六本木心中


※原作沿いの死ネタがありますのでご注意下さい。


1.

蘭さんと濃密な夜を過ごした次の日の夜、久しぶりに万次郎が部屋へ帰って来た。前もって春千夜から連絡が来ていたので、わたしは、いつも通り、部屋を綺麗に掃除して、シーツも全て新しいものに変え、彼の好きな食事を用意しておいた。やっぱり世話をする対象がいると気分も明るくなる。これはもう、性としか言いようがない。

「…ただいま」
「お帰りなさい、万次郎」

予定の時間になった頃、万次郎と春千夜が顔を見せた。だけど話に聞いていた通り、万次郎の顔はいっそう細くなり、目の下にはクマ。出会った頃にすっかり戻っていて、かすかに心臓が速くなった。春千夜は万次郎に何か耳打ちをすると、足早に部屋を出て行こうとする。それを見て慌てて「食べて行かないの?」と声をかけた。春千夜は一旦足を止めたけど、振り向くこともないまま「マイキーを頼む」とだけ言って、出て行ってしまった。何となく、春千夜の纏う空気がピリピリしていた気がする。

「また何か…あった?」

No2の春千夜があの感じだと、そう思わざるを得なかった。でも万次郎は「気にするな」としか言わず、黙ってリビングに向かう。わたしもすぐに追いかけると、万次郎はテーブルの上に並べておいた料理に気づいて足を止めた。

「これ、食っていい?」
「え?あ、もちろん。万次郎に作っておいたんだし…」

万次郎は嬉しそうに顔を綻ばせると、椅子に座ってすぐに料理へ手を伸ばした。それを見て苦笑しながらご飯とコーンスープをよそって彼の前に置く。今日は万次郎が好んで食べる和風の豆腐ハンバーグだ。最初は普通のハンバーグを作ろうと思ったけど、最近食欲がなさそうだと春千夜に聞いたので、胃腸に負担をかけない豆腐をベースに作ってみた。きっと言わなければ分からないはずだ。

「…美味い」
「良かった」

案の定、万次郎は気づかなかったようだ。お腹が空いていたのか、今は黙々とご飯を食べだした。こうして見ると、食欲がなかったようには見えない。でもその話を裏付けるほどには、万次郎の体重が落ちているように見えた。

「ご馳走様、マジで美味かった」

30分後、万次郎は夕飯を完食して、満足そうにお腹を擦った。あまり食べていなかったというし、胃もたれしないかと心配になったけど、本人は見た目より少しは元気になったようだ。

「お風呂湧いてる?」
「あ、うん。すぐ入れるよ」

万次郎が席を立ち、バスルームに向かうのを見送りながらお皿を下げていく。でもその腕を掴まれて驚いた。

「万次郎…?」
「髪、洗って」
「え…」

ドキっとして万次郎を見れば、あまり表情のなかった顔に意地悪そうな笑みが浮かんでいた。

「別に何もしねーよ。前に約束したろ」
「…う、うん…」

気持ちを見透かすように笑うから、ちょっとだけ頬が赤くなる。前にバスルームで抱かれて、わたしが意識を飛ばした時、確かにそんな約束をした気がする。あんな小さな約束を覚えててくれたようだ。
万次郎の手に引かれてバスルームへ向かうと、彼は徐に着ていたシャツを脱いだ。細身なわりに筋肉しかないんじゃないかと思うような引き締まった体が視界に飛び込んできて、何となく視線を反らしながらバスタオルの用意をしていると、急に万次郎に抱き寄せられた。

「ちょ、万次郎…?」

抱き寄せた手でセットアップのウエストリボンを簡単に解いていく。慌ててその手を止めると、万次郎は「濡れるだろ」と言いながら服を脱がそうとする。これは言うことを聞かなければ無理やり脱がされるパターンだと気づいた。

