梵天のオバチャン、再び。(痴漢撃退の真相)




梵天のオバチャンこと時任トキコは、この日もいつも通りの流れで廊下を掃除していた。だが数分前、トキコの愛する男、灰谷蘭が事務所に顔を出したことで、エントランス付近を掃除していたトキコは徐々に移動を開始。その数分後には蘭のいる部屋のドアに張り付いていた。

「ハァ?痴漢だ?!」
「そーなんです…っ!」

ドアに耳をくっつけていると、中から愛しい蘭と騒々しい女の声が聞こえてくる。。トキコの永遠のライバルだ。今日も愛しい男と仲良くしゃべり出すに、トキコは嫉妬の炎を燃え滾らせる。

「どこのどいつだ、そのクソ野郎は…!顔は?見たのかよ?」
「…見てない…。追い越しざま手だけ伸ばしてきたって感じだし、ビックリしちゃって…」
「…チッ。オレのエレナのオッパイ揉み逃げとはいい度胸してんなァ、そのクソガキ」

(はぁぁ!私の蘭ちゃんが、あんな小娘をオレの、だなんて羨ましい…ううん。憎たらしいっ)

またも会話を盗み聞きしては怒りを募らせるトキコだったが、実は今の会話の中に出てきた痴漢のことはトキコも知っていた。それはトキコがその犯行を目撃していたからだ。
トキコの住んでいるマンションは梵天事務所の近くにある。それもとは家の方向が同じで、帰るコースも同じなのだ。トキコはこれまでも何度かを見かけたことがあったものの、当然憎きライバルに声をかけることはせず、遭遇しても隠れたりしていた。なのでは全くトキコの存在に気づいていない。

でもあの夜、実はトキコも混雑していたコンビニで買い物をしていた。そこへ派手な格好をしたが来店。げ、と焦ったトキコは商品棚の陰に隠れつつ、をやり過ごした。は酔っているのか、足元をフラつかせながら、熱心にスイーツを眺めている。そのまま食べたいものをカゴへ入れ、ついでに酒やツマミなどを買って、はコンビニを出て行った。トキコは見つからなくてホっとしつつレジに並んでいた。そして、トキコの前に並んでいたのが例の痴漢野郎だったのだ。トキコが買ったのは夕飯用の弁当のみ。温めは断ったので、痴漢野郎が出てすぐにトキコもコンビニを出ることになった。そこで目撃したのは、足早に前を歩くベージュのジャケットの男。その男は誰かを追いかけるよう足早に歩いて行く。それが少しだけ気になった。前方にはしか見えなかったからだ。でも明らかに知り合いではない。何となくトキコも男と同じように足を速めて歩きだした、その直後。男がを追い越した際、彼女の胸を揉んだように見えた。

(アイツ…痴漢?!)

は驚いたのか、その場で固まってしまっている。その隙に痴漢野郎に逃げられ「あんの野郎~!」と怒っているのが見えた。この時はまだトキコも内心「ざまーみろ」くらいしか思わなかった。でも家に帰り、先ほどのの様子を思い出すと、ザマーミロと思って可哀そうだったかなと思い始めた。確かには愛しい男、蘭を独り占めするような悪い女だ。(!)だけどトキコも同じ女として、痴漢に合う恐怖や屈辱は嫌というほど知っている。これでも若かりし頃は色んな痴漢や変質者に遭遇してきた。

電車内でお尻を撫でまわし、硬くなったアレを腰に押し付けてくる変態ジジイ。(後ろの人痴漢です、と目の前にいたおばちゃんに訴えてやった)
背後に立ち、何故か首筋に息を吐きかけてくるサラリーマン。(睨みつけたらそそくさと逃げて行きやがった)
カメラを持った手を下げたまま盗撮してきたオタク風のメガネ野郎。(は?と言ったら慌てて電車を降りやがった)
夜道を歩いていたら自分のモノを出してしごきながら自転車で追い越して行った大学生風のクソガキ。(待てこら!と怒鳴って追いかけたらオリンピック選手並みにチャリをこいで逃げやがった)
マックでランチしてたら店のガラスの向こうで自分のモノを出そうとした銀行マン風のメガネスーツ男(ガラスに友達のライター投げたら逃げやがった)

