六本木心中




1.

「は?マイキーそんなこと言ったのか」
「…うん…」

は出された紅茶を一口飲みながら神妙な顔つきで頷いた。

今日はマイキーが三途と出かけるということで、オレは久しぶりに仕事の合間を縫ってのところへ向かった。

――が美容室に行きたがってたから空いた時間にでも連れてってやって。

マイキーにのことを頼まれたとくれば、当然のごとく無理やり時間を作った。望月には「ずりぃ」と文句を言われたが。
今は行きつけの美容室でに施術を受けさせたところだ。ここは昔から通っているオレのお気に入りの店で、南フランスのプチホテルを思わせる温かみのあるインテリアが特徴の隠れ家的なヘアサロンだ。
VIP専用の待合室で会計を待つ間、のんびり話しながら紅茶を飲んでいた時、どことなくの様子がおかしいことに気づいて問い詰めた。すると彼女はマイキーにおかしなことを言われたと教えてくれたのだ。

「何となく…少し怯えた様子だった…。何か万次郎がそんなことを言うようなことが起きてるの?今…」
「いや…ラット2匹はまだ捕まえてねえけど、マイキーがそこまで心配するようなことでもないしな…」
「そう…じゃあ…気分が落ちててあんなこと言っただけなのかな…」

は溜息を吐いて、ぽつりと呟いた。
そこへ「蘭くん」との施術を担当してくれたカリスマ美容師が会計を手に歩いてくる。

「お待たせ。えっとカットにナノミスト3Step、ヘッドスパにトリートメント、込々で35680円です」
「りょーかい。んじゃーこれで払っておいてー」

言いながらカードを預けると勝手に支払いを済ませてくれる。は一応お給料もらってるんだから自分で払うと言い出したが、オマエが綺麗になんのは必要経費だからと言いくるめてオレが出すということで落ち着いた。相変わらず真面目な女だと内心苦笑する。会計が終わって時計を見ればまだ午後2時すぎ。ちょっと考えてオレはの腕を引っ張った。

「少し寄り道すんぞ」
「…え?」
「せっかく出て来たんだしいいだろ、たまには。デート」
「デ、デートって…」

戸惑うの手を引きながら出口へ向かうとそのまま店を出た。部下達がすぐさま寄って来て、オレとを護衛するよう駐車場まで囲む。さっきには心配かけないよう平気な素振りはしたものの。ラットが逃げてるということはそれだけ敵対組織にコッチの情報が筒抜けかもしれないという不安は残っている。バレてしまったのだから枷はなくなり、これまで以上に口が軽くなってることも考えられるからだ。ただ奴らが地下に潜ればそれなりに情報は入って来る。それがないということはラットも敵対組織に泣きついていないという可能性もあった。、まあよく考えれば梵天に目をつけられた下っ端など、向こうもかくまう理由はない。最悪、邪魔だと思われ消される可能性の方が高いかもしれないし、むやみに助けを求められないということもある。
そう考えると――奴らは誰の保護もなくコソコソと身を隠してる気がして来た。

「…ああ、オレ」

先にを車に乗せ、オレも隣へ乗り込むと、すぐに竜胆へ電話をかけた。

「ある程度の繁華街、渋谷や原宿、新宿その辺の安ホテルを探せ」
『え、ホテル?』
「ホテルと言っても奴らが何日も泊れるような場所だ。ああ、満喫とかも部下に探らせろよ?とにかく何日も宿泊できそうな安いところを徹底的に調べさせろ」
『あーなるほど。じゃあ相手の事務所を張らせてる部下をそっちに回すわ』

さすがオレの弟。簡単な説明で言いたいことを察してすぐに動いてくれるのは助かる。

『で、兄貴は?どこにいんだよ』
「………じゃあ、そういうことで。また連絡するわ」
『は?おい、兄貴――!』

問答無用で電話を切ると、隣で不思議そうな顔をしているに微笑む。竜胆には悪いが、アイツが働いてる中、彼女の相手をしてるとバレればブーブー文句を言われそうだから内緒だ。

「あ、あの蘭さん」
「ん?」
「さっきデートって言ってたけど…今、忙しいんでしょ?いいの?わたしにかまってて」
「いいんだよ。他の仕事は特に急ぐもんねえし、ネズミ捕りは部下の仕事~」

