I knew

第六幕:エキストラ2



急遽、呼び出されて彼の別宅へと来た時、竜胆は普段以上に酔っていた。聞けば仲間とクラブ内で飲んだくれてたらしい。時間で言えば明け方近く。こんなとんでもない時間に竜胆は平気で私を呼び出す。部屋に招き入れられて寝室へ向かうと、そのまま互いに服を脱がしながらなだれ込むようにベッドへ倒れ込んだ。質のいいカーテンの向こうはかろうじて暗く、闇が私と彼を隠すように辺りを覆っていた。肌を合わせる度に竜胆をたまらなく愛おしく感じて、ひたすら体を揺らす行為に興奮と優越感を覚えた。この瞬間だけ、竜胆を独り占めできている気がするせいだ。でもそれがすぐに勘違いだと分かる瞬間がくるのは分かってる。そこまで私もバカじゃない。
互いに何度も上り詰めた後、竜胆は私に背を向けて一人で寝てしまう。その派手なタトゥーを背負っている背中を見ていると、もうオマエは用済みだと言われてるようで悲しくなった。抱かれた余韻もあったもんじゃない。
 
竜胆とこういう関係になったのは中学の頃だ。あの当時は私も反抗期真っただ中で、良く六本木の街をフラフラと遊んでいた。
その時にナンパしてきたのが、当時は関東最大と言われていた狂極のメンバーの男で、ソイツと一緒にいたのが竜胆と兄の蘭さんだった。あんな凄いチームに私と同じ歳の男がいることに驚いた覚えがある。あの頃から灰谷兄弟は人目を引くほど目立っていて、自分達より年上のメンバーにも怯むことがない姿が、私には最高にかっこよく見えた。そのうち私も集会に顔を出すようになり、皆で酒を飲んだり、バイクで夜通し街を走ったり、バカなことも沢山やった。

ある夜、メンバーの誰かの家でお酒を飲んでいた時、眠くなった私は勝手に寝室を借りて仮眠していた。その時に同じ理由で部屋にやってきたのが竜胆だった。仲間は他の部屋で大騒ぎしていて、誰も寝室にはやって来ない。何となくそんな空気になり、酔っ払った竜胆に「ヤらせて」と強請られた私は、その場のノリで初めてを竜胆に捧げることになった。その後はお約束みたいに、どっぷりと彼にハマって、それ以降は二人で会うようになった。思春期真っ盛りの男女が二人で会えば、することは決まってる。
 
でもそんな関係が終わりを迎えたのは、灰谷兄弟と狂極がモメたからだ。結局、話し合いもないまま、竜胆と蘭さん、チームの総長と副総長でタイマンを張るところまで発展してしまった。
結果は灰谷兄弟の圧勝。圧勝どころか副総長が死んで警察沙汰にまでなってしまったせいで、竜胆、蘭さん共に仲良く少年院への入所が決まり、自然の流れで竜胆とは自然消滅となってしまった。
その後は何をやっても退屈で、引っ越しが重なったこともあり、長いこと六本木からは足が遠ざかっていた。
そんな私が竜胆と再会したのは去年のことだ。二人が経営するクラブが雑誌に掲載されているのを見つけて驚いた私は、どうしても彼らに会いたくなって友達を誘い、兄弟のクラブへと足を踏み入れた。最初はなかなか会えなかったけど、通った甲斐あって一カ月後には竜胆と再会。最初は私のことを覚えてなさそうだったけど、話してる途中で思い出してくれたらしい。

――ああ、オマエか。元気だったー?

