I knew

第十幕:本気宣言


ざわつくオフィス内。普通の会社員なら定時かという時刻。わたしはカタカタとひたすらパソコンのキーを打ち続けている。そしてやっと最後の一行まできたところで、渾身の一撃とばかりにEnterキーをいつもの倍、力強く叩いた。この瞬間、今回のわたしの仕事が全て終わりを告げたのだ。

「終わっっったぁ~~~!」

嬉しさを体で表すように両腕を伸ばし、全体重を椅子の背もたれへと乗せる。キャスター付きなので当然のように椅子は後ろへ進んだけれど、それが急に止まったのを感じてわたしは首を後ろへと倒した。

「お疲れ~!
「あ、ケーコ先輩…!」

後ろにいたのは出先から戻ったばかりのケーコ先輩で、労いの言葉と共にわたしの頭の上へ、若い女の子から人気のあるドーナツ店の箱を置いた。

「疲れた時は甘い物でしょ、は」
「ありがとー御座いますー!」

ちょうど今、甘い物が欲しいと思っていたところで、さすがケーコ先輩と思いながら、ありがたくドーナツを頂くことにした。ケーコ先輩は隣の椅子に腰をかけると「やっと全部終わったんだ」と意味深な笑みを浮かべた。これが終わればわたしが有給休暇に入ることも、その理由さえ知っているからだ。

「はい。後はこれをチェックしてもらって問題がなければ終わりです」
「作家さまは小説書き終わればOKだけど、こっちはそうもいかないしねー。でもそれも無事に終われそうで良かったよ。これでやっと竜胆くんとノンビリ出来るんじゃない?」
「はい。もうー楽しみ過ぎて今日は眠れないかも」
「遠足前の子供か」

ケーコ先輩は笑ってるけど、わたしはまさにそんなテンションかもしれない。竜ちゃんと付き合いだしてからというもの、仕事仕事であまり休みも取れず、会えたとしても数時間といった程度。立て続けに新作を書いてくれるのは編集者として有り難いことだけど、その分こっちも休み返上で付き合わなければならない。でも今回の作品を上げて、先生も休みを取りたかったようで、そこにわたしも便乗することが出来たからラッキーだった。

「ちゃんと準備はしてあるし大丈夫だね」
「はい。きっちり荷造りはしてあります」
「例の物も入れた?」
「えっと…まあ…はい」

わたしの返事にケーコ先輩がニヤニヤしてくるから少し恥ずかしい。例の物とは、先日仕事終わりにケーコ先輩に付き合ってもらって買った下着のことだ。

――散々竜胆くんを待たせたんだし、これくらいサービスしてやんな。

旅行をキッカケにわたしがやっと決心がついたことを話したら、ケーコ先輩の方が張りきり出し、男の人が好みそうな下着を一緒に選んでくれたのだ。そういう免疫がないに等しいわたしにはどんな物がいいのか分からなかったから助かった。と言っても透け透けとかエッチなものではなく、処女らしい清楚でいて可愛らしい下着を選んでくれたから良かった。いわゆる勝負下着みたいなものだ。

「まあ、エッチもなしでよく一年もったと思うわ、ほんと」
「た、確かに…」

ケーコ先輩があまりにシミジミ言うから恥ずかしくなった。でも本当に経験豊富であろう竜ちゃん相手によく今日まで持ったなと思うし、竜ちゃんも良く待っててくれてると思う。だからこそ、この旅行ではいっぱい甘えて、それで我慢してくれた竜ちゃんにもいっぱいサービスしてあげたい。いや、エッチな意味だけじゃなく。

「あー…生き返ったー」

ドーナツを食べたら、とりあえず動く元気は出てきたから、早速仕事を終わらせて帰ろう。そう思いながら立ち上がると、ケーコ先輩は逆に今夜は徹夜をするらしい。「クラブに行けない」とボヤくケーコさんに「頑張って下さいね」と声をかけて、わたしはすぐに帰る準備を始めた。
今夜はたっぷり寝て、明日は疲れた体を整えて、明後日の旅行の為にアレコレ用意をする予定だ。最後のチェックもOKを貰い、わたしはすぐに会社を飛び出すと、いつものように竜ちゃんへメッセージを送った。今夜は天竺の皆と会うと話してたから、今頃は横浜にいるはずだ。電車に乗る元気はなく、会社前からすぐタクシーを拾って家路につく。すぐにお風呂を沸かして、その間に軽く夕飯を作ってると、竜ちゃんから返信が届いていた。

