-06-君の隣に立つことを夢見ていました



万次郎を男だと意識した瞬間、アイツは幼馴染から"彼氏"に昇格した、らしい。
そしてわたしと万次郎の関係が変わったことをいち早く気づいたのはエマだった。

「最近マイキーの機嫌がやたらといいんだけど…もしかしてと関係ある?」

そんな質問をされて、嘘の苦手なわたしはつい、万次郎との間にあったことを話してしまった。なのにエマは全然驚かなくて、わたしの方がビックリした。

「今更だよ。そのうちそうなるかなーって思ってたもん。佐野家、全員そうだと思うよ」

なんて言われて、更に更に驚愕だった。どうやら万次郎の気持ちに気づいてなかったのはわたしだけらしい。圭介や春ちゃんといった他の幼馴染や東卍のメンバーも然り。

「はあ?オマエ、マジで気づいてなかったのかよ」
「鈍いにもほどがあるな、。ってかオマエもマイキーのこと大好きじゃん」
「自分の気持ちすら気づかねえって、どんだけ鈍いんだよ」

圭介や春ちゃんにそこまで言われ、あげく三ツ谷くんにまで「手芸のこと聞きに来たのもマイキーの為だろ?」なんて見抜かれてたし、いったい何なんだ、東京卍會!
更に言えば中1の頃、万次郎にケンカを売りにウチの学校に通っていた、いわゆる"新参者"のペーパーコンビにまでバレてたらしく、ちょっと、いやかなり驚いた。気づいてなかったのはわたしだけで、自分でもどんだけ鈍感なの?って少しだけ落ち込んだ。

でも――今、わたしは幸せだ。

付き合いだしたと言っても前とあまり変わらない日常だったりするけど、でもその中にちゃんと恋人らしい瞬間がある。

「…よし、出来たぁ」

いつものように朝食の準備をして、綺麗に出来たウインナーの卵巻きをお皿に盛りつける。わたしはいつものベーコンエッグだ。あまり普段は野菜を摂らない万次郎の為に食べやすいチキンサラダも用意しておく。

「コーヒーは来てからでいっか」

なんて言ってる矢先、毎朝恒例の足音が二階から聞こえて来た。佐野家はうちと違って家族が多いから、朝はトイレの奪い合いになるようで、寝坊助の万次郎がいつもその争奪戦に負けて我が家のトイレを借りに来る。

、コーヒー淹れておいてー!」

前は「トイレ借りるー!」なんて朝の挨拶のように叫んでいた万次郎も、今では我が家で朝食を食べるのが恒例になったことで、そんな注文をしてくるようになった。

「万次郎はハチミツ小さじで一杯半と…」

万次郎専用のカップにコーヒーを注いで砂糖から変更したハチミツを垂らす。ハチミツの方が砂糖よりも甘いのにカロリー少な目で栄養価値もあるのだ。以前オリゴ糖も試したけど、万次郎には少し甘さが足りなかったようだから、結局ハチミツで落ち着いた。今は色んな種類のハチミツが売ってるから、あまり味を主張しないものを探して、それをコーヒー用にしている。最近は糖分を摂りすぎる万次郎の健康が心配だから、少しずつ工夫して体にいいものを考えるようになった。

~お腹空いた~」
「うわ、冷た…もーちゃんと手を拭いて」

濡れたままの手で抱き着いて来るから、すぐにタオルで彼の手を拭く。

「もーわたしは万次郎のママじゃないのに」
はオレの彼女だろ?」
「あ…」

後ろから抱き着いていた万次郎の手がわたしの顎を掴んで後ろを向かされた。その瞬間、くちびるを塞がれて心臓が跳ねる。前ならなかったこういう瞬間が、今は当たり前になりつつあった。

「ん…」

柔らかく触れあうくちびるから万次郎の愛情が伝わって来るようで胸がいっぱいになっていく。でもお腹に回っていた手がするすると上がって来て、それが胸の膨らみまで到達した時、驚いて体を捩ってしまった。

「な…何触ってんの…っ?」
「何って…にキスしてたらつい勝手に手が動いた」

悪びれもせず、シレっとした顔で万次郎は言った。

「う、動かさないでよ…っ」
「いいじゃん。触るくらい。オレとは付き合ってるんだし」

言いながらわたしの腕を引き寄せて、今度は正面から抱きしめてきた。抗議をしようと顔を上げた瞬間、またくちびるが重なる。こういう関係になって気づいたけど、万次郎は凄くスキンシップをしたがるし、人前でも気にしないでくっつきたがる性格だった。よく言えば情熱的。悪く言えば甘えん坊。もっと悪く言えば――エッチかもしれない。

「ん…ちょ…」

角度を変えて何度もくちびるを確かめるようなキスを仕掛けてくる。恥ずかしさに耐え切れなくなって離れようとしたけど腰を更に抱き寄せられ、襟足に添えられた万次郎の手の熱が全身にまで回るようだ。朝から万次郎のキス攻撃は心臓に悪い。

