彼女は誰かに愛されたい
~弟は彼女に看病されたい⑵~



1.

よりによって蘭さんが出張の時に、竜胆さんが風邪を引いて熱を出した。当然のように灰谷家のアルバイト――という名の下僕のわたしが電話で呼び出され、世話をすることになった。これでも梵天では幹部なのに!

まあでもいつも楽しいお仕事ばかり貰ってる気がするし、この辺できちんと恩返ししたいと思うわたしもいる。でも食事をさせてお薬を飲ませて帰ろうとしたわたしに、竜胆さんが「泊ってって」と言い出した。一瞬困ったものの、寂しそうな顔をされると無下に断ることも出来ず、つい頷いてしまった。

「ゲストルーム、使えるようにしてあっから」

と言われたので、竜胆さんも薬を飲んで寝たことだし、ひとまず今夜の寝床になる部屋へ向かう。竜胆さんの部屋を出て一度リビングに出ると、今度は玄関に向かう廊下に出る。ゲストルームはその廊下を歩いて更に左へ曲がるとあった。どんだけ広いんだと思いつつ、この部屋は先日蘭さんに掃除させられたから存在は知ってる。あの時は何も置いてない空っぽの部屋だった。なのに、ドアを開けてビビった。

「え…?」

その部屋は前に見た光景と全く違う空間になっていたからだ。それも――。

「あ…こ、これ、この前竜胆さんに選ばされたソファとテーブル…え?ベッドも?」

振り返ると、部屋の奥にどーんと天蓋付きの大きなベッドが置いてある。これも間違いなくわたしが可愛いなぁと思って見ていたベッドだ。足が猫足だし間違いない。あの時は竜胆さんがこんな可愛いベッドで寝るのかと、想像しながら笑ったりしてたけど、何故ゲストルームに置いてあるんだろう。

「そっか…そう言えば竜胆さんが寝てたベッドは普通に大人っぽいデザインのやつだったっけ…」

改めてそこに気づいたわたしはゲストルームの中を見渡した。よく見れば家具だけじゃない。インテリアまでがわたしの選んだ物ばかりで呆気に取られる。どれも蘭さんだったり竜胆さんに呼び出されて買い物に付き合わされた時に購入してたものだ。

「え…どういうこと…?」

あまりに自分好みの部屋にディスプレイまでされている。ヤバい、テンション上がって来た。
でもじゃあ、わたしが選ばされてたのはゲストルームのものだったということだ。

「はあ~落ちつく…この空間…住みたいかも」

どこを見てもわたしの好きな物が置いてあったり飾られていたりして、心が潤っていくのを感じた。

「はっ!こんなことしてる場合じゃないか…。泊まるなら明日でいいと思ってた買い物に行かなくちゃ…」

高級ソファのフカフカさに負けそうになる体を動かして立ち上がると、まずは食材を買いに行こうと思った。ついでに一泊分の着替えを取りに行くか考える。やっぱり下着類は欲しいところだ。でもふと開きっぱなしになっているクローゼットが目に入った。奥まったところにあるので気づかなかったけど、そこに服がたくさんかけてあるのが見える。

「え…ゲストルームなのに服…?しかも…レディースだし…」

少し気になってクローゼットの方へ歩いて中を覗いてみる。そして本日二度目の驚愕をした。

「え…こ、これ…今まで蘭さんが買ってくれた服…」

中にかけてあるのは買い物と称して付き合わされた際、蘭さんが「も選べよ」と言って買ってくれたものばかりだった。でも最後は必ず「持ちきれねえだろ?オレが半分預かっておくわ」と何着かは蘭さんが持って帰ってしまったのだ。その服が全てこのクローゼットにかけてある。

「え…どういうこと?何でわたしの服が…」

頭の中にクエスチョンマークがずらりと並ぶ。ふと足元を見れば、そこにはミニチェストがあった。こうなると中身が気になってくるのでしゃがんでチェストの引き出しを開けてみる。

「え、嘘…」

そこには色とりどりの下着がずらりと鎮座していた。こんな物をあの二人と買いに行った覚えはない。これは誰の為のものなんだと思いつつ、目についた可愛いブラジャーをつまんで広げてみた。

「え…何でわたしと同じサイズ…」

それは普段わたしが使っている下着のサイズと全く同じだった。ということは、この下着までわたしの為に用意されたものなのか?と首を捻る。っていうかサイズがバレバレなの何気に恥ずかしい。そこであることに気づいた。

「これ…デザインが地味に別れてるのって蘭さんと竜胆さんの好みで買って来た…?」

左右で明らかにデザインが分かれている。左は絶対蘭さんだ。何となくセクシー系だし、色も黒とか紫とか赤が多めだ。でもって右は竜胆さんの好みっぽい。甘辛テイストの中にエロ可愛さがあるし。パンツも全てセットで揃っていて、見る分には楽しい。でも果たしてこれをわたしが使っていいのかどうか迷う。

「と、とりあえず買い物だ」

ハッと我に返ってすぐに部屋を飛び出す。この部屋のことは後で竜胆さんに聞いてみようと思った。






2.