「わ、分かった…自分で脱ぐから万次郎は先に入ってて」
「…早くしろよ」

慌てるわたしを見て笑いを噛み殺した万次郎は、サッサと下も脱いでバスルームへと消えた。それを見てホっと小さく息を吐く。

「もう…少しは恥じらえってのに…」

ブツブツ言いつつも万次郎の脱ぎ捨てた衣服や下着を拾っていく。それを洗濯カゴへ入れると、着替えのバスローブを用意した。

~早くー」
「今行く」

万次郎はすでにシャワーを出して待ってるようだ。

「はあ…わたしも脱がないとダメか…」

中途半端に脱がされた服を見て溜息を吐くと、上下を脱いで下着を外していく。最後に背中に揺れる髪を軽くひとまとめにして、高い位置で縛った。

「こ、こっち見ないでね」
「はいはい」

ドアを少しだけ開けて中にいる万次郎に声をかけると、苦笑した声が返ってくる。きっと今更、くらい思ってるんだろう。でもいくら身体の関係がある相手でも、煌々と明かりがついた場所で全裸を晒すのは恥ずかしい。こういうのは理屈じゃないのだ。
中に入ると、すでにシャワーの熱で湯気が充満していた。先に体は自分で洗って待っていたようだ。

「おせえ…風邪引くじゃん」
「ご、ごめん。色々準備しておいたの」

そう言いながら、万次郎の後ろにしゃがむと、すでに濡らしておいたらしい髪にシャンプーを絡めて泡立てていく。

「あー…気持ちいい~…」
「そう?軽くマッサージもしてくね」
「うん…やっぱに洗ってもらうの最高だな」

万次郎は独り言のように呟くと、気持ち良さそうに目を瞑っている。その間、黙って髪を洗い、優しくマッサージをしていく。そして最後、シャワーで流す時、ふと万次郎が目を開けた。

「あぶね…寝かかった…」
「…また眠れてなかったの?」
「まあ…いつものことだし…でも今日はがいるから眠れそう」

万次郎はそう言って笑ってるけど、どこかツラそうに見えた。
今日はいっぱい寝てもらおう。
そう思いながら泡を洗い流していく。その後にきっちりトリートメントをして、それも流せばわたしの仕事は終わる。

「はい、終わり」
「…さんきゅ」

キュっとシャワーのお湯を止めると、「じゃあ湯船で温まってね」と声をかけて立ち上がろうとした。でも万次郎の手が、わたしの手をガシっと掴む。

「ダメ。風呂も一緒に入って」
「えっで、でも…」
「何もしねえよ。入るだけ」

わたしが慌てたからか、万次郎はそんなことを言って笑っている。

「それともオレが風呂に入りながら寝ちゃって溺れてもいーわけ?」
「…え、まさか――」

と言いかけたものの。さっきも一瞬寝落ちしてた姿を見てるだけに、あり得ないとも言い切れない。

「わ、分かった」

素直に頷くと、万次郎は満足そうに微笑んだ気がした。
この場合、万次郎が先にお風呂へ浸かって、後からわたしが入ることになる。いつものようにお湯へ浸かった万次郎は、さっきと同じように目を瞑って「ほら、来いよ」と笑ってる。ちょっと馬鹿にされた気分になりながらも、それを確認しながらそっと万次郎の前へ腰を下ろした。でもホっと息をつく間もなく、後ろから両手が伸びて、お腹の辺りでギュっと抱きしめられた。

「ま、万次郎…?」
「こうしてるだけ。落ち着くから」

そう言いながら項の辺りに口付けられた。くすぐったさに身を捩りると、抱きしめる腕の力が強くなっていく。

「あんま可愛い反応されると、オレのも反応すっからダメ」
「な…ま、万次郎が触るから――」

すぐ後ろで笑いを噛み殺す万次郎に、頬が熱くなった。でもわたしの肩越しに顔を埋めてくる万次郎は、欲情したという感じでもなく。どこか甘えたように頬を摺り寄せてきた。その様子が少し気になって「どうしたの?」と聞いてみたけど、万次郎は応えない。
やっぱり少し様子が変だ。そう思ってもう一度「万次郎…」と呼んだ時だった。

