甘いキスには裏がある




梵天の幹部に新しい顔が入った。三途があちこち探し回って見つけて来たらしい。確かに女がひとりでもいれば楽だと言ったが、「信用できる奴じゃねえとダメだ」と三途が言いだした。その信用出来る女が自分の幼馴染であり、マイキーの従妹だというだったようだ。身内を巻き込むことに最初はマイキーも渋い顔をしたらしいが、そこはマイキーを知り尽くしてる三途が「一度でも顔を見ちまえばマイキーはを受け入れる」と言い、実際そうなったのだから大したもんだと蘭は思った。どうやらマイキーの初恋がだったらしい。何とも単純な答えだった。

借金を返済する代わりに梵天に入れと言われ、素直に従ったは幹部それぞれが面倒を見ることになった。そして今日、に簡単な仕事を頼み、無事に終わった後で歓迎会と称して飲みに連れて来た。

「好きなもん頼めよ」
「え!いーんですか!ありがとう御座います!蘭さん、竜胆さん」

大きな瞳をキラキラさせながら素直に喜ぶ姿に、兄弟ふたりの顔も次第に緩くなっていく。に対する蘭と竜胆の印象は、マイキーの従妹と言うだけあり、文句なしの美人顔、細身で笑顔が可愛らしい女の子だった。そうなるとやはり多少の下心が湧くものの、やはりマイキーの従妹というブレーキがかかる。ふたりは口説くのを諦め、とりあえず好きなだけ食事やお酒を用意してやった。彼女はよく食べ、よく飲んだ。見ていて気持ちがいいくらい美味しそうに食べる姿も好印象。これはいい子が入ったなとふたりも思っていた。

そして宴もたけなわくらいの頃、最初から飛ばして飲んでいたが酔い潰れ、蘭の膝を枕にして眠ってしまった。竜胆はちょうど仕事の電話で席を外しており、個室には蘭と眠っているのふたりきり。ひとりウイスキーを飲みながら、蘭はさてどうしたものかと考えていた。可愛い子とふたりきりのこの状況。いつもなら即口説いて持ち帰りコースなのだが、その相手が手を出せない女の子となると、どうしようもない。

「ったく…オレの膝枕で寝た女は初めてだな…」

これまで、口説くのに色んな子をこうして食事に連れて来たり、飲みに連れて行ったりしてきたが、ここまで警戒心もなく酔い潰れた子はいなかった。どの女の子も蘭の前では上品に振舞い、自分を良く見せようとするからだ。蘭もそれを分かっていて気づかないフリをしている。そういう騙し合いみたいなのはお互い様だ。蘭自身、相手の子の裏の顔に興味はなく、見た目がそこそこ可愛ければ何でも良かった。
ぶっちゃけると、身近に置くような女は全て口説いて来たし、また落として来た。なのに今、口説けもしない女が自分の膝で眠っている。

「頭ちっさ…」

ただ酒を飲んでいるのも暇だと思い、そっとの頭に触れてみる。片手でつかめそうだと思いながら、髪に指を通してみた。サラサラとしている黒髪は、昔から男の憧れの象徴みたいなものかもしれない。蘭自身、そこまで女の髪に拘りはない方なのに、やはり指から零れ落ちていく艶のある髪は好きだなと思う。指で髪をそっと耳にかけてやると、小さな口がむにゃむにゃと何かを呟いた。

「耳もちっさくね…?」

髪を避けることで露わになった耳を見て少し驚きつつ、次に首から肩のラインへ視線を向けた。あまりに細く、少しでも力を込めて抱きしめたら、竜胆じゃないが絞め殺してしまいそうだと思った。

(女の子ってこんなに華奢で可愛かったっけ)

散々色んな女と関係を持って来た蘭ではあったが、不思議なもので自分の膝で眠る小柄なを見ていると、何故か守ってあげたいという想いがこみ上げて来る。会ったばかりの男の膝で眠るなど、あまりに無防備すぎるせいかもしれない。しばらく飽きもせずの寝顔を眺めていた蘭だったが、ふとあることに気づいた。

「は…?よだれ?」

先ほど何か寝言のようなものを呟いた際、開いた口から垂れたのか、しっかりと蘭のズボンを濡らしている。身につけているのは蘭御用達のイタリア製高級スーツ。いつもなら確実にブチ切れて、そんな失礼な女は置いて帰るのだが、蘭は怒るどころか小さく吹き出した。

