六本木心中




※性的表現あり


1.

ゆっくりと、互いの意志を確認し合うような、そんな甘美なキスを交わす。蘭さんとは何度もキスをしているはずなのに、初めての時のようなときめきすら感じてしまう。
ギシ…っとベッドが軋む。そのたび、わたしの口から切ない吐息が漏れて、肌が更に熱を帯びる。蘭さんがゆっくりと腰を動かし始めて無防備な部分を擦り合わせると、キスとは違う水音が立った。柔らかい舌を擦り合わせ、口内で交じり合う。キスの合間から洩れる吐息は、どちらも甘さを滲ませていて、互いの身体を昂らせていく。

「…んっ…ぁ…」

蘭さんはゆっくりと律動を繰り返し、やんわりとキスをした。さっき言った通り、わたしに触れる一つ一つの動作が優しい。心も身体も満たされる。蘭さんの全身で、愛されてるのが分かるから。それが伝わって、身体の芯まで蕩けてしまいそうなほどの幸福感だった。

「…のナカ、気持ち良すぎてヤバい…」

くちびるが離れた瞬間、吐息交じりで蘭さんが呟く。すでに抱き合っているのに、どうしようもなく羞恥心が煽られて、顏を背けてしまった。

「…何でそっぽ向くんだよ…」

蘭さんは軽く笑みをこぼすと、わたしの顎を掴んで自分の方へ顔を向ける。薄闇で互いの視線が絡むと、蘭さんはかすかに眉間を寄せて、薄く開いたくちびるから、扇情的な息を洩らした。それはさっき言った言葉を表しているかのように見えて、わたしまで快感の波に飲み込まれそうになる。同時に泣きたくなるほどの強い衝動に襲われた。
それは自分でも制御できないほどの愛おしさ。
わたしは――蘭さんが好きだ。たまらなく好きだ。
過去に犯した許されないわたしの罪を、蘭さんは半分背負ってくれた。守ろうとしてくれた。誰にも頼ることすら出来なかった孤独を、埋めてくれた。許されるなら、このまま蘭さんと生きていきたい。そう思わせてくれた、初めての人。
わたしは今、初めての恋をしている。
蘭さんは、わたしの初恋だ。
ふと、蘭さんと目が合った。熱に蕩けた瞳が揺れている。わたしもきっと、同じ顔をしてると思う。

「…蘭…」

初めて名を呼び捨てにした瞬間、彼の瞳が眩しそうに細められて、切ない吐息を洩らす。

「…煽るなよ…――」

律動が止まり、わたしの名を呼ぶ。そして――。

「愛してる…」

蘭さんは切なそうな表情で、押し出すようにその言葉を呟いた。

「…こんな恥ずいこと言ったの、が初めてだわ…」

自嘲気味に笑う蘭さんは、そっとわたしの目尻へ指を伸ばした。溢れて零れ落ちたわたしの涙を掬うように。

「オレ、泣かすようなこと言ったか…?」

女慣れしてるくせに、蘭さんはあまり女心が分かっていないようだ。わたしを何で泣かせてしまったのか、と狼狽えている姿が、たまらなく愛しいと感じた。

「違う…嬉しくて…」
「…あ…?」
「蘭さんの言葉が…嬉しすぎて泣けてきただけだもん…」

またわたしの涙が溢れて零れ落ちた。その涙を、また蘭さんが拭ってくれる。またくちびるが奪われ、キスが深まると、抽送が再開されて、繋がってる部分から、また甘い刺激が生まれていく。

