六本木心中
※軽めの性描写あり
1.
雨の降る音、暗い室内、荒い呼吸音。朦朧とした意識の中でそれらを感じながら圧し掛かって来る体の重みを受け止めていた。頭がふわふわして思考が定まらない中、身体に施される刺激はやけに鮮明で、わたしを容易く快楽の海へ飲み込もうとする。
「…ん…ぁ…っ」
すっかりと濡らされた場所へ埋め込まれた指が荒々しく抽送してるのを、どこかぼんやりとしながら感じていた。なのに甘い痺れが肉体の情報として次から次へと脳に送られてくる。胸元に顔を埋めている男の髪色が、やけに鮮明に記憶されていく。
「あ…っ…は…はる…ちよ…?」
無意識にその名前を口にしていた。同時に胸の先端をちゅうっと強く吸われる感覚に、声が大きく跳ねる。その後も絶え間なく硬くなったその場所を、柔らかい舌で舐め転がされ、強烈な快感がそこから生まれていく。指の動きに合わせて卑猥な音が静かな部屋に響くのが、どこか他人事のように思えるのに、襲って来る快感は間違いなくわたしの体に与えられているものだった。
「…ん…ぁあ」
「……薬ですげー敏感になってる。気持ちいいかよ」
「……は…はるち…よ…や、ぁ…」
徐々に自分の置かれている状況が分かって来た。いつの間に脱がされたのか、着ていた部屋着が乱され、胸元も下半身も露わになっているのが空気の触れ方で分かる。わたしは何故ここにいて、何故春千夜に抱かれようとしているのか思い出せない。いや、と言うよりも考えることが出来ないと言った方が正しい。ふわふわとした頭で考えようとしても、すぐに襲って来る快楽で上書きされてしまうからだ。
「…オマエの乱れてる顔はやたらとそそられる…」
胸元から首筋に吸い付き、そこへキスを落とす。次は頬。そして、くちびる。その優しい口付けさえ、身体の熱を押し上げていく。
「…春千夜…」
「は…もう限界…挿れんぞ…」
その言葉は耳に入っているようで入っていなかった。音として聞いていただけで脳にまで届いてない。だからこそ、質量のある熱が体内に挿入されていくのが分かった時、少しだけ混乱した。それと同時に体はすでに限界だったのか、強い快楽が電流の如く全身を駆け抜けていく。
「ん…っぁあ…っ」
「…く…締めすぎ…イクのはえぇって…」
奥まで貫かれた時、そこから一気に広がる快感の波に抗えず、わたしは喘ぐことしか出来ない。全身が甘い痺れに支配されていく。
これは――何?わたしは何をしてるの。
脳内が混乱しながらも答えを出そうとする。なのに身体を揺さぶられるたび、考えようとする力は失われていくばかりで、春千夜に抱かれていると理解した頃にはすでに遅かった。
「…大丈夫か?」
どれくらい経ったのか。終わったあとでウトウトと微睡んでいたら頭を抱きよせられた感じがしてゆっくりと瞼を押し上げた。目の前に見える大きな瞳が、心配そうに細められている。
「春千…夜…?」
「少し抜けてきたようだな」
春千夜はそんなことを言いながらホっとしたように息を吐いている。ボーっとした頭でその意味を考えていると、だんだんとこの状況がハッキリしてきた。
「…え…な…何…」
「あ?」
互いに裸で密着していることに気づいて、すぐに春千夜から距離を取る。春千夜は怪訝そうな顔で少しだけ身を起こすと、わたしの顔を見下ろして来た。
「まさかオマエ…ラリってて覚えてねえって言う気じゃねえだろーな」
「…え…あ…」
そこで思い出した。春千夜が怪しげな薬を飲もうとしたから止める為にそれを自ら飲んでしまったことを。そして薬の影響なのか、ふわふわと微睡みにも似た快楽の中に溺れて行ったことまで何となく思い出す。その瞬間、頬がカァァっと赤くなったのが分かった。
「わ…わたしに何を――」
と言いかけて口を閉じる。そんなもの聞かなくても答えは明白で。春千夜に抱かれたのは間違いないだろう。ところどころ記憶はないものの、肌が感触を覚えている。春千夜はわたしの様子を見て、かすかに笑ったようだった。
「何って…別に無理やりしたわけじゃねえだろ」
「そ、そんなの…薬で朦朧としてる時にしたなら同じじゃない…っ」
「………」
思わずカッとなって春千夜を睨むと、彼の大きな瞳が一気に半分へと細められた。その瞳を飾るばさばさのまつ毛が不機嫌そうに揺れる。
「…そもそも薬を自ら飲んだの誰だっけ」
「う……わ…わたし…です」
