六本木心中


※この先、死ネタが含まれます。



1.

万次郎が来た次の日の朝、彼がいないことに少し心配にはなったものの、リビングに行くと一枚のメモが置いてあった。

『またしばらくは戻らないから、オマエは自由に好きなことをしてろ。三途にいろいろ頼んであるから。
PS.ハンバーグ美味かった。今度はフツーの肉のもつくって』

そのメッセージを見て、豆腐ハンバーグだとバレてたんだ、と軽く吹き出した。

「…今度は、か。なら、また戻ってくるってことだよね…?」

口約束なんて確実なものは何一つない。だけど、人はそんな些細な言葉でも安心するものだ。わたしも例に洩れず、また次があるのだとホっとして、いつものように部屋の掃除から始めた。毎日してるおかげで殆どする意味もなさそうだけど、日々のルーティーンになっているから、やらないと気持ちが悪いのだ。

「自由に好きなこと…か」

万次郎はこの頃、よくそんなことを言ってくる。それは引きこもってばかりのわたしのことを心配してくれてるのかと思っていた。でも何か、もっと別の意味があるような気がする。

(何か…嫌なことが起こりそうな予感がするのは気のせいかな…)

ここ最近の不穏な空気を何となく肌で感じていたせいか、少しナーバスになってるのかもしれない。万次郎の言葉一つ一つに不安を感じてしまう。

(大丈夫…だよね?また戻ってくる…)

サンルームで洗い立てのシーツを干しながら、少し雲の多い空を見上げる。何となく気分が沈みがちなのは、梅雨時期らしい曇天のせいかもしれない。

「よし…と。次は何をしようかな」

軽く腕を伸ばしながら、気分を変えようと次の作業に移る。
この時は、まさか数時間後、あんなことが起きるとは全く想像もしていなかった。
一日をいつものように過ごしたわたしは、今夜も念の為、食材を用意して一応のメニューを考えた後で、自分の部屋へと戻った。夜になってからのんびりとお風呂に入り、出た後は冷えた缶ビールを飲んで寛ぐ。夜、働いていた時はプライベートでお酒を飲むのも嫌になり、一切家では飲まなくなっていたけど、ここへ来てからはすることもないので、また晩酌をするようになっていた。
テレビをつけて、特に面白くもないバラエティ番組を梯子しながら、もう一本缶ビールを開ける。以前はバラエティやドラマ、ニュースなども録画をして、常に情報を集めてはお客との会話のネタにしていた。夜の商売も情報は大事だ。特に上流階級の男達を相手にするには、会話についていけないと話にならない。政治関連のものから海外情勢、株価の流れに、はたまたその時に流行っているドラマやバラエティなどの会話が出ることもある。そういった話題についていけるよう、わたしは常にアンテナを張ってテレビを見ていた。
そのせいで、純粋に番組を楽しむということは出来なかったから、こうして意味もなくテレビを見ているというのが新鮮だ。何も考えず、ただ流して見ていられることの気楽さが、解放感を与えてくれる。

「うーん…この時間だと似たようなものしかやってないなぁ…」

リモコンでザッピングしながら、ビールを飲み干すと、軽く何か食べようかとキッチンに向かう。どうも一人だと、その辺は適当になってしまうのだ。

「軽くつまむもの作って、もう少し飲んじゃおうかなぁ」

冷蔵庫の中から野菜を取りだし、何を作ろうかと考え始めた時だった。テレビの音しかない室内に、ケータイの着信音がかすかに聞こえた気がした。

「…あれ。今…鳴った?」

一度、野菜を冷蔵庫へ戻してリビングに行くと、テーブルの上に置きっぱなしのスマホがチカチカ点滅している。このケータイは梵天の幹部しか知らないし、最近では万次郎か蘭さんからしか、ほぼかかってこない。すぐにパスワードを入れて解除すると、画面にはメッセージのアイコンが出ている。それも蘭さんからだった。
思わず笑みが零れて、すぐにメッセージを開く。だけど、文面を見た瞬間、微笑みが凍り付いた。

『マイキーが死んだ。警察がそこへ行くから、オマエは必要なものだけ荷造りして待ってろ』

視覚では入ってきているものの、理解するのに数秒かかった。

「万次郎が……死んだ…?何…それ…」

これだけの内容では何が起こってそうなったのか分からない。ただ言えるのは、蘭さんがこんな悪質な冗談を言う人じゃないということだ。

「……警察が…来る。に、荷造り…」

何度もメッセージを読み返しながら、足は勝手にウォークインクローゼットへ向かう。スマホを一旦、パンツのポケットへ突っ込み、すぐに大きなボストンバッグを棚から下ろす。そこへ無心で数着の着替えや下着を詰め始めた。その間も脳内は混乱したまま。
万次郎にいったい何があったのか。それを考えるだけで涙が溢れそうになった。

