不毛な戦い




「えっと…というわけでチョコ、食べていいですか」

きちんと悩みも話したところで、もういいだろうとテーブルの上にあるチョコへ手を伸ばす。すると再び手首をガシッと掴まれギョっとした。

「そーじゃねえだろ?」
「え、でもちゃんと悩みは話しましたけど…」

むっとしてると、蘭さんはニヤリと笑ってわたしのチョコを掻っ攫っていく。

が食うのはこっち」

またしてもチョコを、今度は口の中へ入れてそのままわたしのくちびるを塞ぐと、さっきとは逆に舌を使ってそれを押し込んで来た。

「ん…ぅ」

ついでに柔らかい舌まで絡ませ、わたしの舌を味わっていく念の入れよう。チョコが甘いのか、蘭さんのチューが甘いのか、もう色んなものが綯い交ぜ状態だ。くちびるを解放された時、チョコはとっくに溶けてしまっていた。

「美味しかった?」

ペロリと自分のくちびるを舐めながら、蘭さんが笑う。わたしの呼吸を乱すだけ乱しておいて、本人はケロっとしてるんだから嫌になる。

「そんなとろんとした目で見ちゃって、オレのこと誘ってんの」
「…は?」
「彼氏なんか作るより、欲求不満ならオレがいつでも抱いてやるけど?」
 「そ、そんなこと言ってな――」
「あー!兄貴ずりぃ!オレも抱けるし、いつでも言えよ」
 「い、いや、いつでもと言われましても――」
「あ?なに言ってんの、竜胆。はオレのもんだし」
「いや、ちげーだろ」
「あ、あのぅ…わたしは誰のものでもありません」

堂々とセクハラ発言をかましたあげく、本人の意向を全くスルーの兄弟に呆れて口を挟むと、ふたりの不満顔がわたしに向けられた。

「オマエはどっち選ぶんだよ」
「え?!どどどどっち…って…」
「そーだなー。、オレと兄貴、どっちに抱かれたい?」
「あ、あの…わたしが言ったこと聞いてました…?」
「「いーから答えろ」」

綺麗な顔の男ふたりに詰め寄られる迫力がハンパない。ジリジリと迫られ、わたしもさすがにビビってきた。

「あ、あの…わたしちょっとおトイレに…ひゃぁっ」

立ち上がろうとした途端、腰に腕が巻き付いて強制的に引き戻された。蘭さんの腕長すぎだし、そもそもこの人、手足が長すぎだからモデルやればいいのにってこんな時にそんなどうでもいいことを考える。結果、逃げ出すタイミングを失って、元通りの状況が出来上がった。

「早く答えろよ。オレと竜胆、どっちに抱かれたいんだ、オマエは」
「え、あの…その二択…ですか」
「あ?他に誰かいんの。殺すよ、ソイツ」

うわ、蘭さん目がマジですね。と言いかけて口をつぐむ。仲間意識なのか、それとも庇護欲が強いのか、どっちなんだろうか。

、そろそろ選んで。オレと兄貴」
「え、選ぶ…って言われても…」

どっちに抱かれたいか。いや、そういう対象から外してた上司だし、そう訊かれても困ってしまう。あげくわたしがモタモタしているせいで、再び不毛な兄弟ゲンカが再燃した。

「やっぱオレだろ?が抱かれたいのは」
「は?オレだろ。オレの方が歳もちけーし」
「あの」

と、そこで口を挟もうとしたら、一瞬だけふたりの視線がわたしへ向く。でもそれはホントに一瞬だった。

「オレだってと歳の差三つだけだわ」
「でも兄貴、あちこちに女いんじゃん。その中にも入れるとかちがくね?」
「ハァ?そんなこと今ここで言う?竜胆ってそーいうとこあるよな、前から」
「事実を言ってるだけだろ。オレは一途だし」
「どの口が言ってんだ、オマエ。竜胆だってこの前、バーで女引っ掛けてたじゃん」
「うわ、そっちこそ今ここで言う?」
「あ?オマエが先に言いだしたんだろーが」
「オレは兄貴ほど遊んでねーし」
 「あの…」
「オレも最近遊んでねーわ。だいたいはオレの方に懐いてるから。最初、にチューされたのもオレだし」
「ハァ?それこそ勘違いだって。先にチューされたのオレだから」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃねーし」
「あの!」

延々と続きそうな暴露試合に困り果て、思い切って大きな声を出す。ふたりはやっとコッチを見てくれた。ここはサッサと答えて、早々に終わらせてしまおう。じゃないとチョコも溶けちゃうし、ドンペリの炭酸がどんどん抜けていってしまう。

「すみません。どっちも嫌です」
「「……は?」」

ハッキリ正直に答えたのに、ふたりの顏が見たこともない表情になった。

「蘭さんとも竜胆さんともエッチはしません。あとチューしたのはどっちも同じ日です。酔っ払ってたし、どうしてもあのバッグが欲しかったんです。すみません」
「「………(バッグ?)」」

