灰谷家でのアルバイト⑶



1.

「やっぱオマエに頼ったのかよ…」

春千夜は軽く舌打ちをしながら、目の前でニヤつく蘭を睨む。

「急に金返して来たからそんなこったろーとは思ったけど」
「せっかく、あんな芝居うって無駄遣いやめさせようとしたのに残念だったなァ、三途」
「あ…?」
「来月、金返さなかったら処女もらうってやつー?」
「……チッ」

蘭の指摘にまたしても舌打ちをしながら、春千夜はソファにどっかりと腰を下ろす。の散財癖は昔から変わらずで、春千夜もよく知っていた。だからこそ、あんな脅しをして無駄な散財をやめさせようと思った。それを蘭に見抜かれてたのは誤算だった。

「それくらい言わねえとの散財癖は直んねーんだよ」
「へえ、良く知ってんなァ?さすが幼馴染ってわけだ」
「うるせぇな…つーかアイツをあんま甘やかすんじゃねえ。つけ上がるから」
「いいだろ、別に。可愛い子はとことん甘やかすことにしてんだよ、オレは」
「は?嘘つけ。オマエは女を甘やかすような男じゃねーだろ。どうせをからかって遊んでんだろーが」
「それがそうでもねーんだよな~」
「は?」

ニヤリと笑う蘭を見て、春千夜は眉間を寄せた。この男がこういう顔をしてる時はだいたいろくなことを考えていない。春千夜も何だかんだ蘭とは付き合いも長いので良く分かっている。

「もしが中身サイテーで金の為に誰とでも寝るような尻軽ならからかって終わってたけどな」
「…は中身サイテーだろ。欲しい物の為なら男に甘えればいいって思ってるような女だぞ。キスだって平気でするしな」
「ああ、ありゃガキのおねだりと同じだろ。他の女がやってんのと枠が違うんだよ、オレから言わせると。三途も分かってるクセにとぼけんなよ」
「…チッ。うぜぇな、相変わらず」
「図星~♡」

春千夜が思い切り顔をしかめると、蘭は楽しそうに笑いながら立ち上がった。

「だいたい処女って時点で身持ちは固いってことだろ?キス魔なのに処女っていいじゃん、可愛くて」
「あ?オマエ、にちょっかい出すんじゃねーよ!女に困ってるわけじゃねえだろが」
「だーからは他の女と全く違うって言ったろ。オレから見れば可愛くて仕方ねーの。だから口出すなよ」
「あ?!テメェ、アイツに手ぇ出したらぶっ殺すぞ!」
「そん時は受けて立ってやるよ」

蘭は手をヒラヒラ振りながら、春千夜の部屋を出て行く。その後ろ姿を見ながら春千夜は浮かした腰を下ろし、盛大に溜息をついた。

「何でアイツは昔から厄介な男に惚れられるんだよ…どんなフェロモンまき散らしてんだ…?」

その中に自分も含まれるという事実には、気づいていない春千夜だった。






2.

おかしい。何かおかしい。このわたしが最近、どことなく…いやハッキリと全体的に潤っている。いつもお金を使いすぎてひーひー言ってることの方が多かったのに最近は良いことづくめで少し怖い。

この前、梵天の上司である灰谷兄弟のお家でハウスキーパーをやって欲しいとお願いされた。ちょっと危ない感じがしたものの、春千夜に返すお金もなく切羽詰まってたわたしは藁にも縋る思いで蘭さんの申し出を受けた。100万円という大金を契約金みたいな形で受け取ってしまったのもある。でもその日以来、ことあるごとに蘭さんや竜胆さんから呼び出され、そのたびわたしは…いい思いをしている、かもしれない。

今週月曜日には竜胆さんに呼び出された。行ってみるとそこには美しい自宅エステティシャンがにこやな笑顔で待ち構えていた。灰谷兄弟ともなると自宅でエステをしてもらうらしい。だからあの二人はいつも美しいお顔がツルルンとしてるのか!と腑に落ちた瞬間だった。でもてっきり竜胆さんだけかと思えば、何故かその美女エステティシャンはわたしの服を脱がし始めた。何をする気だと慌てたものの、いきなり施術台へと寝かされ、タオルをかけられ、いきなりボディマッサージをされた。リンパを流され、とても気持ち良くなったあげくお肌もピカピカ。終わった後には竜胆さんと美味しいシャンパンを飲んだ。合計4時間。たったそれだけの仕事(?)なのに帰りがけ竜胆さんは「ほい、今日の分」と言って40万くれた。

