I knew

第十二幕:旅行⑵


昼になる少し前、寝ていたオレの耳が何かの音をキャッチした。振動と共に短い着信音。これは電話じゃねえなと思いながら、布団の中から腕を伸ばす。だが傍にあるであろうはずのケータイに触れることなく。オレはそこで諦めた。というか無意識にまた夢の中へと戻ったらしい。起きたら夕方で、窓の外はオレンジ色の夕焼けに染まり、そしてオレのケータイには数件の着信やメッセージなどが届いていた。大抵はクラブ関係者からの報告電話――留守電にて確認――や、鶴蝶から"何時頃、迎えに行けばいい?"といったメッセージ。残りの数件は竜胆からで、旅先の鎌倉から送られてきたものだ。と行った場所の写真と共に、短いメッセージ。ほぼ『めちゃくちゃ健全な旅も最高』とか『真剣なが可愛い』とか、楽しんでるなと思わせるような内容だ。竜胆が送ってきた写真には、が真剣な顔で展示品を見ているもので、確かに可愛らしい一枚だった。

「ったく…兄ちゃんを置き去りにして楽しんでんなー竜胆のやつ」

苦笑交じりで言った傍から欠伸が出たものの、そのままベッドを抜け出しバスルームへと向かう。ついでにケータイで鶴蝶にメッセージを返しておく。今夜は天竺のメンバーと横浜で朝まで飲む予定だった。竜胆ももいない六本木にいたって退屈なだけだ。こんなことを言って愚痴ってたらイザナに「寂しいんだ」と笑われたが、一つ誤解のないように言えば「退屈」とは言ったが、寂しいとは言ってない。
それにしても。あの竜胆が彼女を作った時もぶっ飛んだが、その子と旅行に行って楽しそうにしてるなんて、変われば変わるもんだと苦笑が漏れる。あれほど特定の女なんて面倒だと言っていた竜胆が、と出会ったことで、面倒なことがあってもそれを受け入れられるようになったんだから成長したもんだと思う。その分、会えない日が続くと悪い病気が出たりもしてたが、オレの忠告を受けて全員と手を切ったと話してたし、連絡先などはオレの前で全て削除してみせた。それだけを失いたくないってことだろう。オレだって竜胆とが別れるなんてことになって欲しくないから、そこは本気でホっとしたりもした。ただ一つ心配なのは、竜胆が手をつけた女達だ。竜胆は向こうも遊びと割り切ってたと言ってたが、女はそんなに単純な生き物じゃない。竜胆はそうでも相手は本気だったってことも十分にあり得る。現に何人かには「本気だった」と言われたようだ。竜胆は「今更」と切り捨てたらしいが、それで相手がすんなり納得するとは思えない。変なことにならなきゃいいけどな、とオレもたいがい弟のことに関しては心配性かもしれない。

「お、鶴蝶か」

シャワーを浴びて出ると、早速鶴蝶から返信が届いていた。これから迎えに行くとのことだ。オレと竜胆、それぞれ車は持っているが、自分で運転するのが面倒で、横浜に行く時は時々鶴蝶に送り迎えしてもらってる。イザナは「オレの下僕を足に使うな」と文句を言ってくるが、当の本人が「迎えに行ってやる」と言うんだから別にいいだろ。
鶴蝶が来る前にサッサと出かける準備に入った。髪を乾かし、いつもの三つ編みにすると最後にクローゼットから最近購入したお気に入りのブランド服を取り出す。それを身につけたら出来上がりだ。だいたい横浜に行く時は抗争が目的だったから常に特攻服だったものの、今日は単に飲みに行くだけなので私服で十分だろう。まあ、おろしたての服を汚したくもねえし、酔っ払ってイザナが通りすがりのバカにケンカを売らないことを祈るしかない。
鏡の前で最終チェックをしていると、ちょうどインターフォンが鳴った。

「もう来たのかよ」

苦笑交じりでリビングに行くとインターフォンのモニターを覗く。でもそこに映ってたのは鶴蝶じゃなく、見覚えのある女だった。

「…あ?この女…もしかしてクラブの客か…?」

モニターに映る女をマジマジと見て気づいた。いつもバッチリメイクに男好きのしそうな服装で毎晩のようにクラブへ顔をだしている女だ。何度か顔を合わせた時に挨拶をされたこともある。その程度の認識しかない女が困った様子でマンションエントランス前に立っていた。何でこの女がうちに?と疑問に思った。別にこのマンションのことは隠してるわけでもないから、知ってる奴も客の中にはいるだろうが、こうして直に尋ねてくる女は初めてだ。クラブに来る大半の女客はオレか竜胆目当てで来るのが多い。中にはつきまとい行為を平気でしてくる自称ファンという変わった女もいる。だからこそオレと竜胆の住むマンションに行ってはいけないという暗黙のルールみたいなもんがあるはずなのに、コイツは何しに来たんだろうと疑問が沸いた。