そう言っての腕を引き寄せると、彼女の髪にキスを落とす。でもいつもの優しい香りとは違い、美容室独特の匂いがした。

「いい匂いだけど…オレはいつものの匂いが好きだな」
「え…匂いって…何か恥ずかしいかも」

ちょっとはにかみながら笑うに、オレの胸が素直に音を立てる。

「…可愛い」

自然にそんな言葉が零れ落ちた。というか今のオレの脳内、可愛いしか浮かんでこねえくらいに語彙力が死んでる。オレの一言にはギョっとして「な、何が?」とやっぱり不思議そうな顔でオレを見上げるから、今度は唇もちゅっと音を立てて啄んだ。何度も触れてるってのに、こうして彼女にキスをするだけで心が満たされて行くんだから不思議だ。

の全部が可愛いって思ってんだけどさー。オレってヤバい?」
「…っ?」
「ふはっオマエ、マジで照れ過ぎじゃね」

オレの言葉に素直に反応して頬を染める彼女に、何度も心臓を攻撃されてる気がしてきた。いい大人だってのに、好きな女が出来たからってここまでやられるもんかと笑ってしまう。

「ここが車じゃなきゃ押し倒してるわ」
「そ…それは…ダメ…」

運転席と後部座席の間には仕切りがあるってのに、彼女はキスをするのも恥ずかしがるから無理なのは分かってる。でも真っ赤な顔で睨まれると男の本能は擽られていく。押し倒しはしねえけど、彼女の背中に腕を回して軽く抱きしめた。

「はあ…このままとどっか遠くに行きてえわ…」
「…え…遠くって…?」
「だーれもオレらのこと知らねえ場所」
「…か、海外…とか?」

胸に押し付けてた顔を上げてが微笑む。そうだ、海外なら誰に気兼ねすることもなく、彼女とのんびり過ごせる。それも悪くないと思った。

「ゴタゴタしたの片付いたら、海外旅行でもするー?」
「えっ」

額を合わせて言えば、は酷く驚いたようだった。分かってる。マイキーの世話があるのに海外なんて行けるワケない。今のはオレの願望が口から出ただけだ。だけど、もしマイキーに承諾を得られたら、それは願望じゃなくなる。マイキーはを大事にしてるようだが、オレのように彼女に対して愛情を持ってるのかは分からない。

(今度一か八か…聞いてみるのもありか…?)

従順な女がいいだけなら、或いは手放してくれるかもしれない。我ながら愚かだと思う。一人の女に入れあげるなんて、これまで一度もなかった。愛を囁いた女は腐るほどいるが、どれも言うほど本気が入ってたわけでもなく。その時楽しければ良かった。本気で惚れてるフリ、嫉妬するフリ。どれもこれも自分の為だったから。全て頭の中で計算して自分でコントロール出来ていた。なのに今はどうだ?計算もコントロールも出来ず、本能剥き出しでを欲してる。これまでの恋人の中にも可愛いと思う女はいたが、コイツじゃなきゃダメだと心から思う女は一人もいなかった。

「蘭さん…?」

オレが急に黙ったからか、はどうしたの?と問うように見上げてくる。その顏を見つめていると、胸の奥が焼け付いていくように疼いて。もう一度、今度は強く抱きしめた。

「……オマエが欲しい」
「え…?」

身体も、心も、まるごと全部。たとえ誰に禁じられても、たとえ跪いて 誰に頼まれても――。



2.

「…ひぃぃ!か、勘弁してくれー!」
「いや、勘弁して欲しいのはコッチだっつーの…」

やたらとカビ臭い建物の廊下を歩かされて、オレはつい突っ込みを入れつつ溜息を吐いた。

「待てコラァ!」
「コソコソ逃げ回りやがって!」

そのオレの横を駆けぬけて走って行く望月さんと竜胆くんの背中を眺めながら、靴が汚れるとボヤいて前の二人についていく。何も幹部が直々に追い詰めなくてもいいのに、これまで探し回って見つけられなかった「鬱憤を晴らしてやる」と望月さんが言い出し、そしたら竜胆くんまでが「オレも」と言い出し、部下を押しのけてラット2匹が潜伏していた今にも壊れそうな安ホテルに飛び込む羽目になった。現場には滅多に出ないオレまでこうして付き合わされてるのは蘭さんが不在のせいだ。

「ったく…蘭さんはと美容室とか…マイキーに言われたからって言ってたけど絶対あの人、デート気分だろ」

ここに踏み込む前に一応電話したけど出ないし、まさか真昼間からとホテルにしけこんでんじゃねえの…と疑いたくなる。まあ、想いあってる二人が何をしようが、オレには関係ないんだろうけど、何かこう…モヤモヤする。
ラットが潜伏していたのは新宿3丁目にある寂れたやっすいホテルとも言えないような建物だった。低賃金労働者が利用するような一泊1000~3000円ほどのホテルとも言えないような場所。廊下の壁紙は剥げてボロボロだし、穴が空いてる箇所もある。廊下の床は何かベタベタしてて気持ちが悪い。よくこんなホテルに泊まれたもんだと苦笑が洩れた。

