カーテンの隙間からかすかに差し込む日差しを瞼の裏で感じながら、無意識に隣へ手を伸ばす。でも指先が滑らかなシーツを撫でるだけで、温もりを感じることはない。それがやけに寂しく感じた。



1.

その個室には明らかに重苦しい空気が漂っていた。元々が仲良しグループというわけでもない東卍の幹部達が、月一の報告もかねて集まる幹部会。普段から協力関係というよりも互いにライバル視してる者同士が顔を揃えれば、まあこうなるのは至極当然と言えば当然なのかもしれない。ただ集まって軽く一カ月の売り上げや上納金の報告を上にした後は、黙々と食事をするだけだ。

今日は六本木にあるフレンチレストランということで、料理もちんたら運ばれてくる。フレンチはソースが命らしい。でも見た目は綺麗でも、オレ的にはねっとりとするフレンチ独特の濃いソースはあまり好みではなかった。オードヴル、ポワソン、メインの肉にまでカラフルなソースがかかってる。どれも似たような味にしか感じないのはオレが「バカ舌」だからだとココに笑われたこともあるが、そりゃ多少の味の違いくらいは分かってる。でもベースが似てるのだから、メインの頃にはすでに飽きてるし、バターの香りが鼻についてきたら、もう腹はいっぱいという感じで終わってしまう。後はひたすらワインを飲むだけだ。

まあそれはオレに限っての話で他のメンバーは美味そうに食ってる。オレの隣に座ってるココも最後のデザートまでしっかり食べることが多いから、そこそこフレンチは好きなんだろう。だけど今日は少し様子が違った。メインの鴨肉には殆ど手をつけず、オレと同様、チーズや手作りパンなどをツマミにワインをがぶ飲みしている。珍しいこともあるもんだと思った。今月も上納金ではトップになり、稀咲さんから誉めてもらったばかりで上機嫌のはずなのに、何故か今日は食欲がないようだ。ココは見た目の細さに反してよく食べるし飲む方だからこそ、少し気になった。

「どーした、ココ。あんま食ってねーな」
「んー?あ~。なーんか…フレンチって飽きるよなぁ~似たような味ばっかでさ」
「…は?」

前は結構好んで食ってたはずのココが溜息交じりで言うから、ちょっとだけ驚いた。オレがそれを言った時は「違いの分からない男」なんて言ってからかってきたくせに。思ったことをそのまま口にすると、ココは「そーだっけ」と苦笑してる。

「腹の調子でも悪いとか?」
「いや全然。マジで飽きただけ。っていうか今のオレはの作った親子丼が食いたすぎる…」
「…あ?親子丼だ?」
「そー。三つ葉が乗ってて出汁の利いた卵と鶏肉がふわっふわのトロトロで美味いんだよ、これが。あーやべえ。思い出したらマジで食いたくなってきたわ」

とは、ココがたまたま渋谷で絡まれてたところを助けたという女の名前だ。それもココの前の女が浮気してた男の恋人だったという驚きの偶然がオマケでついてきた。とっくに始末してしまった男のことを探られないようにする為、ココは「アイツはオレの女と逃げた」という嘘をついて、どうにか誤魔化すことは出来たものの。少しの間は様子見で時々会ってたようだ。でも半年ほど前、オレの予想通り、その子とココは男女の仲になったらしい。ココ曰く「向こうから誘ってきた」という話だった。でもそうなるのにはココにも多少のベースがあったからこそ手を出したんだろうし、何ならそのまま付き合えばいいとオレは思っている。これまでは適当な女と付き合っても、決して本気にはならなかったココを見ていると、やっぱり赤音の顏がちらつくからだ。なのにココは前の女で懲りたのか、それとも、やはり赤音に今も拘っているのか。

――もう適当な女との恋人関係なんて面倒だわ。女はやっぱヤりたい時に会うだけで十分だし。

なんて言いだした。とは体の相性がすこぶるいいらしい。だから今もいわゆるセフレみたいな関係を続けているようだ。
…と、まあココは表向き色々と言ってたが、オレからすればココはあの子を遊び相手として扱っているようにはどうしても思えない。遊びでいいという割に家にまで呼んで食事まで作ってもらってるようだし、やってることは恋人同士のそれだと思う。あげくに彼女の作った親子丼が食いたいとか言い出す始末。ほんと素直じゃねえな…と、つい苦笑してしまった。

