I knew
第七幕:真実の嘘
「は?女の落としていったピアスをに見つかった?」
兄貴は驚愕を通り越してムンクの叫びみたいな顔になった。
を家まで送り届けて、兄貴と住んでるマンションに帰って早々、兄貴につい例の話をしてしまったのだ。
「テメェ…何してんだよ!あのマンションに女は連れ込むなっつったよなァ?」
ムンクの次は般若の如く目を吊り上げてくるんだから恐ろしい。
「ごめん…泥酔して帰ったら一人でいんの寂しくなって、それで多分テキトーな女に電話したかも…」
「ったく、またそれか…ガキじゃねーんだから。まあ…が忙しくてなかなか会えねえから寂しいっつーのは百歩譲って分かるけど、その寂しさを他の女で埋めようとすんな」
「それは分かってんだけどさー…」
兄貴の言うことは最もだ。まあ兄貴がそれ言う?とも思うけど、兄貴は特定の彼女を元から作らねえし、色んな女と浮名を流そうが、それは浮気にはならない時点で根本的なところがオレとは違う。
オレだって最初はこんな風になるなんて思ってなかった。
初めて可愛いと思える女に出会えて、自分でもビックリするくらいに惚れてる自覚がある。一緒にいると、まず安らぐし、心が凪ぐというか凄く落ち着く。優しくしたいと自然に思える子なんて、今までいなかったし、オレ自身、優しい気持ちになることもなかった。はオレを優しい男に変えてくれる。そんな子だ。
頑張り屋で自分の仕事をきちんと責任もって一生懸命にやってる姿は、オレからすれば眩しいくらいだけど、その生き生きした姿に惹かれた。人懐っこくて、この気難しい兄貴ともすぐ打ち解けた時はさすがにビビったけど、今じゃオレより兄妹みたいに仲がいいんだから、ちょっと妬ける。
兄貴も裏表のない素直なのことを酷く気に入って、今じゃ溺愛してるから「を傷つけんなよ」とよく言ってくるようになったし、この前も「女遊びはいい加減にしとけ」って言われたばかりだった。
オレもその時は真剣にそうだな、と思ったし、最低なことをしてる自覚はある。だからもう他の女とヤるのはやめようって思ってたのに、ほんと何やってんだ。
彼女に会えない寂しさが募ると無償に体が疼いて、心の隙間をセックスで埋めたくなるのは何なんだろう。兄貴は「単なる欲求不満だろ」って苦笑してたけど、それもそうなんだけど、少し違う理由もあったりする。
は本当にオレのことを好きなのか?
そんな漠然とした不安があるのも確かで、代わりに他の誰かの愛情を求めてしまってる気がした。
には嫌われたくなくて、怖がらせたくなくて、彼女の覚悟が固まるまでは待つとカッコつけたことを言ったけど、セックスを拒まれると、他に理由があるんじゃないのかと疑ってしまうのが、男の浅ましいところだ。
そんな時にオレを好きな素振りをしてくる女を抱いてると、一時でも心の隙間が埋まるのと、彼女達もオレで何かしらの欲求を消化してるんだろうから、そこはお互い様という意識が強かった。
がそばにいると、あんなにも満たされる心が、会えない日が続くと空っぽのがらんどうになるんだから重症だ。
大事にしたいのに、自分の寂しさを持て余して酷い裏切り行為をしてるオレも相当に矛盾してると思う。
でも兄貴の一言でドキリとした。
「いつかバレんぞ、マジで。女の勘舐めんなよ、竜胆」
ヤバい。兄貴がマジになってる。
「…脅かすなよ、兄ちゃん」
「脅しじゃねえ。マジの話してんだよ。だいたいピアスのこと、にどう誤魔化したんだよ」
「いや…あれ、最初マジで健太郎のかと思ったんだよ。アイツ、この前彼女から誕生石のピアスを貰ったって言って嬉しそうに見せてきたから。でもオレんちで落としたらしくてさー。探しといて下さいって泣きつかれたばっかだったから、てっきりアイツのかと思って、にもそう説明した。でも健太郎を寝室に寝かせた覚えはねえし、おかしいなと思ってはいたんだけど、写真送ったらこれオレのじゃないっすって言われて。んで、そういや呼んだ女が似たようなの付けてたかも…って…」
そこまで説明すると、兄貴は深い溜息つきながら頭を振った。きっと半分は呆れ、あとの半分はまあにバレなくて良かったっていう安堵の溜息だろう。オレも後でそれを知ってヒヤリとした。
オレ自身、嘘をついてるつもりじゃなく。自然とに説明できたのは良かったかもしれない。もし女のピアスだと知ってたら、あの時、あんなに自然な態度で説明なんて出来なかったと思う。
変に動揺しただろうし、それこその女の勘が警鐘を鳴らしてもおかしくない場面だった。今考えるとマジで怖くなってきたかも。
