鈍い女-⑴



朝起きたら蘭さんからのメッセージでえらいことになっていた。

――竜胆の看病って何だよ。

――まさか家でふたりきり?

――変なことしてねえだろうな?

etc...etc...

そんな他愛もないメッセージが延々と送られてきていた。これはマズいのでは…?と思わないでもなかったけど、わたしは結構忙しいから見なかったことにしよう。今は竜胆さんの召使いとして朝食の用意をしなくては。ついでに言えば春千夜からも何かメッセージが届いてたけど、こっちはさっくり未読スルーだ。
フカフカのベッドから這い出て(寝心地最高すぎる)今のわたしの住んでる部屋より遥かに広いバスルームでシャワーを浴びた後、わたしの為に用意された服や下着に着替える。ばっちりメイクもして出勤する形を整えてからキッチンに向かった。でもリビングに入った瞬間、コーヒーのいい匂いがしてきた。

「おー、おはよー」
「え、竜胆さん、起きて大丈夫なんですか?しかもその恰好…」

昨日まで寝癖をつけて可愛い部屋着姿だった竜胆さんはびしっと髪をセットして普段と同じくスーツ姿だった。普通にカッコいいな、おい。
ただ夕べも少し熱が上がってただけに驚いて尋ねると、「今朝は熱も下がって何かスッキリしてるし平気」と言いながらコーヒーを注いだカップをわたしへ差し出した。そう言えば声も心なしか戻ってる気がする。

「あ、ありがとう御座います…って、え?じゃあ仕事に行く気ですか」
「おー。兄貴も明日まで戻らねえし、オレが寝込んでる場合じゃねえからなー」

コーヒーを飲みつつ、竜胆さんはお皿に乗った綺麗な形のオムレツをカウンターテーブルへ置いた。

「食えよ」
「え、これ…」
「オレ、こういうの得意」

ふふんと笑う竜胆さんはわたしの頭へ手を置くと「看病ありがとな」と微笑んだ。朝からその笑顔は眩しすぎる。不覚にも胸がきゅんと鳴ってしまった。ついでにお腹も鳴ったので竜胆さんに笑われたけど。

「あーそう言えば兄貴にオレの看病してること教えたろ」
「へ?あ、夕べメッセ―ジ来てたんでその時に…。ダメでしたか?」

早速オムレツを食べ始めながら応えると、竜胆さんは無言でスマホ画面をわたしへ向けた。そこにはわたしにも届いていたような蘭さんからのメッセージがびっしり埋め尽くされている。

――竜胆、オマエ、何呼んでんだよ!

――オレがいないからって手ぇ出すなよ!

――おーい、既読スルーすんな!はオレのだから手ぇだしたら分かってんだろーな?

そんなメッセージの合間に背負い投げスタンプまで送ってるの、地味に可愛いかよってなった。竜胆さんもそう思ったのか「兄貴、可愛いだろ」なんて呑気に笑っている。

「わたし、いつから蘭さんのものになったんでしょうか」
「気にすんな。独占欲強めなんだよ、兄貴は。まあ、オレもだけどな」

竜胆さんは笑いながらオムレツを頬張るわたしの顔を覗き込んだ。

がオレを選ぶって言うなら、オレも命がけで兄貴と戦うんだけど」
「……ふぐ…っ?」
「ぷっ…色気ねーな。口元にケチャップついてんじゃん」

驚いて顔を上げたら竜胆さんに吹き出された。しかも近づいて来た可愛い顔を見て呆けている間にくちびるをぺろりと味見するように舐められる。ギョっとして身を引くと、竜胆さんはニヤリと確信犯的な笑みを浮かべた。

「な…何して…」
「んーケチャップ味ののくちびるも悪くねえかなと」

真っ赤になったわたしを笑いながら見下ろすと、頭をぐりぐりしてくる。完全にオモチャにされてる気がして来た。まあ今に始まったことじゃないけど。

「ってことで兄貴もうるせえから残念だけど看病は終わりな?今回の給料は計算して後で振り込んでおくから心配すんな」

竜胆さんはシャツの袖のカフスを止めながら、にっこり微笑んだ。それを聞いて思い出した。今回の時給は約二日分。それを考えると48時間×10万円という計算が脳内で繰り返される。可愛い竜胆さんの看病(特に何もしてない気もするけど)しただけで大金がもらえるバイトはわたしの天職かもしれない。梵天やめてとらばーゆしようかな。なんて不届きな考えが頭を過ぎる。でもすぐに、あの目付きの悪いピンク頭の顏がドーンと前面に押し出されてきた。

