-05-君の熱は優しすぎるから



"幼馴染は卒業な"

あの言葉の意味を悶々と考えていたら、アっという間に時間は過ぎていって、万次郎にキスをされたことも夢だったのかなと思えて来た。それくらい万次郎との関係は以前と変わらない。
いや――変わったことと言えば、以前は三日に一度だったものが、今じゃ毎朝うちに朝ご飯を食べに来て、一緒に学校に行くようになった。でも万次郎の態度は変わらないし、キスもあれ以来してくる素振りもなく。わたしばっかり意識してるようで恥ずかしくなる。

――幼馴染を卒業するって…なんだろう?

よく分からない関係のまま迎えたバレンタイン当日、万次郎にあげるものを作る為、学校から帰ってすぐ準備にとりかかった。毎年あげるのはチョコだったけど、今年は少し変えて万次郎の好きな和のスイーツにしようと決めた日から何度か練習もしてたし大丈夫なはずだ。作っておいた抹茶と豆乳のもっちりプリンに、万次郎の好きな粒あんや白玉団子をトッピングしていく。最後に生クリームで飾りつけをしてしまえば完成だ。

「出来たぁーっ」

粒あんは市販のものだけど、生クリームやプリン、白玉団子は手作りしたから結構な時間がかかってしまった。でも容器やラッピング用の箱は可愛らしいデザインのものを買って来たし、小さなスプーンも付けたらお店で売ってるスイーツと比べてもさほど変わりはないくらいに上手く出来たと思う。これは同じものを他に三つ用意した。万作お爺ちゃんとエマ、そして真にいの分だ。
全ての準備が終わって、わたしはホっと息をついた。

「万次郎、喜んでくれるかなぁ」

毎年、チョコをあげてきたけど万次郎はいつも大喜びで食べてくれる。わたしは密かにそんな万次郎を見るのが好きだった。小学校高学年にもなってくると、万次郎は学校の女子からもチョコを貰って来るようになっていた。中身はガキだと思っていた万次郎が、少しずつ女子好みのイケメンへと育って来たのは驚いたけど、それだけじゃなく。万次郎にスポーツ万能という要素まで追加されたことで、わたしが驚くくらいにモテていた気がする。だからバレンタインデーともなると貰って来るチョコも次第に増えていった。だけど万次郎がそれらのチョコを差し置いて、真っ先にわたしのあげたものを食べてくれるのは何気に嬉しかった。

「先に着替えちゃおう」

この日の為に作っておいたネックウォーマーと万次郎のスイーツ、そしてエマたちの分を全て分けて袋に入れると、それを持って二階に上がる。万次郎に渡しに行く前に制服を着替えたかった。

「今日は何着ようかなぁ…。ネイルの色に合わせて、やっぱり――」

自分の部屋のドアを開けて思わず固まる。何故なら、わたしのベッドで万次郎がグースカ気持ち良さそうに眠っていたからだ。しかもこの時期なのに毛布すらかけず、ただベッドの上で丸くなっている。

「っていうか…いつの間に?」

ハッと気づいて窓を見れば、閉じていたはずなのに気持ち少し開いている。どうやらまたベランダから来たらしい。万次郎は制服のまま寝ていた。この様子だと学校をサボって来たのかもしれない。多分、わたしが帰宅する前に来ていたんだろう。帰ってきてすぐキッチンに籠ったから気づかなかった。

「もう…確認しに下りて来ればいいのに…って帰ってくる前に寝落ちしたのかな」

溜息交じりで項垂れると、ベッドの方へ歩いて行って万次郎の顔を覗き込んだ。最近はずっと早起きしてたみたいだから、もしかしたら寝不足だったのかなと思う。そんなに無理に起きてまで、わたしの生活サイクルに合わせる必要ないのに。
ふとベッドの下を見れば、可愛らしい沢山の袋が無造作に置かれている。きっと学校の女子に貰ったチョコだろう。東卍を結成してからは不良と見られるようになって小学生の頃よりはモテなくなっていたものの、今でもしつこくチョコをくれる子達は健在らしい。