「ま…まんじろ…ご飯は…?」

一瞬、くちびるが離れた時に逃げ場を求めて言ってみる。でも全然効果はなかった。

「今はが食いたい」
「え、ちょ…っと…んっ」

再び万次郎のくちびるが近づいて来て、文字通りわたしのくちびるを食べるみたいに塞がされる。同時に僅かな隙間からぬるりとしたものが口内に侵入してきた。え?と驚いた拍子に、それが何なのか気づいて耳まで熱くなる。他人の舌が自分の口内を好き勝手に動き回る初めての感覚に衝撃を受けた。

「ん…ん…っ」

わたしの舌に万次郎のものが絡みついて強く吸われると、首の後ろがゾクゾクとして肌が粟立っていく。本当に万次郎はわたしを食べる気なんじゃないかと怖くなった。

「や…まんじ…ろ…」
「ダメ、口開けて」

襟足にあった手が後頭部を抑え込み、背けることさえ出来ない。何度もくちびるが交じりあって口内を舌でかき回されて、室内に響くくちゅくちゅとした音が、わたしの鼓膜を震わせた。初めてキスをしたばかりの初心者のわたしに、万次郎のキスは刺激が強すぎる。散々わたしの口内を蹂躙しつくした万次郎がゆっくりくちびるを離した時、どちらの唾液とも分からないもので、互いの唇が濡れてた。

「…ご馳走様」

ペロリと自分のくちびるを舐めながら、万次郎がニヤリとした。頬がカッと熱くなって逃げ出したいのに足に力が入らない。

「大丈夫かよ」

フラつくわたしの体を万次郎の腕が支えてくれた。心臓がバクバクしてて息苦しい。こんな大人のキスをどこで覚えて来たんだと聞きたくなった。

「だ、大丈夫なわけない…でしょ…」

乱れた呼吸を整えながらつい抗議をする。でもその時、万次郎に抱きしめられて密着しているお腹の辺りに何か硬いものが当たってギョっとした。

「な…何これ」
「何って…男の生理現象」
「……っ?」

思わず顔を上げると、万次郎は少し頬を赤くしながら「仕方ねーじゃん」と口を尖らせた。

「好きな子とキスしてたら普通にこーなんの、男は!」
「な…何考えてんの?朝から…!」
「何って……のこと」

万次郎は素直だ。こういう場面でもそれは変わらない。それが万次郎のいいところでもあるけど、今はストレートすぎる言葉に恥ずかしくなった。

「ま、万次郎のエッチ!」
「いや、そーだけど、好きなんだから仕方ねえじゃん。こんなのすぐ落ち着くから気にすんなって」
「き、気にすんなって言われても…」
「あーほら、落ち着いて来た。見る?」
「見るわけないでしょ!…も、もういい。ご飯食べよ!」

これ以上、万次郎と問答してたらわたしの心臓は破壊されかねない。そう判断してテーブルについた。なのに――。

「え、何で隣に座るの…?」
「何でってのそばにいたいし」
「………」
「はは、、耳まで真っ赤じゃん」

万次郎は笑いながら呑気にコーヒーを飲みだした。わたしは心臓が苦しいくらいにうるさくて食欲すらなくなったというのに、この男は。

「んま!やっぱのご飯最高」
「………」

その笑顔はズルい。万次郎は何気ない一言でわたしを喜ばせるのが上手いんだから嫌になる。無邪気な顔で喜んでいる万次郎に溜息をつきつつ、わたしもサラダに箸を伸ばす。その時、目の前に卵焼きが現れた。

「はい、あーん」
「い、いいよ…それは万次郎の――」
「オレがに食べさせたいの。ほら、早く」
「う…わ、分かったから…」

ニコニコしながら卵焼きを差し出してくる万次郎を睨みつつ、それを口へ入れる。それだけで万次郎は満足そうに微笑んだ。

「美味しい?」
「う、うん…まあ」

自分で作ったものを「美味しい?」と聞かれるのも、なかなかに照れ臭いと思いつつ、食事を続けていると、右頬に痛いくらいの視線を感じた。

「な、なに…?」
「ん?」
「わたしの頬に何かついてる…?」
「いや…可愛いなあと思って見てた」
「…か…可愛ぃって…昔から見てるでしょ…」

またしてもドストレートに照れるようなことを言われて頬の熱が再燃したかのように火照ってきた。まさか付き合いだした途端、万次郎がこんなにもデレるタイプだったなんて知らなかった。少し前までヤンチャ坊主だったはずなのに、今はしっかり男の顔でわたしを見つめて来る。今は細身だけど、そのうち身体だってガッチリしてきて少しずつ大人になっていくんだろうし、そしたらわたし達はキスの続きをするような関係になるんだろうか。ふとそんなことを考えて恥ずかしくなった。