(ダメ…泣いてる場合じゃない…まだ何も聞いていないんだから…)

今、分かっていることは、もうすぐ警察がここへ来るということだ。それは梵天のトップが亡くなったと、警察にバレているということだろう。荷造りしておけということは、わたしを連れて逃げるということなのか、それとも、わたしだけ逃がすつもりで――?
一瞬、手が止まる。急に怖くなったのだ。いきなり一人で放り出されるのかと思うと、手が震えてくる。こんなにも弱くなっていたのかと、つい失笑が出た。

(ここに来るまではずっと一人だったでしょ…?また前に戻るだけだ)

そう、それにまだ何も聞いていない。蘭さん達がどうなるのかさえ。

(荷造りしておけってことは、蘭さんが迎えに来てくれるはず…)

まずは蘭さんと会うことだけを考えて、急いで出ていく準備をした。

――オレに何かあったら。
――その時が来れば分かる。

不意に万次郎に言われた言葉が過ぎった。あれはこのことだったんだと、くちびるを噛みしめる。
きっと万次郎は遅かれ早かれ、こうなることが分かっていたのかもしれない。

(いったい何が…)

一通り荷物を詰め終えると、上に一枚カーディガンを羽織る。この時期は暑い日もあるけど、夜は少し肌寒いのだ。どこへ行くのか、または連れて行かれるのかは分からないけど、薄着のままじゃない方がいい。そう判断して、余裕のある場所に秋物も少し詰めておく。

「あ…あとは…通帳と印鑑…!」

ボストンバッグを玄関に運びながら、ふと思い出した。
一応、前に使っていた口座を解約し、新しく作り直したものに、世話係としての給料が毎月のように振り込まれている。普段必要なものを買う際は必要経費を渡されている為、自分の給料は全くの手つかずだった。これから何があるか分からないのだから、持っていた方がいいと、すぐに寝室へ向かった。クローゼット内の奥にミニチェストがあり、そこの上段の中へ、通帳の類はきちんとしまってある。
それを取り出し、ハンドバッグへ入れると、他に貴重品はないかと探した。

「あ、パスポート…」

以前、万次郎が「今度も一緒にフィリピン行こう」と言い出し、念の為に先月更新しておいたのだ。車の免許を持たないわたしにとって、これは身分証代わりになるので、それは貴重品を入れたポーチの中へとしまっておく。

「他には…何かなかったっけ…」

動揺している気持ちを落ち着かせる為、声に出して忘れ物がないかをチェックする。元々わたし個人の持ち物は、ここへ来る前に処分してきたから殆どない。
必要なものだけ持ったことを確認してから、リビングに戻って気持ちを落ち着かせようと一杯だけ水を飲み干す。事情も何も分からないままじゃ、不安で仕方なかった。

(万次郎…どうして…?何があったの…)

ジっとしていても、やはり落ち着かない。
わたしは荷物を持つと廊下に出て、地下駐車場で蘭さんを待つことにした。でもその時――ガタンっという音が、万次郎の部屋の方から聞こえた気がして、ハッと息を飲む。

「…万次郎?」

隣にある彼の部屋の合鍵は、万次郎本人と春千夜、そしてわたししか持っていない。

(もしかして…死んだなんて何かの間違いだったんじゃ…)

バッグを部屋の前に置くと、わたしはすぐに万次郎の部屋のドアを開けた。でもそこに彼のビーチサンダルはない。いや、それだけじゃなく靴が何もなかった。なのに部屋の奥からは人の気配がする。

「…春千夜?」

かすかに彼のつけている香水がした気がして、わたしは靴を脱いで中へと入った。でも薄暗いリビングの明かりをつけて驚いた。日中、綺麗に片付けたはずが、あちこちに物が散乱している。

「え…何で…」

リビングの棚や、隣接している和室の押し入れの中の物まで外へ出され、まるで泥棒に入られたみたいになっている。

「…何でこんな…」

まるで何かを家探ししたみたいだ。唖然としたまま散らかった室内を見渡していると、ガタッという物音が寝室の方から聞こえてきた。

「…誰?万次郎…?」

死んだなんて間違いであって欲しい。そう思いながら彼の名前を呼ぶ。だけど返事はなく、やはりガタガタと物音は続いている。
恐る恐る寝室を覗くと、中は電気がついていた。そして物音はウォークインクローゼットの中から聞こえる。