「このまま寝かせとくのはマズいよね…」

放置したら何時間寝るか分かったものじゃない。夕飯前だし、と仕方なく万次郎の肩を揺さぶる。

「万次郎!起きてよっ…万次郎!」
「…ん~…腹…減った…」

寝ぼけてるのか、口元がむにゃむにゃと動く。仕方ないなぁと思いながら「万次郎!ご飯出来たよ!」と声をかけてみた。すると本当にお腹が空いていたのか、万次郎の目がゆっくりと開いて行く。単純なやつめ。

「め…し?……ん…ぁれ?」
「起きた?」
「………ふあぁぁ」

わたしのことを認識したのか、眠そうな瞳で見上げて来ると徐に大欠伸をしている。

「あれ…オレ…寝ちゃってた…?」

と呟きながら、万次郎はもう一度欠伸をした。

「人のベッドで寝ないでよ…」
「んあー…のベッドはなーんか落ち着くから寝落ちしちゃったかも……つか、さむっ」
「そりゃそうでしょ。このクソ寒いのに布団もかけず、暖房すら付けないで寝ちゃってたんだし」

万次郎は頭を掻きつつ「そうだっけ…」と言いながら、ふとわたしを見上げた。去年から伸ばし始めた前髪が、今は目元を隠すくらいにまで伸びて来ているけど意外に長いのも似合うなぁと改めて思う。

「それ…何?」
「え?あ…」

やっと頭がハッキリしてきたらしい万次郎は、目ざとくわたしの手の中の紙袋を指さした。ちょうどいいと思いながら「ハッピーバレンタイン」と言って万次郎の方へ、一つの袋を差し出す。

「え…チョコ?!」
「さあ?開けてからのお楽しみ」

隣に座って、嬉しそうな笑みを見せる万次郎の手に袋を乗せると、「何かずっしり来るな…」と言って袋の中を覗いている。手を突っ込んで箱を取り出した万次郎はワクワクしたような目で蓋を開けると、中身を見た瞬間「プリン?!」と声を上げてわたしを見た。

「うん。今年はいつものチョコじゃなくて和のスイーツにしてみたの。万次郎はそういうの好きでしょ?」
「すっげー!え、手作り?」
「もちろん」
「マジ?さんきゅー!今、食べてい?」
「どーぞ、どーぞ」

ほんとは夕飯の後のデザートとしてあげようと思ってたけど、万次郎の嬉しそうな顔を見ていると今すぐ食べて欲しくなった。
早速スプーンでプリンの上の生クリームと粒あんを同時にすくい、それを口に入れた万次郎は大きな瞳を輝かせて「うっま!」と悶絶している。

「抹茶プリンとこのクリームに粒あんが絶妙ー!、天才」
「…そんな褒めてもそれ以上は何も出ないよ」

あまりに褒めるから照れ臭くなって顔を背ける。でも万次郎に「」と呼ばれて顔を戻すと目の前にプリンの乗ったスプーンを差し出された。

「い、いいよ、わたしは…」
「いーから食べてみ?どうせまだ試食してねえんだろ」
「う…」

お菓子作りはしょっちゅうしてるから最近は目安で作れるし、味見もしなくなった。でもちゃんと自分用に一つは作ってあるから、後でそれを食べようと思っていた。
万次郎もそれを分かっているから、今ここで味見しろと言わんばかりにスプーンを口元へ持ってくる。

「ほら、口開けて」
「でも…」

と言いかけてやめた。こうなると万次郎はわたしが食べるまでスプーンを引っ込めないのは知っている。仕方なく「じゃあ…」と言って、クリームと粒あんの乗ったプリンを口の中へ入れた。

「ん!美味しく出来てる」
「だろ?すっげー美味いから、また作ってよ」
「いいけど、ちゃんとホワイトデーはもらうからねー」
「…ちゃっかりしてんなー」

万次郎は軽く目を細めながら苦笑いを浮かべた。でもふとわたしの顏へ視線を向けると「ここ、クリームついてる」と言って口元を指さす。

「え、うそ。どこ?」
「ここ…あーそっちじゃないって、こっち」

わたしが舌で舐めとろうとしてると、万次郎の指がくちびるについたクリームを拭っていく。でもその瞬間、自分の指についたクリームを舐めとる万次郎を見てドキっとした。何となく今の一連の動作が恋人のそれっぽく見えたのと、やけに万次郎が男っぽく見えたのとで変にドキドキしてくる。この前されたキスのことまで思い出してしまった。

