タトゥーを入れたい女



彫り師となって早いもので20年。腕を磨き、豊富で斬新なデザインを編み出しては有名人からも指名をされるほどになった堀井門之助(40)は、裏社会の人間からもよく指名される。その世界の頂点に立つ梵天幹部も例外ではなく、幹部だけが入れられるという花札のようなタトゥーを全員に入れたのも堀井だった。組織のトップはもちろん、警察関係者でもほとんど把握できていないとされる幹部たち全員に唯一会ったことのある一般人かもしれない。その幹部に新しい顏が入ったということで、若い頃から知り合いの灰谷蘭から連絡が入った。梵天幹部にタトゥーを入れることになった経緯も、灰谷兄弟からのご指名があってのことだ。

『今度、うちの新人幹部連れてくからさぁ。店内キレ~~~~に掃除して花を飾って待ってろよ。あ、もちろん胡蝶蘭な?あーそれとオマエの店、時々汗くせーから、ちゃんとファブっとけよー』

そんなわけの分からない指示を受け、堀井は言われるがまま――じゃないと鉄拳が飛んで来る――店内を隅々まで掃除し、施術台も殺菌消毒、床やカーテンも丁寧にファブっておいた。タトゥーを彫る時は痛みによって施術を受ける人間は知らず知らずのうちに汗を流す。それが染みついてしまうせいか、こまめに掃除をしないと外から来る人間は「汗臭い」と感じるらしいのだ。堀井は常に店内にいる為、気づかなかったが、前に蘭が来た時、「くせー」と連呼された記憶がある。しかし連れてくるのは新人だと言うのに、何故ここまで綺麗に、それも花まで用意しとけと言うんだ?と当然ながら疑問に思う。

「ま…蘭さんはああいう人だからな…」

その一言で片づけ、堀井は考えることをやめた。年下ながら、若干13歳で六本木を手中に収めてしまうような人間の考えてることなど、この道一筋の堀井に理解出来るはずもない。自分は言われた通りの仕事をするまで。そう思いながら一通り掃除を終えると、最後にバカ高い胡蝶蘭を二鉢ほど注文し、店の目立つ場所へと飾る。高級クラブで飾ってるような大きな胡蝶蘭だ。これも施術代に上乗せしようと思いながら、堀井は黒い笑みを浮かべつつ、予約の日を待つことになった。
そして当日、予約時間ピッタリにやってきた蘭と竜胆に、可愛らしい女の子を紹介された。

「コイツは。うちの幹部になった子だ」
「は…初めまして…です」

小柄で、少女とも言えるようなは堀井のゴツゴツとした岩みたいな顔を見てビビってるようだ。当然のことながら堀井の体のあちこちにもイカツいタトゥーが彫られている。そのせいもあるだろう。そんなを見て蘭は苦笑しながら「、コイツはホリエモン。ベテランの彫り師だから安心しろ」と説明した。

「え、ほりえもん?」

顏とは似合わない呼び名を聞いて、が軽く吹き出している。少し緊張がほぐれたようだ。だが堀井はそう呼ばれるのが恥ずかしいので嫌だった。

「蘭さん…そのあだ名で呼ぶの勘弁して下さいよ…。それにオレは堀江じゃなくて堀井です」
「あ?オマエは彫り師なんだしホリエモンのがぴったりだろ」
「どういう理屈ですか、それ」

堀井は苦笑しながらも、目の前の女の子を見てこの子が梵天の幹部?と少し驚いていた。てっきり人相の悪い男を連れて来ると思っていたからだ。

(なるほど…若い女の子だから掃除して花を飾れって言ったんだな…さすが蘭さん)

殺風景な店よりも、華やかな花が飾られていると、人は自然と緊張も解れるようだ。それが女の子ならなおさら。も「うわー綺麗なお花」と喜んでくれている。

「それで…例のタトゥーを入れたいとか」
「あ、はい!わたしも幹部だし、梵天所有のお店、アレを見せればタダになるって言うから是非お願いします!」

蘭や竜胆の首元に入っているタトゥーを指さし、可愛らしい笑顔でお願いしてくるに、堀井も若干、鼻の下が伸びかけた。だが後ろに立っている蘭と竜胆に「デレてんじゃねーよ」と言わんばかりに顔で威嚇され、慌てて緩んだ口元を元に戻す。だが――堀井が困った状況に立たされるのは、この後だった。

