下心あれば、恋心?



灰谷蘭、一生の不覚――。

あの歓迎会以来、蘭は悶々としていた。多少、酔っていたとは言え、まさかあんな小娘にちゅーをされたくらいで高級バッグを買わされたなんて誰にも言えない。あの場の空気に流された+やたらオスの部分をくすぐられたせいで、キャバ嬢に貢ぐオヤジみたいな愚行を犯してしまった。腹立たしいやら情けないやらで今週は仕事中も上の空になることが多かった。それ以上に、あの後は軽くちゅっとされたくらいでがヤらせてくれたわけじゃない。ヤってもいない女に高級バッグを買ってやるのは蘭としても「それってどーよ」という気分になる。男とは何かをしてあげたら見返りを求めたくなる生き物なのだ。
とはいえ――別に蘭は女に困っているわけじゃない。弟の竜胆も然り。

今夜も大きな仕事でかなりの利益を出したことで、蘭は竜胆と好みの女の子を集めて祝杯をあげていた。自分達が任されている高級ラウンジのビップルームに、色気のあるすぐヤらせてくれそうな大人女子をはべらかし、ご満悦…のはずだった。

「なあ…竜胆」
「んー?」

さっきまでは隣にナイスバディな大人女子を座らせていたふたり。気づけば兄弟並んで座り、酒を煽っていた。その大人女子達はふたりに構ってもらえず暇なのか、女同士で酒盛りを始めている。その何とも言えない光景をボーっと眺めながら、蘭は溜息をついた。

「やっぱ男って25を過ぎると衰えてくるんかな」
「……何で?」

蘭の口からあり得ない言葉を聞き、竜胆はギョっ…というよりはドキっとしたように隣に座る兄を見た。

「んー。何かオレ、最近おかしいんだよなぁ。体が…いや…精神的にも」
「へえ…どんな風に?」

ワインを口に運びつつ、竜胆が尋ねると、蘭は溜息交じりで、ほぼ女子会のようになってる大人女子達へ視線を向けた。

「何かさぁ…前ならこうして女を呼べば、なるべく好みの子を選んで口説いてお持ち帰りしてたじゃん」
「ああ…まあ、そうだな」
「でもなーんか、そんな気分にならねえんだよなー。そそられねーっつーか。どうせ誘えばついて来るし、みたいな感じ」

蘭は言いながらも自身の三つ編みを指でつまんでプラプラさせている。それを横目で見ていた竜胆の表情が、僅かに驚きの色を浮かべた。まさに共感の嵐とでも言いたげに。

「………分かる。実はオレも今それ状態」
「は?マジで?オマエも?」
「兄貴の今の状態、激しく同意するわ」

最悪、「兄貴やべーじゃん」と一笑に付されるつもりで吐露したはずが、まさかの弟までが自分と同じ症状だと知り、蘭は少しだけホっとした。

「じゃあさ、聞くけど」
「おー」
「あの赤い服の子のおっぱい見てどう思う?」

蘭はさっきより復活したのか、少しだけ身を乗り出しながら竜胆に尋ねた。竜胆は視線を赤い服の子に向け、今にも零れ落ちそうな胸の谷間をジっと見つめる。でもやはり前ほどテンションは上がらない。

「別に何とも思わね。前なら顔埋めてーくらいは思ったけど、今は邪魔そうだなーってくらい」
「…やっぱり?オレも」
「おー兄貴も?あ、じゃあさ、あの黒のミニの子は?兄貴、脚が綺麗な子、好きだろ」

今度は竜胆が蘭の好きそうな女の子を指す。蘭がふと視線を向けて、やはり僅かに首を傾げた。

「ときめかねえ」
「やっぱそうか…。今夜の兄貴は絶対あの子選ぶかと思ったんだけど、話しかけもしてなかったしなー」
「前なら確かにいってたな…でも何か気分じゃねえっつーか。誘う気力がねえ」
「え…オレらってヤバい?」

全く持って兄と同じ症状の竜胆は、さすがに口を引きつらせた。若い身空で兄弟そろって女への興味が薄れていくなどあってはならないはずだ。

「え、何かの病気か、これ」
「遺伝性のEDとか…」
「は?なに言ってンの。まだバリバリ勃つわ。つーかそこは元気だっつーの。え、竜胆そっちもヤバいのかよ」
「いやいや…オレだって勃つわ。今朝もオレよりしっかり早起きしてたし」
「じゃあ、EDじゃねーじゃん」
「まあ。ってか体ってより心のEDかなって意味だし」
「あーそれあるな。朝はしっかり起きるのに、今はあの子達の裸を想像しても反応はしねえ」
「同じ同じ」