「オレのいない間、は何してた?」
「…え?」
「灰谷が来てたし退屈しなかったか?」
「……っ」

いきなり蘭さんの名前を出されて、その不意打ちの質問に心臓が大きく跳ねた。万次郎はわたしの耳殻に口付けながら「灰谷のつけた痕が残ってる」と言って背中へちゅっと口づけてくる。まさか、と思ったけど、夕べの今日だ。残っていても不思議じゃない。ただ、行為の最中はどこに付けられたかなんて、覚えていないのだ。

「あ、あの…」
「別に責めてねえよ。は灰谷が見つけて連れてきたんだから、オレに遠慮なんかしねーだろ、アイツも。それに――のことを灰谷に頼んだのはオレだし」

確かに、蘭さんは万次郎にわたしのことを「連れ出してやって」と頼まれたと言っていた。何もおかしくはない。

「んで、どっか行った?」
「え…と…」

夕べ、抱き合った後、食事をしてから、確かに蘭さんと出かけた。蘭さんと外でデートをしたのは初めてだった。

「…ゆ…遊園地に…」
「……マジで?あの灰谷と…?」
「う、うん…」

これ言っても良かったのかなと心配になったけど、隠すのも後ろ暗い感じがしたから、そこは正直に話しておく。万次郎は蘭さんと遊園地がどうしても結びつかないのか、呆気にとられたように黙っていたけど、数秒後、思いきり吹き出した。

「…似合わねー…」
「わたしが無理に誘っただけなの…。わたしも行ったことなかったから…」

一応、蘭さんの名誉のために言い訳をした。夕べ「どこ行きたい?」と聞かれた時、咄嗟に「遊園地」と言ってしまったのだ。そういう場所で好きな人とデートをする、なんて人生は歩んでこなかった。だから、一回くらい蘭さんと普通に遊んでみたかった。
万次郎は「そっか…」と言いながら良かったな、とわたしの頭へポンと手を置いた。

「オマエら、お似合いだわ」
「……え?」

不意に言われた言葉にドキっとして振り向くと、万次郎はどこか寂しげな顔で微笑んでいた。どうしてそんな顔をするんだろう、と、この時はよく分からなかった。

「好きなんだろ?灰谷のこと」
「……っ」

あまりに自然に訊かれたせいで、誤魔化すことすら出来ずに思わず小さく息を飲むと、万次郎は呆れたように小首をかしげて溜息を吐いている。

「バレてねーと思ったのかよ」
「え、あ、あの…」
「ってか別に隠すことねえじゃん。そもそも世話係が誰かを好きになっちゃいけねーなんてルールはないしな」
「……(確かに言われてないかも)」

万次郎に苦笑されて、頬が熱を持った。まさか気持ちを見抜かれてたとは思わない。

「あと灰谷のヤツも分かりやすかったしなー。アイツ、ヤキモチ妬きだろ」
「え…?」
「オレが六本木にいる時は、いっつも不機嫌そうにしてたし」
「………」

万次郎は笑いながら濡れた髪を掻き上げると、ふと真剣な顔でわたしを見つめた。

「だから…オレに何かあった時はオマエのこと、灰谷に任せることにした」
「……っど、どういう意味…?」
「前にも言ったろ。オレからは無罪放免ってことだよ」
「…万次郎…?何言って…」

何故いきなりそんな話をするんだろうと、少し頭が混乱した。万次郎がこんなことを言いだすには、何か理由があるはずだ。

「何かあった時って…?」
「………」

わたしの問いに、万次郎は軽く目を伏せ、黙っていた。いったい梵天のトップに何が起きると言うんだろう。そもそも、万次郎が何に怯えてるのかが分からない。

「説明…してくれないの…?」
「必要ない。は知らない方がいい。それに…その時が来れば分かる」
「その時って…」
のことは三途にも頼んでおくから、その時はアイツの指示に従え。これが最後のオレからの命令。分かった?」
「…何で…そんな…自分はいなくなるような言い方するの…?まさか万次郎――」

と言いかけた時、強引にくちびるを塞がれて言葉が途切れる。顎を固定されて、最初から滑り込んできた舌が、わたしの舌を絡み取っていく。

「んん……っふ…」

強引なのに、絡みつく舌の動きは優しくて涙が出そうになる。万次郎は何かを決心したんだろう。本当に、何かが起こるとでもいうんだろうか。万が一、なんて言って本当はすでに何かが起こっているんじゃないかと思った。