「デザインは決まってるので、あとは入れる場所ですね。どこに彫りましょうか」

テーブルを挟んで向かい側に座ったへ堀井が訊ねた。その瞬間、当事者のよりも先に、後ろに立っていた二人が身を乗り出し、

「太腿」「谷間」

「――ッ?!」

同時に言った。あげく互いに顔を見合わせ、ジトっとした目で睨み合っている。

「は?谷間より太腿の方がセクシーだろが。つーか谷間って竜胆の好みじゃん、それ」
 「ちょ、ちょっと!何で蘭さんと竜胆さんが決めてるん――」
「いや谷間の方がセクシーだって。太腿は普段そんな見えねーじゃん」
 「え、セクシーとか関係ないと思うんですけど――」
「バカか。普段見えなくて、エッチする時にこう、脚を開いたら見えんのがエロくていいんじゃん」
 「エッ……チ…!?い、いったい何の話を――」
「それなら谷間だって同じだろ。こう脱がしていった時に見えるのがエロいんじゃね?」
 「っていうか話を聞いて下さい!」

胸だの脚だのと好き勝手に言い合いしている兄と弟に、は真っ赤になりながら立ち上がる。その光景に堀井は唖然としながら、この人たちは幹部の証を何だと思ってるんだ…と心の中で呟いた。

「じゃあはどこにタトゥー入れたいんだよ」
「…えっと…」
「そーそー。まずはの意見を聞いてやるよ」
「……う…」

蘭と竜胆に詰め寄られ、はのけ反りながら言葉を詰まらせた。以前、竜胆に幹部だけが入れられるというタトゥーの話を聞き、しかもそれが目印で梵天所有の店は全て顔パスという何とも有難いポイントを教えてもらい、すぐに入れる決心をした。そこでまずは幼馴染の春千夜にお願いをしたところ、「あ?オマエにタトゥーとか無理だろ」と一蹴されてしまった。あげく、「幹部の証が欲しいなら同じ模様のシール作ってやるからそれ貼っとけ」と鼻で笑われカチンときた。ならば、と今度は春千夜が頭の上がらない従妹のマイキーにお願いしてみた。すると、「痛いからどーせには無理だし」と春千夜と同じことを言われてしまった。

、痛いの苦手だろ?」

と優しく言いながら、マイキーに頭をポンポンとされ、まるで子供扱いだった。そこまで言われるとさすがにも黙っていられない。

「痛いのなんか平気だもん!」

と言ってマイキーの部屋を飛び出すと、が最後に頼ったのが灰谷兄弟だった。いや、本当ならば一番頼りたくない相手ではある。ことあるごとにチューを要求されるばかりか、最近は何となくそれだけじゃ済まないような気がしてくるからだ。しかしトップとナンバー2にバカにされたままでは納得いかない。なので兄弟が揃った日に「そろそろタトゥー入れにいきたいんですけど…」とおねだりをしたところ、蘭がノリノリで堀井に予約をしてくれたのだ。しかも今回は何も要求されなかった。こういう時、話が早くて助かるのが灰谷兄弟のいいところだ。その時は本気でそう思っていた。

(そ、そうか…この二人がすんなり連れて来てくれたのは、このおねだりの報酬に体をよこせと…そういうこと?!)

が入れるタトゥーなのに入れる場所をそれぞれ勝手に決めているのがいい証拠だ。

(っていうか、そういうことは恋人にやって欲しい…。あ、今いないんだっけ?)

どこに入れたいんだと問い詰められながらも、そんなことを考えていたは、とりあえず何か言わなきゃと、頭に浮かんだ「腕?」と言ってみた。しかし案の定、

「「却下」」
「……(はい、却下いただきましたー)」

すでに恒例になってきたダブル却下に、はガックリと項垂れた。

「腕なんて三途と同じじゃん。ダメだろ」
「そーだよ。三途とお揃いとか許せねぇ。だったらもオレ達と同じく首に入れろよ」
「え…い、嫌です……めちゃくちゃ痛そうだし…」