「え、何で今、赤くなったの」
「な…何でもない」
「何だよ」
「何でもないってば」

万次郎は怪訝そうにわたしの顔を覗き込んで来るから慌ててそっぽを向く。でもその途端、頬にちゅっとキスをされてびっくりした。

「よく分かんねーけど…照れてるも可愛いわ」

ニコニコしている万次郎がそんなことを言いながら顔を近づけると、今度はくちびるを軽く啄んだ。

「ちょ…」
「ずーっとこうしてたい」
「は?」
とずっとキスとかしてたいわ。気持ちいいし」
「な…む、無理」

気持ちいいと言われて恥ずかしくなった。

「あ?無理って何で」
「…だ、だから…恥ずかしい…」

その甘ったるい視線で射抜かれて、わたしの顔に穴が開くかもしれない。いくらつき合いだしたからって飛ばし過ぎてる気がする。わたしの言葉に万次郎は不満そうに目を細めて「ふーん」と言った。でもすぐに体を引き寄せて、わたしを自分の方へと向かせる。何だ、そのニヤニヤ顔は。

「恥ずかしがるも好きだし何の問題もねえけど」
「わ、わたしがあるのに…」
「でもはオレのもんだし、何してもいいよな?」
「い、いいわけないでしょ…っ」

このリアルジャイアンめ、と思いながら睨むと、万次郎は酷く驚いた様子で目を丸くした。

「え、でもオレ、決めてるのに」
「…決めてる…?」

とてつもなく嫌な予感がした。

「初エッチはとするって」
「…えっ…チって!」

思わずコーヒーを吹くところだった。しかも万次郎はさも当たり前のことのように言いのけた。

「何だよ。嫌なのかよ」
「い、嫌とかじゃ…で、でもまだそんなの早いし――」
「何も今すぐするなんて言ってねえじゃん。に覚悟が出来るまでオレ、待つ自信あるし」
「…え?」

不意に万次郎は真剣な顔でわたしを見た。

「待つよ、オレ。がいいって言ってくれるまで」
「…万次郎」

あの我がままでこらえ性のない万次郎が、まさかそんなことを言ってくれるとは思わなくて、何故か泣きそうになった。大切にしてくれてる彼の気持ちが伝わって来る。そんなことを言われたら今すぐいいよって言いたくなってしまう。だけどやっぱり――怖い。

「か、覚悟なんていつ出来るか分かんないよ…?高校生になってからかもしれないし…」
「うん、いいよ」
「そ、それか…高校卒業後かも…」
「うん。余裕」
「それか……ハタチ過ぎまでかかる…かもよ?」

恐る恐る言うと、万次郎は腕を組んで一瞬首を傾げたけど「全然待てるし」と微笑んだ。でも普通こういうのは男の子の方が我慢できなくなるって聞いたことがある。本当に万次郎はそこまで待っててくれるんだろうか。そう思って尋ねると、万次郎はキョトンとした顔で「待つよ」とあっさり言った。

「だってオレ、とこの先もずーっと一緒にいるつもりだし。それにエッチなんてお互い乗り気じゃなきゃする意味ねえじゃん。だからオレはのそばでずっと待ってる自信あるって言ってんの」
「………」

ズルい。そんなこと言われたら、本当に今すぐいいよって言いたくなるじゃない。ちょっと泣きそうになっていると、万次郎はわたしの手をぎゅっと握り締めた。

とこうしてつき合うまで、オレが何年待ったと思ってんの」
「…え?」
を独り占めしたくて悶々としてたのに比べたら、エッチできなくて悶々とする方が余裕で我慢できるし」
「万次郎…」
はもうオレのそばにいるんだから」

だってはオレのもんだろ?と、また勝手な言葉を言いながら、万次郎はわたしにキスをした。でも、そんな覚悟までしてくれてるなら本当の意味で万次郎のものになりたいと思ってしまう。もしこれが狙いだったなら、万次郎は相当の確信犯だ。だけど、最後に万次郎が言った。

「周りがどうでも焦らず、オレ達はオレ達のペースでいけばいいんじゃね?二十歳過ぎて初体験とか逆に新鮮だし」
「し、新鮮って…」
「あーでも…」
「でも…?」
「もしそうなったらその時は……オレ、にプロポーズするからエッチは初夜にとっておくわ」
「プ、プロポーズって…」

予想外の言葉に驚いた。でも、この先ずっと万次郎と一緒にいられるなら、結婚なんてこともあるということだ。

「だってその時はオレもも社会人だし、そうなったら結婚してーじゃん、と」
「……バカ」
「バカぁ?何で?」

嬉しすぎて思わず出た言葉に、万次郎が不満げに口を尖らせる。でもわたしは零れ落ちそうになった涙を堪えて「早く食べて学校に行こ」というのが精一杯だ。

「ったくオレが真面目に将来設計立ててんのに」

なんて万次郎はブツブツ言ってたけど、わたしは涙が零れ落ちないよう必死に耐えた。いつもの朝から一転、遠い未来の為のプロポーズが聞けてしまうなんて思わなかったけれど。付き合いはじめた頃よりも、もっともっと万次郎のことが好きになってるわたしがいる。過ごす時間の密度が増すたび、この想いはきっと今よりもっと大きくなっていくだろう。その時、わたしは初めて万次郎に抱かれたいと思うのかもしれない。
大切な幼馴染が、今では誰より愛しい恋人になった。これから先も、わたしと万次郎は少しずつ変わりながら、大人になっても二人で笑いあっているはずだ。隣で微笑む万次郎を見ていたら、ふとそんな未来が見えた気がした。


完。