「……

ちゅっと甘い音を立てて、万次郎のくちびるが離れていく。
名前を呼ばれて、ゆっくり目を開ければ、万次郎が優しい眼差しでわたしを見つめていた。

「オレがいてもいなくても、は気にせず、自分の好きなように生きろ」
「…万次郎…」

やっぱりお別れみたいなことを言う万次郎に、堪えていた涙が頬を伝っていく。

「何泣いてんだよ…。今の話はオレに何かあったらの話で、オレはまだここにいんだろ」
「う…うん…」
「あーそろそろふやけそうだし出んぞ」

万次郎は笑いながらわたしの濡れた頬を乱暴に指で拭うと、湯船から上がってバスルームを出ていく。

――何かあったらの話。

本当に、そうなんだろうか。何となくだけど、予感はあったのかもしれない。
この日、万次郎はわたしを抱きしめながらベッドへ入った。言ってたように、気持ち良さそうに眠りについた万次郎を見て、ホっとしたわたしもいつの間にか眠ってしまった。
だけど、目が覚めた時、隣はもぬけの殻で、万次郎の姿はどこにもなく。
昨夜が万次郎に会った最後の夜になるとは、わたしも思っていなかった。
この次の日の夜、万次郎は旧友を銃で撃ち殺し、自らもビルの屋上から飛び降りた――。



2.

――振り向いたら撃つ。

結局この男は昔と変わらず諦めが悪かったらしい。懲りもせずに梵天の古いアジトへ姿を現した。花垣の頭に銃を突きつけた時、今すぐこの男を撃ち殺したい衝動に駆られた。でも、それをするのはオレの役目じゃない。どうにか堪えて、マイキーがあの場に来るのを待った。

――席を外してくれ、三途。二人で話したい。
――うっす。下で待ってますよ。

あんなこと、言わなければ良かった。無理やりにでも残って、いや、すぐそばで待機してたって良かったはずだ。そしたらこんなことになっていない。ありえない。オレは信じない。
マイキーが死んだなんて、オレは――。

「やめろ…!!マイキー!!」

夜空に向かってマイキーが飛んだように見えた。昔の面影を残した、幸せそうな笑みを浮かべながら、まるで、あの頃に戻ったかのような、そんな誇らしげな笑顔に見えた。

「うわぁぁあああっ!!」

オレは必死に走った。何がどうなったのか分からない。銃声が聞こえた。マイキーは花垣を撃ったはずだ。なのに何故、マイキーが飛び降りて、撃たれたはずの花垣がマイキーを助けたんだ?
マイキーが屋上から飛び降り、あのままじゃ地面にたたきつけられるはずだった。だけど、ビルの途中の割れた窓から花垣が手を伸ばし、落下してきたマイキーの腕を、掴んだ。
意味が分からなかった。だけど、これだけはハッキリ言える。あのままじゃ二人とも、落ちて死ぬ。花垣は瀕死に見えた。

「クソ、クソ、クソッたれがぁ!絶対に死なせねえ!」

だけどアイツは殺す。死んでても何度だって殺してやる。
そもそも何でマイキーの前に現れた?今頃になって、過去のゴミムシがマイキーになんの用なんだ?邪魔すんじゃねえ。これ以上、マイキーを追い込むのは誰であろうと許さねえ。

「クソ…!!アイツさえ現れなければこんなことには…!」

一気に瓦礫だらけの階段を上がっていく。花垣にマイキーの命を預けてると思うと、それさえ吐き気がしてきた。
元来た道を走りながら、オレはマイキーの無事だけを祈っていた。
なのに――。

「きゃぁぁああっ」
「人が…!二人が落ちたぞー!!」

ビルの下から大勢の悲鳴が上がり、その直後、どちゃっというおぞましい音が辺りに響き渡ったのを聞いた時、目の前が真っ暗になった。そんなの話だけで暗くなるわけがないと思っていたが、実際に経験してみたら、本当に真っ暗だった。何も考えられない。ただ、マイキーは無事だと信じたかった。

オレの世界から、王がいなくなるはずがない――!