思い切って答えて頭を下げた。でもふたりは何をバカな、と言いたげに驚愕の表情でわたしを見ている。そしてすぐ何かに気づいたのか、互いに顔を見合わせた。

「え、もしかして竜胆もあのバッグ買ってやったのかよ」
「は?オレも…ってことは……兄貴も…?」
「買った。エルメスの限定バッグ。320万のやつ」
「…マジ?オレもエルメスの限定バッグで320万の…」

と言いながら、ふたりの視線はデスクに乗せられているわたしのバッグへ向いている。
むむ…これはマズいぞ。酔っ払ってたから、ふたりのうち、どっちかが買ってくれればいいなぁのノリでおねだりしちゃったんだっけ。でも結局「竜胆には」「兄貴には」「内緒な」って言って、ふたりが買ってくれたのは誤算だった。まさかの高級バッグが二つも届いてしまって、だから一つは――。

…まさかと思うけど…」
「同じバッグ、オレと兄貴にねだった…とか…?」
「ん?何のことですか?」

ニッコリ微笑んですっとぼけたけど、このふたりを誤魔化すのは至難の業だ。どうしよう。今度こそ本気で東京湾に沈められちゃうかも…と内心焦っていると、予想外の質問をされた。

「なるほどな…で?どっちを売ったんだよ」
「え?」
「あーそうだ。オレがあげたバッグと兄貴があげたバッグ、どっち売ったんだよ、
「えーと…」

売ったなんて一言も言ってないのに、ふたりはわたしがバッグの一つを売ったと思ってるらしい。――売ったけど。

「答えろよ。どっちの売った?」
「え、いや…どっち…って言われても…」

まさか今度はそこの戦いになるとはわたしも思わない。てっきりブチ切れされるかと思ってたのに、そんなことまで競う対象にするなんて、さすが灰谷兄弟だ。だいたい同じバッグなんだから、どっちなんて分かるはずがない。互いにプレゼントしたのがバレないようにと家に郵送されてきたし、開けてしまえばもうどっちがどっちから送られて来たのかすら分からなくなったんだから当たり前だ。

「ごめんなさい。わかりません」

再び正直に答えて頭を下げる。ふたりはポカンとして、しばし沈黙が続く。それが少しだけ怖い。でもその沈黙を破ったのは蘭さんだった。

「…そーか。は気を遣ってんだな」
「……はい?」
「あーなるほどね…。どっちか言ったらオレか兄貴が傷つくと思ってくれたんだ。優しいじゃん」
「い、いえ。ほんとに分かんなくて――」
「まあ、今回はそのの優しさに免じて許してやるか」
「そーだな」

よく分からないけど許されたらしい。何を言ってるんだと思ったものの、今の話でさっきのどっちに抱かれたいか話もなくなったようだしホっと胸を撫でおろす。

「じゃあ、そろそろチョコを頂いてわたしは帰ります」

サっとテーブルの上の箱を手に取り、立ち上がった。今日は高校の時の友達が彼氏がいないわたしの為にIT会社の社長たちと飲み会をセッティングしてくれたのだ。さっき彼氏を作るのを却下されたけど、探すのやめる気はさらさらない。この前バーでナンパしてきた人は不発だったし、今夜こそいい男を見つけたい。そう思いながら帰る用意をしていると、蘭さんが「あーそうだ」と声をかけて来た。また引き留められるのかと思ってドキっとする。

「言うの忘れてたけど、今度からひとりでバーなんか行くなよ?あんなとこで声かけてくる男なんかエッチ目的しかいねーから」

いや、それ自分のことですよね、と言いそうになったけど、ふと思った。何でわたしがバーで飲んでて男に声をかけられたことを知ってるんだと。

「え…蘭さん、何で…」
「ああ、オレと竜胆もあのバーで飲んでたから」
「えっ」
「取引先の社長と飲んでたんだけど、カウンターに見つけて見てたらチャラそうな男に声かけられてたろ」
「え…み、見てたんですか…?」

恐る恐る尋ねると、「見てたも何も」と竜胆さんが笑った。

に声かけてたアイツを帰り際とッ捕まえて手ぇ出すなって忠告したのオレらだし」
「な…」

彼から全然連絡こなかったのはそのせいか!ノリノリで連絡先を訊いて来たくせにメッセージの一つも来ないからおかしいと思った。でもまさかふたりが脅してたなんて思わない。

「言ったろ?彼氏作るのは却下だって」
「そうそう」
「………」

ニッコリ微笑む蘭さんと竜胆さんが怖い。この様子だと、彼氏を作るのは当分、無理そうだ。梵天という名の――この場合灰谷兄弟かも――蜘蛛の巣に捕まった蝶の気分だった。とりあえず今夜の飲み会は内緒にしておこう。