(ダメだ…アイツの借金を返さないと…)

お金のこともそうだけど、春千夜が借金を立て替える条件の中に"梵天で働くこと"も含まれている。きっちり契約書まで作成してたし判子も押してしまったから勝手に辞めるとは言えない状態にされていた。

(っはああ…わたしのバカ)

ふと現実を思い出し、ガックリ項垂れると、竜胆さんに「何ヘコんでんの」と笑われてしまった。

「いえ…春千代の呪いが重くて…」
「は?三途~?アイツ、に何かしたのかよ」

途端に怖い顔をする竜胆さんに慌てて首を振った。

「そ、そーいうんじゃなくて…自分の浅はかさに呆れてるだけです」
「はあ?」

よく分からないといった顔で首を捻っていた竜胆さんは、でもすぐに「そういえばさ」と何かを思い出したようにわたしを見た。

「三途って…に惚れてんだよなー?オマエら、昔付き合ってたりしたのかよ」
「…は?」
「それとも実はマイキーと?」
「な、ななな何バカなこと言ってるんですか…っ」

とんでもない質問をされてオムレツが喉に詰まりそうになった。そもそも万次郎は従妹だし、春千夜はただの幼馴染だ。まあ一度襲われかけた気もするけど、アレは思春期特有のやつだと後で分かって、わたしも少しは年頃の男にちゅーをしてはいけないと反省した。子供の頃、おねだりするたび真ちゃんにしまくってたせいで、その辺マヒしてたのが悪い。

「万次郎は従妹だし、まして春千夜と、なんてありえません。ないです。あの男はわたしを下僕としか見てないし」
「え~?そうか?見てて分かりやすいけどな、アイツ」
「分かりやすい…?」
にかまってるといっつも怖い顔で睨んで来るし、めちゃくちゃ威嚇されんだけど、オレら」
「……え、オレらってことは…蘭さんにもそんな失礼な態度してるんですか?春千夜は」
「しまくりだろ。まあ昔ちょっとした因縁があるからなぁ。仲間つっても仲がいいわけじゃねえし」
「……」

知らなかった。仲良しクラブと思っていたわけじゃないけど、そこまでバチバチだったとは。でも確かに灰谷兄弟のことについて、春千夜は気をつけろとか、アイツらにあんま深入りすんなとは言ってた気がする。

「ま、違うんならいいけど」
「ち、違いますよ。きっと春千夜はあれです。自分の下僕が竜胆さん達の命令で動いてるのが気に入らないだけで惚れてるとかはないです、絶対」
「ふーん?」
「あ、その目は疑ってますね。竜胆さんは知らないだけで、昔から春千夜はわたしに意地悪しかしませんから」
「意地悪ってどんな?」
「だから……服を買ったら"スカート短すぎる"って言って捨てられるし、飲み会に行こうとしたら"テメェ、男とチャラチャラ飲んでんじゃねえ"って迎えに来るし、合コンの日に限って残業させるし、もうホントにわたしの疫病神みたいなやつです」

まだ他にも色々あった気がするけど、思い出したらだんだん腹が立って来た。なのに竜胆さんは何故か苦笑いを浮かべて「三途かわいそ~」と言っている。え、可哀そうなのはわたしですよ、竜胆さんと言いたくなった。

「アイツの何が可哀そうなんですか?」
「んー?だから…全然報われてないところ?」
「…???」
「ま、分かんねーんならいいんだけど」

竜胆さんはよく分からないことを言いながら、わたしの頭を優しく撫でた。何故かいきなり子供扱い?

はそのままでいろよ」

頬にちゅっとキスを落としながら、優しく微笑む竜胆さんにドキっとさせられながらも、何か上手く交わされた感が否めない。でもとりあえず体調は戻ったようだから良しとしよう。まずは蘭さんに返事をして、そのことを伝えようかな。