まだまだ他にも沢山、変態に遭遇しているトキコは、が味わった恐怖や怒りが死ぬほど理解出来てしまった。

(ムカつく小娘だけど…やっぱり痴漢野郎は許せない!顔はバッチリ見てるし…今度アイツを見つけたらタダじゃおかない)

そう心に誓ったトキコも、燃え滾る正義感で全く睡魔が訪れず、同様、一睡もしないまま朝を迎えたのだった。
そして一週間が経ったこの夜も、トキコはがフラつく足取りでコンビニへ入っていくのを見かけた。仕事帰り、トキコは焼き鳥屋で昔のヤンキー仲間と食事をした帰りだった。また部下も連れず、酔っ払って歩いて帰宅しようとしている。そこでトキコはコンビニ前で待ち伏せをして、買い物を終えて出てきたから距離を取りつつ尾行を始めた。そしてのマンションまであともう少しというところで、脇道からスっと男が現れたのだ。その男は例の痴漢だった。男はちょうどとトキコの間を歩き始めた。あのタイミングの良さはを待ち伏せしていたようにトキコの目には映った。もしかしたら触るだけじゃ飽き足らず、彼女を襲おうとしているのでは…と思ったトキコは、男にバレないよう、後ろからついて行った。
その時だった。男が少しずつ足を速めて行き、の背後に近づくと後ろから抱き着こうとしている。それを見たトキコは今の自分の年齢を忘れ、若い頃のように思い切り走りだした。

「危ない!!」

思わず叫んだことで、まず男がギョっとして振り返る。トキコは男の目前まで迫っていた。そして驚きすぎて固まっている男の腕を徐に掴むと、その勢いのまま――背負い投げをした。

「うぉりゃぁぁぁっ!!」

女の中じゃケンカは誰にも負けない。かつてレディースの間で"無敵のトキコ"と呼ばれた彼女のプライドが、トキコに男を投げさせた。渾身の一撃だった。

「へ…?」

何が起きたのかサッパリ分からず唖然と立ち尽くしているを見て、トキコはハッと我に返る。しまった。バレてしまった。思わず逃げようとしたその時、背後から誰かが走って来るような足音がした。

「エレナ!何があったんだよ…!」
「ら……蘭さんっ?」

(きゃぁっぁぁ!らら蘭ちゃん!)

心の中で叫ぶトキコに目もくれず、蘭はをぎゅうぎゅうと抱きしめている。その光景を見てイライラ度数がマックスになったトキコは、再びへの殺意が止まらない。
だがしかし、蘭がトキコの存在に気づき、振り向いた。トキコは掴んだままの男の腕をパっと放し、蘭を見て当然のように頬を紅色に染めた。

「は?トキコ…何でオマエがここにいんだよ」
「ら…蘭さん…♡」

愛しい男の視界に入り、乙女のような声を出したトキコに、は絶句している。だがはすぐ蘭に「トキコさんが助けてくれたんだと思う」と進言してくれた。

「え、これトキコがやったのか。オマエ、すげーじゃん」
「い、いえそんな……昔取った杵柄きねづかってやつですぅ…♡」

トキコはついつい腰をくねくねさせながら、蘭の前では女子オーラが駄々洩れしてしまう。なのにトキコの恋心は蘭に全く伝わらない。

「チッ…コイツか。例の痴漢って…オレのエレナのオッパイ揉んだとか許せねえ…オレでさえ揉んだことねえのに」
「…はい?」

(そんな!私のを揉んでいいのよ?!)

論点が大幅にズレているトキコの思考は止まらない。だがその時だった。蘭がトキコの方へずんずんと歩いて来る。え?と思った時には蘭の綺麗な顔が目の前にあった。

「トキコ、エレナのこと助けてくれてさんきゅーな。マジで助かったわ」
「え、い、いえ…そんな――ぎゃふう…!」

モジモジと少女のような照れっぷりを見せていたトキコだったが、同時に蘭がガバっと抱き着いてきた。その瞬間、トキコのラブリミッターは崩壊。自分でもどこから出したんだと首を捻るほどの獣臭が漂う雄たけびを上げ――そのまま意識を失ってしまった。
そして次に目を覚ました時、事務所の仮眠室で寝かされていた。テーブルには何故か高級ユンケルと"お疲れさん"という蘭の手書きのメモが置いてある。

「……蘭ちゃんたら…これ飲んで夜這いでもしろってことかしら♡」

今日も今日とて、トキコの妄想が止まらない朝だった。