口元を引きつらせながら、は堀井を見た。その意味に気づいた堀井は「めちゃくそ痛いですね、首は」と真顔で応える。は思い切り首を振った。

「い、痛すぎるとこは嫌かも…」
「まー確かにアレはじゃ耐えられねーか」
「仕方ねーなあ。じゃあ、マジでどこに入れたいんだよ、は」

とまたふりだしに戻ってしまった。そこで真剣に考え、あのタトゥーを入れる意味を考えた結果…。

「か…肩!」
「肩ぁ?」
「えっと、背中のここに…」

そこは肩というより背中側の肩の部分。以前、ハリウッド女優がその部分に綺麗な蝶のタトゥーを入れていたのをは思い出したのだ。着ていた服がスルリと肩から滑り落ち、そこで露わになったソレが凄く綺麗だった。ここなら店に入る時も見せやすい。元々の目的がそれ一択のはなかなかいい場所なんじゃないかと思った。

「ど、どうですか?」

と、蘭と竜胆を見ると、二人は何やら難しそうな顔で首を傾げつつ、

「肩もセクシーっちゃセクシーだけど…」
「何か物足りねーっつー気もするし…」

あくまでこの二人はにセクシーさを追求したいようだ。黙って見守っていた堀井は内心(部下に堂々とセクハラするなんて…さすがだ)とある意味、感心していた。しかし当事者であるはというと…

「というか、わたしはセクシーになりたいから入れるわけじゃないし蘭さんと竜胆さんの好みを要求されても困ります」

と、そこは拒否の姿勢を見せる。それには蘭も半目になって「じゃあオマエは何の為に入れるんだよ」と言い出した。その問いには満面の笑みを浮かべて

「もちろんタダでお店を梯子する為です!」

キリっとした顔でグっと拳を握る。どこまでも貪欲な女だった。でもその言葉を聞いて蘭と竜胆はふと気づいた。そもそもはこのタトゥーを金の代わりにしか思っていない。クラブで手に押されるスタンプと同じくらいの感覚らしい。そこで待てよ?と二人は考えた。

「そーか…もし太腿に入れさせたら、店のスタッフにきわどい場所を見せることになんじゃん」
「あ!そーだわ。ダメだろ、それ。谷間なんてもっての他だし」

そこに気づいた蘭と竜胆は目からうろこ状態。ついでに言えば、そんな場所に彫ると言うことは、この堀井にその場所をさらけ出すということだ。想像したらイラっとしてきた。

、やっぱタトゥーは彫るな。シールで我慢しろ」
「えっ?」
「そーだな、兄貴。そうしよう。明日オレが手配するわ」
「え、ちょ、ちょっと待って、蘭さん、竜胆さん…!シールってお風呂入ったら取れちゃうヤツでしょ?そんなのイヤなんですけど…」

勝手にどんどん決めていく二人に、が慌てて口を挟む。すると蘭と竜胆が怖い顔で振り向いた。

「じゃあオマエはこのホリエモンにその肩を晒して触らせるわけ?オレも触ったことねーのに」
「は?」
「そう考えると肩もエロイな…。やっぱダメ!はシールにしとけ」
「な…」
「どーしても入れたいなら女の彫り師しかオレは認めねーから」
「そんな…!」

は縋るように蘭の腕を掴みながら堀井に顔を向ける。"オマエからも何か言え"的な圧を感じたが、堀井は静かに首を振った。この兄弟に逆らうこと。それは己の死を意味することを、堀井はよーく知っている。まあ、この可愛らしい女の子の谷間や太腿に彫ってみたい…という邪な気持ちはあったものの、この兄弟に見張られている中、冷静に彫れるかどうかも分からない。ここは一つ、彼女に諦めてもらって――。

「何ならオレが女の彫り師を紹介――」

と言いながら顔を上げた時、そこにはすでに誰もいなかった。

「………」

どうやら二人が無理やりを引っ張って出て行ったようだ。外からかすかにの「蘭さんと竜胆さんのケチー!」という声が聞こえて、それがどんどん遠くなっていく。堀井はふっと笑みを浮かべると、「愛されてるな、あの子は」と呟く。しかしそこで重大なことに気づいた。

「あ………花の代金、もらうの忘れたやんけ!」

堀井は大阪人だった。
大輪サイズの胡蝶蘭で7本立て。蘭の為に豪華な物を注文した。
それが一鉢6万円。それが2個で計12万円。
蘭と付く名の花は、それなりに高い買い物だった。




※タトゥーネタ地味に続きます。