「何笑ってんだよ…」
「…別に。何だかんだ楽しそうに付き合ってんじゃんと思っただけ」
「あ?付き合ってねーから」
「…はいはい」

オレがからかうと、すぐムキになって言い返す辺り、自分でも彼女に惹かれてる自覚はあるんだろう。でも認めたくないのは過去のことを引きずってるのもあるだろうが、やっぱり住む世界が違うことを気にしてるとしか思えない。
彼女とは何度かココの家で顔を合わせたことがある。オレが連絡もせず、ふらりとココの家に寄った時はだいたい彼女が来ていた。ココは気まずそうにしてたが、渋々といった様子で紹介してくれた。

――え、ココくんの幼馴染?は、初めまして。わたし、と言います。ココくんには危ないとこを助けてもらって…―

突然のオレの訪問で彼女も驚いてたようだったが、オレもちょっと驚いた。話には聞いてたが、本当に普通の女で。派手なところもなく、オレ達なんかと関わるような人間じゃないタイプの子だったから。確かにあの子はいい子みたいだし、どこか雰囲気が赤音に似ていた気がする。おっとりしてて柔らかい空気を持つ子だった。

(あの子なら…ココの頑なな心を変えてくれそうな気がするんだけどな…)

チラっと視線を向ければ、ココはケータイでメッセージを打ってるのが見えた。どうせ彼女に連絡して親子丼でも作ってもらう気だろう。今日は幹部会ということで会う予定は入れてないのだから、彼女からすれば急な呼び出しだ。でも来てくれるという確信がココにはあるのかもしれない。こんな風に我がままを言える、それを受け入れてくれる相手がココには必要だと思う。

「…チッ。そーだった…」

ココがメッセージを送ってすぐ、彼女から返信が届いたらしい。ココが小さく舌打ちをしたのが聞こえて、オレは「どうした?」と尋ねた。

「いや…、今日は高校の同窓会だって言ってたの忘れてたわ…せっかく飯作ってもらおうと思ったのに」
「フーン…そりゃ残念だったな」
「残念どころの話じゃねえ。すっかり親子丼の気分なのに」

ハァ…と溜息を吐いて項垂れるココは本気でガックリきてるようだ。というか彼女にしっかり胃袋つかまれてんじゃねーか。

「そんなに美味いならオレにも今度食わせろよ」
「…あ?やだよ」

オレが苦笑交じりで言えば、ココはガバっと顔を上げて目を細めた。どうせオレにはセフレと言ってる手前、彼女と一緒のところを見られたくないんだろう。それだけで二人きりの時は彼女をそんな風に扱っていないことが伺える。

「飯くらいいいだろ、ケチ」
「…ケチって…つーかイヌピーは何でにそんな拘るんだよ」
「拘ってねえけど…いい子だからな。オレとしてはああいう子にココのそばにいて欲しい」
「…だから…アイツはそんなんじゃ…」

と言いかけてココは言葉を切った。またケータイに返信が来たんだろう。ココがメッセージを確認している。

「…お、帰りに寄ってくれるらしい」
「へえ、良かったなァ?」
「………」

自然に顔を綻ばせるココを見てニヤリと笑えば、ココの目が少しずつ細くなっていく。オレがココの心境の変化に気づいてることを、ココも気づいてるのか気まずいようだ。

「…チッ。何でもかんでも分かったような顔しやがって…オレ、イヌピーのそーいうとこ嫌い」
「何でもかんでもは知らねーけどな。今のオマエは分かりやす過ぎんだよ」
「………」

オレのツッコミに一瞬ココは言葉を詰まらせると、困ったような顔で目を伏せた。自分の心に芽生えたものを誤魔化そうとしたところで、人間そんなに強くない。そばにいてくれる相手を好きになれたら、そっちの方がいいに決まってる。ココはこれまでそういう相手に出会えなかっただけだ。