「ご、ごめんなさい…不味い…よね」

夜になって、買い物してきた材料でお粥を作ったら普通に失敗した。シュンと項垂れて謝ると、竜胆さんは引きつらせていた顔に無理やり笑みを浮かべて「い、いや…いいって」とわたしの頭を優しく撫でてくれた。

がめちゃくちゃ料理上手かったらそれはそれでビビるし…ある意味、想像を裏切らねえとこがおもしれーわ」
「…む。そこまで言わなくても…」

とは言いつつ、土鍋の中の団子状態のお粥(!)らしきものは下げることにした。レシピを見ながら作ったつもりが何故かどんどん水分がなくなって、おじやを通り越して出汁ご飯みたいになってしまったの笑う。いや笑えないけど。

「やっぱりレトルト温めてきます…」
「う、うん。まあ…でもそんな落ち込むなって」
「はい…」

こんなドジをしても竜胆さんは相変わらず優しい。熱も少し下がったみたいで、顔色もだいぶ戻って来たからホっとした。とりあえずキッチンに戻って土鍋の団子を処分すると、すぐにレトルトのお粥、そしてそれに入れる鮭のほぐしを用意する。手作りのお粥に入れようと買って来たものだけど、レトルトのは具が少ないから、そっちに入れよう。今日はお湯で温める方法じゃなく、鍋にお粥を入れて直に温めることにしたのは、こうした鮭や小葱を入れて一緒に煮込むと美味しいとネットに載っていたからだ。

「にしても…やっぱり部屋の物はわたしのだったんだ…」

鍋に火をかけながら、ふと思い出す。さっき竜胆さんにさり気なく訊いたら「あーあれ全部の」とあっさり認めた。つまり、蘭さんも竜胆さんもわたしがここへ泊まることを想定して買い物に付き合わせたということだ。わたししか得してないと思うような、あのショッピング三昧はそういうことだったのか、と呆気に取られた。

「…用意周到すぎる」

それにしても、と首を捻る。何でそこまでしてわたしに構うのかが分からない。いくらわたしが若くて可愛いからって(!)あのモテモテ兄弟が女に困って身近な年下の部下に手を出してやろう!と思うはずもない。だいたい蘭さんも竜胆さんもその気になれば通りすがりの女に声をかけてそのままホテルへ直行できるキラースキルを持っているだろうし(!)
なのに二人はいつもわたしを甘やかしてくれる。合コンに行かせてくれないという意地悪はされるけど、それ以外は何だかんだと何でも買ってくれるし(チューは強請られるけど)美味しい物を食べさせてくれるし(やっぱりチューは強請られるけど)セクハラさえなければ優しい上司だと思う。

「でも…梵天の幹部はみんな優しいか。春千夜を除いて」

春千夜に言えば交換条件を出されるけど、ココちゃんはこっそり無条件で給料の前借りもさせてくれるし、鶴蝶はいつも自販機のコーヒー奢ってくれるし、モッチーくんはコッソリと出張のお土産くれるし、武臣くんはいつもお尻触って来るスケベオヤジだけど、会うと「これで飲みに行け」ってお小遣いくれたりする。世間では恐れられてる組織だけど、意外と幹部はみんな気のいいお兄ちゃんって感じだ。蘭さんも竜胆さんも特別優しいし、今は何だかんだいって幸せかもしれない。借金取りに追われてた頃を思えば遥かに天国だ。

「あ、そーだ。ネギ切らなきゃ」

お粥に入れる小葱を出してピカピカの台の上にオレンジ色の可愛いまな板を置く。これも未使用ってくらいに綺麗だ。

「どのくらいの大きさで切ればいいのかな…」

情けないことにわたしは料理が殆ど出来ない。それもすぐスマホで検索して調べると、小葱は細かい方がいいと分かった。いつもお世話になっている竜胆さんの為に美味しいお粥を食べさせたい。例えレトルトでも!そう思いながら気合いを入れて包丁を握る。

「これくらい…かな…?」

スマホの画像を見ながら小葱を細かく刻んでいく。その時、「あれ、何してんの」という竜胆さんの声がしてビクっとなった。その瞬間、包丁の刃が人差し指の爪の横を掠めて痛みが走る。

「痛…っ」
…っ?」

人差し指を見ればじわっと赤い液体が溢れて来て泣きそうになった。包丁で指を切るなんてドラマの中だけの話だと思ってたけど、本当に切れるのか!とびっくりした。(!)