それを言われると何も言い返せない。それに春千夜だってこれまで万次郎の世話係に同じようなことをしてきたんだろうし、彼はわたしの事情など知らないのだからその気になれば普通に手を出すだろう。今回のことは彼のせいじゃなく、わたし自身の失態だ。蘭さんとの約束を破ってしまったことも全部わたしが悪い。
「な…何だよ…何で泣きそうな顔すんだよ」
自分自身に腹が立ってその気持ちが涙に変わっていく。それを見ていた春千夜はギョっとしたように顔を引きつらせた。
「ご、ごめん…違うの。別に春千夜を責めてるわけじゃ――」
慌てて体を起こすと春千夜の腕に触れる。その手を、いきなり引き寄せられた。
「泣くほど…嫌だったのかよ…」
「…え?」
体を隠してるシーツごと抱きしめられてビックリした瞬間、耳元で聞こえた言葉で更に驚いた。普段の気の強い春千夜はなりを潜め、どこか叱られた子供のように張りがない声だ。
「そ…そうじゃなくて……その…」
何か言わなくちゃと焦って言葉を発したものの、じゃあ良かったと言えばおかしなことになる。だいたい春千夜に抱かれたと言っても半分上、ふわふわと夢心地でハッキリ記憶してるわけではなかった。一人アレコレを言い訳を探していると、不意に体が離れたことでそっと視線を上げれば、春千夜の綺麗な顔に不敵な笑みが浮かんでいた。
「だよなあ?あんなに感じてたもんなぁ?」
「な…っ」
さっきまでの心配そうな顔はどこへやら。普段の強気な態度に出て来た春千夜を見て、耳まで赤くなっていく。そんな自覚はあまりない。けれども、酷く気怠い身体はまさに春千夜の言葉通りだということを示しているような気がして、余計に恥ずかしくなった。
「そ、そんなのあの薬のせい…」
と言ったところで急に視界が回った。ベッドへ押し倒されて春千夜が覆いかぶさってきたからだ。
「じゃあ今また試してみるか?」
「……何…バカなこと――」
「今オマエは薬が抜けた状態だ。その状態でもう一度ヤレばハッキリするんじゃね?」
ニヤリと口元が弧を描き、彼の象徴とも言える口元の大きな傷跡が歪む。それが近づいて来るのを見て思わず春千夜の体を押しのけてしまった。反撃されると思っていなかったのか、春千夜は呆気に取られた顔でわたしを見ている。
「ダ、ダメ…病み上がりなんだから」
他に断る理由もなく、そんな言葉が口から出てしまった。春千夜は片方の眉を上げてから、すぐに苦笑いを浮かべる。こんな言い訳が通用するとも思えない。案の定、春千夜はわたしが言われて困るような言葉を吐いた。
「テメェ、幹部の言うことは絶対だって、灰谷から聞かなかったのか?」
「…そ、れは…」
「だったらオレの言う通りに……ックシュっ」
再びわたしに手を伸ばそうとした春千夜がいきなりクシャミをして身を振るわせたのを見てハッとした。言葉通り、どんなに元気に見えても春千夜が病み上がりなのは変わらない。なのに彼はずっと裸の状態で寝ていたのだから――その間セックスまでしたし――体が冷えているに違いない。
「ほ、ほら…!また熱が出たらどーするの?」
「あ?テメェ、何してんだよっ」
ベッドの下に散らばった下着をかき集めて身につけると、サッサと部屋着を着こむわたしを見上げながら「勝手なことすんな」と春千夜は怒っている。でも熱が下がったとはいえ、まだ完治したとは言い切れない。すぐに春千夜の新しい服をクロ―ゼットから出すと、それを彼の頭から被せた。
「おい…っ」
「いいから暖かくして寝てて。今は熱がないようだけど、また夜になったら上がるかもしれないし」
「は?…うぉっ」
グイっと肩を押して春千夜をベッドに寝かせると、大きなベッドの隅で固まっていた上掛けをかける。その間春千夜は怒って起き上がろうとしたけど、もう一度クシャミをした時点で渋々ながら服を着ることにしたようだ。やっぱり春千夜も寒かったらしい。時計を見れば午前6時過ぎで、外は雨のせいでまだ夜かと思うくらいに薄暗い。結局、春千夜の部屋で一晩過ごしてしまった。最初の予定ではソファで寝るはずだったのに、という思いが過ぎったものの、今更自分のしたことを後悔しても遅い。それにまた同じ場面になれば、きっとわたしは同じことをしてしまう。
服を着こんだ春千夜を確認すると、もう一度上掛けを肩までかけてあげた。
「また後で来るから春千夜は大人しく寝ててね。わたしは一度部屋に戻るから」
「…チッ。覚えとけよ、…」
「もう…なんですぐ怒る――」
不機嫌そうに睥睨され、呆れながらベッド脇に座った時だった。寝ていた春千夜が上体を起こし、わたしの腕を引っ張ってくる。あっと思った時にはくちびるが塞がれていた。