「赤音が今のオマエを見たら悲しむって思わねえの」
「…あ?」
「いつまでも死んだ自分に拘って、孤独な道を選んでるオマエをアイツが望むと思うのかよ。オレの姉貴はそんなにひどい女だったか?」
「…っ」
「自然に大切だと想える子が出来たなら、正直に認めたらどうだ。きっと姉貴もそれを願ってる」
「…オレは…ッ…」
「住む世界が違うって思ってるかもしんねーけど、彼女はそれ分かっててオマエの為に飯作ってくれたりしてんだろ。オレから言わせりゃ関わった時点でおせーんだよ。それを理由に彼女と向き合えないなら今すぐ縁を切れ。その方がよっぽど彼女の為だ」

オレの言葉にココはもう何も言い返してこなかった。ただ無言でケータイを見つめながら何かを考えこんでいる。少し言い過ぎたかと思ったが、10年以上も初恋をこじらせてきたココにはこれくらい言わないと前に進めない。赤音の為にも、そろそろ色んなことを吹っ切って欲しかった。

「…オレ、先に上がるわ。後は任せた」

それだけ言うと席を立ち、ココの肩をポンと叩く。今は一人で考えさせたほうがいい。それにココが親子丼だなんだと騒ぐから、オレまでマジで脳内がそれ一色になってしまった。

「ハァ…つーかそんなもん食わせてくれる店ってどこにあんだよ…」

フレンチレストランを出て部下の運転する車に乗り込むと、とりあえず渋谷の駅前まで行ってくれと声をかけた。確かあの辺にそれっぽい店が何件かあったはずだ。スマホで検索しながらサイトをチェックしていく。でもどの店もランチでは親子丼を扱っているものの、夜はやってないらしい。ココじゃないがオレもガックリ項垂れた。

「クソ…ココのせいだな…ふわふわのトロトロなんて言うからオレまで頭が親子丼になっちまってるし…」

ブツブツ言いながら窓の外の景色を眺めていると、渋谷駅が見えてきた。時間を見れば午後の11時。こんな時間じゃもう無理かもしれない。

「ああ、事務所手前のコンビニに行け」

部下にそう声をかけると、車はすぐに方向を変えた。ココの事務所の近くにあるコンビニに確か親子丼が売ってたな、と思い出したのだ。この際コンビニの弁当でもいいくらいの勢いだった。

「オレは歩いてくから、オマエはこのままココを迎えに戻れ」
「分かりました。お疲れ様です」

部下はそれだけ言うと元来た道を戻っていく。オレの家は事務所の裏のマンションだから、ここから徒歩で数分。買い物してから歩いて帰るのもたまにはいい。そう思いながら人混みを抜けて道を渡ろうとした時だった。見覚えのある小柄な女が視界に入って足を止める。

(あれは…か…?)

反対側の歩道を足早に歩いている彼女の姿を見つけ、ふとココの話を思い出した。今日は確か同窓会だと言ってたっけ。確かに前に会った時よりもシッカリとメイクをして可愛らしい白のワンピースを着ている。腕時計を確認しながら真っすぐココの事務所の方へ向かってるように見えた。

(ああ、そっか。同窓会が終わってこれからココに親子丼を作りに行くんだな)

先ほどココが「帰り寄ってくれるらしい」と言ってたことを思い出す。ココは気づいてないだろうが、その時の表情は本当に嬉しそうだった。だからつい余計なお節介を焼いてしまったのかもしれない。

「チッ。オレがコンビニで我慢してんのにココはこれから彼女の手作りの飯を食えんのか。ムカつく」

苦笑交じりで独り言ちながら、彼女が歩いて行く姿を見送っていた。だがその時、数人の男達が彼女を追いかけていくのに気づいた。

(何だ…?アイツら…明らかにの後を追いかけて行ったように見える…)