「…ったく…オマエ、どんだけオレに惚れさせたら気が済むんだよ…」

蘭さんは苦笑しながら、わたしの手に指を絡めた。ぎゅっと握り締めながら、少しずつ抽送を深めていく。

「…ぁ…ああ…っ」

蘭さんの動きに合わせて、わたしの身体も揺れ始めると、波の狭間に沈みこむような感覚に襲われる。まるで二人が互いに溺れていくかのようだ。

…」

腰の動きを和らげ、ゆったりとした律動の中、蘭さんがわたしの名を呼ぶ。

「もう一回、オレの名前…呼んで」
「…え…」
「…さっきみたく…呼べよ」
「ん…ぁっ…ら…蘭…」

奥を突かれて、その名をもう一度口にすると、蘭さんは悩ましい吐息を一つ吐いて、腰を回すように再び最奥を突いてくる。更に質量を増やした彼の劣情が、ナカを擦り上げるたび、子宮の辺りが疼いていくのが分かった。あまりの気持ち良さに、涙がまた溢れてきた。

「…泣き虫」

蘭さんは笑いながら、啄むようなキスをくちびるへ落とすと、抽送を速めた。蘭さんも興奮しているのか、いつもより呼吸が荒く、ナカの硬直が更に硬さを増していくようだ。

「はぁ…っはぁ…」

普段わたしを抱いている最中でも、余裕の態度は崩さなかった蘭さんが、今は自分が感じてる姿を隠そうとしなくなっていた。まるで敢えてわたしに見せつけているようだ。これが本当の自分なんだと、伝えてくれてる気がして、嬉しさで胸が締め付けられる。

「…蘭…」

もう一度、彼の名を呼んで、火照った頬へ手を伸ばす。彼は少し苦しげな、それでいて恍惚感を漂わせる顔で、わたしを見下ろした。快楽を貪る、彼のとろりとした視線が、愛おしそうに細められて、無防備さを感じさせる柔らかい笑みを浮かべた。
目の前にいるのは、一見、紳士的のように見えて、実は誑惑きょうわく的な魔性すら秘めている人だ。それすらも蘭さんの魅力だと知っているからか、見つめているだけでたまらなくなり、キスをして欲しくなった。すると切なげな顔をした蘭さんが、覆いかぶさるようにくちびるを求めてきたから、同じ気持ちなのだと嬉しくなった。

「…あぁ…っ…や…ダ…ダメ…そこ…」

蘭さんはわたしの身体の全てを知り尽くしている。わたしの弱い部分を重点的に攻めだしたら、それは果てたいという合図。すでに余裕のない表情で、荒々しくくちびるを吸い、腰を打ち付けてくる。互いに口から苦しげな呼吸が繰り返され、肌が粟立つほどに最奥を突かれた。

「んあ…ぁっ…」

次々に押し寄せる快楽の波が強すぎて、わたしの口から絶え間なく嬌声が漏れる。それでも蘭さんは容赦なく、わたしを最果てまで連れて行こうと、腰の動きをいっそう速めていく。これまで感じていた以上の何かがせり上がってくる感覚に、かすかながら身を震わせた。

「ぁあ…っ…ら…んっ…」
「一緒に…イけそうだな…」

合間に囁く蘭さんの官能的な声色に、より興奮が強まっていく。その時、わたしの中で大きく膨れ上がり、快感の波が一気に加速して襲ってきた。突き上げが更に速くなり、蘭さんが苦しそうな息を響かせる中、わたしの身体の限界がきて。チカチカと白み始めていた視界が突然ぱぁんと弾け飛んだ気がした。

「…や……ぁあっ!」

本能のまま、わたしの口から悲鳴のような声が上がり、ナカの硬直が何度か跳ねたのと同時に、蘭さんがかすかに声を盛らす。そのままわたしを強く抱きしめた瞬間、ナカで熱い残滓を感じた。

「…身体、大丈夫か…?」

互いの呼吸が落ち着いて来た頃、ふと蘭さんが口を開いた。小さく頷くと、背中を抱きよせ、額にそっと口づけてくれる。視線を上げると、至近距離で目が合った。少し照れたように微笑みあい、同時に、愛おしそうに見つめ合うと、自然にくちびるが重なる。言葉を交わさなくても、気持ちは伝わることもあるのだと、蘭さんを愛してから知った。愛情溢れる優しいキスを受け止めながら、いつまでもこうしていたい、と蘭さんにしがみつく。今はそれだけで十分に満たされた。



2.

