愛のお値段



夜の蝶とは、大人の男を癒す華やかな世界に生きる美女たちのことを言うそうだ。銀座の夜の街を支配しているのは、まさしく彼女たちに他ならない。

「きゃー!蘭ちゃん、竜ちゃん、いらっしゃーい!」
「んもうー!全然来てくれないから寂しかったあぁ!」

目の前にキラキラヒラヒラな集団が飛び出して来たのを見た時、そう言わしめる理由を、秒で理解した。

今夜、仕事が終わった後に帰ろうとしていたら、案の定、蘭さんと竜胆さんに捕まった。

、今から飲みに行くぞ」
「え、で、でも…」

と渋るわたしの腕を掴む蘭さんに顔が引きつる。

「どうせ暇だろ?新人」
「ひ、暇と言えば暇…暇じゃないと言えば暇じゃない…」

そんな拒否も空しく、竜胆さんにまでもう片方の腕をとられ、この夜、わたしは幹部ふたりに拉致られた。
飲みに連れて行かれる時はだいたいがバーやラウンジだったのに、今日は初めてお姉さまがいるお店に連れて来られたわたしは、早くも後悔することになる。店に一歩足を踏み入れた瞬間、ふたりに群がる夜の蝶たちを目の当たりにして、灰谷兄弟はハチミツを持ったプーさんかもしれないとバカなことを考える。そうでなければ身長の高い彼らが見え隠れしてしまうほど、ヒラヒラした蝶がここまでたかって来るはずがない。

「落ち着けって、京香ママ」
「あらやだ、蘭ちゃん。京香って呼んで♡」

さすが六本木の帝王。この大人の街、銀座でぶいぶい言わせてるであろう海千山千の女王バチ(年齢的に蝶じゃない)までメロメロにしているとは、恐れ入りました。

「今日はオレ達の部下も連れて来たし、ゆっくり楽しませてくれる?弥生さん」
「やだー竜ちゃんってば!弥生って呼んで♡」

ふむむ、やはり年齢的に?それともキャラ的にかもしれないけど、竜胆さんにたかるのは比較的、中堅クラスのお姉さまらしい。いや、チーママかもしれない。蘭さんの隣を独占している着物姿のママよりも、若干、露出も高めなドレスだ。でも銀座だから、どこか品がある。

「あーコイツは。最近入ったばっかの新人で、一応これでも幹部」

一応って何よ、と思っていると蘭さんと竜胆さんの間に座らされた。ただ幹部、と紹介されたわたしを見た彼女たちの目が、一瞬にして吊り上がったのはまさにホラー。今じゃおどろおどろしい殺気すら感じる。そうか、これが負のエネルギーに違いない。この店に呪いが生まれたならそれは全て蘭さんと竜胆さんのせいだ。現代最強のイケメン呪術師にさっくり祓ってもらいたい。

「蘭ちゃん、何飲みます?」
「んーそうだなぁ。今日はがいるからシャンパンにすっか♡」
「……分かりました」

あれ、今ママの声のトーンが二つ三つ下がったよね。というかめちゃくちゃ笑顔が引きつってる。この小娘にウチの店の高級シャンパン飲ませるの?!って顔だ。

「こーんな可愛い子に飲ませるなら一番高いシャンパンにしちゃおうかしら……」(嫌味)
「ああ、そうして。もそういうの好きだから。な?」
「え?!あ、は…はあ」

蘭さんの腕がわたしの肩に回された瞬間、一斉にお姉さま方の殺気オーラがわたしへ全集中。そのせいで背筋に鳥肌が立った。なのに目の前にずらりと並んだお姉さま方は全員が笑顔を崩さないって物凄いプロ意識だと感心してしまう。笑顔のお面をつけてるかもしれない。

、腹減ってねえ?寿司でもとってもらうか」
「え、お寿司…♡」

もちろん仕事終わりだからお腹は空いてる。でも竜胆さんの腕が何気にわたしの腰へ回っていて、それを見たお姉さま達の"わたしのりんちゃん盗りやがって、この小娘ぶっ殺す!"的な殺意をひしひしと感じた。今夜わたしは呪い殺されるかもしれない。

「竜ちゃ~ん、私、お寿司よりサバティーニのコース料理がいい~♡」
「あ?んなもんデリバリー出来ねえじゃん」
「だからぁ…私と同伴して欲しいなあと思ってー♡」
「やだ、レイカちゃんてば。竜ちゃんは私と同伴するのー。ね、いいでしょ?竜ちゃん」
「え?いや…オレ、同伴とかしないって決めてるし。――あ、それより、フルーツの盛り合わせ頼むか♡」
「………」

お姉さま達からのお誘いを華麗にスルーした竜胆さん恐るべし!でもそのせいで彼女達の怒りが全てわたしに向いている。わざと?わざとなの?竜胆さん。この前デートの誘いを断ったから、このリンギャル達にわたしを狙わせようとしてるとか…。
その恐ろしい復讐劇を想像してぶるりと身を震わせたわたしの前に、綺麗なシャンパンの入ったグラスが置かれた。いつの間にかシャンパンセットがテーブルに用意されている。さすが銀座のマダム。あ、ママだっけ。仕事が早すぎて断るキッカケを失った。