火曜日は蘭さんからの呼び出し。今度は何をされるだろうと思えば「ちょっとこの部屋掃除して」とやっと仕事らしい仕事をくれた。広い家の一室だけというのが気になったけど、そこは12畳ほどもある何もない部屋で、ただ床の埃をクイックルワイパーで拭くだけの簡単なお仕事だった。でも床を拭いている間中、蘭さんは「どう?日当たりも良さそうだろ」とか「窓から見える六本木の夜景はどう?」といちいち仕事を中断させて、わたしに感想を聞いて来た。何だ、広い部屋を自慢したいのか。金持ちの考えてることが分からないとは思ったものの「素敵な部屋ですね」と言っておいた。やけに蘭さんが喜んでたのが不思議だ。

水曜日は竜胆さんからの呼び出しで、買い物に付き合わされた。何故か高級家具を扱うアトリエみたいなお洒落な店に連れて行かれ、そこでベッドを選んでくれと言われた。

「ちょっと買い替えたくてさあ」

と言った竜胆さんはわたしが可愛いと思いながら見てたベッドをあっさり買った。羨ましい、と思いつつ、あんな猫足ベッドを竜胆さんが使うのかと想像したらちょっと笑える。
次にそのベッドに合う上掛けやカバー、シーツまで選ばされ、可愛いテーブルやソファも同じくわたし好みのものを買う。延々と金持ち自慢された気分だった。しめてお値段198万円。わたしの契約金より高いの草。

そして本日木曜日。さっそく蘭さんからのお呼び出し。すっかりマンションのコンシェルジュ高木さんと顔見知りになった。

「お帰りなさいませ、灰谷様」
「………」

違いますって弁解するのも面倒で、ずっとわたしは「灰谷様」と呼ばれている。この人絶対わたしがここの住人だと勘違いしてるよね。そんなセレブに見えるのか?確かにバッグは超高級だけど。そんなことを思いながら重たい足取りで綺麗なロビーを歩いて行く。すると最上階専用エレベーターから蘭さんが降りて来た。っていうか、後から知ったけどそんなものあるなら合鍵いらなかったのに何でわざわざくれたのかなって未だに不思議だ。

「時間通りで偉いじゃん」

蘭さんはわたしを見つけてにこやな笑顔で歩いて来る。今日も着替えて来たのか、カジュアルな服装で全体的にゆったりとした服装だ。でもサンローランなのは知ってる。スーツは細身が多いけど、私服はゆったりめが好きらしい。それが蘭さんによく似合っていた。足元までサンローランで決めている。

「…あの…どこかお出かけですか?」
「おー。つーかも行くんだよ」
「…え、でも…ハウスキーパーのお仕事は?」
「あー…」

わたしの問いに蘭さんは頭を掻きつつ苦笑いを浮かべた。何だ、その困ったなぁみたいな顔は。

「ハウスキーパーって言うより…オレらの用に付き合う仕事だから気にすんな」
「…は?」

いや気にすんなと言われましても!と心の中で突っ込んでみたものの、「っつーことで行くぞ」と蘭さんに手を引かれるがまま、わたしはもう一度だだっ広いエントランスをくぐるハメになった。

「えっと…どこに行くんですか?」
「買い物~」
「買い物……」

どこへ?と思ったけど、そこへ知らない派手な兄ちゃん数人が「あ、蘭さんお疲れ様です!」と声をかけてきたので口をつぐむ。さすが六本木の帝王。ちょっと歩くだけでその辺の不良っぽい人達に声をかけられている。昔も今も、六本木は灰谷兄弟の街なんだと理解させられる光景だ。

「めちゃくちゃ可愛い子連れて、これからデートっすか?」
「ちげーわ。買い物~」
「仲いいっすね~!」

我関せずで会話を聞き流してたけど、とてつもない誤解を生んでると気づいて慌てて首を振った。

「……え、いや、あのわたし彼女じゃ――」

と言いかけた時にはすでに誰もいない。蘭さんが足も止めずに歩いているからだ。

「え、あの蘭さん…?何か誤解されてましたけど…」

そもそも手を繋いで歩いているせいだと気づき、離そうとした。でも強い力で離せないばかりか、蘭さんは「何、離そうとしてんだよ」と笑いながら何故か指まで絡めて来た。え、ちょっと待って。これは俗に言う恋人繋ぎでは?指、絡めすぎですけど。と心の中で突っ込むものの、ふと顔を上げれば蘭さんの満足そうな微笑みを向けられた。相変わらず美人ですね、と言いたくなる。