「切ったのかよ?」
「う…竜胆さん…痛い…」

慌てたように歩いて来た竜胆さんは手で庇っているわたしの左手を掴むと「見せろ」と言って確認してくれている。傷口を見るのが怖いのでわたしは顔を背けていた。

「あーだいぶパックリいってんなァ」
「いい、言わないで下さいっ」

そういう表現は聞くだけで痛い。背筋がゾゾゾっとした。でもその瞬間、痛みのある場所に突然ぬるりと湿った感触がしてビクっとなった。驚いて顔を戻すと、竜胆さんがわたしの人差し指を食べて…いや口に含んでいる光景にギョっとしてしまう。

「なっな、何してるんですかっ」
「ん?何って…消毒ー」

竜胆さんはくちびるについた血をペロリと舐めて妖しく微笑む。こんな風に触れられたのは初めてで顔が一気に熱くなった。

「しょ、消毒って…い、今舐めましたよね…っ」
「舐めたけど。ってかの指、マジ甘かったわ」
「…は?な、何ですか、その顔は…」

わたしの手を掴んだまま、ジリジリと近づいて来る竜胆さんに、わたしの足は後退していく。でも腰の辺りがシンク台に当たって逃げ場を塞がれてしまった。

「たったこれだけで、そんな過剰反応されると…」
「な…何ですか…」

竜胆さんはニヤリとしながら距離をつめて、わたしの腰を抱き寄せてきた。

「ちょ…」
「その気になっちゃうってこと」
「そ?その気って何の気――…っ?」

と言いかけた時、竜胆さんが身を屈めて、目の前に綺麗な形のくちびるが降りて来る。

「こういうことしたくなっちゃうわ」
「ん――っ」

指でわたしの顎を持ち上げた竜胆さんはそっとくちびるを重ねてちゅっと軽く啄む。でもそれはすぐに離れていった。

「ぷ…っオマエ、真っ赤じゃん。かっわいー」
「な…」

竜胆さんはさっきまでグッタリしてたとは思えないほど楽しげに笑いだした。からかいついでにキスまでされて、今度は違う意味で顔が真っ赤になった。

「そーいう意地悪やめて下さい…っ」
「ごーめんって。そんな怒るなよ。いちいち素直だからついからかいたくなんの」

頭に来てそっぽを向くと、竜胆さんは頭を撫でながら顔を覗き込んで来る。その可愛い顔面を至近距離で見せないで欲しい。

「ほら、消毒液と絆創膏。薬箱はここな?」

と言って、竜胆さんはリビングの棚から薬の入った箱を持って来てくれた。

「手当てしてやろーか?」
「い、いいです…自分でやるんで。それより…竜胆さんは寝てないとダメですよ!」

薬箱を受けとって竜胆さんの背中を押す。でも竜胆さんは「熱下がってる今のうちに軽くシャワー入るんだよ」と言いながらバスルームに歩いて行った。

「あ、じゃあ出る頃までにお粥用意しておきますね」
「おー頼むわ」

未だ笑いを噛み殺しながら竜胆さんはバスルームへと消えた。

「はぁぁ…ビックリした…」

ひとりになった途端、脱力してその場にしゃがみこむと、今度こそ薬箱から消毒液を出してコットンに沁み込ませたものを傷口へ当てる。なのにさっきの感触が蘇って来て顔が勝手に赤くなってしまった。

(マズい…普段は蘭さんと二人でからかってくるから、わたしも何だかんだ言い返せるけど、こうして一対一だとやけに意識をしちゃうかも…)

彼氏いない歴一年ちょい。さっきのキスはいつものセクハラと違って、何かちょっと彼女とかにするようなアレだったからドキっとしてしまった。ダメだ。上司にときめいている場合じゃない。心に芽生えた邪な考えを打ち消して、指に絆創膏を巻いて行く。

「…やっぱり欲求不満なのかな…」

未だドキドキしてる心臓を沈めたくて大きく息を吐く。周りにはたくさん甘やかして優しくしてくれる人ばかりだけど、でもそれは恋人としてじゃない。わたしはもっと自分だけを愛して可愛がってくれる彼氏が欲しいのだ。そう思ったら何故かちょっとだけ寂しくなってしまった。欲しいものも手に入って幸せな日々を送っているはずなのに、一つだけ足りないのは、きっと――。
その時、わたしのケータイがぴろんと鳴った。すぐにポケットから出して確認すると、それは蘭さんからのメッセージで。

『今すすきので飲んでるけど出張たいくつ~。やっぱ連れてくれば良かったと後悔中。早くに会いたいわ』

寂しさを感じた時にこんな一言を送って来るのはズルい。この兄弟はとことんわたしをときめかせたいようだ。

"出張お疲れ様です。竜胆さんが風邪を引いたので今は看病してるとこです。あ、ゲストルーム見ました。色々とありがとう御座います"

蘭さんにそう返信を送っておく。

「どうせ退屈とか言って、蘭さんは今頃、すすきのの美女をはべらかしてるんだろうなー」

でも誘ってくれてたなら、わたしも出張ついていったのに。なんて、少しだけ思ったのは内緒の話。