「ほら、。オマエの好きなドンペリのルミナス」
「え…?あ!ほんとだ、光ってる!」

蘭さんが持ち上げた瓶を見ればピンクのラベルが光っている。これは通称"光るドンペリ"と言われてるもので、瓶の底に仕掛けがある。味は当然のことながら美味しいんだけど、わたしはこの見た目が好きで、前に蘭さんに話したことがあった。まさか覚えてくれてたなんて思わなかったけど。

「ん~!美味しい~!」
「オマエ、いっつも美味そうに飲むから飲ませ甲斐があるわ」

何とも優しい眼差しを向けられ、思わず口の中のシュワシュワをゴクンと飲み込んだ。蘭さんって女の子が喜ぶことを良く知ってる人だと思う。っていうか、その綺麗な顔でジっと見ないで欲しい。蘭さんの隣に座ってる女王バチがとても恐ろしい殺気を向けて来るし。和服の女ってどうしてこう、極道の女感が出るのか不思議だ。さしづめママさんは"ランギャル"のトップなんだろう。うっとりした目で蘭さんを見つめてるのが怖い。っていうか、そんなに灰谷兄が好きか。

「と、ところで…その可愛らしい部下の方は、どんなお仕事をされてるの?」

頬を引きつらせながら、ママさんが訊いて来た。でも絶対わたしに興味はないと思う。

「ああ、はオレを癒すのが仕事♡」
「…?!」

ママさんの目がちょっと飛び出たかもしれない。アニメのキャラかと思った。

「ちょっと蘭さん、そんな嘘をさらりと言わないで下さいっ」
「そーだよ、兄貴。の仕事はオレを癒すことだから」
「……!!(そうだっけ?!)」

今度はわたしの目がちょっとだけ飛び出たかもしれない。リンギャルからの殺意が止まらない。

「う、羨ましい仕事ね、それ。私も参加したいくらい」
「いや、ママじゃ癒されないっしょ、兄貴は」
「……!(OMG!)」

竜胆さんの余計な一言でママさんの綺麗に揃えられた眉毛がピクリと釣り上がった。扇子を持っている手がプルプルしてるのは気のせいじゃないはずだ。

「や、やだわぁ、竜ちゃんたら辛口なんだから。ねえ?蘭ちゃん」
「そーだぞ、竜胆。そんな本当のこと言うなよ。京香ママが傷つくだろ」
「……(ひぃー!)」

シレっと魅力的な笑みを浮かべて辛口大吾郎なみのキレ味を出す蘭さんが怖い。まあ蘭さんは絶対に焼酎なんて口にしないだろうけど。そして何気にバキッっと音がしたのは扇子が折れた音だった気がする。あぁぁ、高そうな扇子が無残な姿に…。

「そ…そろそろ帰りましょう…!明日も早いですし…!」

お姉さま方の殺意に耐えられなくなったわたしは、普通のOLみたいなことを言ってみる。反社に朝が早いとか全然ないけど、とにかくこの殺伐とした場所から逃げ出したい。なのに少しも空気を読んでくれないのがこの兄弟の灰谷兄弟たるところだ。

「ん?早く帰りてーの?しょうがねぇなぁ。ママぁ、がオレと早く二人きりになりたいっつーから、チェックして―」
 「…そ…っ(んなこと誰も言ってない!)」
「じゃあ帰って一緒に風呂でも入る?」
 「は?(なに言ってんの、竜胆さんっ)」

ニヤニヤしながらわたしの顔を覗き込んで来る竜胆さんも、確信犯のような気がして来た。というより、目の前のお姉さま方がすでに魂抜けたみたいになっている。そんなに好きか、灰谷弟が。

「あーオレも風呂入るわ、と」
「は?オレが先に言ったんだけど」

会計を待つ間、何やら二人は下らないことで揉めだした。今ではランギャルもリンギャルも事の成り行きを見守っている――睨んでいる――のが怖い。

「ど、どっちともお風呂は入りませんっ」
「え、何で?オレがの体を丁寧に洗ってやるよ。すみずみまで」
「……け、結構ですっ(蘭さんの顔がエロい)」
「は?オレがの体を洗うわ。あんなとこや、こんなとこまで」
「だ、だからお断りしますっ(何だ、竜胆さんのその手つきは)」
「あーじゃあ、いっそ3人で入るか。ウチの風呂デカいし」
「いいねえ。を洗いっこしようぜ」
「じょ、冗談じゃありませんっ絶対に嫌です!」
「照れんなよ♡」
「可愛いやつ♡」

二人はニヤニヤしながら顔を覗き込んで来る。本気で身の危険を感じたその時、バンっと目の前に会計が置かれた。蘭さんと竜胆さんがギョっとして顔を上げると、目の前には鬼かと思うようなママさんの顏があった。

「またのお越しをお待ちしております!」

ちょっとキレ気味に出された会計は締めて143万円。ママからの愛はバカ高かった。