I knew

第十八幕:優しい時間が流れてる



「…いたた…」

目が覚めて起き上がった瞬間、体のあちこちが痛くて、再びベッドへ倒れ込んだ。特にある部分にはズンっとした鈍痛。痛みの原因には当然、心当たりがあった。

「…してる時はそんなに感じなかったんだけどな…」

下腹を擦りながら苦笑が漏れる。ついでに竜ちゃんとの初体験が脳裏を過ぎって顔が熱くなった。

(遂に…わたしもロストバージンか…)

未知の体験と思っていたけど、実際は怖いと言うより恥ずかしさで死ねると思った。自分の裸を初めて男の人、それも大好きな人に見られるんだから当たり前だ。
ただ――無我夢中だったから、その恥ずかしさも最中、というよりは後から襲ってきたんだけど。

「一つ…また大人の階段上がったって感じかな」

ふと呟きながら竜ちゃんの嬉しそうな顔を思い出す。あんな顔をしてくれるなら、この歳まで大事に守ってきた甲斐があったというもんだ。

「それにしても…昨日は平気だったのに何でこんなに全身がバキバキ…?」

下腹の鈍痛は分かるけど、体全体が筋肉痛にも似た痛みを訴えてるのは不思議だった。

(まあ…普段しないような体勢だったんだし…緊張で体も硬くなってただろうから、もしかしてその反動…?)

いたた、と腰を支えつつ、もう一度体を起こすと、出かける準備をするのにバスルームへ歩いて行く。途中、廊下の鏡に映った自分の姿が視界に入って、これじゃお年寄りみたいだな、と情けなくなった。

(やっぱり夕べは帰ることを選んで正解だったかも…)

竜ちゃんに送ってもらった後、お互い名残惜しい気持ちを持ちながらも「お休み」を言って別れたことを思い出す。
昨日の夜、竜ちゃんは「このままオレんち泊りにくれば?」と言ってくれたけど、地味にわたしのキャパは限界だった。竜ちゃんと一緒にいたいという思いもあったけど、夕べは一人になって気持ちを落ち着かせたくなったのだ。
引っ越しの準備もしたいし、と言うと、竜ちゃんは少し残念そうにしながらも頷いてくれた。 もし泊まっていたら、この情けない姿を竜ちゃんにさらしていただろう。

「ハァ…結局、準備なんて出来なかったんだけど…ちゃんとやらなきゃな」

家について一人になった瞬間、一気に緊張の糸が解れたらしい。全身の力が抜けたような気怠さを感じ、どうにかシャワーを浴びた後、早々にベッドへ潜り込んだ。持っていった荷物もボストンバッグに入ったままだ。片付けるのは帰って来てからにしよう。
今日は竜ちゃんと新居探しに行く予定だった。

(意外とせっかちなんだな、竜ちゃんてば)

なるべく早く一緒に住みたいと話していたのを思い出し、ふと笑みが漏れる。わたしも同じ気持ちだったから素直に嬉しい。

(ほんとに…竜ちゃんと住むんだな)

洗面所で歯を磨きながら、ふと考える。
今はまだ実感なんてないけど、想像するだけで心がウキウキしてきた。一緒に住んでいれば、互いに忙しくても全く会えないということはないだろうし、彼女らしいこともしてあげられるはずだ。
これまで出来ていなかったことを、いっぱいしてあげたいと思った。それに――。

(浮気の心配も…なくなるはず…)

最近こそ薄れてきたものの、前はよくそんな心配をしてたことを思い出す。会えない時間が増えるたび、愚かな邪推がチラチラ脳裏を掠めて自分が嫌になったことも一度や二度じゃない。
それは何となく、予感があったからだ。
竜ちゃんは浮気してるかもしれない――。
付き合いだして数か月は経った頃、何故かそう感じるようになった。理由はハッキリ分からないし、何となく…としか言いようがない。証拠も何もないのに、竜ちゃんは会うたび優しかったのに、常に女の気配があった気がする。
モテるんだから仕方ない。そう自分を誤魔化して気のせいだと思うようにしてたけど、やっぱり心のどこかで不安だった。だから体を求められてもすぐに決心がつかなかったのかもしれない。
いつか、捨てられる。そんな思いが常に心の片隅にあったから。

(でも…もう大丈夫だよね…。一緒に住もうって言ってくれたし…)