気のせい、ではない感じだ。何となく嫌な予感がして追いかけようという気持ちになった。

「クソ…早く途切れろよ…」

道を渡りたくても駅前の道路は常に車が走っている。イライラしながら彼女の向かった方角を見ていた。



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夜の渋谷は相変わらず人が多いが、今日は久しぶりに高校の同窓会で駅前の店までやって来た。同窓会と言ってもホテルの大ホールを貸切るような大仰なものではなく、少し広めのホールを借りれる居酒屋で行われた。社会人ともなると参加出来る人も限られるということで、今日集まったのは15人程度。その中に良治の姿はない。当たり前だけど、浮気相手と海外に逃げたのだから幹事は連絡が取れなかったと話してた。わたしのとこに連絡が来て知らないかと聞かれたけど、さすがに本当のことは言えず、ただ別れたから知らないとだけ応えておいた。

「だいぶ皆も酔ってきたねー」

同窓会が始まって一時間も過ぎれば、ある程度は酔っ払いが出来上がる。わたしに話しかけてきた桃子もほろ酔いを通り越して少しフラフラしている。彼女とは前回の同窓会でも一緒になり、二次会は良治と3人でカラオケに行ったことを思い出す。学生の頃はグループも違い、それほど親しくもなかったクラスメートだ。

「そう言えばさー。良治と別れたんだってー?」

桃子はわたしの隣に座って酎ハイを注文しながら、意味深な笑みを浮かべた。あまりその話はしたくなかったけど、わたしと彼が付き合ってたのは皆が知ってることだ。今日ここへ来ていないことを考えれば当然聞かれるだろうなとは思っていた。

「うん、まあ…」
「何で何で?」
「何で…」

桃子はどこかワクワクしたような期待を込めた目でわたしを見ている。それが少し悲しくなった。
どうして人は人の不幸を自分の楽しみに変えてしまうんだろう。知り合いが別れたりすると、大半の人は理由を聞きたがる。いや、別に知り合いじゃなくても、それが例え自分に関わりのない芸能人でも「別れた理由」にスポットを当てがちだ。ほぼ興味本位だと思うけど。付き合った時はあまり理由を尋ねて来る人はいないのに、別れた時には理由を聞きたがる。でも聞かれる方はたまったものじゃない。それも、自分が捨てられた立場だったらなおさらだ。

「えっと…」

わたしも例に漏れず、良治の浮気のことは話したくなかった。でも桃子は引き下がる様子もない。良治と同じくクラスの中心にいるような子だったけど、真逆の位置にいたわたしは彼女のこういう強引なところは少し苦手だ。

「当ててあげようか」

わたしが口ごもっていると、桃子はニヤリと笑みを浮かべながら運ばれてきたばかりの酎ハイのジョッキを指でなぞった。水滴が彼女の指を濡らしていく。ゆっくり視線を上げると、桃子はわたしの顔を覗き込むようにして微笑んだ。

「浮気、でしょ、アイツの」
「…え…?」
「あ、その顏はやっぱそーなんだ」

桃子はやっぱりねーと言いながら再び酎ハイを飲みだした。わたしはどんな顔をしてたんだろうと思ったけど、あっさりバレたことに驚いてしまう。

「そうだと思った。アイツさぁ~昔と比べてちょっと軽くなったとこあったもんね」
「…え、良治くん…が?」
「あれ、気づいてなかった?私も良治に口説かれたことあるし」
「え、嘘」

普通にビックリしてしまった。あっけらかんと爆弾発言をかました桃子は「まあ二人別れたんだし、もう時効だからいいか」と笑った。

「実はさ~前の同窓会の後にアイツから連絡来て何度かデートしたんだよね、私」
「……デート」

全然知らなかったと絶句していると、桃子は苦笑気味に「ごめんね」と両手を合わせてくる。今更謝られても、と思っていると、彼女はまたしても驚くようなことを口にした。

「まあ、と付き合いながら私のことホテルに誘って来るような男だからさー。二人が別れたって聞いた時、女絡みかなと思ったわけ」
「……ホテル…良治…が?」

まさか昔のクラスメートにまで手を出してたとは思わなかった。とっくに気持ちはないけど、それはそれでショックだった。浮気されてたと知った時以上に悲しいのは、相手が知り合いだったからかもしれない。