「あのー蘭さん…」
「んー?」
「手…繋ぐ必要が…?誤解されますよ」
「いーじゃん、別に。他のヤツにどう思われても。どーせ、彼氏いねーんだし誰に見られても良くね?」
「いや、そうですけど…ってそうじゃなくて!蘭さんは平気なんですか。彼女とか…」
「今はいねーよ」

笑いながら蘭さんはヒルズへと入っていく。徒歩圏内にヒルズあるってことじたい、そもそも生活がバグってるぞ、灰谷家。
それにしても何を買いに行くんだろうと思っていると、蘭さんはそのまま某ブランドショップを巡り始めた。その間もしっかり手を繋いでるから店員さんにも「仲がいいですね」なんて、ニッコリ微笑まれる始末。蘭さんは「いーだろ♡」と何故か店員のお姉さんにまでドヤ顔してるし、もうどうとでもなれと思った。

「これどう?似合う?」
「とてもよくお似合いで…」

やっと手を放されたと思えば、蘭さんは目についたメンズ服を次々に試着しだして一人ファッションショー状態だ。わたしは何の為に付き合わされてるのか分からない。でもこれが仕事だと言うんだから、しっかり働かなくちゃならない。もしかして蘭さんを褒めたたえるのが仕事かもしれない。

「こっちは?黒と、ネイビーと白。はどれが好き?」
「……ネイビー」
「お、よく分かってんじゃん。んじゃーこれにしよ」

蘭さんは一通り試着を終えると、似合うといった物を全て買い、次にレディース物のフロアにわたしを連れて行った。

「んじゃー次はなー」
「……はい?」
「気に入ったヤツ、片っ端から着て見せて」
「……あの…これが今日の――」
「そう。仕事」
「はい…」

ここでゴネたら一時間分の時給が飛ぶ。そう思って言われるがまま、気に入った服を試着してみた。蘭さんはその都度「可愛い!」「似合ってる!」と褒めちぎるもんだから、かなり恥ずかしい。最後にフローラワンピースなる可愛いワンピースを着てみると、「それもいいじゃん」と蘭さんも気に入ったらしい。自分の分と合わせて何故かわたしが試着した服も全部買ってくれた。こんなに買ってくれるとかラッキーかもしれない。昔こんな映画があったよね。渋いおじさまが可愛い売春婦に色々買ってあげるってやつ。って、わたしは売春婦じゃないけども。

「んじゃー荷物置きに一回帰るか」
「…え、一回?まだ仕事が…?」
「当たり前だろ。まだ二時間じゃん。これから竜胆も合流すっから飯食いに行くし。は何食いたい?」
「……」

おかしい。何かおかしい。仕事なのにやっぱりわたしばかり得してる気がする。こんないい思いをして、あげくお給料までもらえちゃうのは何か落とし穴的なアレだったり?

「何だよ。何も食いたいもんねーのかよ」
「え、あ……お寿司!」
「ぶはは、まーた寿司?ほんと好きだな、オマエ」
「だって蘭さん達が連れてってくれるお店、凄く美味しいから」
「そ?んじゃー大将に電話入れとくか。今日は何入ってんのか聞いてみよ」

蘭さんは機嫌も良さそうにお寿司屋の大将に電話をしだした。その横顔を見上げながら、この怪しげなバイトの意味を考えてみる。よく言うじゃない。餌付けして、たらふく食べさせて肥えさせて、その後に食べるっていう…そんなネバーランド的なやつ。でも実際にわたしを食べるはずもないだろうけど、でも何か怖い。こう、甘い罠に落とされて行ってるような――。

「今日は良いマグロ仕入れたって」
「えっマグロ♡」
好きだもんなー。良かったなー」

蘭さんはニッコリ微笑みながらわたしの頭を撫でた。その笑顔は悪魔の微笑かもしれない。でも甘やかされるのが大好きなわたしは、ここで考えることをやめてしまった。甘い罠でも何でもいい。美味しいマグロに罪はない。
そして今夜も灰谷兄弟の思惑通り、怪しいバイトに精を出すことになった。