I knew

第十五幕:違和感


朝から車で鎌倉市内を回った後、今度は江ノ電に乗って観光することにした。四つ目の極楽寺駅は昔ながらの木造駅舎で、ドラマなどのロケにもたびたび使われる場所らしい。こじんまりとした風景が広がる極楽寺付近は歩いてるだけで楽しかった。

「あ、あそこのカフェ可愛い」

少し行くとまた古い家屋を元に造られたようなお店があり、そこでランチを食べて行くことにした。朝から動き回ったせいで、竜ちゃんもお腹が空いたようだ。可愛らしい店内には昼時ということもあって混み合っている。でも観光客というよりは近所の人がふらっと立ち寄ったといった感じの人が目についた。

「何か鎌倉って隠家風のお店が多いね」
「そうだなー。都会にも似たような店はあるけど、やっぱこっちの店はより隠家感があるわ。落ち着く」

竜ちゃんは言いながら店内をキョロキョロと見渡している。こうして見ると普段と変わりないように見えた。だけど、夕べは少し様子がおかしかった気がする。蘭ちゃんと電話をして戻ってきた竜ちゃんは何となく心ここにあらずといった感じで、どこか上の空だったし「蘭ちゃんなんだって?」と聞いても「仕事の話だよ」としか教えてくれなかった。緊急性はないということだったけど、そんな些細な用で、あの蘭ちゃんが何度も電話をかけてくるかな?と小さな疑問が沸いた。それに旅行最初の夜だから今度こそ…と覚悟をしてたわたしだけど、結局、竜ちゃんとは何が起こるでもなく、普通にお酒を飲んで寝ただけで終わった。

(長い間、待たせちゃったせいかな…)

よく男の人はアレを何度か拒否されるとプライドが傷つくって先輩も話してたし、その後は手を出しにくくなるなんて話も聞いたことがある。そりゃそうだよねと、わたしでも思うし仕方のないことかもしれない。だからって何もされてないのに自分から「今日はいいよ」的なことなんて言えるはずもなく。夕べはわたしの方が色んな意味で悶々とした気持ちで過ごした。

「うんま。ここのクロワッサン美味すぎ」
「ほんとだ!ふわっふわ」

こうして他愛もない会話をしながらも、わたしは何で竜ちゃんが手を出してこなかったんだろうと未だにアレコレ考えてしまう。旅行しようとなった時、とっくに覚悟を決めてただけに、少し寂しくなった。でもそんな覚悟を竜ちゃんが知るはずもないし、また気を遣ってくれたのかもしれない。

「ちょっと近所散歩する?」
「そうだね。喉かなところだし空気も綺麗だから町並み見て回ろう」

カフェを出ると、わたしと竜ちゃんは更に奥の道を進んだ。古民家が並ぶ一角は過去にタイムリープしたかのような風景で何となくホっとする。東京では味わえない感覚だ。知らない街を歩くのは楽しい。目的もなく緑の多い小道に入ってみると、一人しか通れないような長い階段があったりして面白い。遠くには海が見えて最高の穴場が見つかったりする。

「雨が上がって良かったね」
「ああ、そうだなー」

髪をさらう潮風を受けながら、竜ちゃんが気持ち良さそうに両腕を伸ばしている。その横顔を眺めながら、わたしも目下に見える青い海を眺めた。付き合いだしてから今日まで、二人でこんなにノンビリした時間を過ごすのは初めてのことかもしれない。だからこそ大事な旅行にしたいと改めて思った。

「…?」

何気なく隣に立ってた竜ちゃんの手をわたしから繋ぐと、彼は驚いた顔で見下ろしてきた。今まで自分からこんな風にスキンシップをしたことがないからかもしれない。それは照れ臭いのもあったし、普段は竜ちゃんの方から手を繋いだりしてくれるから、それに甘えてただけだ。

「どうした?」

繋いだ手を軽く引き寄せて、竜ちゃんはわたしの髪をそっと撫でてくれた。見つめてくる眼差しはいつもと変わらず優しい。

「ずっと竜ちゃんとこうしてたいなぁと思って…」
「…オレも。東京戻ったら、またお互い忙しない日々だしな」

苦笑気味に言うと、竜ちゃんは僅かに身を屈めて軽くキスをしてくれた。周りは木々に囲まれてる静かな住宅街で、今は誰も通らない。都会にいると竜ちゃんと会っていても外じゃこんなことは出来ないから、凄く新鮮な感じがした。

「また会えない毎日が続くのかと思うとウンザリするな…」
「でもは今の仕事好きなんだろ?」
「それはそうなんだけど…」

いつもは竜ちゃんが寂しいと言うことが多いのに、今日はわたしの方が寂しい気持ちになった。普段は仕事に追われて、そう感じる暇もないからだ。でも久しぶりにノンビリした時間を過ごしていると、もっと竜ちゃんと一緒にいたいと思ってしまう。

「今日はの方が甘えん坊じゃね?」

竜ちゃんの胸元に顔を押し付けると、背中に腕が回ってギュッと抱きしめられる。仕事は好きだけど、竜ちゃんとの時間を削ってしまうのがツラい。この時、初めて仕事を辞めたいと思ってしまった。でもそんなの出来るはずもないし、辞めてどうするんだって思う。恋人に依存してしまうような女、竜ちゃんが喜ぶとも思えない。