『お疲れさまー!今夜はゆっくり休めよ。オレも明日の昼にはそっち戻るし、また連絡入れる』

やっぱり横浜らしい。綺麗な埠頭から見える夜景の写真も一緒に送られてきた。そんな場所で皆と何をしてるんだろうとは思ったものの、前に蘭ちゃんが「不良には不良の付き合いがあるんだよ」と悪い笑みを浮かべてたから、きっと今日はクラブのオーナーじゃなく、不良の顔で何かやってるのかもしれない。一般ピーポーのわたしには想像もつかないけど、昔なじみという仲間を竜ちゃんも蘭ちゃんも大事にしてるから、わたしも余計な心配はしないことにしている。

(ただ…ケガだけはしないで欲しいな…)

前ほどケンカはしなくなったと話してたけど、相手側からケンカを仕掛けられたら受けるしかないらしい。でも二人が大きなケガをして帰ってきたことはないから少しは安心してるけど。
とりあえず「分かった。気を付けてね」と返信しておく。その時ちょうどお風呂が沸いたというメッセージとメロディが鳴りだした。

「お風呂入ってご飯食べたらすぐ寝ちゃいそう…」

大きな欠伸をしながらバスルームへ向かう。旅行の時に寝不足なんて嫌だから、今夜と明日でしっかり睡眠をとって、万全の体調で当日を迎えなくちゃ。
まずは疲れ切った体をお風呂で温めるとするか。
欠伸を連発しながら、わたしはバスルームへと向かった。


△▼△


ボーっという汽笛の音を聞きながら、潮風になびく髪を押さえると、視線をケータイから目の前の連中へと戻した。たった今、鶴蝶が全員ボコし終わったところだ。

「お前ら二度とハマにくんじゃねーぞ」

最後に蹴りを入れられた男はすでに意識がなく、今の言葉すらきっと聞こえてないんだろう。でもまあコイツらみたいなゴミ、イザナくんの街にはいらないし、ここまでやれば二度とこの辺を荒らしには来ねえだろうな。
コイツらは隣県の半グレ集団で、ここいらの孤児を脅して殴ったりしてたバカどもだ。そういう奴らにイザナくんも鶴蝶も容赦がない。オレや兄貴にも手伝って欲しいという連絡が入ったのは夕べのことで、久しぶりに暴れてやるかと横浜くんだりまでやってきた。さっき鶴蝶にボコられてたのは、オレと兄貴がとっ捕まえた奴らだ。イザナくんが面倒を見てた孤児院出身のヤツらを五人ほど病院送りにしたそうで、ずっと探してた人物らしい。

「蘭も竜胆もサンキューな。助かったよ」
「いや。こういう奴ら気に入らねえし、見つけられて良かった。で、入院したヤツらの容体は?」
「ああ、骨折とかだけで、他は大したケガじゃないらしいから大丈夫だ」
「……いや骨折は大したケガだろ」

兄貴が苦笑交じりで突っ込んだ。鶴蝶にかかると、骨折すら軽傷になっちまうらしい。

「でもこれでイザナも孤児たちの救済、本格的にやるって言いだしそうだな。NPO法人だっけ?」
「ああ。少しでも孤児たちの役に立てることがあるなら、その方がいいしな」

イザナくんも鶴蝶も孤児だったから、同じ境遇の子達の手助けになれることがないかと、ずっと考えてたようだ。班目センパイやムーチョくん、モッチーくん達も手伝うという話だった。あんな強面ばかり集めて大丈夫なのかよって兄貴がこっそり笑ってたけど、オレも若干その辺が心配だ。

「そん時はオマエらにスポンサーになってもらうからな」

そこへイザナが歩いて来た。やっぱそうなんのかよ、と言って兄貴が苦笑している。まあ非営利団体は支援者がいるから成り立つもんだし、オレらはそっち方面で関わることになりそうだ。

「ああ、立ち上げた時は竜胆の彼女に取材でもしてもらいてーところだな」
「え、に?でもアイツ、記者じゃねえし」
「いや誰か紹介してもらえたらって話だよ。他に支援者も募りたいしな」
「ああ、そういうこと。じゃあ明後日、会うから聞いておく」