「まあ、だってと良治って長いこと付き合ってたのにエッチもしてなかったんでしょ?アイツ、愚痴ってたよ~。だから誘って来たんだろうけど」

そうか、そういうことか。桃子はわたしが何も言わないのをいいことに、良治がどんな風に愚痴ってたのかをペラペラと話し出した。まさかピロートークでわたしのことを話されていたなんて、笑えない話だ。
わたしのケータイにメッセージが届いたことを知らせるアプリ音が響いたのは、桃子の無神経さに嫌気がさしてきた頃だった。未だに「あんな浮気男と別れて正解だよ」と身勝手な話をしている桃子を無視してスマホを出す。ディスプレイに並んだ通知の中にココくんの名前を見つけた時は、何故か泣きそうになった。

「あ、何メッセージ?」
「うん…」

わたしがスマホをいじりだしたからか、桃子は一旦話を止めて「え、こんな時間に送ってくるなら…もしかして新しい彼氏?」と訊いてくる。きっとわたしの表情を見て男からだとピンと来たんだろう。今まで散々不幸な女だと思っていたわたしに、男らしき人物からメッセージが来たのを知った桃子は、更に興味津々な顔でわたしを見つめた。

「うん、まあ」

だからついウソをついてしまった。ココくんは彼氏でも何でもないのに。何となく桃子に不幸で可哀そうな女と思われたまま帰るのは癪に障ったのかもしれない。人の彼氏と実は寝てたとあっけらかんと言って来るような子だから余計に。

――今日、何してる?

そのメッセージに同窓会だよと送り返すと、またすぐに返事が届く。

――あー忘れてた。そう言ってたな。
――どうしたの?何か用だった?
――いや、の親子丼が食いたくなっただけ。

そんな短いやり取りをしながら、最後の一文に嬉しくなった。会ってない時にわたしの作ったご飯が食べたいと思ってくれたことに感動すら覚えてしまう。すぐに作りに行こうか?と返すと、いいの?と返って来た。

――もう同窓会終わるし、その後に家に行くね。

最後にそう返信していると、ずっと隣で待っていたらしい桃子はニヤニヤしながら身を乗り出してきた。

、新しい彼氏できたんだねー。やるじゃん。どんな人?」
「……どんなって…あ、ごめんね。わたし、そろそろ帰らないと」
「え、何、これから会いに行くの?」
「うん…何かご飯作って欲しいみたいで…」
「うわーラブラブじゃん」

桃子は酔っ払い特有の大きな声で騒ぎながらからかってきたけど、わたしはそれを軽く交わして他の皆に声をかけてから店を飛び出した。彼女から聞かされた話はちょっと驚いたし衝撃的だったけど、今はどうでもいいことのように思える。良治がそこまで変わってしまったのは、ある意味わたしのせいでもあったんだろう。
外へ出た時には昔のクラスメートのことは頭から綺麗さっぱりと消えていて。早くココくんに会いたい一心で人の多い道を足早に歩き出す。
だから――気づかなかった。
ココくんと知り合うキッカケを作った男達がわたしに気づき、後を追いかけてきたことを。

あの角を曲がればココくんの事務所が見えてくる。そう思って走り出そうとした時だった。突然背後から数人の走って来る足音がしたと思った瞬間、わたしを追い越し、目の前に立ち塞がった。

「どーも、久しぶり~」
「…っ?」
「覚えてる~?オレらのこと」

男達は4人いた。でもその中の3人は、あの夜わたしに絡んで来た男達だった。あの日の夜はサッカーのユニフォームを着てたけど、今はTシャツにカーゴパンツといったラフなスタイル。こうして見ると前に会った時より若く見える。