「春千夜…そこにいるの?」

思い切ってクローゼットの前まで行くと、中を覗き込む。するとそこには確かに春千夜がいた。でもわたしに気づくことなく、一心不乱に、中にあるチェストの中を漁っている。そこには万次郎の私物が入っているというので、わたしは開けたことがない。

「…春千夜、何してるの…?」
「―――っ?」

本当に気づいていなかったようで、もう一度その名を呼ぶと、春千夜は弾かれたように振り向いた。

「……?」

春千夜が振り向いた瞬間、わたしは息を飲んだ。いつもはキッチリと着こなしているスーツは乱れ、ネクタイもしていない。綺麗に整えられていたはずの髪も乱れて、まるで別人のように見えた。
長いまつ毛に覆われた大きな瞳は、どこか充血したように血走っている。

「ど…どうしたの…春千夜…何があったの?万次郎は――」
「死ぬわけねーんだ…」
「え…?」
「あのマイキーが…王が…オレを置いて死ぬはずが…」
「は…春千夜…?」

彼はどこか様子がおかしかった。もしかしたら薬を飲んでいるのかもしれない。
春千夜は再びクローゼットを開けていくと、中にある物を手にして「あった…」と呟いた。

「は…春千夜…それ…」

彼が手にしていたのは、わたしも初めて見る黒光りした拳銃だった。

「な…何してるの…春千夜…それは…?」
「…オレのは途中で落としちまったから…」
「え?」
「……これで…追えば間に合う」
「春千夜…何言ってるの…?」

一人でブツブツと言い出した春千夜は、どこか普通じゃない。わたしは彼に歩み寄ると「春千夜…!」と少し大きな声で名前を呼んだ。すると春千夜がビクリと肩を揺らし、ゆっくりとわたしへ視線を向ける。

……?」
「しっかりして!ねえ、何があったの?何で銃なんか――」
「…放せっ!今なら…まだ間に合う…っ」
「きゃっ…」

思い切り手を振り払われ、壁に激突したわたしは、背中の痛みでその場へ崩れ落ちた。でもそのことで春千夜が我に返ったように息を飲み、目の前へしゃがんだ。

「おい、…大丈夫か…っ?」
「っつぅ…だ、大丈夫…」

背中をさすりつつ、どうにか体を起こすと、不安定に揺れる春千夜の瞳を見上げた。同時に、彼のこの姿を見た瞬間、万次郎の死が事実なんだと頭が理解する。あの春千代がここまで動揺しているのは、それ以外に考えられないからだ。

「…春千夜…万次郎は…本当に…死んだのね…?」
「……死んでねえっ!まだ…まだすぐそばにいる…だから――」

と、そこまで言って、春千夜もその場に座り込むと、手にした拳銃を強く握りしめている。
髪も、服も乱して項垂れた春千夜は、どこか置いてきぼりを喰らった子供のように見えた。

「しっかりして…梵天のN02でしょ?何があったは知らないけど…こういう時は春千夜が皆を引っ張っていかないと…」
「………」

わたしの言葉に反応した春千夜は、ふと顔を上げてわたしを見つめた。大きな瞳は虚ろではあったものの、さっきよりはだいぶ感情の色が見えている。

「オマエこそ…まだこんなところにいたのか…サッサと出て行かねえとパクられんぞ…」
「…やっぱり…警察がここへ来るのは本当なんだね」
「…誰かに聞いたのか」
「さっき蘭さんから簡単なメッセージが…。今から来てくれると思うから、春千夜も一緒に――」

そう言って掴んだ手を振り払われた。

「行くならオマエらだけで行け」
「な…春千夜は…?」
「オレは…後始末をしなくちゃならねえ。オマエの言ったように、オレは梵天のNo2だからな…」
「で、でも捕まっちゃうでしょ…っ?」
「そんなヘマするかよ…。それにここの部屋には処分してえもんがあんだよ」

少し正気に戻ったのか、春千夜がフラフラと立ち上がり、先ほど漁っていたチェストから、万次郎のものらしき荷物を出して、近くにあったバッグへ詰め始めた。でも、ふと手を止めると、中から手のひらサイズほどのポーチを取り出し、それをわたしの方へ差し出した。

「これはマイキーからオマエにだ」
「…え…これは…?」
「海外の銀行にプールしてある金だよ」
「…えっ?」

その言葉に驚いて中を確認すると、確かにあちこちの国の物と思われるカードやIDのようなものが入っている。

「オレに何かあった時はこれをオマエに渡してくれって言われてる。それはマイキーが他人名義で個人的に所有してたもんだ」
「な…何で…わたしに…?」
「さあな…感謝してんだろ、オマエに」

