鈍い女-⑵

1.

「テメェ、何ですぐに返信しねえんだよ」

顔を合わせた途端、春千夜はそれこそ親の仇みたいな目でわたしを睨んだ。竜胆さんの看病も終わって一緒に事務所にやってきた途端、春千夜の部屋に呼ばれたと思ったらこれだから嫌になる。

「ごめん…ちょっと他の仕事してて…」
「他の仕事~?オレは何も聞いてねえぞ。オマエ、灰谷弟と一緒に来たようだけど、アイツに何か頼まれたのかよ」
「ま、まあ…大した仕事じゃないよ。それより…春千夜は何の用だったの?」

話を誤魔化すように尋ねると、春千夜は怪訝そうな顔つきでわたしを見ながら、「オマエ、今夜暇だろ?」と言って来た。何か嫌な予感。

「ひ、暇って決めつけないでよ」
「暇じゃねーのかよ。つーか調べたらオマエ、今ひとつしか受け持ってねーだろ」
「う…まあ…。だって蘭さんも竜胆さんもそれ以外の仕事くれないし…」

そう言った途端、舌打ちが返ってきた。相変わらず怒りんぼな男だと思う。そもそも機嫌のいい時あるのかな、春千夜は。

「じゃあ今夜、7時にここへ来い」

そう言って春千夜がメモを渡して来た。見てみると、そこには高級ホテルの名前と大ホールの場所などが記されている。

「え、何?」
「オマエに仕事をやる。ああ、パーティだからドレスアップは必須な」
「えっ?ドレスって…パーティドレスのこと?」
「ああ。持ってねえのかよ。どうせ灰谷兄弟に色々買ってもらってんだろ?」

春千夜はどこか棘のある言い方をしながらフンっと鼻で笑う。ムっとしたものの、あながち間違ってないので言い返せないのが悔しい。(!)

「で、でもパーティで着るようなドレスなんて買ってもらわないよ。もっぱら普段着用だし…」

と言いかけて言葉を切る。春千代がものすっごい怖い顔で睨んで来たからだ。

「あ?テメェ、やっぱ買ってもらってんのかよ」
「え、あ…うん、まあ…」
「……チッ」

いきなり舌打ちをされた。自分で言ったくせに何で怒る?相変わらず春千夜の沸点が謎すぎる。

「じゃあ持ってねーんだな」
「うん…持ってない」
「仕方ねえなァ。じゃあオレが買ってやるから時間は6時に変更な」
「えっ?」
「何だよ」

あまりに驚くワードを耳にしたことで驚いていると、春千夜が片眉を上げて振り返った。

「春千夜が…ドレス買ってくれるの…?」
「だから何だよ。オマエ、持ってねーんだろが」
「う…な、ないけど…春千夜、そんなことしてくれるの珍しいなあと思って…」
「………」

何でそこで赤くなる?何か春千夜が照れること言ったっけ、と首を傾げつつ、「ほんとにいいの?」と訊いてみた。

「いいも何も…仕事で必要だから買うだけだ。他に意味なんかねーし」
「…そっか。じゃあ…分かった。6時ね」
「…おう。そのホテルの近くにプラダあんだろ。そこに来い」
「えっ」
「あ?」
「う、ううん。何でもない。じゃあ6時にね」

慌てて首を振って笑顔で言うと、春千夜は「ああ」とだけ応えて、どこかに電話をかけだした。これで話は終了ということだから、わたしはすぐに部屋を出る。でも背中越しにドアを閉めた瞬間、顏が更に緩んでしまった。

「あの春千代がプラダって…嘘みたい」

いくら仕事用とはいえ、そんなハイブランドのドレスを買ってくれるとは思わない。そこはやっぱりウキウキしてしまう。

「あ、トキコさん、お疲れ様です。はい、これあげる」
「…?どうも」

そこで廊下を掃除していた雑用係のトキコさんに春千夜の部屋からくすねて来た高級チョコレートを3個あげると、ギョっとした顔をされた。丸い顔につぶらな瞳のトキコさんは、いつも事務所を綺麗にしてくれるから助かってるし、時々こうして彼女が大好きそうなチョコをあげているのだ。人見知りなのか、あまり愛想は良くないけど、こっそり見てるとわたしがいなくなった後で美味しそうにチョコを食べてるから、きっとトキコさんもわたしと同じ甘党なんだと思う。

「はあ~早く6時にならないかな」

春千夜の仕事だと思うと憂鬱ではあるけど、そこはドレスの為に頑張ろうと、ゲンキンなわたしはウキウキしながら自分の仕事へ出かけた。



2.

