I knew

第十一幕:旅行⑴


「うわぁ、大きなお寺!」

はしゃいだ声を上げながら、は目の前に現れた鶴岡八幡宮を見上げた。朝、彼女を迎えに行ってやってきたのは神奈川県にある鎌倉。山と海に囲まれた自然豊かな鎌倉は四季を通して花々を楽しめるお寺や神社が数多くあるらしい。昔のオレなら絶対に来ないような場所だけど、今はと一緒なら何でも楽しい。いつも都会のネオンに埋もれたような生活をしてるせいか、こうして自然の多い場所に来ると空気がうまく感じた。

「竜ちゃん、早く上ろう」
「あの階段を上がるのか…」
「いい運動になりそうでしょ」

目の前の階段を目指してがオレの腕を両手で引っ張ってくる。可愛い奴、と思いながら、彼女に引かれるまま歩くのもいいかもしれない。大勢の観光客に紛れながら、のんびり二人で階段を上っていく。 鎌倉の中心に建つ神社、鶴岡八幡宮は1063年、源頼義が京都の石清水八幡宮を由比ガ浜辺に祀ったのが始まりだそうで、鎌倉幕府を源頼朝が開いた際に現在の場所に移動し、鶴岡八幡宮を中心に鎌倉の町が整備されたとか。この場所は三方を強い龍脈のパワーが流れる山に囲まれていて、大地のエネルギーが集まる"龍穴の地"と呼ばれ、パワースポットとしても名高い場所なんだと、がガイドよろしく説明してくれた。取材であちこち行く彼女はそういう情報に詳しい。仕事の為に覚えると言っていたが、なかなか面白い話もあるし、それを聞きながら改めて辺りを見渡すと、何百年以上という長い歴史を肌で感じるような不思議な感覚になる。オレも案外単純だ。
境内を一通り見て回ってから、今度はすぐ近くにある英国アンティーク博物館まで歩いて行く。外観のデザインは世界的に有名な建築家が設計したとかで、鎌倉彫をモチーフにしたものだそうだ。4階建ての館内にはシャーロック・ホームズの部屋やヴィクトリア時代などのテーマに沿った空間がコーディネートされ、アンティークな家たちが展示されていた。はアンティークの物が好きで、鎌倉に来たら一度来てみたかったらしい。でもさっきから様子を伺っていると、一つ一つ見るたび、何やら真剣な顔で考えこんでいる。それを見て思わず苦笑が漏れた。

「地味に取材してんだろ、脳内で」
「え、バレた?先生の次回作とかで使えないかなぁと思って」

そう言って笑ってるは細かくケータイにメモしながら館内を見て回っている。こんな時でも仕事脳になってるんだから参るよな、ほんと。

「あ…竜ちゃん?」

ひょいっと彼女の手からケータイを奪う。せっかく二人きりでの旅行なんだから、今は仕事のことを忘れて欲しい。

「ダーメ。今は休暇中だろ。仕事のことは忘れてオレに集中して」
「あ…そ、そうだよね。ごめん、竜ちゃん…ついクセで…」

はシュンとした様子で項垂れた。その頭にポンと手を乗せると、今度はオレから手を繋ぐ。

「結構、歩き回ったし腹減ったろ。そろそろ昼時だしランチでもしよう」
「あ、そうだね――」

が言った瞬間、彼女のお腹がぐぅぅっと鳴り出した。その情けない音でお互いに顔を見合わせた後、軽く吹き出す。のこういう飾らないところが好きだ。普通なら恥ずかしがるような場面でもカラっとした笑顔で笑ってくれる。

「竜ちゃんがご飯の話したからお腹が催促したんだ」
「ってかオレも鳴りそうなくらい腹減ってきたかも」
「あ、このすぐ近くにイタリアンとか和食屋さんあるみたい。行ってみる?」
「そうすっか」

今度はケータイでこの辺の情報を見ながら、二人でレストランを探す。鶴岡八幡宮脇を通り、坂道を上がっていくとの言ってた店が見えてきた。古い家屋のような造りで歴史を感じる店構えだったが、中に入って店員に話を聞くと、築約100年の古民家をリノベーションしてレストランにしたとのことだった。店内の窓や扉も昔を思わせるガラス戸造りで、木製の床はフローリングというよりは床板といった方が正しいようなレトロなものだ。時代を感じるものが好きなは終始ご機嫌で店内を見渡していて、その嬉しそうな顔を見ているとオレまで釣られてしまう。ガラにもなく、幸せだなと感じて自分でもちょっと驚いた。
ここのイタリアンは料理も美味しくて、オレもと同じ平打ち面のカルボナーラ、鎌倉野菜のサラダ、自家製のパンがセットになったランチを頼んだ。ドリンクも付いてると喜んでる彼女が可愛い。ささやかなことでも素直に喜びを表現できるのがのいいところだと思う。は「近所にあったら通っちゃうんだけどなー」と名残惜しげに言いながら、しっかり完食していて、昼間はあまり食べないオレでも綺麗にランチを平らげてしまった。彼女と旅行という気の緩んだ状況や、旅先の雰囲気とかで気分が変わったせいか、普段より健康的な時間を過ごしてる気がする。