もっと驚いてくれるかと思ったけど、竜胆にとってはヤった女のうちの一人という認識だったらしい。そこに気づいた時は酷く落胆した。私にとって竜胆は初めての相手でもあったからだ。
でもそんな感傷は一瞬で、やっぱり竜胆と話していると好きだと言う想いが再燃した。その日の夜も昔と同じようなノリで酔っ払った後、クラブ内のVIPルームで簡単に事を済ませて終わった。その時点で完全に遊び認定されてるのに、私は懲りもせず、クラブに通い始めた。
彼の唇が肌に触れるだけで胸がときめいてしまうのだから、私もたいがい不毛だと思う。
竜胆が私に会う目的は体のみだと十分に理解している。ついでに言えば、常に軽いノリで接した。黒髪に戻していた髪もまた金髪に戻し、バカで尻の軽い女を演じながら、こちらもセックス目的だと思わせているのだから、相当惨めな女だという自覚さえある。
付き合ってもいない私達はデートをすることもなく、食事にすら誘えない。また竜胆も私をセックス以外のものに誘うこともない。
その現実が時々無性に寂しくなることがある。

「…気持ち良さそうに寝ちゃって」

こっそりと寝顔を覗き込み、苦笑が漏れる。本当は終わった後、すぐ帰らないと竜胆が嫌がるから、こんな風に寝顔を見ているなんてルール違反なんだろう。だけど今夜は帰りたくないなんて思ってしまった。竜胆の柔らかい髪に指を通し、無防備に晒されてる頬へ口付けた。竜胆が酔っている時にしか、こんな愚行は許されない。
前のようにどうでもいい場所で終わらせるんじゃなく、今夜はこうして別宅と言えど彼のテリトリーで、それもちゃんとベッドの上で抱いてくれたことが、いつになく私を大胆にさせていた。少しくらい私を大切に思ってくれているんじゃないかと、そんな勘違いをしてしまいそうになる。
仲間と飲むために借りたというこの別宅のバスルームや洗面台にも女の気配はなく、竜胆に決まった女ができたなんて噂は嘘だと思った。そもそも恋人が出来たなら私を何度も呼ぶ必要もないはずだ。今夜も呼び出された時、心からホっとしてしまった。
竜胆に彼女が出来たという話は、でたらめだったと思ったから。
出来ることなら、私がそういう存在になりたいと願う。
彼に抱かれるたび、そう伝えて縋りつきたくなったのは一度や二度じゃない。

「好きだよ…竜胆…」

初めて抱かれた時から好きだった。
冷たい背中へ口付けて、竜胆にくっついて体温を感じる。そうすることで、彼の世界に入れてもらえるような気がした。

どれくらい経ったのか、けたたましい着信音と連動するバイブの音で私は目が覚めた。竜胆にくっついて寝ていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。朝日が滲んできていた室内に、今は何故かオレンジ色の夕日が差し込んでいる。マズい、と慌てて体を起こすと、竜胆が寝ぼけた様子で手だけを動かし、ケータイを探しているようだった。竜胆のケータイはベッドボードの上で震えていて、今にも床へ落っこちそうになっている。慌ててそれを手に取り、竜胆へ渡した。

「んあ…?」

手にケータイを持たされたことで驚いたらしい。それまで瞑っていた目を開けて、竜胆が驚いた顔で私を見た。

「は…?何でいんだよ、オマエ」

私の顔を見た第一声がそれ。私の淡い願望が早くも音を立てて崩れていく。

「ごめん…私も寝ちゃって…」
「マジか…」

体を起こした竜胆は深い溜息を吐いて項垂れた。どうやらすっかり夕べの酒は抜けたらしい。一日中寝てたんだから当たり前だけど。
シラフの時の竜胆は、私でもちょっと怖い。

「あ…やべ!」

何となく気まずい空気が流れていたけど、竜胆は我に返ってケータイを見ると、何故か慌てたようにベッドから飛び出した。

「もしもし…!」

焦った様子で電話に出ながら竜胆が寝室を出て行く。その背中は夕べ私に見せた冷たさはなく、声もどこか浮かれた感じに聞こえた。

「あ~…うん。ごめんな…」

廊下からかすかに届いた優しい声色にドキっとした。

(誰だろう…?)