「うま!やっぱの作った飯が一番美味いわ」

大げさなくらいのリアクションで褒めると、彼女は微妙な顔で振り返り、テーブルに味噌汁の入ったお椀を置いた。その久しぶり過ぎる香りが、更に食欲をそそった。

「おにぎりなんて誰が握っても同じだよ…」
「は?何言ってんだよ。ちげーだろ、全然。それにの卵焼き、マジで好きだし」
「でも…どうせ作るならもっとちゃんとしたご飯作るのに…」

はそう言いながら、おにぎりに使用した海苔、具材の鰹節や明太子などを片付けていく。よほどオレのリクエストに納得がいかないようだ。
久しぶりに抱き合い、二人で少しうたた寝をしてから起きた夜の7時。さすがに腹が減って、最初の予定通り、を食事に連れ出そうかと思った。でもふと、久々に彼女の作ったご飯が食べたくなったからリクエストしてしまった。は誰かの為に何かをしてる時が一番楽しそうだし、嬉しそうにする子だ。
案の定、パっと表情が明るくなり「何が食べたい?」と訊いて来た。だから頭に浮かんだ「おにぎりと味噌汁と卵焼き」というシンプルなメニューを頼んだのに、は「そんなのでいいの?」と、どこか不満げだ。久しぶりにオレの食事を作るなら、と、もっと凝った物を食べさせたかったらしい。でもオレはこういうシンプルな食事に飢えていたし、のおにぎりはマジで絶妙な塩加減と握り具合。簡単だというけど、こういう簡単なものほど、意外と難しいとオレは思う。

「あ~生き返る」
「大げさだってば」

味噌汁を飲んで、ホっと息を吐くと、もおにぎりを食べながら軽く吹き出している。そのあどけない笑顔が、オレの胸をいつも疼かせるんだから、罪な女だな、と苦笑が漏れた。隣にいる彼女の肩をそっと抱き寄せて頬にちゅっとキスをすれば「食事中だよ」と可愛い顔で睨んでくる。「はいはい」と先ほど軽くシャワーを浴びたことで少しだけ湿ってる彼女の髪を撫でる。こういう穏やかな時間がホっとするようになったのは、と出会ってからだ。

これまでただ前だけを見て駆け抜けてきた人生だったし、この先もそれが続いて行くんだろうと思っていた。常に危険の中に身を置いて、女と付き合ってもどこか冷めていたし、刹那的な関係でいいとさえ思っていた。だからじゃないが、自分が女と家庭を持つことも想像できず、またそんなものは自分の人生に不要とすら思っていた。平穏な暮らしよりも、刺激的な"何か"を求めていたかったのもある。
だけど、と出会って、こうして二人で過ごす時間もままならないせいか、こんな風に彼女とささやかな食事を楽しむ時間がとても大切なことだと実感してしまった。
自分で選んだ人生なのに、危険と隣り合わせの立場という現実が、今頃になって身に染みている。マイキーに残りの人生を全て捧げたはずが、今、初めて揺らぎ始めているのだから、オレもたいがい腑抜けたなと呆れてしまう。

(今更…梵天を抜けられるはずもない。それを言えば即刻スクラップ行きなのはオレ達幹部でも同じだからな…)

それも女一人の為に?と、三途なら鼻で笑うだろう。ただオレは、これ以上、他の男にを触れさせたくなかった。さっき彼女には「オレのことを一番に好きでいてくれるなら――」と言ったが、あんなもの大嘘だ。オレが嫉妬をすれば、彼女が苦しむ。だからああ言うしかなかっただけ。本当は、三途にも、マイキーにさえ、触れさせたくない。

(つくづく勝手な男だな、オレは…)

オレが彼女の運命を捻じ曲げたのに、今更やめて欲しい、なんて馬鹿げてると言われても仕方がない。それにもし、オレが殺されるようなことがあればがどうなるか分からなかった。最悪彼女まで裏切者とみなされ、スクラップにされそうだ。そんな心中、するわけにはいかない。