「な…」
角度を変えながら触れるだけの口付けを何度かされた後、すぐに開放されたものの。自分のくちびるをペロリと舐めて笑みを浮かべた春千夜に呆気に取られる。
「なにキスくらいで真っ赤になってんだよ」
「べ…別に…っていうか風邪が移ったらどーするの…っ」
怒るべき理由がそれくらいしかなく、思わず言ってしまった。だいたいわたしが風邪でダウンしたら万次郎の世話が出来なくなる。それはそれで春千夜も困るはずだ。そう思ったのに春千夜は小さく吹き出してベッドへ倒れ込んだ。
「ってか今さらじゃね?ヤルことヤったんだし」
「…っ…」
「ま…移ってたら今度はオレが看病してやるよ」
「……え?」
意外なことを言いだした春千夜にギョっとしてしまう。でも顔を上げれば春千夜はわたしに背を向けて布団をかぶった。
「早く行けよ。オレは寝るから」
「う…うん…じゃあ…ちゃんと寝ててね」
「おう」
どうやら春千夜もまだ体調が良くなったわけではないようだ。大人しく布団に潜る姿を見ながら、わたしは寝室を後にした。
「はあ…何してるの、わたし…」
廊下に出た途端、脱力してその場にしゃがみこむ。そんなつもりはなかったのに薬で朦朧としている間に春千夜に抱かれてしまうなんて予想外だった。ふと蘭さんの顏が浮かんで胸の奥が一気にざわついて来る。万次郎以外の人に誘われたら拒めと言われたのにそれが出来なかった。罪悪感がこみ上げて息苦しさを覚える。ただ、春千夜に危ない薬をやめさせたかっただけなのに。
「バカだな…」
こんな不透明な関係だと、どこまで自分の意志が通用するかなんて分からないのに。
「…つっ…」
その時、みぞおちの辺りに刺すような痛みが走り、わたしはよろよろと立ち上がった。前に胃炎と診断されて以来、少しずつ良くなっていたものの、おかしな薬を飲んだせいで胃が荒れたのかもしれない。確か部屋に処方された胃薬があったはずだ。これ以上痛みが酷くならないうちに飲んでしまおうと、軽く深呼吸をしてからゆっくりと歩き出した。
2.
「蘭さん、お疲れ様です」
エントランスに横付けされた車から降りると、正面に立っていた部下が駆け寄って来た。
「おう。今日は誰か出かけた?」
「いえ、誰も」
「そ。じゃあ引き続き、見張り宜しく」
「はい」
部下はオレに一礼すると元居た場所へ戻ってく。オレはその間を通り、エレベーターへ乗り込んだ。一晩中続いた怠い会議の後、我慢が出来なくてつい足が六本木に向いたのは、三途の看病をしてるというが心配だったからに他ならない。あんなヤク中の傍に彼女を置いておくなんて、何かあったらどーすんだとマイキーに文句を言ってはみたものの、「三途はに手を上げない」としか言わなかった。
まあ熱を出して寝込んでるなら、さすがに三途もドラッグをやろうとは思わないはずだとマイキーなりの信頼があるんだろうが、オレはそこまで三途という男を信用していなかった。万が一ラリってに暴力を振るうようなことがあればオレがアイツをぶっ殺してやると思いつつ、もう一つ心配なのは「手を上げる」のではなく「手を出す」方だ。三途も例に洩れずマイキーの世話係と何度か関係を持ったことがあるのは知っている。マイキーが不在の時、頻繁ではないにしろ女の方からアイツを誘惑したり、アイツがそう言う気分の時に相手をさせたりしてたはずだ。もし三途がに対してそんな気分になったなら間違いなく手を出すだろう。その際、がアイツを拒み切れるかと言われれば、答えは「NO」だった。
(ま…無理だろうな…は)
マイキー以外に誘われても拒めとは言ったが、それを彼女が絶対守り切れるとはオレも思っていない。竜胆や九井に釘はさせても、三途にそんなことを言えばコッチの弱みを見せることになるから逆効果だということも分かっている。面白がって手を出されてもかなわねえから敢えて何も言わなかった。だからもし、が三途に抱かれるようなことがあってもどうすることも出来ないのが胸糞悪い。
「はあ…あんま考えたくねえ」
最上階ではなく、三途の部屋がある階でエレベーターを降りながら独り言ちる。だけど、その考えたくなかったことが実際に起こったことを、オレはこの後知ることになった。
「――?」
廊下を歩き出した途端、三途の部屋の前で蹲っている姿が視界に入って心臓が嫌な音を立てた。やっぱり三途に何かされたのかと急いで走っていく。
「おいっ…!どうしたんだよ?」