約束通り、6時に店に行ったら春千夜はシックで大人っぽいスーツでビシっと決めて、わたしを待っていた。

「うわ、春千夜、カッコいいじゃん」
「あ?うるせえな。いいから行くぞ」
「何よ、褒めたのに…」

と言いつつ、見上げると、色白の春千夜の頬が薄っすら赤いことに気づく。そこで思い出した。春千夜は昔から誉めても怒るし、けなしても怒る面倒くさい性格だったことを。

(嬉しいならそういう顔すればいいのに、ほんと照れ屋なとこ直ってないんだから)

素直じゃない幼馴染の後をついて行きながら、そんなことを考えていると、気づけば綺麗なお姉さんたちに囲まれていた。この店のスタッフたちだ。蘭さんと竜胆さんもそうだけど、春千夜もどうやら常連のようだ。

「いらっしゃいませ。三途さま。今日はどのような物をお探しですか?」
「ああ…コイツに似合うパーティドレス、選んでやってくれ」
「かしこまりました」

店長らしき女性が言った瞬間、周りに立ってた人達がわたしを拉致して奥へと連れていく。よく分からないまま沢山のドレスをあてがわれ、さあここから選べというような圧をかけてきた。

(選べと言われてもどれが正解なのか分からないんだよなぁ…)

パーティなんてものにあまり出たことがないので、しばし考えた結果、今日の春千夜のスーツと合うように黒のミニドレスにした。ワンショルダーの部分が胸元を飾る装飾と一体になってる可愛いデザインだけど派手過ぎずちょうどいいんじゃないかと思った。

「決まったかよ」

そこへ春千夜が歩いて来た。

「うん。これなんかどう?」
「あー…いいんじゃね。着てみろよ」
「じゃあ待ってて」

春千夜のOKも出たことで、わたしはそのドレスを持って試着室へと入った。その時「ここはもういいから向こうでアクセサリー適当に出しておいてくれ」という春千夜の声が聞こえて、急に辺りが静かになる。きっとこのドレスに合うアクセサリーも買ってくれる気なんだろうなと思った。仕事が絡むとだいぶ気前が良くなるようだ。

「このドレスならプライベートの集まりでも着れそうだしいいな」

下着を外し、ドレスを身につけ、鏡に映った自分を眺める。髪の毛は先にセットしてもらってあるから、このまま着て行っても大丈夫そうだ。

「うん、これにしよ」

適度な長さのミニワンピを気に入って、背中のファスナーを上げようとした。でも半分まで上げたところでファスナーが止まる。どうやら周りの生地を巻き込んでしまったようだ。

「え、うそ…」

上にも下にもいかず、わたしは中途半端に上がったままの背中を鏡で映してみた。強引にあげれば破けてしまうかもしれない。仕方がないからスタッフを呼ぼうと思った時、目の前のドアがノックされた。

「着たか?」
「ちょ、春千夜…そこに店の人いる?」
「あ?いねえけど」
「えー?じゃあ呼んで来てよ」
「あ?なんでだよ」
「背中のファスナー動かなくて」
「はあ?」

という声と共にいきなりドアが開けられ、ギョっとした。

「ちょ、ちょっと!勝手に開けないで」
「引っ掛けたんだろ?見せてみろよ」
「え、ちょっと…っ」

強引に入って来た春千夜がわたしの肩を掴んで無理やり鏡の方を向かされる。下着も付けていない背中を晒してるのかと思うと一気に顔が熱くなった。

「あ~ジッパーが生地少しだけかんでる。ちょっと待ってろ」
「う、うん…」

前をしっかり押さえつつ、恥ずかしいけどここは春千夜に任せることにしてジっとしてると、背中の辺りでモゾモゾしていた春千夜が「外れたし上げるぞ」と言った。とりあえずホっとして「お願い」と応えた時だった。ファスナーを上げる感覚と共に、背中の肩甲骨の辺りに何か柔らかいものを押し付けられた気がしてビクっと肩が跳ねる。目の前の鏡には春千夜が身を屈めて、わたしの背中へ顔を埋めてる姿が映っていた。