「ご馳走様でした!凄く美味しかったです」

は店主とオレにまでお礼を言って「次は有名なお寺に行こう」と元気よく歩いて行く。「気持ちのいい子ですね」と店主の男性が笑うから「自慢の彼女なんで」と初対面の人間につい惚気てしまった。それくらいオレも旅行気分で浮かれてるのかもしれない。

「竜ちゃん早く~!」

とっくに駐車場へと向かって歩いていたが、オレに向かって手招きをしてくる。最後に店主へ「また鎌倉来たら寄らせてもらいます」とだけ声をかけて、すぐに彼女の後を追いかけた。咄嗟にそんな言葉が出たのは、きっとまたとここへ来たいと思ったからなのかもしれない。
次に向かったのはが行きたいと話してた鎌倉文学館。明治以降の鎌倉では数多くの文学者が創作活動をしてたとかで、夏目漱石、芥川龍之介など、オレでも聞いたことのある作家や、他にも詩人や歌人の原稿や手紙、愛用品を豊富に展示してあった。その辺は全く興味はないが、が楽しそうだから、まあいいかと思う。あと今時期は薔薇を観賞できる名所のようで、色鮮やかな薔薇が庭園を彩っている。は昭和初期の洋館に感激しながらも庭に咲く薔薇をケータイカメラに収めていた。きっとと一緒じゃなきゃ絶対に来ない場所だからこそ、オレも写真を撮ったりして兄貴に送っておく。きっと今時間は寝てるだろうから、夕方頃にでも返事が来るだろう。

「ごめんね、竜ちゃん。付き合ってもらっちゃって。退屈でしょ」
「いや、それがそうでもない。まあ、とじゃなきゃ絶対来ねえけど、だからこそ新鮮」
「そっか。なら良かった。あ、そろそろ次行く?」
「次はどこだっけ」

が行きたい場所リストを作ってたようで、それを見ながら移動する。こんなにノンビリした時間は久しぶりで、兄貴や天竺の皆とじゃこうはいかねえだろうなと苦笑が漏れた。

「今度は蘭ちゃんも誘って温泉とか行きたいね」
「ああ、それオレも考えてた。兄貴のヤツ、今回も来たそうにしてたしなー。家に一人になんの寂しいからって、今日はイザナくん達と飲み明かすって言ってたわ」

蘭ちゃんらしい、とは笑ってる。きっと夜になれば酔っ払ってガンガン電話かけてきそうだから電源切っておこうかと本気で考えた。でもそんなことしたら帰ってからが怖いけど。

「あ、竜ちゃん、雨降ってきた…」
「げ…やべえな。雨って夜からって予報じゃなかったっけ。とりあえず車に戻ろう」

ポツポツと顔に水滴が当たって、オレはの手を繋いで庭園内を走りだした。他の客達も一斉に洋館へ戻っていく。混雑したロビーを抜けて外へ出ると、次第に本降りになってきた。

「駐車場すぐそこだし走れそう?」
「うん、平気!」

今日はも動きやすいラフな格好だから足元もスニーカーだった。少しホっとして手を繋いだまま駐車場へと走る。普段なら雨降りは好きじゃないが、旅先だとこんな突発的なことでも楽しいトラブルだったりする。

「ひゃーちょっと濡れちゃったけど、早めに戻って良かったねー」
「そうだなー。ああ、、こっち向いて」

こういう時の為に車に積んであったタオルで濡れた髪を拭いてやると、は「ありがとう」と微笑んだ。びしょ濡れというわけじゃないが、しっとりと濡れた髪を手櫛で整える仕草はやけに可愛くて、ついでに艶っぽい。長い髪が肌に張り付いている姿にドキっとさせられた。拭いてる傍から水滴の垂れた頬や、首筋。彼女の白い肌に吸い寄せられるよう、濡れた頬へ指を伸ばした。

「竜ちゃんも拭かなきゃ…」
「オレは平気」

水滴を指で拭うと、は照れ臭そうに笑った。駐車場には人気もなく、雨音しかしない。だから何となくそんな気分になって、の後頭部へ手を回し、自分の方へ少しだけ引き寄せた。互いの唇が重なって熱を持つと、もう片方の手で彼女の背中を抱き寄せる。

「ん…竜ちゃん…人が来ちゃう…」
「この雨で皆、洋館に足止めされてるよ」

触れあうだけのキスの合間、そんな会話を交わしながら微笑みあう。それでもは少し緊張しているようだった。まさか彼女が遂に覚悟を決めてこの旅行に来たなんて、オレはまだ何も知らなかった。

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