春千夜は深い息を吐いて軽く頭を振ると、改めてクローゼットの中の物を見渡した。そこには万次郎個人の私物が少ないけれど収められている。

「…マイキーのもんを警察のヤツらに荒らされるのも押収されるのもごめんだ…これはオレが処分する。オマエはそれ持って早く行け」

春千夜はぐいっとわたしを押し出すと、中の荷物を一つにまとめだした。どうやら本気で万次郎の痕跡を消したいらしい。

「そ、その後は…ちゃんと春千夜も逃げるよね…?」
「………」

その問いには何も応えない。不安になって、もう一度声をかけようとした時、玄関の方から「…!」という蘭さんの声が聞こえてきた。

「こっちにいんのか?!」
「蘭さん…っ」

思わずその名を呼ぶと、蘭さんが焦ったように寝室へ飛び込んできた。後ろにはココも立っている。そして二人とも、春千夜を見た瞬間、「何してんだ、テメェは…」と溜息を吐いた。

「いったい何があったんだよ!ちゃんと説明しろ、三途!」
「……」

蘭さんが怒ったように春千夜へ詰め寄ると、彼はもう一度、疲れ切ったように溜息を吐き、一言「花垣が現れた…」と呟いた。その名に蘭さんが小さく息を飲む気配がして、ココも僅かに青ざめたように見える。でもわたしにはその名前に聞き覚えがない。

「じゃあ…マイキーが殺した相手ってのは…」
「花垣だ…アイツが…アイツが今さらマイキーに過去なんかちらつかせるからあんなことに…!」

春千夜は怒りを見せて、思いきり壁を蹴った。

「過去と決別して何もかも上手くいってたはずなのに…」

最後は独り言のように呟き、ふと春千夜は蘭さんの方へ振り向くと「あとはオマエに任せる。を連れてここから逃げろ」と言った。

「…春千夜…?」
「オマエは自由だ…好きなヤツと好きなとこに行け」
「……っ」
「マイキーから少し聞いてる。まあ…お似合いなんじゃねえの?オマエら」
「うるせえよ…」

苦笑気味に言う春千夜に、蘭さんが僅かに目を細めている。でもあたしは春千夜がどうする気なのか心配だった。今は冷静さを取り戻したように見えているけど、彼の心は今も万次郎が占めている気がする。このまま一人にしておくことは出来ない。

「…春千夜、一緒に行くでしょ…?」

わたしの問いに、春千夜は軽く笑うと、静かに首を振った。

「オレは……これからもずっとマイキーと一緒だ」
「それって…ダメだよ…春千夜!ねえ、一緒に――」
「……いくらの頼みでもきけねえわ」
「……っ?」
「こんな生き方してなけりゃ…オレもまともに誰かを好きになって幸せになれたのか…?」

どこか遠くを見ながら、春千夜がポツリと言った。その横顔が、凄く寂しそうに見えて涙が溢れてくる。

「まだ…間に合うよ…春千夜…」
「はは……無理だろ。でもまあ……オマエのことはちょっと好きだったわ」
「春千夜――」
「じゃあな。は幸せになれよ」


春千夜はそれだけ言うと、蘭さんに「早く連れて行け」と言って、クローゼットの扉を閉めた。

「春千夜…!!」
「ダメだ、!行くぞ!」
「や…ダメ…春千夜――!」

必死に叫んでも、春千夜は二度と応えなかった。
そして蘭さんに廊下へ連れだされ、強引にエレベーターへ乗せられる。直後――部屋の方から一発の銃声音が聞こえて、わたしの頭は真っ白になった。




2.


「…やだ…春千夜!」
「ダメだ!もう…手遅れだ!」

銃声を聞いて戻ろうとするに言った。さっき、三途の様子を見て理解した。アイツは梵天と…いや、マイキーと一緒に心中する気だと。
は薬のせいでおかしくなってるだけだと言っていたが、あの時の三途はむしろ冷静だった。ラリって言ってるわけじゃない。きちんとマイキーの後始末をつけてから、自らの命さえ消したのだ。

「で、でもまだ助かるかも――」

は混乱してるんだろう。銃声を聞いてもなお、三途のもとへ行こうとエレベーターを降りようとする。だがその時、九井が「煙が出てる!」と叫んだ。
見ればマイキーの部屋のドアから、黒煙がかすかに漏れ出てきている。どうやら三途は自分を撃つ前に、マイキーの全ての痕跡を消すため、自ら部屋に火を放ったようだ。
そしてそれを見たはますますパニックになった。