「あ…ありが…と…」

頬が熱くなって、つい万次郎から視線を反らしてしまった。こんな風に万次郎を男として意識したことなんてなかったのに、この前のキス事件があるから余計に意識しちゃって勝手に顔の熱が加速していく。

「…、何か顔赤い?」
「…えっ?そ…んなことないよ…」
「いや…赤いって。熱あんの?」
「な…ないってば」

顔を覗き込まれ、至近距離で目が合うだけで変なドキドキがいっそう速くなってしまう。でも慌てて視線を反らしたのはまずかったかもしれない。いつものわたしと違う空気を敏感に察知したのか、万次郎はプリンのカップをテーブルに置くと、更にわたしの方へ体を寄せて来た。

「な…何よ…」
…もしかして…照れてんの?」
「……は?ま、まさか」
「じゃあ何でそんなに顔が赤いんだよ」
「これは…あ…暑いから――」
「さっき寒いって言ってただろ。暖房も付けてねーし」

ああ言えばこう言ういつもの万次郎に、さすがのわたしも言葉に詰まる。でも意識してることを絶対に悟られたくない。万次郎のことだから、バレたらからかってくるに決まってる。

「ちょ…近いってば…」

ぴったりと体を密着させるように座る万次郎に驚いて、身体を離そうとした。なのに気づけば肩を抱き寄せられ、正面から抱きしめられる。

「ま…まんじろ…」
「オレのこと…やっと男として見てくれた?」
「…え…?」

耳元でそんな台詞を呟く万次郎の声は、意外にも真剣な響きを含んでいる。こんな幼馴染は知らない。今、わたしを抱きしめてるのはわたしの知ってる万次郎じゃ、ない。
抱きしめる腕の力が少しだけ強くなったと感じた時、万次郎が小さく息を吸うのが分かった。

は…オレの中でずっと女の子だったけど…は違うみたいだったし言えなかった」
「ま…万次郎…?」
「好きだ」

その三文字の言葉がどこか遠くから聞こえてるような、ふわふわした感覚になったのに。さっき以上に速くなった鼓動は今のがリアルなんだと伝えて来る。

も…オレのことちゃんと男として見ろよ…」

抱きしめられてるから、いま万次郎がどんな顔でそんな台詞を言ってるのか分からない。けれど声だけはやけに真剣だから、きっと普段の顏ではないんだろうなと、こんな時なのにそんなことを考えていた。

「オレは…に幼馴染じゃなく、男として見られたい」
「……万次郎…」

不意に身体が離れ、視界に万次郎の大きな瞳が映る。やっぱりその顔は真剣で、今の言葉達は冗談じゃないんだと思った。
幼馴染を卒業するって、こういうこと――?
多分、今のわたしの顏は真っ赤で、それを万次郎に見られてるかと思うと更に恥ずかしくなっていくのに、万次郎の手が頬に添えられた感触に大きく鼓動が跳ねた。

「だから……三ツ谷と付き合うの…やめろ」
「………え?」

万次郎からの告白で思考回路が混線状態だったから聞き間違えたんだと思った。でも万次郎はもう一度「エマに聞いたんだ。彼氏にするなら三ツ谷だってが言ってたって」と不意に怖い顔でわたしを睨んで来る。その意味を理解できずに首を傾げそうになったけど、ふと数日前のエマとの会話を思い出した。

"やっぱり彼氏候補は三ツ谷くんだよね"

身近にいる男の子の中で彼氏にするなら的な話をして、最後にそんな言葉で締めくくった気がする。もしかして万次郎はその話をエマに聞いたと、そう言ってる?