次のワインを開けながら、男兄弟ふたりで勃起自慢をしていたものの、じゃあ何で今まで好んでいた女を前にして、何もそういう気が起こらないのかという疑問に戻ってしまった。

「マズい兆候だよな、やっぱ」
「ってか原因は何だろ…」
「それはやっぱりヤりすぎじゃないですか?」
「「………は?」」

突然ふたりの会話に入って来た女の声に驚き、ふたりの視線が声のした方へ向く。するとまず見えたのは形のいい脚と白のハイヒール。

「お ♡」

とまずは蘭が反応した。しかも今の今まで萎えていた心に水を与えられたかのようにドキっと心臓が反応する。そのまま視線を上げていくと、抱きしめたら折れそうな細い腰、そして大きく開いた胸元が見えた。大きくはないものの、形のいい膨らみが分かるくらいの控えめな谷間が覗いている。

「お ♡」

そこで竜胆も反応した。蘭と同じく、干からびていた心にたっぷり水を注がれたかのように心臓が動き出し、ついでに腰も疼く。遂に復活か?と思いながら、更に視線を上げた時、ふたりの視界に見覚えのある可愛らしい笑顔が飛び込んで来た。

「お疲れ様です。蘭さん、竜胆さん」
「……え、?」
「何でオマエが…」

ふたりが座るソファの横に、最近入ったが笑顔で立っていた。しかも白のミニドレスを着ている。

「あ、わたし、春千夜に仕事を手伝えって言われたんです。先方をこの店で接待するらしくて」
「…接待…?」

この店は高級バーラウンジであり、女性の接客はつかないが、普段から仕事の接待としても使っている店だった。

「でもスタッフに蘭さん達が来てるって聞いたのでご挨拶にきたんです。そしたら変な話で盛り上がってるし…」

と言いながら、がぷっと吹き出した。そこで蘭と竜胆はさっき自分達がしていた話を思い出す。

「ふたりとも元気そう・・・・で何よりです」
「「…あ?あたりめーだろ!」」

満面の笑みで言われ、蘭と竜胆が徐に顔をしかめた。いや、確かに元気なのだが、本当にさっきまでは大人女子に囲まれようが、迫られようが、何も心に響かなかった。なのに、さっきと気づかず体を見ただけで、普通に男の欲が疼いたのは何だったんだとふたりは思う。
そこへ――「!早くしろ」と春千夜が呼びに来た。

「あ、いけない…じゃあ、わたしは仕事してきまっす。何か先方が女性同伴で来るからって、わたしが駆り出されちゃって…おふたりは夜のハンティング頑張って下さいねー」

笑顔で手を振りながら歩いて行ったは春千夜の腕に自分の腕を絡めている。どうやら今夜は恋人設定らしい。その光景に何故か蘭と竜胆がイラっとした時、不意に春千夜がふたりの方へ振り向いた。

「……フン」
「「………(ピキッ)」」

得意げな笑みを浮かべる春千夜に、ふたりの額に筋が浮き出た。

「アイツ…幼馴染だからって調子に乗ってんなァ」
「つーか、わざと女性同伴にさせたんじゃね?」
「あーありえる」

腕を組んで歩いて行くふたりを見ながら、軽く舌打ちが出る。何となくモヤモヤしてワインを一気飲みした蘭は、ふとさっきの衝動を思い出した。脚が視界に入った途端、つい声をかけてしまいそうになったほど、身体のどこかが反応したのだから驚いてしまう。

「なら…体に問題はないのか」

ふと独り言ちる蘭に、竜胆が身を乗り出した。

「あ、兄貴もそう思う?」
「ってことは竜胆も反応したってことかよ」
「いや、あんなちっさい胸にときめくとか、オレどーかしたのかと思ったわ」
「ふーん…ってか、オレらふたり、には反応したってことじゃん。それはそれでヤバくね」

これまで兄弟で女の好みがかぶったことはない。だからこういう飲み会でも女のことでいちいちモメることはなかった。そんなふたりが同じ女に何かしらの反応をするのは珍しい。それ以前にマイキーの幼馴染だというは口説く対象から外すと最初に決めている。

「ってか…竜胆は何でに反応したわけ」
「いや、兄貴こそ。何かあったのかよ、アイツと」
「…あるわけねえじゃん。竜胆こそ何かあんのかよ、と」
「ねえよ…別に」
「「………」」

何となく変な空気になり、互いに視線を反らす。まさか酔っ払ったにちゅーをされ、高級バッグを貢がされたなどとは、兄に(弟に)口が裂けても言えない。
に同じバッグを買わされたとふたりが気づくのは、もう少しあとのお話。