクラクラするからそっと目を閉じる。ぼんやりとした頭で力のない言葉を紡いでみたけど春千夜に聞こえたかは分からない。体がベッドへ沈んでいく感覚にただ身を任せる。その時、グイッと頭を抱き寄せられた気がした。

「バーカ…そりゃオマエもだろーが…」

すぐ近くでそんな声が聞こえたと思った時には、わたしの意識はそのまま睡魔に飲まれていった。






2.

何度目かの休憩に入って怠い身体を軽く解してると、ココがコーヒーを淹れて持って来てくれた。

「はい、竜胆くん」
「お、サンキュー」

だいぶ足の痛みは引いたものの、やはり歩くのは億劫だからこういう気遣いは助かる。これが女の子だったらなお最高だ。

「本部に事務員くらい入れたらいいのに。可愛い女の子とか」

ダメ元で言ってみる。だいたい本部はいかつい野郎ばっかで色がない。別に花を飾れとは言わねえけど、少しくらい楽しみが欲しい。でも案の定、ココが苦笑いを浮かべた。

「口の堅い女なんてなかなかいませんよ。それに可愛い子だった場合、皆がすーぐ手を付けるでしょ」
「言えてる。そんで色恋沙汰んなってゴチャゴチャ面倒なことになって、結果スクラップ増える、的な未来が見えたわ」
「でしょ?ああ、でも可愛い子を雇ったとして、全然見向きもしない人が一人いますけどね」
「え、誰だよ」

と尋ねると、ココは笑いながら会議室隅の出窓に座り、ケータイをいじってるオレの兄貴を指さした。兄貴はイライラしながらケータイをいじっていて、そこへ部下がコーヒーを運んでいる。

「あ?何でミルク入ってねーんだよ」
「え?で、でも蘭さん、いつもブラックじゃ――」
「今日はミルクが入ってて欲しい気分なんだけどー?こんな苦いの飲む気分じゃねえ」
「い、今ミルク入れてきます!」

「…………」

部下に相変わらず理不尽なことを言ってる兄貴に唖然とする。そもそも部下の言うように、兄貴は豆から淹れるコーヒーならブラック一辺倒だったはずだ。

「何だあれ…機嫌わりぃ~」

今日は兄貴に近寄らないようにしようと思っていると、隣のココが笑いを噛み殺しながら「何かと連絡とれないみたいっす」と説明しだした。

「は?それだけ?」
「いや、ほら。今日は三途が熱出して六本木の方で休んでるでしょ。その看病をがしてるみたいで」
「は?マジで?初耳なんだけど!」

確かに三途が体調不良で今日の会議はココが仕切ることになったという話は聞いた。でも三途のことだから薬やりすぎてダウンしてんのかと思ってた。熱ってことは風邪かなんかだろうが、その看病をがしてるとなると、兄貴がああなるのも頷ける。いや前の兄貴じゃ考えられねえけど、今の兄貴はにかなり入れ込んでるからだ。

「連絡ってことは電話に出ねえってこと?」
「はい。さっきはすぐ出たのに…ってブツブツ言ってたかな」
「マジか…それで八つ当たりしてんのかよ…」

あの兄貴が女のことで一喜一憂してるのかと思うと、ちょっと言葉を失う。今この瞬間、宇宙人が地球を侵略しに来たとしてもオレは驚かない。それくらいの異常事態だ。

「何だよ…ベタ惚れじゃん…」
「そうみたいっすね」
「あの様子じゃまたに手を出したらオレ殺されるな、確実に」
「オレもそう思ったんで早々に身を引きました」
「マジで…?オレ、ワンチャンすぐ飽きねえかなーくらいは期待してたんだけど。ほら、兄貴って飽きっぽいし」
「あー…それは…望み薄っすね。むしろ蘭さんの方がマイキーくんが飽きるの待ってるっぽいっすよ」
「えー…マージかー。え、それってマジで自分の女にしようとしてるってことじゃん。そんな感じになったらオレは絶対ムリじゃね?」
「ってか竜胆くんも案外、本気じゃないっすか」

その場にしゃがんで項垂れるオレを見て、ココが笑った。他人事だと思いやがって。オレだってまさか本気になるとか思ってなかったっつーの。でもが兄貴と想いあってるって分かった時、ビックリするくらいヘコんだオレがいて。そこで初めて自分の中にあるモヤモヤした気持ちの意味を理解した。こんな気持ちになったのはいつ以来だったか。

最初は今まで傍にいた女とは全然違うタイプってのが新鮮だった。勘違いして無理やり抱いて。なのにオレの言い訳を信じて許してくれた。あんな酷いことをしたのに。あの時、優しい子だなって思ったのと同時に、こんなに素直すぎたら悪い男に騙されんだろって突っ込みたくなるくらい驚いた。その後も何となくまた会いたくなって、きっと二度目に抱いた時にはもうちょっと本気で好きになりかけてたかもしれない。そう考えるとオレも案外ちょろい男だったってわけだ。
その時、ココに肩をポンポンとされた。同情されてる気がする。まあ聞けばココも本気になりかけたって言ってたし、マジでオレの気持ちが理解できるのかもしれねえけど。