「な…何してんの?春千夜…っ」
「何って…キスだろ」

悪びれた様子もなく言ってのけると、春千夜はファスナーを全て上げて、またわたしを振り向かせた。

「…なに真っ赤になってんだよ」
「だ、だって…セクハラ…!」
「あ?オマエだってウチの幹部にセクハラしてんだろーが。知ってんだぞ?真一郎にやってたみてーにアイツら転がしてんだろ?」
「な…こ、転がしてないよ…ちょっとお願いしてるだけだし」
のちょっとはキスすることも入んのかよ」

春千夜は目を細めて詰め寄って来る。狭い試着室の中では逃げ場もなく、鏡に背中を押し付ける形になってしまった。

「そんなの春千夜に関係ないじゃない…いいから出てってよ、もう」

何気に壁ドンをされてる状態で落ち着かない。視線を上げると、春千夜の大きな瞳が細められ、怖い顔で睥睨してくる。胸元の大きく開いたドレスだから、上から見下ろされるとひどく落ち着かない。そんな気持ちを知ってか知らずか、春千夜は不意にニヤリと笑った。

「そーいや、このドレス買ってやる報酬は貰ってなかったな」
「……え?ほ、報酬って…?」
「オマエの得意なもんだよ」

と言った瞬間、春千夜は身を屈めて顔を近づけて来た。驚いて逃げようとしても、もう片方の腕が腰に巻き付く。あっと思った時にはくちびるを塞がれていた。

「…んんっ」

強引にくちびるを割って侵入してきた舌が、逃げ惑うわたしの舌を器用に絡めとっていく。春千代にこんなキスをされたのは初めてで、びっくりして胸元を押してみたもののびくともしない。すぐに手首を掴まれてそれも鏡に押し付けられた。春千夜の舌は口内を余すことなく貪って、わたしの息が苦しくなる頃、やっと解放された。

「ど…どういうつもり…」
「あ?このドレスの分、回収しただけだよ。オマエがいつもしてることじゃん」
「な…だからって、こんなとこでいきなりする?」
「じゃあ別の場所ならいいのかよ」
「…う…」

ニヤニヤしてくる春千夜が憎たらしい。だいたい、あんなエッチなキスをどこで覚えたんだ、この男は。思えば春千夜のファーストキスはわたしが奪ってしまったようなもので、あれ以来春千夜は色んな女の子と噂になってたことを思い出した。わたしが春千夜のオスの部分を目覚めさせてしまった気もするけど、あれから一体何人の女とキスしたんだと思うほど、慣れたキスだった。

「ほら、着たなら行くぞ。時間がねえ」
「わ、分かってるよ…」

春千夜が試着室を出て行こうとするのを見て、わたしは脱いだものをまとめて紙袋へしまう。それを持って立ち上がった時、春千夜はふと振り返った。

「な、何…?」

何となく視線に嫌なものを感じて、紙袋を胸元で抱きしめる。そんなことは意に介さず、春千夜はわたしの耳元に口を寄せた。

「今の続きして欲しかったらホテルに部屋、とるけど」
「…は?」
「物足りなさそうな顔してんじゃん」

ギョっとして顔を上げると、春千夜がニヤっと笑った。昔はもっと不器用だったはずの春千夜が、今ではすっかり"女たらし"みたいな台詞を言うようになってしまってる。

「してませんっ」
「…てぇ!」

頭に来て足を思い切り踏んでやると、春千夜は「何すんだ、テメェ!」と怒りだした。

「そんなのこっちの台詞!ドレスは仕事で使うんだし経費で落ちるでしょっ?なのに何で春千夜にちゅーされなくちゃならないの?しかもあんなエロいやつ!どうせするなら経費で落としてくれるココちゃんにするもん」
「あぁ?テメェ、経費って何言ってんだ。それはオレがオマエにプレ――」
「あ、すみませーん。このドレスに合うアクセサリー見せて下さ~い」

春千夜を押しのけて試着室を出ると、すぐにスタッフの人達がいる店内へ歩いて行く。後ろで春千夜が文句を言っていたけど聞こえないふりをした。あんな可愛くなくなった幼馴染なんて、もう幼馴染じゃない。三途春千代という見知らぬ反社の男だと思おう。って、わたしも梵天の女だったっけ。とりあえずは、この可愛いドレスにあうとびきりのアクセサリーを選ぶとしよう。