I knew

第八幕:運命論者


目まぐるしく色が変わる無数のミラーボールと、腹の底まで響いてくる重低音が心地いい音楽。どれこれもオレの好きなものだ。この中にいると、どこまでも音に溶けていく感覚になる。気持ちが高揚して酒も飲んでいないのに、ある種のハイ状態になれるからたまらなく楽しいと思う空間だ。
でも今日のオレはそんなものに頼らなくてもテンションが高かった。

「竜胆くん、今日機嫌良くないっすか」

クラブに顔を出した時、店長の健太郎に声をかけられた。リビングのソファの隙間から見つけ出したピアスを返してやるついでに「あ、やっぱ分かる?」と匂わせれば、健太郎はピンときたのか「ちゃんっすか」と笑った。

「それしかねえみたいに笑ってんじゃねえよ」

苦笑しながら健太郎の腹に軽くパンチを入れると、踏んづけられたカエルみたいな声が返ってきた。

「いや、腹はやめて下さいよ…」

健太郎は腹を擦りながら、早速返したピアスを左耳に付け始めた。それを見てると、もう一つが見つけた例の女のピアスを思い出す。兄貴に散々気をつけろと叱られたけど、あの時はマジでヤバかった。もし健太郎のピアスの件がなければ、オレはに対してどんな嘘をついてたんだろう。
結果、嘘にはならなかったけど、それを考えるとせっかく上がったテンションが下がりそうになる。

「で、何でそんな機嫌いいんすか。あ、ちゃん今日来るとか」

健太郎はスタッフルームのデスクで今日のVIPルームの予約をチェックしながら訊いてくる。オレは冷蔵庫からビールを取ってソファに座ると「いや、来ねえけど」と苦笑しながら返した。がこのクラブに来ることは殆どない。彼女なりに女の客に気を遣ってるらしかった。最初はそんなの気にするなと言ったけど、今になって考えると、それで良かったかもしれない。オレが自分目当てで来てる女や、顔見知り程度の女達と、ただ欲を吐き出す為だけの行為をしてる場所に足を踏み入れて欲しくないと思うようになった。
それにとそういった女達が顔を合わせるのも避けたかった。
オレと関係を持った女達だって遊びだろうから、オレに彼女がいると知っても何とも思われないだろうが――相手によってはハッキリ伝えてるし――少しの危険でも犯したくはない。

「何だ、来ないんすか。また仕事ですかー?」
「いや、大きなのは今日終わったらしい。ただ寝不足だから今日は帰って寝るって」
「へえ。じゃあ何で機嫌いいんすか」
「だからそれだよ」

ふとパソコンからオレに視線を向けた健太郎にニヤリと笑う。

「それ?」
が今、担当してる作家先生の原稿が全て仕上がったから、連休がとれんだよ」
「マジっすか!良かったじゃないっすか」

オレの言ってる意味が分かったらしい。健太郎は「これでオレも安心っす」とシミジミ言い出した。何が安心だと苦笑いが零れたが、オレの悪いクセのことはコイツも知ってるし、内心ヒヤヒヤしてたらしい。先日もの先輩のケーコさんからピアスのことを訊かれて何となく察したようだ。まあオレもその話を聞いた時はドキっとしたけど。
ケーコさんには女といるところを一度見られたことがある。客だと説明はしておいたが、どこまで信じてるかは分からない。それなりに経験を積んでる人は勘が鋭いし、男女の小さな違和感を見抜く目を持ってる。ケーコさんが健太郎にピアスのことを確認したのは、きっとからその話をされたからだろうし、も多少は疑ってたのかもしれない。聞けばあのピアスは枕の下にあったという話だった。

(まあ…そんな場所にパールのピアスが落ちてるなんて誰でも疑うよな…)

ビールを煽りながら、心底バレなくて良かったと思った。

「で、どっか行くんでしたっけ」
「おう。まだ行き先は決めてねえけど、小旅行ってやつ?」
「お、いいっすね。二人きりで?」
「当たり前だろ」

健太郎の質問の意味が分かって軽く吹き出した。どうせ兄貴はついて行かないのかと聞きたいんだろう。兄貴がを猫可愛がりしてるのは周知の事実だ。まあ兄貴も何気に行きたそうではあったけど、今回だけは遠慮してくれるようだ。

「あーやべ。マジで楽しみすぎんだけどー。どこ行こうかなー」

ケータイであちこち調べてみるものの、彼女と旅行なんてことは初めてで、どこへ連れていけばいいのか迷ってしまう。

「天竺のメンバーとはたまに酒の上手い地方に行って温泉どんちゃん騒ぎ旅行することあるけどさー。とじゃそうもいかねえじゃん」
「まあ、そうっすねー。あ、オレ、今年の春に彼女と鎌倉に行ったんですけど、なかなか良かったっすよ」
「あー鎌倉かー。何かノンビリできそうでいいかもな」

定番と言えば定番の観光地ではあるものの、近場だし車で行けるのもいい。新幹線で遠出するのもありだけど、と二人、ドライヴがてら移動ってのも憧れる。

「よく考えたらオレ、そんなデートすらしたことねえわ」
「あー…竜胆くん、今まで固定の子作らなかったっすもんねー。理由がクズすぎて聞いた時はオレ、ドン引きしたっすもん」
「あ?うっせーよ」

