序章:秘めた想いは交差する



唇と唇の熱が交じり合う。

「……抱きたい」

強引なほどのキスを受けながらソファに押し倒されて、そう言われた時。
大好きな人だからこそ、わたしは拒むことが出来なかった――。


△▼△


ほんの僅かに、明るさを感じ取った瞼を押し上げると、薄っすら白み始めた空を見上げる。天窓からは、顔を出し始めた太陽が、冬の空を照らしていくさまがハッキリと見えた。

「…ん…」

かすかに腕の中の存在が身をよじらせ、オレは彼女の体を抱き寄せた。狭いソファベッドでも、こうして身を寄せ合っていればちょうどいいと感じる。ただ、仕事場であるアトリエで関係を結ぶのは、大人としてどうなんだと、自分で自分に少しの呆れを感じさせた。
テーブルの上には、夕べ彼女と飲み食いした残骸が残っていて、起きたら片付けないとな、と思いながら時計を見る。
午前五時。あまり眠れなかったせいか、まだ少し眠たい気もした。
ただ、彼女も仕事があるので、このまま寝かせておくわけにもいかない。

(でも…まだ早いか)

彼女の寝顔を見つめながら、もう少しこの温もりを感じていたいと思った。
彼女――とは、中学の時の先輩後輩という関係だ。彼女も手芸部に所属していて、そこで親しくなった。
と言っても、その頃は単なる部長と部員という関係で、彼女のことは懐っこくて可愛い後輩としか思っていなかった。
彼女は手芸部一の不器用さで、よくとんでもないドジを踏んでいたけど、そこがまた放っておけないと思わされるから、オレも根気よく指導していた記憶がある。細身で色白の彼女は一見、大人しそうに見えるが、良く表情がコロコロ変わる、元気で愛嬌のある性格で、部員からも好かれていた。

(不思議だな…こうしてと同じベッドで寝てるなんて、あの頃は考えもしなかった…)

そっと柔らかい髪に指を通し、色白の頬へ触れる。この頬が、夕べは朱に染まって、とても艶っぽく見えたことを思い出す。
あんなことを言われたら――どうしても奪いたくなった。

――わたし…彼氏できたんです。

彼女にそう言われて、目の前が真っ暗になったのは一週間前のことだ。
何も得なんてないのに、ずっと無償でオレの仕事を手伝ってくれてた彼女は、気づけばオレにとって大切な存在へと変わっていた。
彼女は高校を卒業後、レディースやメンズのインナーウエアや、アウターなど、繊維製品の製造販売を行う会社に就職し、今はレディース下着の企画開発部に所属しているらしい。
そういうオレも、中学を卒業して、東卍が解散した後は、プロのデザイナーになるという夢に向かって邁進してきたおかげで、今年、晴れて独立することが出来た。
今は小さな仕事をもらいながら、日々自分の作りたい服のデザインを考えたりしている。まあ独立したからとって、早々大きな仕事がすぐに入るわけじゃないが、以前よりは余裕のある生活を送っていた。
そんなオレを今日まで陰で支えてくれてたのがだ。
とは中学卒業後、数年は音信不通だった。でもたまたま街中で再会した後から、オレが大変な時は自分の仕事の合間に、無償でアシスタントみたいなことをしてくれるようになった。
それから今まで、昔の先輩後輩という良好な関係を保っている、はずだった。
夕べ、までは。

(無理をさせたかな…)

未だ寝息を立てながら眠っているを見て、かすかに胸が痛む。
本当なら、あんな強引に関係をもつはずじゃなかったのに。

以前、オレには社会人になってから付き合いだした恋人がいた。でもオレもまだまだデザイナーの卵といった状態で、余裕もなかったのかもしれない。次第に彼女よりも仕事を優先させるようになっていった。そんなオレに彼女も愛想を尽かし、別れることになったのは去年の初めのことだ。
去年は事務所の仕事と並行して、独立する準備を始めたから余計に時間がなく。彼女のことを蔑ろにしてた自覚はあった。
当時、独立の準備を手伝ってくれていたとの方が、彼女より多く一緒に過ごしてた気もする。

――あの後輩と仲良くイチャついてれば?私は服のことも裁縫のことも何も知らないし!

そんな捨て台詞を吐いて、彼女はオレの元から去って行ったけど、不思議なことに、悲しいというより、少しホっとした感覚だった。
どうしても仕事優先にしてしまうことで、彼女に対し、後ろめたい気持ちの方が強くなっていたからだ。別れたことで妙にスッキリしたオレは、それまで以上に仕事に打ち込み、結果、独立も早まった。
多分あの頃にはすでにに惹かれていたのかもしれない。
まるで自分のことのように喜んでくれる彼女を見ていたら、自然と好きだという想いが湧いてきた。
ただ、自分の想いに気づいても、これまで長い間培ってきた二人の関係を変えるには、やっぱり大きな変化が必要だった。だからオレは、独立できた時、にきちんと告白しようと決めていたのに。
彼氏のことを聞かされたのは、その矢先のことだった。
思ってた以上にショックで、自分でも少し驚いたくらい落ち込んだ。
きっと彼女もオレのことを好きだと、そんな自惚れがあったからかもしれない。
そして昨夜、独立のお祝いをしたいという彼女と、二人で食事に行った。
美味しい物を食べて、その後はバーで飲んで、最後はこのアトリエでまた少し飲むことになった。
酔いもあったのかもしれない。
幸せそうに笑うを見ていたら、どうしても気持ちが抑えきれなくて。
オレは――にキスをした。



