I knew

第三幕:弟の彼女


東名高速道路を下りてしばらく走らせると、見慣れたビル街が姿を現した。潮の香りがする横浜もいいが、宝石をちりばめたみたいなネオン輝く街が見えてくると、ああ、オレの居場所に戻って来たな、と思う。窓の外を流れる街の景色は、控えめに言って最高だ。

「わりーな、鶴蝶。帰りも送ってもらっちゃってー」
「いや、こっちが呼びだしたんだし」

後部座席から身を乗り出して声をかけると、運転席にいる鶴蝶が苦笑を洩らす。その返しに、オレの隣でケータイを弄りながらふんぞり返っていた王さまが不満そうに目を細めた。

「何だよ、鶴蝶。オレのせいって言いてえの?」
「あ?誰もそんなこと言ってねえだろ」

たった一言、オレが礼を言っただけで、いつもの言い合いが始まるんだから、コイツらも全く成長してない。あげくイザナは「蘭がいきなり帰るっつーからだ」とオレのせいにしてくるんだから嫌になる。オマエらのじゃれ合いにオレを巻き込むんじゃねえ。

「仕方ねえだろー?今日はオレの可愛い可愛い仔猫ちゃんが出張から帰って来たっつーんだから」

言いながらイザナにケータイ画面を見せると、そこには竜胆からのメッセージ。

"今日、帰ってくっから、兄貴、横浜にいるなら帰りにの好きな崎陽軒のシューマイ買ってきて"

普段なら兄ちゃんをパシらせるとは何事かっつって鉄拳制裁を加えるとこだ。でもそれがの為なら、オレはパシリでも足長お兄さん・・・・――ここ大事――にでもなれるんだから不思議だ。
イザナは「仔猫ちゃんん~?」と怪訝そうに眉間を寄せながらメッセージを確認した後「あ、竜胆の彼女か」と思い出したように笑った。

「弟の彼女を仔猫ちゃんって呼んでんの?ウケる。だいたい蘭のじゃねえし」
「いや、そーだけど。でも彼女はマジで仔猫ちゃんだから。ちっさくて白くてちょこまか動く感じがまさに」
「まあ、確かにそんなイメージだったな、あの子。マンチカンぽくね?小柄だし」

とイザナが途端にニヤケ始めた。
以前、オレの家に遊びに来たイザナと鶴蝶は、竜胆に会いに来てたと顔を合わせたことがある。

「あ?んな短足じゃねえわ。は小柄だけど地味にスタイルいいから」
「始まった~蘭の弟の彼女自慢」

イザナが呆れたように笑っているが、兄貴が弟の彼女を自慢して何が悪いのかサッパリ分からねえ。可愛いもんは可愛いだろ。

そんな彼女と竜胆、そしてオレが知り合ったのは、二人で共同経営してるクラブの取材を受けた時だ。
記者やカメラマンに同行してたアシスタントと言う名の雑用をやらされていたのがだった。
化粧っ気もなく、長い髪を一つに縛り、Tシャツに膝下くらいまでのジーンズ、足元は動きやすいようにだろう。ナイキのゴツいスニーカーを履いていた。多分、普段のオレ達なら気にも留めないような普通の女の子といった印象だ。
でもいざインタビューが始まった時、は細かな雑用の為に常に動き回って必死に二人のフォローをし始めた。記者とカメラマンは口を動かすだけ。が二人に言われたことを全てやっていて、その一生懸命働く姿が、強く印象に残ったのかもしれない。

――額に汗して働いてる彼女が、メイクもしてねーのに、すげー可愛く見えた。

と後で竜胆が言ってたっけ。
その後、まさかの方からオレ達のクラブに遊びに来るとはおもっていなかったものの、竜胆にとってはいいキッカケになったようだ。
トラブルに見舞われたのも結果として良かったんだろう。と連絡先を交換することが出来たんだから。
でもてっきりの方から連絡が来ると思っていた竜胆は、一向に連絡がないことで悶々としたらしい。結局、自分の方から連絡をしてデートまでこぎつけたようだ。
まあ、普段から女に困らないくらいモテるんだから、竜胆も変に自惚れてたとこがあるんだろうな。
…オレも人のことは言えねえけど。
そこから何度かデートを重ねてたようだけど、ぶっちゃけオレはすぐに飽きるだろうと思ってた。オレも竜胆も女に本気になるタイプじゃねえし、ちょっと毛色の違う女に興味が沸いた。その程度だと。
でもそれがオレの誤算だったと気づいた。
竜胆は飽きるどころか、の元気で素朴な可愛らしい性格にどっぷりハマり、デートをするようになって三か月。遂にその禁断の言葉を彼女に伝えた。