遠くから、サイレンの音が聞こえた気がした。




3..

「どうなってんだ!説明しろ!」
「やべえぞ!警察が話聞きたいつってエントランスに来てんぞ!」
「三途さんはどこ行ったんだよ!」

渋谷の事務所は混乱の中にあった。
二時間ほど前、九井のケータイにマイキーが飛び降りたとの一報が入った。マイキーと三途の乗った車を運転していた部下からだった。そこからは大変だった。情報が錯綜して何が事実なのかが分からない。三途もどこへ行ったのか連絡がつかず、部下の中では「三途さんがボスを殺したんじゃ」なんて言う奴まで出てきた。だがあの三途がマイキーを手にかけるはずがない。何者かの陰謀によって二人が殺されたと言われた方が、まだしっくりくる。

「おい、ココ!何がどうなってやがんだ!部下達がわんさかエントランスに集まって来て入れろって騒いでんぞ!ついでに警察の人間まで来てる!」

そこへ望月が顔を出した。だが九井も電話に追われてパニくっている状態。望月はふとオレを見ると、今度はこっちに向かって歩いて来た。

「おい、蘭!何がどうなって――」
「んなのオレが聞きて―んだよっ」
「でも警察が来てるってことはやっぱり…飛び降りたのはマイキーなんじゃねえの、これ」

竜胆が顔を引きつらせながら、窓の下を覗き込む。エントランスには相変わらず、下っ端の部下、そして警察が「開けなさい!」と騒いでいる。

「つーかさ…もしマイキーがマジで死んだなら色々とヤバくね?警察も踏み込んでくんじゃねーの…」

確かに、竜胆のいうことにも一理ある。これまで警察上層部は、マイキーがいるからこそ、便宜を図ってたようなものだ。それもこれも、警察トップに顔が利く椿姫がマイキーのいる梵天を必要としていたからだ。
でもそのマイキーが死んだとなれば、それまで抑えていたものが一気に逆転し、警察はこれをいい機会とばかりに梵天を潰しにくるかもしれない。

「蘭さん!ここはマズい。まずは一旦撤退した方がいいっすよ!」

電話確認を終えたココが慌てたように走ってくる。その手には警察に押収されてはまずい書類を抱えていた。それを大きなトランクに詰めながら、未だ騒いでいる部下達を一旦、ロビーへ下がらせる。そこへ一際、大きな声が聞こえてきた。

「万が一の為の隠し通路、こういう時に使うべきだろ!」
「鶴蝶?!オマエ、いつ中国から――」

部下でごった返した廊下を颯爽と歩いて来たのは、中国に出張に行っていた鶴蝶だった。

「たった今だよ、バカヤロウ。何の騒ぎかと思えば…マイキーが死んだってどういうことだ、蘭!」
「いや、オレに言われても…こっちだって聞きてえっつーの!マジで三途どこ行ったんだよ?!」

その時、オレのケータイが鳴り、すぐに相手を確認する。そこには今、一番情報を持ってそうな椿姫の名前が表示されていた。

「椿姫だ…。――はい」
『ああ、蘭?ココに電話したけど全然繋がらないからアナタにかけたの』
「…助かるわ。つーか、事情は?」
『もちろん私のところにも入って来てるわ。結論だけ言うわね』

椿姫はいつもより少し余裕のない声で、ひとこと言った。

『マイキーが死んだのは本当。警察が遺体を押収したわ。替え玉がいない限り、確実に本人ね。私が確認したから間違いない』
「替え玉なんていねえよ…!…クソ…マジか…っ」

どうやら警察上層部は、唯一マイキーの顔を知ってる椿姫に身元確認をさせたらしい。椿姫が遺体を見て、そうだと判断したなら、本当にマイキーかもしれない。
いったい、何がどうなってる?そんな言葉ばかりが頭をぐるぐると回って一向に答えなんか出ない。

『それで…パニックな時に申し訳ないけど、もうすぐそこと六本木の支部に警察が行くわ』
「…は?何しに…」
『警察はボスが死んだことで、これ幸いと梵天を潰そうとしてるってこと。今回ばかりは上層部の連中も止められない。何せ、マイキーの遺体を下っ端が回収しちゃったから』
「マジかよ…っ」