「…あ、あれは…ち、違う!違うってばっ」
「…違う…?」
「あ、えっと、違わないっていえば違わないけど…そんな話はした。でも別にホントにつき合いたいとか思ってたわけじゃなくて――」
「どういうことだよ…」

訝しそうに眉を寄せる万次郎は何気に怖い。東卍の総長がやけに板について来たと思う。これ以上おかしな誤解で責められたくはないから、簡単にその時の話を説明すると、万次郎は眉間を寄せたり、軽く吹き出したり、最後はやっぱり怖い顔に戻ったけれど、色々と複雑な心境になったようだ。

「つーかさー。何でそこでオレの名前は出ねぇの?」
「…だ、だって…万次郎は幼馴染で…」
「だから何だよ。この間からさー。幼馴染は男じゃねえって言いたいわけ」
「そ、そうじゃないけど…っ」

そうじゃないけど、でももしかしたら無意識にそう思っていたのかもしれない。兄弟みたいに育って来たから、万次郎のことは家族みたいに思っているし、だから異性というよりは手のかかる弟だと思ってる方が強かった気がする。この前――万次郎にキスをされるまでは。

「そうじゃないけど…何だよ…」

目の前でスネている万次郎は、普段の我がまま万次郎のようでいて、そうじゃない。わたしを抱き寄せている腕は力強くて、完全に男の子のそれだ。背中に回っている腕に意識が集中するたび、顔が火照って行く。

「ご…ごめん…怒んないでよ…」
「あ?怒ってねぇし」
「怒ってるじゃない…」

恐る恐る視線だけ上げると、不満げな視線と目が合う。だけど万次郎は慌てて視線を反らすと「そんな顔で見んな」と口を尖らせた。薄っすらと万次郎の頬が赤くなったのは気のせいじゃないはずだ。

「そんな顔って…どんな顏よ…」
「……エロい顔」
「……なっ…何それ」
「目も潤んでるし顔は真っ赤だし、どう見ても誘ってるようにしか見えねえ」
「さっ誘ってないし…!」

つい先日、万次郎を男の子なんだと意識したばかりだというのに、そんなものを軽く飛び超えて男という生き物に変身しそうな台詞をぶつけられ、慌てて腕から逃れようともがいてみた。でも無駄なあがきで、やっぱり力では敵わない。

「放してよ…」
「あ?やだよ…」
「や、やだって…」
「やっとがオレのこと意識してくれてんのに…このチャンス逃したくねえもん」
「…万次郎…」

ぶっきらぼうだけど照れ臭そうにそんな言葉を言い放つ万次郎に、わたしの心はどんどん侵食されて行く気がした。少し意識を変えるだけで、見慣れた万次郎の顏がやけにカッコよく見えて来るんだから不思議だ。

「で…はオレのこと、どう思ってんだよ」
「……え、どうって」
「あーもう幼馴染とかはなしな。男としてって意味だから。この前、言ったろ?幼馴染は卒業しようって」

先手を打ってくる万次郎に、わたしの逃げ道は塞がれた。将棋で言えば完全に詰められてる。目の前の綺麗な顔をした幼馴染は、いつの間にかわたしの知らない男になっていて、心をかき乱すだけかき乱して、わたしの中の女の部分を引きずり出そうとしてくる。

「早く言わないと、今すぐキスして無理やりオレを男と認めさせるけど、それでもいいの?」

答えに困っているわたしを見て、万次郎が不敵な笑みを浮かべる。これで完全に王手がかかった。

「わ…わたしは…万次郎のこと――」
「遅い」

迷いながらも答えを言おうとした瞬間、万次郎の笑みが視界を掠めて、くちびるに柔らかいものを押し付けられた。人生で初めてのキスばかりか、セカンドキスまで万次郎に奪われてしまって。それがバレンタイデ―なんて、形だけロマンティックなんだから笑ってしまう。

「…オレのこと、男だって意識したかよ?」

くちびるを離した後、万次郎が掠れた声で呟く。今まで見たことのない扇情的な万次郎の表情にドキっとさせられて。遂に覚悟を決めたわたしは、万次郎の言葉に小さく頷くのが精いっぱいだった。