「アンタのおかげでオレ達散々だったんだよね~」
「な…何のことよ…――きゃ…」

暗がりの道でジリジリと迫ってくる男達から後ずさると、男の一人がわたしの腕をぐいっと引っ張った。

「あの時の男がさ~裏で手ぇ回したのか、オレらの大学にまで警察が来たんだよ」
「け…警察…?」
「つっても、あん時のお巡りじゃなくてマジもんの刑事な?事情聴取とか言って目立つ場所でアレコレ聞かれて参ったわ。もうあの夜で終わったことをわざわざほじくり返しにきやがって」
「おかげで学長に呼び出されるわ、親にまで連絡されるわでさ~大変だったわ、マジで」

男は心底ムカつくといった顔でわたしを睨んでくる。でもわたしはそんな話、初耳だった。きっとココくんが何か仕掛けたんだろうけど、反社の彼らがもっと上の警察と繋がってるってことだろうか?もしそうなら、きっと無罪放免になった彼らに報復したのかもしれない。

「つーわけでアンタがキッカケなんだからさー。責任とれよ」
「……は?」

そこでわたしの腕を掴んでた男が歩き出す。振りほどこうと思っても凄い力で振りほどけない。他の3人はわたしの後ろを囲むようについてきた。

「ちょっと…どこ行くの!」
「うるせえなっ。今度口開いたらマジでぶん殴るぞ」
「…痛…っ」

捕まれている手首を捻られ、激痛が走る。たったそれだけで怖くて体が震えだした。少し行けばココくんの家だから何かあれば走って逃げようと思っていたけど甘かったようだ。男達はどんんどんと反対方向へ歩いて行く。そこは住宅街の中にあるコインパーキングだった。男の一人がポケットからキーを取り出し、ロックボタンを押すと、奥の車がピっと音を立てた。どうやら男達は車で移動する気のようだ。それに気づいた時ゾっとして足に力が入ってしまった。このまま車に乗せられてしまったら、もう逃げられない。

「おい!何、止まってんだよ!サッサと来い」
「い、いや…放して!」

掴まれた腕を思いっきり引こうと力を入れる。でもその倍の力で掴まれて骨が軋むような痛みが走った。ついでに大きな声を上げたことが気に入らなかったらしい。後ろにいた男が「うるせえっ」と怒鳴りながらわたしの頬を平手打ちしてきた。頬が焼けるように痛み、キーンと耳なりがする。男達は本気なんだと今度こそ背筋が寒くなった。

「ほら、乗れ」
「…やっ」
「また殴られてえのかよっ」
「…やだ…!」

グイっと腕を引っ張られ、目の前にあるワゴンタイプの後部座席へ押し込まれそうになる。この時はあまりの恐怖で殴られてもいいから誰かに気づいて欲しかった。

「助けて――!!」

上半身が座席に突き飛ばされて必死で叫ぶ。男達は慌てたのか「テメェ、声出すなっ」と、また一人がわたしの髪を凄い力で引っ張ってくる。痛みで涙が溢れてきた。その時、背後で「おい!!」という男の声が響き渡った。わたしを囲んでいた男達が弾かれたように振り返る。

「何してんだ、テメェら!」

その声に驚いてわたしも背後へ視線をむけると、何度か会ったことのあるココくんの幼馴染だという乾さんが息を切らせて走って来るのが見えた。

「な、何だ、テメェ――」

と男達の一人が乾さんへ殴りかかったように見えた。でも次の瞬間にはその男の方がこっちへ吹っ飛んで来て、全員が言葉を失う。

「テメェら…その人を放せ。オレのダチの大切な人だ」
「――っ」

その言葉を聞いて心臓が大きな音を立てた。驚きで恐怖すら消えていく。

「チッ…コイツ…強ぇぞ…」
「バカやろ、人数じゃ勝ってんだよ。やっちまえっ」

ゆっくりとこっちへ歩いてくる乾さんに向かって男達が今度は全員で殴りかかっていく。わたしは何かを叫んだかもしれない。でも気づけば4人の男達は前と同様、地面に転がっていた。

「え…つよ…」

ココくんも強かったけど、彼も相当ケンカ慣れしている。一度も相手の攻撃を喰らわず、あっという間に男達全員を一発でのしてしまったようだ。同時にホっとしたら足の力が抜けて、わたしはその場へへたり込んでしまった。