次から次へと問題が溢れて来て、オレもすでにテンパり始めた。とにかく、ここへ警察が踏み込んでくるなら、今すぐ脱出しなくちゃならない。

「椿姫さん、助かった。情報さんきゅー。とりあえずオレ達はここを出る」
『そうしてちょうだい。私もアナタ達に捕まってもらっちゃ困るのよ』
「あ?何でだよ。別に捕まってもアンタとの関係は言わねえけど?」

この女と手を組む時、ある程度の制約は交わしてる。もし言えば刑務所内でも命を狙われることになるだろう。極力面倒ごとは避けたかった。
だが椿姫は『そんなこと心配してないわ』と笑った。

『ほとぼりが冷めたら、また仕事を頼みたいし、武臣にも皆のこと頼まれたから、今回は助けてあげる』
「は?まだコキ使う気かよ…。ってか…武臣さんは無事か?」
『私のそばにいるのよ?無事に決まってるでしょ』
「あっそう…」

あの人の女こます能力だけは尊敬できるかもしれない、とこんな時にバカなことを思った。

『今すぐそこを出て成田へ向かって』
「…は?成田…?」
『私のプライベートジェットを待たせてあるわ。時間は…そうね。今から三時間後に離陸する。それまでに逃げたい人だけ来てちょうだい』
「い、いや、ちょっと待て!そんなもん飛ばしてどこへ――」
『行けば分かるわ。とにかく時間がないの。急いで出国する準備をして!』

そこで一度電話は切れ、オレは絶句したものの、椿姫の話をこの場にいる幹部にだけ話した。

「逃がしてくれるってんなら早く行こうぜ。オレは刑務所送りはごめんだ」
「でも何の容疑で捕まるんだよ…」
「ばかやろ、竜胆!ここも六本木も後一時間もすりゃ警察が押し掛けてくる。この前とは違うんだ。短時間で隠せるもんでもねえし、色んな犯罪の証拠が必ず見つかる。資金源にしてきた違法カジノや風俗店なんか、わんさかあるからなっ」
「あ、そっか…そりゃ…ヤベえな…」

竜胆もやっと状況を把握してきたのか、一気に顔が青ざめていく。我が弟ながら呑気なヤツ。

「ココ!必要なもん、全て持ったか?」
「当然っす。金にまつわるものは全部。あとは六本木に寄って向こうに隠してるデータを持ち出せば何とか…」
「分かった。オレも今から六本木にを迎えに行く。ココも一緒に来い」

椿姫の話を聞いて、オレはすぐにへメッセージを送っておいた。

――マイキーが死んだ。警察がそこへ行くから、オマエは必要なものだけ荷造りして待ってろ。

アイツも驚くだろうが今は詳しい説明をしているヒマはない。まずは警察の手が回らないうちに、国外へ逃げる。

「え、兄貴…も連れてくのかよ?関係ねえのに逃亡犯にされちゃうんじゃねえの」
「関係あんだろが。アイツも長いこと梵天にいたんだ。マイキーや幹部のオレ達をそばで見てきた。警察は何だかんだ理由をつけてを拘束するに決まってる。色々と訊かれるだろうし、最悪、捕まる可能性がある。置いていけねえ」
「そっか…そうだな…。じゃあ早く行こうぜ!」

竜胆はサッサと自分の部屋から私物を運び出し、すっかり逃げる気満々だ。オレも必要なものだけトランクに詰めると、鶴蝶と望月のところへ戻る。

「オマエらも準備できたか?」
「ああ、そのことだけどな。オレはこのまま中国に戻ってカーロンにかくまってもらう。そっちの方が何かと都合がいいだろ」

鶴蝶はそう言いながらニヤリと笑った。確かに今後のことを考えると、鶴蝶にはカーロンとの縁を繋いでおいてもらった方が何かといいかもしれない。

「オレも鶴蝶と中国に行くわ。一度、カーロンにも会ってみたかったしな」
「ああ、モッチーならチャイニーズマフィアの方がしっくりくるな。顔が」
「あぁ?!っそりゃ、どういう意味だ、蘭!」