「ほら、会議の続き始めますよ」
「…鬼か」
「ははは」

オレが突っ込むと、ココは楽しげに声を上げて笑いながらマイキーの方へ歩いて行く。その背中に舌を出して中指を立てながら、未だ窓の外をボーっと眺めてる兄貴へ視線を戻した。見間違いじゃなければ兄貴は今、渋谷の夜景を眺めながら溜息を吐いたと思う。めちゃくちゃ黄昏てんじゃん。誰だよ、アレ。絶対、兄貴じゃなくて中身が別人だろ。やっぱ宇宙人か?女と連絡がつかないだけであんな顔をする兄貴をオレは見たことがない。だいたいさっき思ったけどコーヒーにミルク入れるってそれの飲み方じゃん。好きな子と同じものを飲みたいって乙女か。

って本人には直接言えないツッコミをしてたら、不意に兄貴が振り向いた。何かの念を感じたのかもしれない。

「…何だよ、竜胆。その顏は」
「い、いや…何でもねえけど…もう始まるってさ」
「…ああ」

う…マジで機嫌悪い。こういう時の兄貴に近づいてはいけないとガキの頃からしみついているオレの防衛本能がそう訴えている。そそくさと自分の座っていた席に戻って、これ以上は口を開くまいと誓った。でも隣に座った兄貴はオレに絡んで来ることもなく、また自然とケータイへ視線を落としてる。きっとが出ないことで色々と悪い想像を膨らませてるに違いない。何せ今が看病してんのはあの三途だし。兄貴が心配してんのはどっちかってーと男女のことってよりも、アッチの方が心配なのかもしれない。何せ三途には悪いクセがあるからな。でもいくら三途でもマイキーが可愛がってるに乱暴なことはしねえだろうし、やっぱ単に声が聞きたかったとか、そういうことかもしんねえな。それはそれでらしくなさすぎてオレとしては怖いんだけど。そう思いながらふと窓の外へ視線を向けると、また小さな雨粒が窓を濡らしていくのが見えた。





3.

窓に雨の当たる音がして、ふと目が覚めた。視線を向ければ、カーテンの隙間から雨に濡れる窓が見える。また降り出して来たか、と溜息を吐きつつ腕を額に乗せた。だいぶ火照った感じは消えて平熱に戻って来てる気がした。嫌な頭痛も消えて、身体も軽い気がする。

(そういや…アイツ、どうしたんだっけ)

ふとの顔が浮かぶ。色々お節介を焼いて部屋に戻ったのか?と思いながら寝返りを打つ。そして一瞬で固まった。

「…は?」

オレのすぐ隣で、気持ち良さそうに眠ってるが見えてギョっとした。慌てて上半身を起こし、マジマジと上からの顔を覗きこむ。そこでさっきのことを思い出した。

「あれ…夢じゃなかったのか…」

時計を見れば午前0時をとうに過ぎている。さっき、どうにも怠くてスッキリする為に軽めの薬を飲もうとした。それをに見つかって奪われたあげく、アイツがその薬を飲み込んだことまで思い出す。

「ったく…バカな真似しやがって…」

あれが軽めのやつで良かったとホッと胸を撫でおろす。オレの看病中にドラッグをやって死なれたりしたらマイキーに顔向けできねえ気がした。

「……はあ。とんでもねえ女だな」

オレに飲ませない為に自ら飲むなんて思いもしなかった。どんだけお人よしなんだと呆れつつ、彼女に言われた言葉がふと脳裏を過ぎった。

――もっと…自分を大切にして…。

そう言われた時、ドキっとした。これまで考えたこともない。自分のことを大切にしろだなんて、他人から言われたこともない。オレはマイキーの為なら犠牲になったってかまわないと、そう思って生きて来た。それはこれからも変わらないし変えるつもりもない。なのに、一瞬だけ心が揺らいだ。ほんの一瞬だけ溢れた、弱音にも似た感情。

――誰かに大切にされたい。

そんな、らしくもねえ思いが溢れて、その誰か・・・が目の前にいるならいい、とバカなことを思った。こんなオレのことを必死で止めて心配してくれる人間なんて今まで誰もいなかったし、別にそれでもかまわなかったのに。中途半端に優しくされたせいで、やけに心が疼く。

原因は――この女だ。

オレの心をざわつかせるのも、疼かせるのも、この女が原因で。オレの世界の中で、だけが異質だった。
だけど――これを止められるのは彼女しかいない。

「…ん…」

が顔を横に向けた瞬間、無防備な首筋が視界に入る。彼女の顔の横へ手をつけば、ギシっとベッドが音を立てた。

「…ん、春千…夜…」

ゆっくりと身を屈めて白い首筋へ口付ければ、その刺激でが目を覚ましたようだ。まだ薬が効いているのか、とろんとした目を何度か動かし、ゆっくりとオレを見上げて来る。その表情に、どうしようもなく欲情した。

「…んん」

本能のまま覆いかぶさり、唇を塞ぐ。久しぶりに触れた女の唇はやたらと甘美で。オレの感情を更に揺さぶった。