△▼△


一日前――。


『――え、お祝い?』
「はい。独立のお祝い、したいなあと思って…三ツ谷先輩、今夜空いてますか?」

この時、三ツ谷先輩は少し黙った後で『空いてるよ』と言ってくれた。この瞬間のわたしは、凄く声が弾んでいただろう。

「はい。じゃあ、その時間に」

そう言って電話を切った後、思わずガッツポーズが出てしまった。

(やったー!三ツ谷先輩と久しぶりにご飯だ!)

口実を考えるのは簡単だったけど、誘うまでに一週間もかかってしまった。
というのも…。

(今日こそ、ちゃんと彼氏の件は嘘ですって言わなくちゃ…)

三ツ谷先輩からOKをもらえて喜んだのもつかの間、そのことを考えると気分が一気に沈んでいく。自業自得と言えばそうなんだけど、でも、あの時は少しでもいいから、何か関係を変えるキッカケが欲しかった。

中学の頃、わたしは手芸部に所属してた。その手芸部の部長だった三ツ谷先輩は、わたしの初恋の相手でもある。
元々人よりもどん臭かったわたしは、手先が不器用で何をするにも必ず失敗してしまう。それを克服する為、一番苦手な手芸部を選んで入部。
最初は不良の部長がいるという噂を聞いて凄く怖かったけど、三ツ谷先輩と接している内に、彼がとても家族思いの優しい人だというのが分かってきた。
ドジなわたしに愛想を尽かすこともなく、根気よく色んなことを教えてくれたし、時々部活が終わった後も、わたしに付き合ってくれたりして。
わたしはそんな三ツ谷先輩を、いつの間にか好きになっていた。
でも結局、告白する勇気も出ないまま、三ツ谷先輩は卒業し、そのまま専門学校へ進んだ。
わたしは中学卒業後に普通の高校を出て、すぐに今の会社へ就職。そのままだと、確実にわたしの初恋は思い出に変わってたと思う。
でも社会人になって一年くらい経った頃、三ツ谷先輩とバッタリ街中で再会。少しお茶をして互いの近況などを教えあった。その時に「最近、職場のアシスタントが辞めちゃって、細かい仕事が溜まってるから大変なんだわ」という話を聞き、「わたしで良ければ手伝います!」と、つい言ってしまったのだ。
でもそれがキッカケで、また三ツ谷先輩と交流を持つことが出来たのだから、わたしにとっては万々歳だ。久しぶりに会っても、三ツ谷先輩は相変わらずカッコ良かった。
…まあ、当時恋人がいるのを知って凄くへこんだりはしたけど。
でもそれから度々、三ツ谷先輩が大変な時は、アシスタント変わりで仕事を手伝ったりして、関係を繋いできた。彼女がいようと、やっぱり三ツ谷先輩が好きだったから。
高校の頃や、今の会社に入って、彼氏という存在は出来たものの、やっぱり三ツ谷先輩以上に想える相手ではなくて、最後は自然消滅みたいになってしまった。
でもこんな不毛な片思いを続けて早数年。わたしにもチャンスらしきものが巡ってきた。
三ツ谷先輩が、彼女と別れたのだ。
前からわたしに対して、やたらと塩対応だったその彼女は、忙しい三ツ谷先輩への理解は皆無で文句ばかり言ってるような人だった。だから別れたと聞いてホっとしたのと同時に、もしかしたら、わたしにもチャンスがあるかもしれないと思ってしまった。
だから前以上に、三ツ谷先輩のアトリエに足を運んで、何気なくアピールをしてみたものの、一向に関係が進むこともなく。
やっぱり後輩以上には見てもらえないのかと落ち込んだ。
そこで最後に賭けをしてみることにしたのだ。
いつものように仕事を手伝い、その後に二人で休憩していた時、わたしは三ツ谷先輩に爆弾を投下して、反応を見ることにした。

――わたし、彼氏が出来たんです。

もし脈ありなら、三ツ谷先輩も少しくらい動揺してくれるかもしれない。そんな甘い考えだった。ちょっとでも動揺してくれたら「冗談です」とすぐに訂正するつもりだったのだ。なのに――。

――そっ…か。良かったな。

いつものように、優しい笑顔であっさりそう言われた時、わたしはもう「冗談です」とは言えなくなってしまった。以前、三ツ谷先輩が「嘘つきは嫌い」とハッキリ言うのを聞いたことがあったからというのもある。
だけど、やっぱり嘘なのだから、正直にそれを伝えたいと思っていた。

(それで…ちゃんと好きですって言うんだ…今度こそ)

そう心に決めて、すぐに今夜、二人で行く店の予約をしておいた。



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