「……あ…ら…蘭さん…っ?」
目の前でしゃがんで顔を覗き込むと、彼女はゆっくりとオレを見上げた。酷く驚いた表情を浮かべた彼女は顔色が悪く、額に汗がにじんでいる。見たところケガはしていないが何があったんだと問いただすと、前にもなった胃痛だとは言った。
「また痛くなったのかよ?何でまた…」
「で、でも部屋に薬があるから…それを飲んで休めば何とか」
「…分かった。の部屋でいいのかよ」
「うん…」
ゆっくりと立ち上がろうとするはそれでも痛みで顔をしかめている。歩くのはツラそうに見えて、オレはすぐに彼女を抱き上げた。
「ら、蘭さん…?」
「こっちの方が楽だろ?」
「…あ…ありがとう…」
かすかに笑みを浮かべながらも、が何気なくオレから視線を反らすことに気づいた。さっきオレが駆け寄った時もそうだ。どこか気まずそうに視線を反らすのをオレは気づいてしまった。何かあったんだとは分かったものの、今はとにかく彼女の体が心配で最上階の部屋までを抱えていく。
「薬は?」
「あ…ここに」
彼女の部屋のベッドに寝かせると、はベッド脇の棚の引き出しから処方された薬を取り出した。
「水持ってくる」
「ありがとう…」
まだ痛みがあるのか、は弱々しい笑みを浮かべてオレを見た。その顏を見てると無性に胸が痛くなる。三途と何があったか聞きたいのを堪えて、オレはキッチンに向かった。
(クソ…っがまた胃痛を引き起こすようなことを、もしアイツがしたんだとしたらぜってー許さねえ…)
イライラしながらグラスを出すと、ウォーターサーバーの水を入れていく。でも途中であることを思い出し、半分はお湯で割った。胃痛のある時に冷たい物は良くないと医者が話してたのを思い出したからだ。それを持って寝室に戻ると、はベッドに上体を起こして座っていた。
「…ほら」
「ん…ありがとう」
かなり痛いのか、は顔をしかめつつ錠剤を口に入れてから水を飲んだ。オレもベッドの端に腰をかけての背中をそっと擦ってやると、はかすかに笑みを浮かべてオレを見上げた。
「ありがと…ごめんね。来て早々…」
「いいよ、そんなの。それより横になってろ」
「うん…じゃあちょっとだけ」
はそう言ってゆっくりとベッドへ横になる。その際オレの手をぎゅっと掴んで来るからドキっとした。その細い手を軽く握り返すと、はもう一度オレを見上げるように寝返りを打った。
「蘭さんどうしたの?忙しいんじゃ…あ、春千夜に用事だった?」
「いや…」
「え、じゃあ何であそこにいたの?」
「何でって…がまだ三途んとこにいんのかと思ったんだよ」
「え…」
「まあ…あとオレも徹夜明けだし少し寝に帰って来たっつーか…」
「でもしばらく本部に泊るって…」
にツッコまれ、ぐっと言葉に詰まった。確かにここへ来てしまったら更にイライラするのは目に見えてるからしばらく来るつもりはなかったのに。でもマイキーが不在の中、三途とが二人きりって状況もなかなかに落ち着かず、つい足を向けてしまったらこれだ。つくづく来て良かったと思う。
「オマエの心配しちゃわりーかよ…」
「…心配?」
「三途と…何かあった?」
「……っ」
オレの問いに握っていた彼女の手がピクリと跳ねるのを感じて、オレの言ったことが少なからず当たっていたんだと分かった。腹の底から重苦しいものがこみ上げて来て、つい握っていた手に力が入る。それを感じたのか、がゆっくりと顔を上げた。
「…ごめんなさい…っわたし…」
「……っ…聞きたくねえ」
声を震わせるを見て、気づきたくもないのに気づいてしまった。あげく咄嗟に出た言葉がそれだ。やたらと腹ん中が重くて虫唾が走るような不快感がこみ上げて来る。これは嫉妬だ。これまでオレがあまり感じたことのない、強い嫉妬の感情が全身に渦を巻くようにオレの中で暴れている。
「蘭さ…」
ベッドから立ち上がったオレを見て、も体を起こした。彼女の手がオレのジャケットの裾を掴んでいる。ここで笑って許せるくらいの想いなら、こんなに嫉妬なんかしてない。
「悪い…今日は帰るわ。は暖かくしてちゃんと寝てろよ」
「……蘭さんっ」
の呼ぶ声を振り切って、そのまま振り向きもせず寝室を出ると、足早にの部屋を後にした。どこへ向ければいいのかも分からない苛立ちだけが次から次へと溢れて来る。こんな黒い感情が、いったいオレの体のどこから生まれるのか分からない。
「…あー…ムカムカする」
深い溜息と共に吐き出された言葉を、いったい誰にぶつけたら良かったんだろう。