確かの先輩が記者だったなと考えていると、イザナくんがニヤつきながらオレの肩へ腕を回してきた。

「そういや明後日から彼女と旅行だっけ?」
「まあねー」
「ニヤケやがって。一人だけ浮かれてんのムカつく~」
「だろ?兄ちゃんを置いてと二人で旅行なんてなあ?」
「いや、普通彼女と行くなら二人で行くだろ…」

まだ根に持ってたのか…と苦笑しながら返すと、兄貴は不貞腐れ始めた。「オレもと旅行に行きたいわ」とかアホなことを言いだすから、本気でついてくる気じゃねえだろうなと心配になる。兄貴ものことは本当の妹みたいに可愛がってるから、半分マジで寂しがってるようだ。まあ、今回は無理だけど――オレだって初めて彼女と旅行だし――今度別の機会に3人で温泉でも誘ってやるかな。邪魔だけど。

「で、マジで遊んでた女、全員切ったわけ」
「…何でイザナくんがそんなことまで知ってんの」

と聞いたものの、そんなの答えは一つしかない。後ろで兄貴がニヤニヤしている。

「まあ…切ったし、もう全部、連絡先も消したよ。登録者以外からは電話受けられない設定にもしたし」
「マジで?すげーじゃん。じゃあ今度からは彼女ちゃん一筋ってわけか」
「っていうか…元々気持ち的には一筋だけど」

イザナくんや鶴蝶は「嘘つけ」なんて言って笑ってるけど、オレとしては真面目にそんな気持ちだった。確かに他の女と関係を持ってた時点で一筋なんて言えねえのかもしれないが、遊びは遊びで心まで移したわけじゃない。ただと一緒にいられない寂しさを何かで埋めたかっただけで。
そんなことを言ってみてもやってることは浮気だから、オレはそんな自分にも嫌気がさしてきたってのが本音だった。何もが忙しいのは遊び回ってたわけじゃない。一生懸命仕事をしてただけだ。なのにオレは彼女が働いてる間、酒を飲み、酔っ払って寂しさを紛らわせたり、次から次に寄ってくる女を抱いてモヤモヤしたもん紛らわせたり、好き勝手なことをしてた。を好きになって変われたと思ってただけで、中身はこれまでと大して変わっていないと気づいた時、心底怖くなった。こんなオレを知られたら、きっとはオレから離れて行ってしまう。そんな気がして。だから今更だけど関係を持ってた女は全員手を切った。それまで全くそんな素振りすら見せなかったクセに「本当は本気で好きだった」とか言い出した女も何人かいたが、オレからすれば相手の想いはどうでもいい。関係を持った時、互いに遊びだって割り切ってた時点で、そんな告白も今更だった。オレはもう以外の女はいらない。きちんと自分の気持ちに向き合った結果、憑き物が落ちたみたいにスッキリしたし、会えない日が続いても、どんなに寂しくても、自分がどれだけを好きなのか改めて自覚したから。

「げ、竜胆のヤツ、マジじゃん。まだヤってもねーんだろ?」
「そんなの関係ねえし、一緒にいて安らげるのはだけだから」

キッパリ言い切ると、イザナも鶴蝶もギョっとした様子で顔を見合わせてた。自分でも言ってからギョっとしたけど、今口から出たのは全て本音だ。

「…純愛じゃん、それ。似合わねえけど、何か竜胆がカッコ良く見えてきたわ」
「よく言った!竜胆!それでこそ男だ!」
「…お、おう…つーか本気で叩くな、痛ぇから」

鶴蝶にバシバシ背中を叩かれ、思わず顔をしかめた。兄貴はそんなオレを見て笑い転げてるし、何だ、これ。何でこんなとこで本気宣言しなくちゃいけねーんだと思いつつ、明後日からの旅行の件でオレも相当浮かれてるのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、色んな女と遊んでた頃のオレより、一人の女の子を本気で想えるようになった今の自分の方が絶対カッコいいと思う。自分で言うのもなんだけど。
本気で惚れたならのことを悲しませるようなことはしちゃいけない。
以前、兄貴に言われたことを、今更ながらに実感していた。

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