わたし自身、竜ちゃんに抱かれたことで、漠然とした不安が吹っ切れた気がしていた。

「いけない…そろそろ竜ちゃん来ちゃうよ」

歯を磨いて顔を洗ったところで時刻は午前九時半、約束の時間が近づいている。蘭ちゃんの知り合いの人がマンションを内見させてくれることになったと、夕べ遅くにメッセージが届いたのだ。なので今日は午後から二人で行く予定だった。
昨日の今日なんて驚いたけど、それだけ早く竜ちゃん、そして蘭ちゃんまでが動いてくれたんだと思うと、素直に嬉しい。

「どんなマンションだろ。楽しみ」

逸る気持ちを押さえながら、わたしはメイクポーチを手に取った。


△▼△


兄貴の知り合いが紹介してくれた築2年のそのマンションは、文句なしの最良物件だった。
オレと兄貴が住んでいるマンションの裏手にあり、設備も環境も間取りまで似通っている。二人で住むには十分すぎるだろう。
と内見をしながら、オレは即決でもいいと思っていた。

「ここ、近いし、これなら蘭ちゃんも寂しくないよね」

も気に入ったのか、そんなことを言って笑っている。兄貴がわざわざ近い物件を紹介した、とは考えないんんだから、まだまだ甘いなと思う。彼女のそういう素直で純朴なところが、たまらなく可愛いんだけど。

「まあ、毎日遊びに来そうで怖いけどなー」

笑いながら窓を開けてバルコニーへと出る。最上階だから眺めも最高だった。今のマンションとはまた違う景色も気に入った。

「蘭ちゃん、そこまで暇人じゃないでしょ?仕事もあるし、美女とのデートで忙しいんじゃないかなー」

がオレの後に続き、隣に立つ。彼女は早速「うわーいい景色!」と大はしゃぎだ。

はまだ兄貴を分かってねえよなー」
「え?どういう意味?」

彼女の腰を抱き寄せながら向き合うと、まん丸な目でオレを見上げてくる。可愛すぎて今すぐここで押し倒したい衝動に駆られた。まあ、まだ自分の家じゃないからしねえけど。

「兄貴は自分のデートよりに会うことを優先させるって意味」
「え、まさか!さすがにそこまでは…」
「兄貴からあんなに可愛がられてる女はだけだから。自覚なさすぎじゃね?」

そう言って笑うと、彼女はまだ「そうかなぁ?」と首を傾げている。は優しい兄貴しか見たことねえから、他の女がどういう扱いされてるか想像すら出来ないだろう。
は兄貴がみんなに優しい男だと信じて疑わないが、そんなはずはなく。親密な関係になった女でも、次の日には忘れてるような男だ。まあ…それはオレも似たようなもんだったけど。

(でもオレは変われた…と出逢って)

女に本気になるなんて下らないとすら思っていた過去の自分が不思議に思えるくらい、彼女の存在はオレにとって唯一無二になった。
が傍にいる、この優しい時間が好きだ。心が凪いで自分まで優しい人間になれる気がするから。

「ん…り、竜ちゃん…?」

不意に触れる程度のキスを落とすと、恥ずかしそうに頬を染める。空に近い場所だというのに、キョロキョロとしながら人の目を気にしている彼女を、今すぐ抱きたくなった。

「今夜、兄貴は出かけるみたいだし…泊まってく?」
「え…」

抱きしめながら耳元で尋ねると、彼女の華奢な体が僅かに跳ねた。そういう反応すら愛しくて仕方ない。

「…いやか?」

何も応えない彼女を見て心配なった。でもすぐに「いやじゃない…」とか細い声が聞こえて、かすかに胸が鳴った。
ついでに腰の辺りが疼いてしまうのは、これからのことを想像して期待してしまう、男の厭らしさなのかもしれない。今まで我慢していた分、一度触れたら歯止めが利かなくなってるようだ。

「今夜は…めちゃくちゃ激しく抱いちゃうかもしんねえけど、それでもいい?」

湧きあがった思いを冗談めかして口にすれば、彼女の顔が真っ赤に染まって、それから小さく頷いてくれた。それだけで満たされていく。
このままとの優しい時間が永遠に続けばいいのに。
なんて…らしくもねえけど、初めて何かに祈った瞬間だったかもしれない。

Back to Top