「ダメ…春千夜を助けないと――」
「行かせねえ!」
「……蘭さん…?」
「ここいればオマエも捕まる。オマエは梵天と心中する気か!」

オレが怒鳴ると、はハッとしたように息を飲み、ゆっくりとオレを見上げる。その瞳には涙が溢れていた。

「オマエはオレと一緒に来い。これは…最後の命令だ。幹部のいうことは絶対。そう言っただろ」
「……蘭さん…」
「行くぞ」

オレが言うと、静かにエレベーターの扉が閉まる。
はもう、何も反論しなかった。ただ黙って俯いたまま、声を殺して泣いている。それに気づいたオレは、かすかに震えているの肩を抱き寄せた。
分かっている。が悲しんでいるのは、情の深い女だからだ。
無理やり世話係にされ、逆らうことも出来ずに体まで差し出さなくちゃいけなかった環境で、普通なら憎んでもいいはずなのに、はマイキーや三途に情を移し、その死を心から嘆いている。
お人よしにもほどがある。そう思うのに、オレは彼女のそんな優しいところも好きだった。今だけは、他の男の為に泣きじゃくる彼女を許してやろうと思えるくらいに――。


「蘭さん…!急いで下さい!すぐそこまでパトカー来てます!」
「兄貴!早く!」

、ココと地下へ向かうと、太一と竜胆がそれぞれ運転席と助手席の窓から顔を出して叫んでいる。耳をすませば確かにサイレンの音が近づいて来てるのが分かった。

「太一!こっちから出るぞ」

の荷物をトランクに押し込むと、彼女を連れて後部座席へ乗り込む。九井も一緒に隣へ滑り込むと、太一はすぐにアクセルを踏んだ。

「右奥の通路を真っすぐいけ。裏門に出る」
「はい!」

ここの地下駐車場はもう一つ予備の出口がある。表通りと繋がっていないことで、不便だからと普段は殆ど使われていないが、正面からくるパトカーとは真逆の道へ出られる道だ。
太一は言われた通り、裏出口を抜けると、狭い住宅街の方へと車を走らせる。このまま椿姫に言われた空港まで、一気に移動すれば、警察の包囲網も間に合わないはずだ。

「あ~…オレ達の城が燃えていく…」

ふと、窓の外を見ていた竜胆が呟く。視線を後ろに向ければ、最上階の窓から炎と黒煙、両方噴き出すのが見えた。

「チッ…三途のヤツ、格好つけやがって…」
「潔い最後でしたね…」
「何か…信じられねえな…数時間の間にこんな…」

九井や竜胆が溜息交じりで呟いた。
オレ達も、何だかんだ三途とは長い付き合いだからこそ、何かしら胸にこみ上げるものはある。
結局、三途もマイキーという存在の呪縛から解き放たれることなく、一緒に闇へと堕ちていくことを選んだってことだ。

「さっき…三途のヤツ、花垣が来たって言ってたっスね…。マイキーが唯一恐れてるって前に言ってたような…」
「ああ…詳しいことは知らねえが…マイキーはあの男のいったい何を恐れてたんだろうな…」

以前、マイキーが酔っ払ってチラっと話してくれたことがある。それは東卍時代の仲間で、マイキーの実の兄貴と似ているという男の話だ。オレもその存在はもちろん知っているが、ただのケンカの弱い情けない男に見えた。でもマイキーがあれほど気に掛ける存在なんだから、きっと見た目だけじゃ分からない何かを持っていたんだろう。

――アイツは…未来からオレを止めに来る…。その時が来たらオレはきっとアイツを…

そう言えば、マイキーはその時おかしなことを言ってたな、とふと思い出した。
過去からじゃなく、未来から。
あの時はオレも酔っ払ってたし、マイキーも間違えただけだろうと、あまり気にしていなかったが、今回のことと何か関係があるんだろうか。

("その時はきっとアイツを"…か。もしかしたら…マイキーは花垣を恐れていたんじゃなく、花垣を殺してしまうかもしれない自分を恐れていたのかもしれねえな…)

マイキーも三途もいない今、真相は闇の中だ。
でも、それを暴こうとは思わなかった。
梵天という組織は炎の中に消えて、オレ達はまた別の未来を探さなくちゃいけない。

「蘭さん、空港が見えてきました」

太一が運転席から言った。

「ああ。そのまま奥の方で止めろ」
「分かりました」

相変わらず気持ちのいい返事をするやつだと苦笑しつつ、そう言えばコイツは、逃げ出しもせず最後まできっちりと仕事をしてくれた。ただのチンピラだったが、一番忠誠心が強かった男だろう。
太一は空港前に車を横づけすると、すぐに運転席から下りてドアを開けてくれた。

