-01-幼馴染という名の隣人



眩しい朝日が窓から降り注いで、リビングをキラキラした光が包んでいる。その光に照らされた食卓には綺麗な形に仕上がったベーコンエッグが乗っていて。淹れたばかりのコーヒーをお気に入りのマグカップに注げば、香ばしい香りがふわりと鼻腔を刺激する。この焼けたばかりのトーストにいつもより少し高級な発酵バターを塗れば、この空腹も満たされる――はずだった。
不意に二階の方からバン、バタン、ドタドタっという耳障りな音が聞こえて来て、わたしは溜息交じりで振り向いた。毎朝恒例のことだから今更驚かない。もうすぐそこのドアが勢いよく開くだろう。

(1、2、3…)

!トイレ借りる!」

予想通りバンっと開いたドアからアイツが飛び込んで来たかと思えば、すぐにトイレへと駆け込んでいく。その何度も見たことのある展開に深い溜息をついた。
毎日毎日365日、子供の頃から繰り返されている光景だ。少しするとトイレの方から水を流す音が聞こえて来て、再びアイツがリビングに顔を出した。

「はぁ~スッキリした~」

"アイツ"=幼馴染でお隣さんの万次郎が言葉の通りスッキリした顔でこっちへ歩いて来る。そして徐にわたしの手から今バターを塗ったばかりのトーストを奪い、パクリとかぶりついた。

「ちょ、万次郎!それわたしの――」
「いいひゃん。お腹へっへんの」
「何言ってるか分かんないから!それと二階のベランダから入って来るのやめてって何回言えば分かるわけっ?」

気持ちのいい朝を万次郎に邪魔されるのは今日で何回目だろうか。幼い頃を入れれば、すでに1000回くらいは軽くいってるはずだ。わたしが文句を言っている間、万次郎はもぐもぐと口を動かしていたがそれをゴクリと飲みこむと、大きな目を細めて私を見下ろした。

「朝からキャンキャンうるせぇ…」
「はあ?誰が言わせてると思って――んぐっ」

万次郎は自分が食べたトーストをわたしの口に押し付けると、唇をペロリと舐めた。

「それ返すからオレのも焼いてー」
「な…万次郎の食べかけなんかいらないもんっ…て、それわたしのコーヒーっ」
「にが!おま、こんな苦くして、よく飲めんな?」

勝手にコーヒーまで飲んでおいて勝手なことを言って来る。あげく万次郎はコーヒーの中にドバドバ砂糖を入れ始めて、わたしはムっと目を細めた。小さい頃からそうだったけど、この男は本当に自分勝手だ。

「背伸びしちゃって」
「うるさいなぁ…。自分が苦いコーヒー飲めないからって」

仕方なく別のカップにコーヒーを注ぎ直すと、万次郎はちゃっかり椅子に座って「オレのパン~」とテーブルに突っ伏した。こうなると出すまでうるさいと分かっているから、仕方なくパンをトースターに入れる。この唯我独尊男に育ってしまった幼馴染の扱いを、わたしは良く心得ていた。
ついでに手早く卵を割って溶いていると、万次郎は突っ伏した顔をわたしに向けて嬉しそうな顔をする。

~オレ、ウインナーがいい」
「…我がまま」
「うん」

わたしが文句を言いながらも、絶対に言うことを訊いてくれると万次郎は分かっている。何か満たされないことがあった時は万次郎がわたしに甘えに来るって、わたしも分かっている。だから、腹が立つのに彼の望むことをしてあげたくなってしまう。冷蔵庫から万次郎の好きなウインナーを出して、切れ込みを入れるとベーコンの代わりにフライパンで焼く。それだけでも喜ぶのは分かってるけど、今日は少しだけいつもと違うものを作った。

「はい」
「お?卵焼き…?の中にウインナー」
「別々で焼くより楽だから」
「すげー美味そー!さんきゅー

想像以上に喜ぶ万次郎に満足して、わたしも朝食を再開させた。すっかり冷めたベーコンエッグを口にしながらも、隣で美味しいを連呼している万次郎に、わたしも笑みが零れる。さっきまでムかついてたのに、万次郎の嬉しそうな顔を見てると怒りもどこかへいってしまう。