「あ~せっかくのベルルッティが…」

パリで買ったお気に入りの靴でボロボロの小汚い廊下を歩くのが苦痛になってきた頃。奥では男達の悲鳴が聞こえてきた。幸いこのホテルには奴らしか泊っておらず、フロントなんて誰もいないセルフみたいなホテルだった為、余計な口止め料なども必要ないのが助かる。当然、邪魔な監視カメラの類もない。

「しっかしさすが蘭さん…目の付け所が違うな…」

竜胆くんにこういった場所を探せと言ったのは蘭さんらしい。確かに奴らみたいな下っ端では、情報を流していた相手に保護なんかしてもらえるはずもない。美味い話でおびき出され、根こそぎ持ってる情報を奪われた後で殺されて山に埋められるのがオチだ。奴らもそれを分かってるから安宿を転々としつつ逃げ回ってたんだろう。ただ梵天の情報を欲しがるのは同じ反社の組織だけじゃない。ラットがその選択肢もあると決心をつける前に見つけられたのは幸いだった。

「ぐあぁぁ…っ」
「ほら、折れるぞ?嫌なら抵抗せずオレらと来い」

やっと追いついたところで空き室を覗けば、そこへ逃げ込んだ二人のうち一人は白目をむいて気絶している。そしてもう一人は竜胆くんの締め技で顔を真っ赤にして落ちる寸前だった。

「生かしておいてくださいね。岸本と一緒に仲良くスクラップにするんで」
「分かってるって。――オラァ、とっとと落ちろよ」

竜胆くんが更にキツく締め上げると、男はやっぱり白目をむいて意識を失った。

「お疲れさん」

呑気に葉巻を吸って見学していた望月さんは、二人目も意識を失ったのを見て、廊下で待機していた部下を呼んだ。これから倉庫に運んで拷問することになるだろう。まだ他に裏切者がいるかどうか、そしてどこにどんな情報を流したか、聞き出せるものは全て吐かせて、その後に始末する。まずはマイキーくんと三途の元へ連絡を入れなければならない。

「おら、サッサと運べよ~日が暮れんぞ!」
「「「「「はい!!」」」」」

大きな声で部下の尻を叩きつつ、望月さんは葉巻を吹かし、オレの方へ歩いて来た。

「ココの出番なくて悪かったなぁ」
「いや、オレ、別にここに入らなくても良かったっスよね」
「あ?寂しーこと言うなよ。たまにはオマエも現場を見ておいた方がいい」
「…はあ」

そこは素直に頷いておく。じゃないと蘭さんの次に理不尽なこの人に何をされるか分からない。元々オレは人を殴るよりデスクに向かって金計算してる方だ好きだし向いてる人間だ。

「しっかしせっかくのラット捕獲なのに蘭のヤツ、なに呑気に女とイチャついてんだ。ったく」

望月さんは呆れたように言ってるが、蘭さんとの関係は知っているらしく、苦笑いを浮かべながらボヤいている。まあ、ぶっちゃけオレも同じ気持ちだけど。ただあの二人は二人きりで過ごす時間が極端に少ない。マイキーくんに頼まれた時くらい、少しでも長く二人でいたいという蘭さんの気持ちも分かる気がした。
とりあえずラット捕獲の旨をメッセージで送ってみると、秒で返信がきた。

"お疲れ。夜までには戻る"

随分とあっさりした返信に思わず吹き出してしまう。でもまあ夜には久しぶりに幹部全員が集まりそうだ。

「望月さん」
「あ?」

汚い廊下を歩き、部下に指示を出している望月さんに声をかける。

「蘭さん、夜までには戻るそうです」
「フン。当たり前だ。こっちはデート返上で働いてるってのにアイツばっか女の相手させとくわけにはいかねえからなー」

望月さんは苦笑交じりで歩いて行く。でもオレはその大きな背中を見上げながら「え…」と呆気に取られてしまった。

「望月さん、彼女いたんスか……」
「あぁ?!そりゃどーいう意味だ、九井っ!!」

オレの余計な一言に、望月さんは烈火のごとく怒りだし、その太い腕で首を絞めてくる。マジで落ちるかと思ったくらい苦しかった。その時、思ったことを口にしてしまう自分の素直さをちょっとだけ後悔した。