「なあ」
「…ん?」

不意に髪を撫でていた手を止めると、竜ちゃんは身を屈めてわたしの顔を覗き込んできた。真剣な瞳と目が合って一瞬ドキリとする。

「そろそろオレと一緒に住まねえ?」
「…え?」

竜ちゃんの見せた雰囲気で何か大事な話をされるのかと思った。でもまさか、そんな話とは思わなくて本気で言葉を失った。竜ちゃんはそんなわたしを見て、マイナスの方に思考が働いたようだ。ちょっと慌てた様子で「まだ無理か…?」と訊いてきた。誤解させたくなくて慌てて首を振る。

「まさか…ちょっと驚いただけ」
「マジ?焦ったぁ…」

竜ちゃんはホっとしたような笑みを浮かべるから、わたしもつい笑顔になった。

「…でも…本気…?」
「当たり前だろ。前から言ってんじゃん」
「竜ちゃん…」
「そうでもしねえとと会えねえし…。まあ一緒に住んだからって忙しいのは変わらねえだろうけどさ。離れて住んでるよりはマシじゃね?幸いオレの仕事は自由が利くし、に合わせられることも多い。遅くなった日は迎えにだって行けるしな」
「うん…」

わたしの知らないところで、そこまで考えてくれてたことが嬉しくて目頭が熱くなった。
忙しいせいで、会う時間が取れないことも多いから、わたしも早く竜ちゃんと一緒に住みたいとは思ってた。だけどわたしから待ってと言ってた手前、なかなか言い出せなかったのだ。

がいいなら…すぐ準備に入るけど…どうする?」
「え…準備って…?」
「そりゃ新居探しに決まってんじゃん」
「新居って…竜ちゃん個人のマンションもあるのに、まだ借りるの?」

わたしが今住んでるマンションは狭いし、竜ちゃんと住むには無理がある。だからてっきりあのマンションでってことかと思った。でも竜ちゃんは「あのマンションは引き払う。あそこは飲み会の場みたいになってたし」と言い出した。

「やっぱと住むなら新しい場所にしたいと思って。ダメ?」
「ううん…ダメじゃないけど…。あ、でも蘭ちゃん、寂しがるかな」
「いや、兄貴も早く二人で住めばー?って言ってたから大丈夫だろ。まあ、今のマンションの近くにしろとは言ってたけど」

そこはやっぱり蘭ちゃんらしいと笑ってしまった。でもそんな話を二人でしてたなんて思わなかったから、それだけ真剣にわたしのことを考えてくれてたんだと思うと、やっぱり嬉しい。しかも竜ちゃんはなかなかにせっかちだった。

「じゃあ、この連休中に新居探そう」
「えっ?」
「だって仕事が始まったら時間なかなか取れねえじゃん」
「…う」

不満げに言われて言葉に詰まったけど、確かに竜ちゃんの言う通りだ。今回は一週間の休みを貰っていて、明日には東京へ戻る予定だった。ただその後の予定は決めてなかったけど、竜ちゃんと映画に行ったりしたいなあと思っていただけに、この急展開は驚きの連続で呆気に取られてしまう。

「さすがに連休中に引っ越しは無理だろうけど、住むとこくらいは決められんだろ」
「まあ…蘭ちゃんの言う条件のとこは少なそうだもんね」

あのマンションの近くで、竜ちゃんが住みたがるようなマンションは多くない。もしかしたらアテがあるのかもしれないと思った。

「じゃあ決まり。帰ったらも少しずつ荷造り始めろよ」
「う、うん」

次のマンションの更新までは我慢だと思ってただけに慌てたけど、竜ちゃんと一緒に住むことを決めた瞬間、そんな夢みたいな生活が現実に近づいてきて、だんだんワクワクしてきた。そうなれば会えない時間も今よりは減るし、もう寂しい思いをさせることも自分がすることもない。

「さっきまで帰りたくないなーと思ってたけど、帰るの楽しみになってきちゃった」
「オレもー」

海を眺めながら竜ちゃんが楽しそうに笑う。釣られてわたしも笑顔になった。さっきまでの小さな不安が竜ちゃんの一言で一気に消えてしまうんだから、わたしもかなり単純だ。

「でも同棲なんてしちゃったら、竜ちゃんのファンが怒るかな」

再びくちびるを重ねた後で何気なく言った言葉だった。最初に会った頃から竜ちゃんや蘭ちゃんの周りには華やかな女の子達がいたのは知ってるし、二人目当てでクラブに来る子達がいるのも知ってる。だからふと思い出しただけだった。だけど竜ちゃんは急に慌てたように見えた。

「んなことねえよ。そもそものことはバレねえようにしてっから大丈夫だって」
「そっか。そうだよね」

少しの違和感を覚えながらも頷くと、竜ちゃんはかすかにホっとしたように見えた。
そう言えば…と付き合い始めの頃、二人の周りには過激な子も多いから、わたしの存在は隠しておくと蘭ちゃんに言われたことを思いだす。わたしはこれまで二人のような人と付き合ったことはないし、そこまでするものなのかと驚いたけど、あれほど目立つ存在だから女の子が寄ってくるのは理解できたし、そもそも先輩だって蘭ちゃん目当てでクラブに通ってる。クラブのオーナーと言っても客商売だろうから、それは仕方のないことだと思ってた。ただ最初の頃はそれが心配で、浮気してるんじゃないかと悪い方へ考えたこともある。でもそれ以上に竜ちゃんがわたしを大事にしてくれたから、いつの間にかそんな不安なんて消し飛んでいた。竜ちゃんがわたしを裏切るはずがないと信じることが出来たから。

(気のせい…だよね)

小さな違和感を打ち消して、目の前の竜ちゃんを見上げる。そこには普段通り、わたしを見つめる優しい眼差しがあった。

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