「太一」
「はいっ」

茫然としているを支えて車を下りると、オレは太一に声をかけた。

「オマエはこれから、どうすんだ?」
「え…オレ…ですか」
「また別の組織に入るのかよ」

こういう生き方をしてきた人間には、こういう生き方しかできない。でも太一はまだ染まってるようにも見えなかった。

「えっと…オレ、田舎に帰ろうと思います」
「田舎?」
「はい。オレんち、茨城なんすけど…家出同然で東京に出てきたんで…。でも蘭さんたちと仕事してたら根性ついて、何でも出来そうな気がして来たんですよね」
「……それってオレがこき使ったって言いてえの?」
「えっ?い、いえ、そういう意味じゃ!」

オレがわざと目を細めると、太一は青い顔で首を振っている。その顔を見てたら我慢できずに、思い切り吹き出した。

「冗談だよ、バカ。まあ、オマエはよくやってくれたしな。今までさんきゅーな」
「え、いえ!蘭さんにそう言って頂けて光栄です…!」

最後まで直立不動の太一に笑うと、オレはポケットの中から通帳と印鑑とカードを取り出し、それを太一へ手渡した。

「え…これ…」
「ああ、それオレのお小遣い用の口座。もちろん他人名義だけどなー。それ、まだ金入ってるしオマエにやるわ」
「えっ?!い、いい頂けません、そんなっ」
「いいんだよ。退職金と思って受け取っとけ。田舎に帰って仕事すんのもいいけどな。まあ、軌道に乗るまで色々と入用だろ」
「…蘭さん…」

太一は釣り目をウルウルさせてオレを見上げている。何か野良犬に懐かれた気分になるのは何なんだろうな。

「んじゃーオレ達は行くけど、オマエはこのままその車に乗って田舎に帰れ」
「えぇっ。くく車って、これ…ベンツっすけど…」
「どうせ誰も乗れねえだろ?警察に押収されるくらいならオマエがもらっとけよ」
「ら…蘭さん…っ気前良すぎっす!」

抱き着かれそうな勢いの太一を無理やり引きはがし、オレはの手を引いて、プライベートジェットのあるエリアへ歩き出した。

「ああ、それ、暗証番号、オレの誕生日だから。知らなきゃ自分で調べろ」
「りょ、了解っす!六本木のカリスマで検索かければウィキペディアに出てくるんで!」
「………マジで?」

満面の笑みで手を振ってくる太一の言葉に唖然としていると、後ろを歩く竜胆が「ったく…」と溜息を吐いている。

「暗証番号、自分の誕生日にすんのやめろって言ったのに」
「いや一番忘れなくね?つーか口座多すぎて、いちいち暗証番号変えてたら、マジで忘れるからな?」
「はあ…せめて自分以外の誕生日にしろよ。とかさ」
「………竜胆」
「あ?」
「オレ…やべえことに気づいたわ」
「は?」
の誕生日、知らねえかも…」
「はぁ?」

地味にショックを受けていると、手を繋いでいたが小さく吹き出した。ずっと心ここにあらずだったけど、少しは落ち着いてきたようだ。

「やっと笑ったなー?」
「…え?」
「他の男のことで落ち込んでるオマエ見て、オレが何とも思わないとでも思ったわけ?」
「………っ」

わざとジトっとした目で見下ろすと、目に見えては慌て出した。

「ご…ごめんなさい…まだ…心の整理がつかなくて…」
「バーカ。冗談だよ…。オレはのそういう情の深いところが結構気に入ってんの。まあ、それもオレ限定にしてくれると、なおいいけど」
「…蘭さん…」
「んな顔すんな。皆、それぞれ自ら選んだ結末だ。梵天作った時からある程度の覚悟はしてる。そして…オレ達が選んだ未来はアレだろ?」

そう言って指をさした先には、椿姫のプライベートジェット機があり、堂々ライトに照らされて、オレ達を出迎えている。

「あの椿姫がここまでサービスしてくれるっつーんだし、ここからは気持ち切り替えていくぞ」
「オレ、一番乗りなー!」
「あ、竜胆、テメェ、兄ちゃん差し置いて先に乗るとかねーから!」
「早いもの勝ちっすよ」
「ココ、オマエもかよっ」

ガキみたいにはしゃいで走って行く竜胆と九井を見て、もやっと自然な笑みを見せてくれた。

「ったく、アイツら…小学生かよ…」
「…でも…男の人って何歳になっても少年の心を持ってるって言うし…たまには子供に戻ってはしゃぐのもいいのかな…。こんな時だから…なおさら」
「少年ねえ…」

相変わらず、ポジティブにとってくれるには苦笑しか出ない。

「何で…笑うの?」
「いや…いい女だなと思って」
「………」

オレの一言にすぐ頬を染めるの肩を抱きよせて、素早く唇を重ねる。はかなり驚いたのか、目をまん丸にしてオレを見上げてきた。

「こ、ここ空港…」
「いーだろ、別に。やっとオレだけのもんになったんだし、堂々とキスくらいしても」
「……蘭さん…」
が自由になった時は、オレだけの女にするって決めてたしな」

その一言で、の頬に涙が一粒零れ落ちた。




3.