「おい、大丈夫か?!」
「…だ、大丈夫です…」

乾さんが慌てたように走って来ると、わたしの前にしゃがんで顔を覗き込んでくる。そして赤くなった頬を外灯の下で確認すると「殴られたのか」と訊いてきた。でもジンジンするくらいで切れてはいない。「平気です…」と応えながら事情を説明したものの、どうして彼が?と不思議に思っていると、乾さんは察したのか「さっきアンタを見かけた」と教えてくれた。

「その後をコイツらが追いかけて行ったように見えてイヤな予感がしたから…来て正解だったな。コイツらが前にココから聞いた奴らか…」
「あ…ありがとう御座います…おかげで助かりました…」
「いや…無事で良かった。それで…アイツらどうする?」
「…え?」
「今度こそ暴行と誘拐容疑でパクれるぞ。防犯カメラもあるしな」

乾さんはそう言いながらパーキングエリアに設置されている防犯カメラを指さした。確かにカメラにはわたしを無理やり車へ押しこもうとした彼らがバッチリ映っているはずだ。でもついでに乾さんが彼らを殴った場面も映っている。

「でも…それだと乾さんまで罪に問われるんじゃ…」
「あ?人のこと心配してる場合か。拉致られそうになったんだぞ、アンタ…」
「そ、そうだけど…」
「それにオレなら大丈夫だ。ここの警察上層部には知り合いがいる。一発ずつ殴ったくらいじゃ過剰防衛にもならねーよ」

乾さんはそう言って笑った。普段はあまり笑わないし少し怖い印象があったけど、笑顔は意外にも優しい。彼はふと腕時計を見ると「そろそろかな」と呟いた。

「ほら、立てるか?」
「え、あ…は、はい…」

前と同様、安心したら力が抜けて少しガクガクしたものの、乾さんが手を引いて立たせてくれた。でもそこでふと疑問に思った。

「あ、あの…乾さんも幹部会に行ってたんじゃ…」
「ああ、でもオレは先に帰って――」

と彼が言いかけたその時、「イヌピー!!」という声が聞こえてドキッとした。驚いて声のした方へ視線を向けると、ココくんと黒服の男数人がこっちへ走って来る。驚いて乾さんを見上げると、彼は「コイツら追いかけながらココに電話したんだけど…思ったよりも早かったな」と苦笑した。呆気にとられていると、走って来たココくんは「、ケガは?!」と慌てた様子でわたしの頬を両手で包む。そこで赤くなっている頬を見た途端、「殴られたのかよっ」と怖い顔をして地面に転がっている男達を睨んだ。

「コイツら…!やっぱ罪をでっちあげてパクらせときゃ良かった…」

何気に怖いことを言ったココくんは、もう一度わたしを見ると「大丈夫か?…」と酷く心配そうな顔をする。まさかここまで来てくれるとは思わなくて、涙がじわりと浮かんだ。恋人でもない女の為に、慌てて駆けつけてくれたことが、只嬉しくて、乾さんがさっき男達へ言ってくれた言葉の真意も聞いてみたくなった。

「だ、大丈夫…ごめんね…またこんなことになっちゃって…」
「ハァ?何言ってんだよ…は何も悪くねえじゃん…」

ココくんは困ったような顔でわたしを抱きしめると、ホっと息を吐き出している。そして自分の部下の人達に男達のことを頼むと、わたしの手を引いて「帰ろう」と言ってくれた。

「イヌピーもマジでサンキューな…」
「いや。間に合って良かったよ。ああ、コイツらのことはしっかり警察に任せるから安心しろ」
「ああ、頼む。お礼は今度な」

ココくんがそう言いながら乾さんの肩へポンと手を乗せると、乾さんはふとわたしを見て「お礼は親子丼でいい」と苦笑した。何のことかと首をかしげていると、ココくんが盛大に吹き出している。

「…だってさ、
「え?」
「イヌピーに親子丼、作ってやって」

いきなり言われた言葉の意味が分からず首を傾げるわたしを見て、二人は楽しそうに笑っている。この時、ココくんの自然な笑顔を初めて見た気がした。