(今はまだ…我慢するしかないか…)

しっかり食事をしてくれているを見てホっとしながらも、心の中で諦めの溜息を吐く。

「食べ終わったら外でデートでもする?」

小首を傾げつつ、オレは本音を隠しながらに微笑んだ。



夜風が彼の白髪をさらい、サラサラと揺れるのを黙って見つめていた。病院の屋上。目下に渋谷のキラキラしたネオンが広がっている。

「そうか…」

オレの報告に、マイキーはポツリと呟き、その後にまた「そうか…」と言葉を繰り返した。
夕べ、オレが確認した全てをマイキーに報告した。梵天のことを調べて回っている存在が誰なのかということも。

「…探すなと言ったのに」

キュービクルの上に座って夜景を眺めていたマイキーは、ゆっくりと立ち上がり、眼下を見下ろした。その表情からは何を考えているのかまでは分からないが、目の下のクマが酷くなっているのを見れば、前よりも衝動が強まっていることだけは伺い知れた。今、マイキーは必死に抗っている最中だろう。ここで花垣と出会ってしまえば、マイキーは確実にアイツを殺し、それによって黒い衝動が加速するはずだ。いっそう闇へ堕ちていくマイキーと、オレは更に高みを目指す。誰にも邪魔をさせはしない。

「どうしますか」

オレが訊ねると、マイキーは少しの間、逡巡しているようだった。出来ればマイキーは花垣に会いたくないんだろう。会えば、どうなるか分かっているから。だからこそ、遠い昔、マイキーはアイツにだけ「オレには近づくな」というメッセージを残したと話していた。花垣には恩があるから傷つけたくない、とも言っていたが、オレには何のことか分からない。ただ、言えるのは、その約束を破ったのは花垣の方だ。あとはどうなろうが知ったことじゃない。
もし仮に、今ここでマイキーが「タケミっちには会わない」というならば、オレはそれを受け入れるだけだ。アイツを梵天に近づけさせないよう手を回し、花垣を遠ざける。アイツがそれでも諦めないなら、他に方法はいくらでもある。友人、家族、婚約者の女。脅しで使えそうなものを、花垣という男は沢山持っているからだ。オレにはない、守るべき存在が。
そろそろ梅雨入りのせいか、夜風がだいぶ湿ったものへ変わってきた頃、マイキーはキュービクルの上から飛び降りた。そのまま真っすぐオレの横を通り過ぎ、病院内へと戻っていく。オレは黙ってその後を追いかけた。

「三途」
「はい」

階段を下りていたマイキーがふと足を止めたのを見て、オレも立ち止まる。しばしの沈黙が流れたものの、マイキーはすでに何かを決心したようだ。ふと振り向いて、上段にいるオレの方を仰ぎ見た。

「もし、次…花垣が梵天関連の場所に現れたら…」
「はい」
「オマエが確認して、それからオレに知らせろ」
「分かりました」
「それと…」

とマイキーはそこでいったん言葉を切ったが、再び階段を下りていく。

「明日、一度…六本木に戻る」
「…了解です」

マイキーのその様子を見れば、に会いたがっているのは一目瞭然だった。不安定になればなるほど、彼女にそばにいて欲しいんだろう。でもいつ自分が自分でなくなるのかが怖くて近づけない。だからこそ、最近はずっと渋谷に滞在している。それでものところへ戻るのは、ある覚悟をしているからかもしれない。
次、花垣に会えば、今の自分がどうなるか分からないからこそ、今のうちに全てを終わらせる。

(…そうなれば、もうアイツの寝顔も見られなくなるんだな)

そう考えると、意外なほど味わったことのない感傷がオレの心を蝕んだ。

(バカか…たかが世話係の女にこんな気持ちになるなんて)

自分の愚かさについ苦笑が漏れる。今はそんなことを考えている時じゃない。この先、何が起きてもオレがすべきことは一つだけだ。
マイキーについていく――。
この選択肢以外の答えは、オレにはないのだから。