「ああ、そこにココ個人で所有してる別荘があんだよ。だからしばらくはニュージーランドで羊と戯れることにするわ。ああ…。そっちは?…うん」

蘭さんは後ろの席でさっきから椿姫さんと今後の相談をしてるようだ。離陸前、行き先は蘭さんの言ったように、ココが所有してる別荘があるということで、ニュージーランドに決定した。本当にその場で決めたから、飛行機の準備に少し時間がかかったけど、先ほど無事に椿姫さんのプライベートジェットは離陸をした。
さっきの今で、海外に向かっているなんて信じられず、実感もまだ湧いていない。
本当に、梵天という巨大な組織がなくなってしまうんだということも、万次郎や春千夜が、すでにこの世にいないということも、未だに悪い夢なんじゃないかとさえ思ってしまう。

――は幸せになれよ。

春千夜に言われた言葉が胸を痛くさせる。もし、生きる場所が表の世界だったなら、春千夜はもっと幸せになれた人だと思うのに。

――は自由に、好きに生きろ。

万次郎だって、何故あんなに心を病んでしまったのかは分からない。だけど、たかが世話係の女を気遣えるくらい、優しいところもあった。もし生きる世界が違ったら、日の当たる場所で笑っていられる人だと思う。

…大丈夫か?」
「ほら、カフェオレ」
「…竜胆、ココ…ありがとう」

ココがキッチンでカフェオレを作ってくれたらしい。カップを受けとると、その温かさにホっと息をついた。
この飛行機にはキッチンやバスルーム、ベッドルームなどが完備されていて、さすが椿姫さんだと感激してしまった。プライベートジェットなんて乗る機会はそうそうないから、乗り込んだ時はわたしも竜胆やココみたいに、ついはしゃいで蘭さんに笑われてしまった。

「少しは元気になった?」

コの字型のソファに並んで座った二人は、わたしの顔を心配そうに見ている。さっき取り乱してしまったからかもしれない。
あの場に春千夜を残していくのがツラかった。だけど、春千夜からすれば、万次郎の元へ早く行きたかったのかもしれない。
まだ間に合う――。動揺しながらも、春千夜がそう言っていたのを思い出す。

「わたしより…皆の方がツラいんじゃない?付き合いも長かったんでしょ…?」
「そりゃ、まあ…ね。でも何か…まだピンときてねーんだよなァ…。あのマイキーがもういないなんて。春千夜もさ。あんな横暴な男がそう簡単にくたばるか?くらい思っちまうわ」
「…そうっスね。何か…そのうち"テメェら、何オレを置いてってんだ!"って怒鳴りこんできそうで」
「あー分かる!あの二人、意外と似てんだよな、理不尽なとことか」

二人はそう言いながら普段の春千夜や万次郎を思い出して笑っている。きっと今までそんなことが沢山あったんだろうなと感じた。
わたしの知らない仲間同士の絆が、そこにはあるんだろう。
仲がいいとか悪いとかの話ではなく。一緒に過ごした時間の中に、彼らにしか分からない思い出があるはずだ。

「しっかしココ、いつの間に別荘買ってたんだよ」
「去年っす。なかなかいい物件が売りに出てて、その時なら安く手に入るって言うし、ニュージーランドは気候もいいし、将来住んでみるのも悪くねえかなぁと」
「マジか。あーでも前に一回兄貴と行ったことあるけど、マジで飯も美味いし、温泉あるし、空気綺麗だしで、帰りたくねえって思ったわ。兄貴も現地の女といい感じになって――」
 「んっん!」
「「―――ッ」」

二人が楽しそうに話し始めた時、いつの間に電話を終えたのか、後ろに蘭さんが立っていた。しかも何気に口元が引きつっている。

「あ…兄貴…」
「竜胆、今ちょーっと余計なこと言いかけなかったか?」
「え?あ!いや、あれはさぁー。旅の思い出話の一つじゃん…」
「それを何での前で言うんだよ」
「あ…」