「チッ…何の用だよ」

スルーしようかとも思ったが、何故この女が訊ねてきたのかが気になり、オレは通話ボタンを押した。



△▼△



グラスにワインを注いだところで、ケータイが再び振動しだした。表示には"兄貴"の二文字。さっきから数分おきに電話をかけてくるんだから苦笑しか出ない。とりあえずケータイの電源はオフにしておく。帰ってからたっぷり説教をされる覚悟は出来てるし、まあ、様子伺いなんだろうが、せっかくと二人きりの時間なんだから邪魔をされたくなかっただけだ。
今日は雨が小降りになった後も数か所、観光名所を見て回り、夕方にはこの旅館へチェックインをした。事前に調べて予約したこの旅館は、全てが和と洋のコラボみたいで、案内された部屋は黒い壁に障子、床は畳張りでなかなかにシックでお洒落な空間だ。あちこち取材旅行をしているでも「カッコいい部屋」と大喜びしてくれた。食事は雨の中、外へ食べに行くより、旅館でとろうという話になり、料理はの希望でしゃぶしゃぶコース。大いに食べて、その後はゆっくり飲もうってことになった。でも酔う前に風呂に入りたいとが言い出し、さっき大浴場に入ってきたところだ。けど部屋に戻っても彼女はまだらしく、オレは事前に頼んでおいたワインを飲みながらを待つことにした。その間にまた兄貴から三回ほど着信があったものの、出れば話が長くなりそうで――絶対酔ってるし――オレが出ることはなかった。

「ハァ…帰ったら鉄拳制裁だな、こりゃ」

電源の切れたケータイを見下ろしながら苦笑いを零しつつ、それをバッグの中へ突っ込んでおく。どうせ兄貴もイザナくんや鶴蝶と飲んでるだろうし、そのうち忘れるだろ。そう思いつつ、ワインを飲んでいると扉の開く音がした。

「あ、竜ちゃん、戻ってたの?」

お帰り、と声をかけると、が驚いたように襖を開けた。風呂上りらしく、も当然ながら浴衣姿。長い髪を軽く結って、上からは羽織りを着ている姿がやけに色っぽい。

「オレもついさっき戻ったとこ。温泉気持ち良くて長風呂になるよな」
「だよね。わたしもついつい長々と入っちゃって逆上せそうになったから慌てて出ちゃった」

そう言って笑う彼女の頬は、確かに赤く火照っている。出来ることなら、このまま押し倒したいくらいだ。でもとノンビリお酒も飲みたい気持ちもある。自分の隣の座布団をポンと叩いて「座れば」と促すと、も嬉しそうに歩いて来た。

「竜ちゃん浴衣も似合うね」
「そーか?オマエの方がめちゃくちゃ似合ってるし。すげー可愛い」

思ったことを素直に言葉にすれば、はやっぱり照れ臭いのか、かすかに頬を赤らめた。でも次の瞬間には「ありがと…」と嬉しそうに笑う。一瞬、見つめ合って、そういう空気になった。顔を傾けて彼女の唇に触れるだけのキスを落とす。照れたのか、は俯いてオレの胸元へ顔を押し付けるから、そのまま背中へ腕を回してぎゅっと抱きしめた。外からはかすかに雨音が聞こえてくる。こんなにも心が穏やかな夜を過ごすのは初めてかもしれない。

「あ~何か幸せ」
「…わたしも」

も顔を上げて微笑む。それが可愛くて、今度は額にちゅっと口付けた。愛しい、なんて今まで知らなかった想いがこみ上げてくる。夜は彼女と会えても、ほんの数時間のみ。だけど今夜は時間を気にしないでいいんだから最高だ。このままと一緒にお酒を飲みながら、他愛もない話をして夜を明かしたっていいくらいの気持ちだった。抱き合わなくたって、となら何をしても楽しい。付き合った当初は拒否されることで不安になったりもしたのに、今ならそう思えるんだから不思議だ。それにがオレとそうなってもいいと思ってくれなきゃ意味がない。その日まで待つと決めた以上、他の女で紛らわせるなんてしちゃいけなかった。結局、好きでもない相手を抱いたところで、満たされるはずもなかったのに。

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