顔を真っ赤にしながら怒鳴り出す望月を見てたら、こんな時なのに笑いがこみ上げてきた。何年もかけて築き上げてきた梵天の歴史が、こんなに呆気なく幕引きになるのかと思うと、マジで笑えてくる。
マイキーに何があったのかは分からねえし、死んだ姿を見たわけじゃねえから、オレ達は感傷すら湧いてこない。
マイキーがいないことを実感して寂しくなるのは、もう少し後のことだ。

「ったく…何だかんだオマエらとは付き合いも長くなったけど…まあ…今日まで楽しかったぜ」

望月がオレ達全員の顔を見渡して、一人感慨にふけっている。何を青春してんだか、と笑えば、また顔を真っ赤にして怒りだした。

「…やだなーモッチーさん。永遠の別れみたいに。ほとぼり冷めたら、また梵天復活しようぜ」
「オマエはとことん呑気だな、竜胆…」
「でもまあ。金ならあるんで、何でも作ろうと思えばできますよ」
「さすがココ!よ!金の亡者!」
「いや、それ褒めてないっすよね、モッチーさん」

こんな時に、いや。こんな時だからこそ、普段のノリでオレ達は別れた。望月は鶴蝶と関西空港へ、オレと竜胆、九井の三人は、隠し通路から外へ出て、太一の運転する車で六本木のマンションへと向かった。

「で…他の部下達はどーするよ、兄貴」
「知るか。すでに略奪行為に走ってた奴らばっかだし。どうせすぐ捕まるだろ。側近のヤツらにはココから後で金振り込ませる」

そう言ってシートに凭れ掛かると、深い溜息が漏れた。マイキーが死んだと連絡が入ってから約二時間の間に、色んなことが動きだし、ハッキリ言って未だに脳内はカオス状態だ。
だけど、ここにきて梵天解体という、非現実的な状況なのにも関わらず、オレはそれほど悲観的じゃなかった。

「ってか…三途は?まだ連絡つかねーの?ココ」
「はい…全然電話が繋がらないっす。まさか捕まったんじゃ…」
「いや、捕まったなら椿姫がそう言うはずだ。でも何も言ってなかったってことは、三途は逃げてんだろ、きっと。マイキーは一人殺して自分も自ら飛び降りたんだよな?」
「そうっすね。運転手の見た話じゃ、そうらしい。ただ三途もその場にいたけど気づけばいなくなってたって言ってたんで、多分逃げてると思うんすけど…」
「マイキーは死んでんじゃ、警察も三途に話を聞こうとするだろうし、そりゃ逃げるだろうな」
「でもこのまま置いてくわけには…」

九井は再びケータイで三途に電話をかけ始めた。いけ好かねえヤツだが、確かに見捨てるというのも、何となく後味が悪い。

「おい、ココ。留守電とメッセージで時間と場所を三途に伝えておけ。気づいて逃げる気があれば来るだろ」
「うっす」

九井はホっとしたように留守電とメッセージで、椿姫に言われた行き先を送っている。まあこれで来なければ後は知ったこっちゃない。

「蘭さん、もうすぐ着きます」
「おう」

太一が言いながらも、車はすぐに六本木のマンション地下駐車場へと滑り込む。そこにはいつもの部下達がきちんと見張りをしていた。こっちにまで連絡がいってなかったようだ。オレは竜胆にそいつらへの報告を任せると、すぐに九井と二人でエレベーターへ乗り込もうとした。その際、一人の部下から「ああ、蘭さん」と呼び止められた。

「先ほど三途さんが来たんですが、少し様子が変で――」
「は?三途?…ここに来たのかよ?」
「はい。30分ほど前に…」
「マジか…」

思わず九井と顔を見合わせた。

「アイツ…マイキーが死んだって時に何だってここへ…」
「持ち出したいものがあるか…或いは…」

と言いながら、九井はふとオレを見た。

…とか…」
「………っ?」

今度こそ、オレの顏から血の気が引いた。