指摘され、竜胆が気まずそうな顔でわたしを見る。まあ、少し気になって続きが聞きたいなあと思ったけど、蘭さんは不服そうに竜胆の後頭部へゲンコツを落とした。

「何も殴らなくても…」
「うるせえ。オマエら、あっち行ってろ。余計なこと言うから」
「はいはい…」

シッシと二人を奥へ追いやると、竜胆とココはバーカウンターの方へ行ってお酒を飲みだした。蘭さんはそれを見ながら溜息を吐くと、不意にわたしの方へ引きつった笑顔を向けた。

も何か飲む?」
「それより…現地の女の人とどうなったの?」

ちょっと意地悪したくなって尋ねると、蘭さんは更に顔を引きつらせ、徐に目を細めた。どうやら痛いところをついてしまったらしい。

「……オマエ、それ聞きたいわけ」
「…実はあんまり聞きたくないかも」

そう言って笑うと、蘭さんも釣られたように吹き出した。

「んなの七年も前の話だよ。梵天が出来る前だしな」
「そっか…でもわたしの知らない蘭さんの時間もあるんだよなぁと思ったら、ちょっとだけ寂しくなったかな」
「…んなこと言ったらオレもそーだろ。オレの知らない頃のの時間なんて想像したくねーわ」

蘭さんは苦笑気味に言いながら、そっとわたしの肩を抱きよせて、髪にキスを落とした。

「…少しは…落ち着いたか…?」
「……うん。皆のおかげ。明るく振る舞ってくれるから。きっとツラいはずなのに」
「あー…きっとアイツらもまだピンときてねーんだよ…。まだマイキーのこと聞いてから数時間しか経ってねえし」
「…そう、だよね…」

本当は、春千夜があの場で終わらせようとした時、一瞬だけ皆で心中するのもいいかもしれないと、ふと思った。
過去に人を殺して、その罪を一生背負って生きていくと思っていたから、それならそれで相応しい最期だと思ってしまった。

「何、考えてんの…?」

わたしの頭を抱き寄せ、蘭さんが顔を覗き込んで来た。その綺麗なバイオレットの虹彩を見ているだけで、幸せな気持ちになる。

「…蘭さんとなら…心中しても良かったなって」

少しだけ本音を吐露すると、蘭さんの瞳がかすかに揺れる。だけど、すぐに鼻をぎゅっと摘まれた。

「バーカ。オレは…オマエと生きていきたいんだよ。これからもずっと。だから死ぬことなんて考えんな」
「…うん…そうだね」
「もう誰にも遠慮はするつもりねえし、も覚悟しとけよ」
「…え?」
「今まで我慢してきた分、思い切り愛してやるから」

だから――ずっとオレのそばで生きろ。

蘭さんはそう言ってくちびるへ優しいキスを一つ落とす。
蘭さんの言う通り、すぐそばにいたのに、遠回りをして、やっとこの腕の中に辿り着いた。もう誰にも遠慮をすることはない。
あんなにこの世界で生きることが怖かったのに、今は蘭さんがいれば、何も怖くないから。
わたしは、これからも――あなたと。


| ATOGAKI |

六本木心中、遂に終わりを迎えましたー!
な、長かった…笑。50話超えしたのは初めてです。過去作品でも長くて40話ちょいくらいだったような笑。
当初こんな長くなるとかは考えていませんでしたが、合間に色々なキャラと絡めたり、キャラ同士の話を書くのも好きで詰め込み過ぎました笑
過去に罪を犯し、孤独に生きることを選んだヒロインを、何故か反社の皆さんが色々な愛し方で孤独から救ってくれるというお話笑。 原作見る限り梵天はヤバい組織なので、こんなことしてたら面白そうって思いながら悪いシーン書くの楽しかったです笑
どっちかと言うと甘いシーン書くより悪いシーン書く方が好きなのかもしれません笑
ラスト、梵天軸を書くなら避けては通れないマイキーとタケミチの再会。原作ではタケミチの意識が過去へ戻って助かってますが、その後はどうなったのか、という世界を想像で書いてみたので、結局死ネタになってしまいました。
前回から今回のラストはメンバーそれぞれバラバラにはなるんですけど、きっと落ち着いたら蘭ちゃんと鶴蝶、モッチーなどで何かをやりそうな予感があったので、あんな感じで終わらせました。
あまり逆ハーっぽくはならなかったんですが、この作品がキッカケでメッセ―ジを頂けたりして、本当に思い出深いものになりました。
長く書きすぎたせいか終わってホっとした半面、何か寂しい気もしてますが、最後までお付き合い下さった方がいましたら本当にありがとう御座います!
また別の作品で梵天や、逆ハー的なお話を描けたらいいなと思います。
拙い作品ではありますが、これにて六本木心中、完結で御座います!本当にありがとう御座いました。

By.HANAZO....23/10/10.