「おばさんは?」
「あー彼氏んとこ」
「また?」
「そう、また」

わたしは笑いながら言ったけど、万次郎はかすかに顔をしかめて俯いてしまった。きっと心配してくれてるんだろうけど、娘のわたしはとっくに諦めてる。
わたしのお母さんはまだ若いから、娘のことより新しく出来た彼氏に夢中で。恋愛なんてわたしにはまだよく分からないけど、そんなに夢中になれる相手がいるのは少し羨ましい気もする。

「それより、ほんといくら隣の部屋だからってベランダ乗り越えて来ないで玄関から来てよね」

ふとさっきのことを思い出し、そこだけは文句を言ってみる。小学生の頃とはわけがちがうのだ。お互い中学生になったんだから、勝手に部屋に入られるのは少しだけ抵抗感が出て来た。万次郎は聞いてるのかいないのか、卵焼きウインナーを頬張りながらジトっとした目をわたしに向けている。この顔は不満といった表情だから一応は聞いてくれてたようだ。

「何で?前までそんなこと言わなかったじゃん。だって玄関まわるのめんどいってベランダからオレの部屋来てんだろ」

万次郎は食べ終わった後に、これでもかってくらいに口を尖らせながら文句を言って来た。

「わたしは最近してないもん。もうお互い子供じゃないんだから少しは気を遣ってよ」
「気を遣うって?」
「だ、だから…わたしは女で…万次郎は男なわけだし…」
「そんなの前からそーだろ」
「…ぐ…」

ああ言えばこう言うって万次郎の為にある言葉みたいだ。負けず嫌いで自分が悪くてもなかなか認めようとしない。真にいとは真逆な性格だと思う。でもこういう話をするのはいい機会だから、そこだけは分かってもらわないと。

「そうだけど、もう年頃なんだし勝手に部屋に入られても困るよ」
「…困るって、どう困んだよ」
「だから…わたしが着替えてたらどーすんの?」
「どうって…前は普通に同じ部屋で着替えたりしてたろ。つーか、そんな嫌ならカーテン閉めて鍵でもかけとけよ」
「そうしたって万次郎、ドンドン叩くじゃない。あれ、やめて」

そう、鍵をかけたってカーテン閉めてたって、万次郎は開いてなければ開けろって窓を叩くのだ。佐野家とウチは隣だけど造り的にぐるりと回って門をくぐらなければならないし玄関から来るのが面倒なのも分かるけど。

「ほら…学校行くよ?」

食べ終わった皿をキッチンのシンクに置きながら、簡単に洗っていく。万次郎は未だに不貞腐れたような顔で座っていたけど、渋々ながら自分の使ったお皿を運んで来た。

「あ、置いておいて。洗っちゃうから」
「…うん」

不機嫌ながらも返事をしてくれたことで少しだけホっとしながら、万次郎の使ったお皿やカップを洗っていく。けど帰る素振りを見せず、万次郎はわたしの後ろに立ったまま。その表情は不貞腐れていると言うよりもスネているといった方が正しいかもしれない。ベランダから来ないでって言っただけなのに、もう二度と来ないでとでも言われたかのような顔をしている。

「万次郎、早く制服に着替えて来なよ。今日から夏服だけど、ちゃんと用意してあるの?」
「あー…まあ。夕べエマが出してくれた」
「そっか。なら――」

と万次郎に顔だけ向けた時、万次郎が何かに気づいたような顔でわたしの背中へ手を伸ばして来た。

「何これ。シャツの下、何つけてんの?」
「え?ちょ、ちょっとっ―――」

万次郎の指がシャツの上からブラジャーのホックの辺りを引っ張って来てギョっとした。しかも乱暴に引っ張られたせいでプチっという音と共にホックが外れる音が聞こえたのだからたまらない。

「やっ…何すんのっ」
「え?」

慌てて振り向き、胸元を抑えながらも顔が真っ赤になっているのが自分でも分かった。わたしの焦りように万次郎も酷く驚いた顔で、ただ固まっている。

「な…何だよ…。何でそんな真っ赤になってんだよ…」

万次郎は自分が何をしたのか気づいていないようだ。

「な、何って万次郎がホック外すからっ」
「…ほっく…?」

眉間を寄せた万次郎は何だそれとでも言うように首を傾げている。けど何かに気づいたのか、あ、という顔をしたと思った瞬間、万次郎の顏がじわじわと赤くなっていくのに気づいた。