竜胆の様子が気になって、私もすぐに下着や服を身に着ける。簡単に髪をとかしながらベッドを抜け出すと、こっそりドアを開けて廊下を覗いてみた。でもそこに竜胆の姿はなく、リビングに続くドアが開いてる。私は足音を忍ばせてリビングの方へ近づいて行った。すると私には聞かせたこともないような甘い声が私の耳に届いた。

「誰もいねーよ。んなことより早く来て」

今度こそ心臓が変な音を立てた。今からここに誰かを呼ぶらしいことだけは分かる。
竜胆はそのままバルコニーへと出てしまって、声は聞こえなくなった。竜胆が用件だけで電話を切らないのは珍しい。相手はそれほど親しい相手ということだろうか。
どれだけセックスの時間を共有しようと、竜胆の今の交友関係を私は知らない。きっと私以外にも同じような遊びの女はいるんだろうけど、竜胆はその辺のことを上手く隠してるようだった。
その時、竜胆が戻ってくる気配がして、私は慌てて寝室へと戻った。乱れたベッドを直してたふりをしていたら、すぐに竜胆が入ってくる。

「あ~そんなのいいから。オレがやるし」
「え、でもすぐ終わるから、やっちゃう」
「いいって。それよりさー。今から友達来るんだよね」

竜胆は困った様子で頭を掻きながら言った。それは私にサッサと帰って欲しいというアピールだろう。言ってる傍からクローゼット開けて、中から新しい着替えを出している。きっとシャワーに入りたいんだと思った。

「オマエ、荷物これだけ?」

床に転がっていた私のバッグを竜胆が拾う。夕べ、それを落としたのは竜胆が強引に服を脱がそうとしてきた時だ。こんな時にそんなことを思い出すなんて、浅ましい女だと笑ってしまいそうになる。
竜胆はサッサと帰って欲しいというように、そのバッグを私へ突っ返してきた。

「友達って誰?」

こんな風に追い返そうとするくらい大事な友達なのかと思ったら、バッグを受けとりつつも、ついそんな質問をしていた。いったい誰が来ると言うんだろう。
竜胆はその問いかけにあからさまに顔をしかめた。

「オマエの知らねーヤツだよ。つーか、もう来ちゃうからさぁ」

だから早く帰ってくれ。そう言われてるんだと思った。あまりに惨めで目の奥がじわりと熱くなる。私は友達に隠しておきたい存在なんだと言われてるようで。
竜胆は一度寝室を出てバスルームへ向かったようだった。やっぱりシャワーを浴びるらしい。その様子を見てたら友達というのは他の女なんじゃないかと思った。

(私を追い返して、今度はその女と…?)

思わずベッドの方を振り返る。そこは夕べの情事の跡を色濃く残していた。このベッドで他の女と抱き合う竜胆を想像すると、胸の奥が焼け付くのを通り越して焦げ付いていくようだ。
咄嗟に付けていたパールのピアスを片方だけ外し、それを枕の下へ隠したのは、単なる思いつきだった。どうせ今から来るのも遊びの女のどれかだろう。これを見つけてそういう女が一人でもいなくなればいいと思った。

「おい、まだ支度終わんねーの?」

そこへ竜胆が戻って来た。軽く舌打ちをされて、心がざわりと音を立てる。でも私は何でもないことのように笑顔を見せて「終わったから帰るねー」といつもの軽い女を演じてみせた。
私が玄関で靴を履いてる時、竜胆はすでにバスルームへと姿を消していて、一刻も早く私との情事の跡を洗い流したいんだなと思った。
部屋を飛び出し、エレベーターへ乗り込むと、意味もなくロビーのボタンを連打した。悲しい、悔しい、そんなドロドロの感情が渦を巻いて、余計に惨めな気持ちになる。こんな扱いをされてなお、竜胆のことを嫌いになれない自分の愚かさに失笑が漏れた。
ロビーについてもなかなか足が踏み出せなくて、鬱々としていたら、エントランスのドアが開く音がした。住人の誰かが帰ってきたのかもしれない。仕方なくエレベーターから降りて、エントランスロビーを突っ切ろうと足早に歩き出す。向かい側から歩いて来たのは、小柄で可愛らしい女の子だった。手にはこの近所のスーパーの袋を持っている。すれ違った際にチラっと総菜か何かが見えたから、やっぱり住人かと思った。でもどうしてだろう。何となく私の足が止まった。

(まさか竜胆の呼んだ子じゃないよね…?)