「ガキかよ…」

この場に竜胆がいれば驚愕していたかもしれない。

「仕方ねぇなぁ…」

苦笑しつつ、の口から垂れているよだれを新しいおしぼりでそっと拭いてやった。するとその刺激で目が覚めたのか、の目が薄っすらと開く。

「…んあ…あれ…?」
「起きたかー?」

ガバリと上半身を起こし、キョロキョロしていたは、ふと目の前で呆れ顔の蘭に気づき、「蘭さんだー」と笑顔を見せた。その少女のような無邪気な顔を見て、蘭の胸がキュンと鳴った。しかもはまだ酔っているのか、「蘭さーん、今日はありがとうー」と言いながら抱き着いて来た。蘭の首に腕を回し、ぎゅっとされると、ちょうど顔が柔らかいものへ押し付けられる。一瞬呆気にとられたものの、つい条件反射で、すぐに離れていくの背中に腕を回してしまった。と言ってもフラフラしているが後ろへ倒れないようにという頭が働いたと言った方が正しい。

「オマエ、酔い過ぎ」

背中を支えながら、目の前でとろんとした目を向けるを見下ろす。少しばかりおかしな気分になって来て、これはマズいと腕を放そうとした。その瞬間、の手が蘭の頬に伸びて、気づいた時にはくちびるにちゅっとキスをされていた。

「…は?オマエ、何してんの」

がキス魔だということを知らない蘭は、ギョっとしながら離れようとしたものの、再び首に腕を回され、「蘭さんとチューしたい」と可愛く言われてしまった。この破壊力が凄かった。ここまで蘭の心を撃ち抜いた子はいなかったと言っても過言ではないくらい、どでかいキュンに心臓を攻撃された気がした。

「蘭さん…」

潤んだ瞳で見つめられ、ガラにもなくドキドキしている自分に気づく。たかがキスをされただけで、こんなにドキドキしたことはない。しかもさっきまでよだれを垂らしていた女の子に。
その時、またしても柔らかいものがくちびるに押しつけられ、ちゅっと啄まれる。

「…

この時、蘭の心臓はキュンの大渋滞。こうなればマイキーの従妹だろうと関係ない。このままを抱いてもいいくらいの勢いで本能のままキスを返しそうになった刹那。がふと蘭の手元にあるバッグのカタログへ視線を向けた。

「え…蘭さん…これ買うの?」
「え?あー…これは取引先の娘が欲しがってるっつーから手に入れようかと思って確認のためにちょっとな。それより――」

と蘭はのくちびるに自分のくちびるを寄せていく。こんなに誰かのキスを欲しがったことが、かつてあっただろうかというくらい、今の蘭はにキスがしたかった。だが次の瞬間、

「わたしもコレ、前から欲しかったの…」
「……え?」
「蘭さん、わたしにも買って」

頬を染め、潤んだ瞳で可愛くおねだりをされた瞬間、蘭の脳内で「何個でも買ってやるよ」という答えしか浮かんで来なかったのは、おろかな男の性だったかもしれない。
こうしてはこの日、同じ手口で竜胆をも落とし、高級バッグを二個も手に入れるという快挙を成し遂げた。



* オ * マ * ケ *




「オマエ、相変わらずキス魔じゃねーかっ」

高級バッグを手に会いに来たら、事情を知った春千夜は案の定目を吊り上げた。でも春千夜がいくら怒っても怖くはない。

「そーいうわけだから、蘭さんも竜胆さんも優しくしてくれてるし心配しないで」
「…べ、別にオレは心配なんかしてねーよ!ただアイツらにそこまでしなくても、そんなバッグくらいオレが買ってやる!」
「え、春千夜も買ってくれるの?何で?」

ちょっと驚いて隣に座ると、春千夜の色白のホッペがほんのり赤くなった。

「だ…だから…灰谷にキスして強請るくらいならって話だよっ」

プイっとそっぽを向く春千夜は相変わらず怒りんぼだと思う。でもそうか。春千夜はいつも意地悪なくせに物を買ってやると言うくらい、そんなに灰谷兄弟のことが嫌いなんだ。

「じゃあ…何か欲しいものが出来たら春千夜におねだりしよーかな」
「……あ?テメェ、オレにはタダで貢がせる気じゃねーだろうな」
「え、タダじゃないなら…何かわたしにして欲しいことでもあるの?」
「………」

急にむっつりと黙り込んでしまった春千夜は、怖い顔でわたしを睨むと、「オマエ、今日残業な」とパワハラとも取れることを言ってきた。
……春千夜の怒りのツボが未だに分からない。