「これに懲りたなら、もうあのマンションに女は呼ぶな。そもそもと暮らす為の場所だろーが。一緒に暮らし始めた後で、そういった遊びの女が凸ってきたらどーすんだよ」
「あー…」
そこまで考えてなかった。オレが手をつける女達は誰も似たようなもんで、向こうも遊びと割り切ってる女ばかりだったからだ。
誰もオレを本気で好きな奴なんていないだろうから、誘ってもねえのに家に押しかけては来ないだろうと漠然と思ってたけど、確かに来る可能性はゼロじゃない。
「を失ってまで遊ぶ価値のある女なんていねえんだろ?」
それはそうだ。兄貴の言う通り、オレが一番大切なのはだけで、体を繋げるだけの相手の為に彼女を失うのは絶対に違う。
「…ああ。もうしない」
ピアスの件で懲りたオレは、今度こそ真剣に頷いた。
最低で愚かなオレの裏の顔を知れば、を必ず傷つける。それだけは嫌だった。
オレの言葉を聞いた兄貴は心底ホっとしたようだった。兄貴もを失いたくないんだろう。もしオレと別れるようなことになれば、兄貴だってに会えなくなる。それは兄貴も悲しいに違いない。
「ああ、そういやが担当してる作家の今の仕事が終わったらまとまった休み取れるらしいから、と小旅行に行こうかって話になったんだよねー。すっげー楽しみ!」
ふと思い出して伝えると、兄貴は「あ?それのメンバーにオレは入ってねーの」と言い出した。どこの小姑だよ、とつい突っ込みたくなる。
「旅行くらいと二人きりにさせて、兄ちゃん」
思わず真顔で言ったら、兄貴は思い切り吹き出した。
「冗談だよ。バーカ」
いや、目がマジだったし、冗談とは思えない熱量で聞いてきたよな?
口に出しては言えないから、心の中で突っ込むだけにとどめておいた。
△▼△
「え、ほんとに?」
『うん、ほんと!だから心配することないよ。そのピアスに関しては』
ケーコ先輩は明るい声で言ってくれて、わたしは心底ホっとしてしまった。
竜ちゃんに送ってもらって帰宅した後、例の如くクラブに出かけていたケーコ先輩から『今日、蘭さんってクラブに顔出さないのかなー?』というメッセージが届いた。今日は蘭さんも家にいると竜ちゃんが話してたのを思い出して、そう返信するとケーコ先輩はガッカリしたのか『じゃあもう帰ろう~』と返ってきたので、気を付けて帰って下さいねと返信しようとした時、ふと思い出した。
"店長の健太郎くんにパールのピアスを持ってるか聞いてみてもらえますか"
竜ちゃんのあの時の言葉は嘘をついてるようには見えなかったし、何も心配しなくていいのかもしれないけど、たまたまケーコ先輩がクラブにいるなら確かめてもらうのもありかと思ったのだ。
それは更に安心を得たいという、わたしの臆病な性格のせいかもしれない。
わたしの変な質問に、何で?と事情を聞かれたから、簡単に説明するとケーコ先輩からすぐに任せて、と返信が届いた。
そして数分後、健太郎くんに聞いてくれたケーコ先輩から直電がかかってきたのだ。
結果は「持ってる」ということで、今度こそ心の底から安堵することが出来た。彼女さんからのプレゼントを竜ちゃんのマンションに落としたというのも本当だったようだ。
『良かったねー!』
「うん。ありがとう、ケーコ先輩」
そこで今度こそ帰ると言うケーコ先輩に、お休みを言って電話を切った。
「はぁ~良かったぁ~」
安心したら力が抜けて、勢いよくベッドへ倒れ込む。実のところ、マンションですれ違った金髪の子の顔がチラついて困っていたのだ。
あんなに優しい竜ちゃんが浮気なんてするはずないのに、何を不安になってるんだろう。
「やっぱり…体の関係がないからかなぁ…」
寝返りを打ちながら溜息を吐く。自分がなかなか覚悟が出来ないせいで、竜ちゃんに我慢をさせてることで負い目を感じてるから、つい小さなことでも不安になってしまうのかもしれないなと思った。
(でも旅行の話も出来たし…その時こそ絶対、拒んだりしないんだから)
旅行の提案をした時、竜ちゃんが凄く喜んでくれたことを思い出し、自然と笑みが零れた。まさかあんなに喜んでくれるとは思わなかったからちょっと驚いたけど、でもわたしも嬉しく思う。
「あー…早く仕事終わらないかな」
明日からまた新人作家様のお尻を叩いて、サッサと完結してもらわないと。
そんな勝手なことを考えながら、旅行はどこに行こうかなあとケータイで検索を始める。
この時のわたしはまだ、純粋に竜ちゃんを信じていたし、まだ自分が幸せの中心にいるんだと信じていた。
でも静かに別れのカウントダウンが始まっていたことを、わたしは気づいていなかった。