健太郎の言い草には苦笑しか出ない。まあ実際クズなことしてた自覚はあるから仕方ねえけど。
と会うまでは一人の女と真剣にお付き合い、なんて考えたこともなかったのは事実だ。
理由は簡単。どんなにいい女でも慣れてくると飽きるし面倒なことになるからだ。これでも過去にはちょっとの間、彼女と呼べるような存在はいた。でもその時の女がやたらと束縛してくる性格で、とにかくオレを独り占めしたがった。当時は天竺の皆とツルんでる方が楽しかったし、女は二の次みたいなとこがあったから、だんだん彼女への連絡が億劫になっていった。そうなると今度は鬼電してくるわ、家に突撃してくるわ、マジで辟易したっけ。今の理由と違えどその時も他の女に手をつけてたし、むしろそっちの女の方がセックスするだけの関係でいられたから、かなり気楽だった。
彼氏彼女なんて枠に入るから変な約束ごとが生まれて、別に結婚もしてねーのに「浮気は許さない」みたいな空気になるのも嫌でたまらなかった。だったら一人の女に決めないで、好きな時にヤれればいいと思うようになって、と出会うまでは実際そんな生活だったから、健太郎はその時の話をしてるんだろう。

「でもその竜胆くんが遂に一人の子に決めちゃうんだから凄いっすよね、ちゃん」
「だよな。マジで運命かも」
「いや、竜胆くんが運命論語りますっ?」

オレが真顔で言うと、健太郎は思い切り吹き出してる。マジで失礼な従業員だ。減俸してやろうかな。
まあオレ自身、自分が運命語るなんて思ってなかったけど、きっとと出会うまで、精神的な繋がりなんて信じちゃいなかったせいだ。
のことが好きで、会っている時は当然のようにキスしたくなるし、触れたくもなるけど、それ以上に彼女の存在に癒されてる。会っていない時でも、寂しいけど、が彼女でいてくれるから毎日オレは何かしら頑張れてる気がする。

(って、オレ、こんなロマンティックだったっけ?)

思考回路が恋する乙女っすね、と健太郎に笑われ、ケツを蹴っ飛ばしておく。今度は尻尾を踏まれた猫みたいな悲鳴が響いた、ちょうどその時。オレのケータイが爆音で鳴り出した。

「お、噂をすれば?」

蹴られたケツを擦りながら、健太郎がニヤニヤしはじめ「オレはフロアの方、チェック行って来るんで、ごゆっくり~」とスタッフルームを出て行く。変なとこで気が利く奴だと思いつつ、すぐ電話に応答した。今日は帰って寝るって言ってたはずなのにどうしたんだろう。一瞬何かあったのかと心配になった。

「もしもし、?どうした?」
『竜ちゃ~ん…ごめんね…仕事中?』
「いや、店にはいるけど、今まで健太郎と無駄話してただけ。どうしたんだよ。もう家だろ?」
『うん…疲れたからご飯食べてすぐ寝ようと思ったんだけど…疲れすぎてるせいか、頭が冴えちゃって眠れなくて…』

何だ、そういうことかとホっとしたと同時に苦笑が漏れた。

「じゃあが眠くなるまでお喋り付き合ってやるよ」
『え…いいの…?』
「当たり前だろ。つーか…オレがと話したいし」

になら素直な気持ちがすんなり言葉にできるんだから不思議だ。そこには一切の嘘も建前もない。正直、オレはこんな台詞が言えるような男だったんだと、彼女を好きになってから何度驚いたことか。

『さっきも話したのに?』

はそう言いながら笑ってる。確かにさっき仕事が終わったって連絡が入って、速攻電話をかけて話した。でもあんな数分の電話じゃ物足りなかったところだ。

「あんなのちょっとじゃん。ほんとなら会いに行きたかったけど、さすがに徹夜続きじゃ一人でゆっくり寝たいだろーなと思って遠慮したし」
『…ありがとう、竜ちゃん…』

きっと今、は嬉しそうに微笑みながら、色白の頬が赤くなってんだろうなと想像できてしまう。その姿を思い浮かべるだけで会いたくなるんだから嫌になる。

「あ、そーだ。旅行さー。健太郎が鎌倉行ったら良かったって言うんだけど、どう?それかが行きたい場所、考えた?」
『色々考えて迷ってたとこ。でも鎌倉もいいなあ。近場だけどのんびりできそうだし』

オレと同じ感想を言うから笑ってしまった。あまり遠い場所だと移動で疲れるし、と言って近すぎても旅行って感じがしねえだろうから、鎌倉くらいがちょうどいい場所なのかもしれない。

「じゃあ、そうする?」
『うん。あー…早く来週にならないかなぁ…』

シミジミ言うが可愛い。オレもまさにそんな心情だった。

『…何か竜ちゃんの声聞いたら眠くなってきたかも…』
「お、そりゃ良かった…って、それ退屈だからじゃねえよな?」

つい苦笑すれば、彼女は違うよ、とムキになった。

『竜ちゃんの声聞いてると安心するから』
「……オマエ、そういうこと言うなよ。今すぐ会いに行きたくなんだろが」

甘えた声で可愛いことを言われると、本気で車すっ飛ばして会いに行きたくなった。まあ酒も飲んだからしねえけど。

『…わたしも…竜ちゃんに会いたい…』
「…そんな眠そうな声で言われても」

こりゃあと数分で寝るなと笑いを噛み殺す。眠たい時のは子供みたいな声になるから分かりやすい。

『…まだ…寝ない…もん…』

こうなってくると、すでに瞼がくっついてるはずだ。そして案の定、その後に小さな寝息が聞こえてくる。眠れないというわりに案外早く寝てしまったことで寂しい気もするが、オレと話して安心してくれるのは嬉しいかもしれない。

(早速、泊まる宿でも探すかな)

もうすぐこの寝息をもっと近くで聞けるのかと思うと、ガキみたいに旅行が楽しみになってきた。

「はー…マジで早く会いて~わ…」

誰に言うでもなく独り言ちると、しばらくの可愛い寝息を聞いていた。


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