「わ、わりぃ…!」

万次郎はいきなりわたしに背中を向けると「わざとじゃねーから!」と珍しく動揺しだした。長いこと一緒にいるけど、こんなに慌てている万次郎を見たのは初めてかもしれない。

「い、いいよ、もう…」

夏服になったせいで下着が透けてたらしい。わたしもインナーを着るのを忘れてたことを思い出させてもらったし、ほんとに知らないでやったようだから今回は許してやろう。そう思ってまずは部屋に戻ろうと思った。ホックを付け直さないと、ブラジャーが緩んでいるせいで凄く気持ちが悪い。

「…万次郎も早く着替えておいでよ。遅刻しちゃうから」

そう言って足早に万次郎の横を通りすぎようとした時だった。グイと腕を掴まれ、万次郎の方に引き寄せられる。

「な、何…」
もそんなもん付けるようになったんだな」
「は?」
「去年まではぺったんこだったのに」

さっきまでの動揺はどこへやら。万次郎はどことなくニヤニヤしながらわたしを見下ろしている。

「ぺ、ぺったんこって…見たことないクセに!」
「んなもん見なくても分かるだろ」
「わたしは着やせするの!」
「へぇ~。じゃあ見せてみろよ」
「……は?」
「着やせ、するんだろ?だったらブラジャー必要かどうかオレが確認してやっから見せてみ?」

男子ってどうしてこうもスケベなことへの興味が強いんだろう。いや、万次郎は小学生の頃からませてたけど。これって絶対真にいの悪影響だと思う。

「み、見せるわけないでしょ!」

パチンといい音がするくらい万次郎の頬を引っぱたくと、すぐに腕を振り払って二階へ上がった。後ろからは「いてーな!」と万次郎の怒鳴る声が聞こえたけど、今のは別に殴っていい案件だと思う。いくら幼馴染だからってセクハラはセクハラだ。急いで自分の部屋へ入って背中越しにドアを閉める。やたらと心臓がうるさくて頬が熱かった。

「はあ…最悪…」

文句を言いつつ一度シャツを脱ぎ、外されたホックを付け直す。そしてインナーを出そうとして、ふと窓の方を見た時、開けっ放しの状態になっているのに気づいた。さっき万次郎が来た時に締め忘れたんだろう。

「もう…勝手に入って来て窓開けっぱなしって…ほんと鍵かけてやる――」

と言いながら窓を閉めようとした時、向かいの万次郎の部屋におそらく着替えに戻って来たであろう万次郎が入って来た。最悪なことにバッチリと目が合う。
万次郎はギョっとした顔をしたが、次に顔を赤くしながらもジっとわたしのことを、いや…胸元を見ている。そこでハッと我に返った。最悪なことにシャツは脱いだ状態だった。

「きゃー!見ないでよ!」

慌ててカーテンを体に巻き付けると、万次郎はムっとしたように目を細めてプイっとそっぽを向いた。

「見んなってオマエがそんな恰好のまま突っ立ってたんだろ?」
「う…そ、そうだけど…」

万次郎に下着姿を見られたショックで恥ずかしさのあまり泣きそうになった。子供の頃はお互い素っ裸でも平気だったのに、やっぱりこの歳になってくると多少は意識してしまう。万次郎は男の子なんだって、さっき腕を掴まれた時の力強さに、そうハッキリと感じてしまった。

「早く着替えろよ。いつまでも裸でいんな」
「…わ、分かってるよ」

思い切り窓を閉めてカーテンもキッチリと閉めたわたしは、すぐに夏用のインナーを着てシャツを羽織った。でも窓もカーテンも閉めたのに、まだどことなく見られているようで落ち着かない。万次郎を異性として初めてリアルに意識してしまったせいだ。

「アイツも…男、なんだよね…」

さっき掴まれた腕を擦りながら、ふと当たり前のことを実感していた。