そう思ったらつい振り返っていた。その女の子は私が乗って来たエレベーターにそのまま乗り込んだ。
いや、違う。竜胆が手をつける女はあんな普通の子のはずがない。私みたいな、どっちかと言えば割り切って遊んでそうな子ばかりのはずだ。竜胆は女のことで面倒ごとになるのを嫌うから、あんな真面目そうな子には手をつけないだろう。
そう思うのに、足は勝手にエレベーターの方へ歩いて行く。
違う、絶対にありえない。
頭の中でそんな言葉を繰り返しながら、今の子がどこで降りるのか知りたくて階数ボタンを凝視していた。
二階、三階、四階。エレベーターはまだ上がっていく。彼女の他に人が来る様子はなく、竜胆の友達らしき人物は一向に現れない。
なら、やっぱりさっきの子が?でも、あんな普通の子、竜胆が手を出すタイプじゃない。
もし竜胆がああいう子に手をつけるなら、それはきっと――。
その時、階数を示す点滅が止まった。

「…最上…階」

――本気の女ということになる。

私の願いも空しく、エレベーターは最上階で止まっていた。

「嘘でしょ…?」

このマンションの最上階には竜胆の部屋ともう一部屋しかない贅沢な造りになっている。そしてもう一つの部屋に住んでるのは独身らしい中年男性だと話していた。それも一人暮らし。その男性とさっきの子は結び付かない。どっちかと言えば竜胆の知り合いだと考えた方がしっくりくる。
そう思った瞬間、踵を翻してマンションを飛び出していた。でも帰る気にはなれない。向かい側の歩道へ渡って、竜胆のマンションを見上げてみた。すでに夕日も姿を消し、薄っすら帳が降り始めている。最上階の竜胆の部屋に明かりが点くのが分かった。こんなところからじゃ室内なんて見えないけど、さっきの子があの灯りの下にいるような気がしてならない。
突然電話をしてきて、しかもあの竜胆が寝起きなのにも関わらず、あんなに慌てて出る相手。もしかけてきたのが私や他の女だったら、さっきのように出てくれるんだろうか。いや、全くそんな気がしない。竜胆なら寝る方を優先するに違いない。灰谷竜胆という男はどの女に対しても本気にならず、不誠実。そう思っていたのに、実はそうじゃなかったら?

――竜胆、彼女が出来たって噂、聞いた?

ふと遊び仲間から聞かされた噂のことが頭に過ぎった。まさか、その噂の彼女があの子なの?これまで誰に対しても本気にならず、適当に付き合ってきたあの竜胆が、たった一人に決めたということ?
信じられない思いだった。セックスをしてもそれ以上の関係になれないのは私も他の女も同じで、どんな女でも竜胆の本命にはなれないのだと思っていた。だから何よりあの竜胆がたった一人の女と特別な関係を築こうとしていることが信じられなかった。一人の子を好きになる竜胆じたい想像できない。あんな何も知らなそうな初心な子に、その辺の男と同じく灰谷竜胆が本気になるなんて思いたくもない。
しばらくその場に立ち尽くしていたら、前に竜胆が「常連なんだ」と話してたお寿司屋の名前が入った桶を持つ店員らしき人物がマンションに入って行くのが見えた。
そして竜胆の友達らしき人間はまだ現れない。
きっとあの寿司屋が向かった先は最上階だろう。
私と抱き合ったあの部屋で、今頃あの子とお寿司を食べてるに違いない。
そんなのは勝手な私の想像だ。でも今、竜胆の心を占めてるのは私じゃないことだけは確かで、結局彼にとって、私はただの通りすがりに過ぎない、ということだけが分かった。
あのパールのピアスは、二度と私の耳を飾ることはないだろう。
それだけは愚かな私でも分かった。

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