――オレと付き合って欲しいんだけど。

女一人に決めるような、そんな台詞を、まさか竜胆が言うとは思わなかったし、オレとしては天地がひっくり返ったのかと思うくらいには驚いた記憶がある。
その話を竜胆から聞かされた時、オレは何回「は?」という一文字を口にしたか分からない。多分30回くらいは言ったような気もする。最後は竜胆の額がピクついていたけど、まあ、その頃にはようやくオレも竜胆が本気なんだと気づいて、少しの寂しさを覚えたりしたが、を改めて紹介され時、謎だったものが一気に腑に落ちた。

とにかくは"何かしてもらって当たり前"という概念がない子だった。些細なことでも「ありがとう、竜胆くん」と口にできるし、心の底から嬉しそうに笑う。気取るとか、建前みたいなこともなければ、ズルい女にありがちな下らない駆け引きも一切ない。常に自然体だった。多分オレらの常識と彼女の常識は天と地ほど違うはずで、だから時々オレ達は兄弟そろって彼女を驚かせてしまうことがある。けど、それに対して注意されても腹も立たず、むしろ素直に「ごめんなー」と言えるんだから自分で自分にビビる。
まあ大抵は家に帰ったらまず靴を揃えろとか、出したものは使い終わったら片付けるとか、風呂上りに全裸で出てこないでとか、ほんと普通のことから、を送り迎えする為の車を一括購入したことで、それが無駄遣いだと叱られたりするんだから笑うけど。
竜胆が嬉しそうにの言うことを聞いてる姿を、微笑ましいと思うようになったし、見てて意外と飽きない。弟の中にオレの知らない顔がまだあったのか、という変な感動すら覚えるからだ。
それを引き出してるのがなんだから、そりゃオレも可愛くなってくるってものだ。だから今じゃ竜胆よりもを可愛がってる気がしてならない。
がアシスタントの時、穿きつぶしたスニーカーを見て、ついフェンディのスニーカーを買ってやったり――もったいなくて履けないと言われたが――、仕事で使うノートパソコンが壊れたと落ち込んでるから、ハイスペックな機能搭載の新機種を買ってやったり――難しくて使いこなせないと泣かれたが――、竜胆が食いかけのピザをキッチンに放置してたらコバエが沸いて、虫嫌いの彼女に泣きつかれたから退治してやったり――竜胆は風呂だった――、そんな感じで弟の彼女に対して惜しみなく金と愛情を注ぐのも、オレとしてはなかなか楽しい。
竜胆に「孫を可愛がるじいちゃんみたいだな」と笑われたからゲンコツの刑に処したけど。
まあ、自分でも何となくそう思わないでもない。

「重症じゃん!つーか孫って笑うわ」

軽くに対する愛情を語ってると、隣でイザナが笑い転げてる。
でもその後にポツリと「まあ…妹みたいな存在が可愛いのは理解できるけどな」と呟いた。そういやイザナにも血の繋がらない妹みたいな存在がいるんだっけ。
ふと思い出していると、イザナが意味深な笑み浮かべながら嫌なことを言いだした。

「でもさぁ。あの竜胆が一人の子で満足できんのかよ」
「…あ?」
「それまでは女遊びしまくってたのにやめれんの、それ」

イザナの言葉に鶴蝶まで「そうだな」と苦笑してる。オレ達兄弟の女癖の悪さは二人も知ってるからだろう。
でも確かにそこを突っ込まれるとオレもすぐには否定できない。
いや、例えばが仕事を辞めて、ずっと竜胆の傍にいてくれれば或いは…ってとこか。

「アイツ、地味に寂しがり屋なんだよなあ…」

思わず窓の外を眺めながら黄昏ていると、イザナはやっぱり笑い出した。

「って、それ浮気認めちゃってんじゃん」
「うるせえな…オレだって心配なんだよ。にバレねえか…」

そのことを考えるとちょっと憂鬱になる。
ハッキリ竜胆に聞いたわけじゃねえが、オレも伊達に遊んでないから空気的に分かることもあるし、その辺の噂はチラホラ入ってくる。何となく群がってくる女どもに手を付けてる気がしてならない。
でもそれに関してはオレも仕方ねえのかな、とは思う。
何せ、一年も付き合ってると言うのに、二人はまだ体の関係すらないんだから。
あの竜胆がよく我慢してるなと驚かされたが、それだけのことが好きなんだろう。ただ…そんな状況じゃオレでもやっぱ他で処理したくなる…とは思う。

(バレなきゃいいけどな…マジで)

もしにバレて二人が別れるなんてことになったら、オレはちょっと、いや、全力で悲しいしかないわ。

(少しクギでもさしとくか…)

何となく嫌な想像をしてしまったせいで、ふとそんな思いがこみ上げた。


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