第十二話:嘘にするにはあまりに切実―(4)



「あれ?ちゃんもいんのかよ。つか、何かお洒落してね?かわいー」

高級ラウンジの個室に顔を出した竜胆は、少し驚いた様子で妙な組み合わせの三人を眺めている。
一方、望月にを"本気の恋人"として紹介中、予定になかった竜胆がやって来たことで蘭は焦っていた。当然この茶番とも言える恋人のフリ作戦のことは、竜胆に一切話していない。ここは竜胆を連れ出して説明するしかないと思った。

「おい、竜胆――」
「ん?」

望月の隣に座った竜胆に目くばせをしたものの、竜胆のすぐ隣には望月がいる為、あまり大げさには出来ない。竜胆は酒のメニューを見ていた目を蘭に向けたものの、蘭の意図までは伝わらなかったようだ。

「どしたん、兄貴。目が痛ぇの?」
「……(バカ弟)」

ケンカの時のコンビネーションは誰にも負けない二人でも、こういう時には効力がなかったようだ。竜胆は自分の酒を注文すると、改めて三人の方を見た。

「で、この組み合わせで食事って何で?ああ、今度はちゃんをモッチーくんの店で働かせるとか?」
「……ば…っ」
「いでっ」

余計なことを言った竜胆の足を、テーブルの下で蘭が思い切り蹴飛ばすと、竜胆はびっくりした様子で声を上げた。ついでに望月が怪訝そうに兄弟を交互に見る。

「ん?働かせるって…何でだ?ちゃんは仕事に困ってんのか?」
「いや、まさか。オレが自分の女、働かせると思う?」
「だよなァ。それでこそ蘭だ」
「…は?…自分の女…?」

引きつった顔で説明する蘭と、それを素直に信じる望月。そしてその会話に驚いた竜胆がますます眉間を寄せていたが、ふと何かを察したように「あ」と声を上げた。

「何だよ、やっぱ二人、付き合うことにしたのかよ」
「あ?竜胆、オマエ、知らなかったのか」

蘭は一瞬マズいと思ったものの、竜胆はいい方向に勘違いしてくれたらしい。「何か怪しいなーとは思ってたんだけどさー」と笑いながら応えている。

「二人、中学の頃、クラスメートだったみたいでさ」
「おお、そうらしいな。大人になって再会するとかロマンティックじゃねぇか」

意外と会話は成り立っていて蘭は内心ホっとした。との出会いを聞かれ、正直に話したことは功を奏したようだ。ただ、このまま竜胆が余計なことを言えば、少々マズいことになる。どうにか弟に事情を説明したい蘭は、竜胆をどうやって個室の外へ連れ出そうか考えていた。
だがその時、再びドアをノックする音が響く。

「望月さん、ちょっと宜しいですか」
「あ?」

今度はウエイターだった。どうやらこの店のVIPが来店したとのことで、望月は「悪い。ちょっと挨拶だけしてくる」と部屋を出て行ったのを見た蘭は、内心ラッキーと思いながら望月を見送った。

「よし…行ったな…」
「何?何かあんの?」

蘭の様子と、盛大に息を吐いたを交互に見ながら、竜胆も何となく場の空気に気づいたらしい。そこで蘭が簡単に流れを説明した。

「は…?恋人のフリ?」
「ああ。だからオマエも適当に話を合わせろ。ただし余計なことは言うな」
「…いや、事情は分かったけど…」

さすが長いこと蘭の弟をしていることもあり、竜胆はすんなりと突拍子もない兄の頼みを聞き入れ――じゃないと鉄拳制裁がある――かつ状況を把握するのは早かった。

「でもなーんだ。マジで付き合ったのかと喜んだのに」
「…あ?何で喜ぶんだよ」
「兄ちゃんも遂に人並みになったのかと――いってぇっ」

またしても、今度は脛を蹴られて竜胆は悶絶した。

「兄ちゃんを人並み以下だと思ってたのかよ、オマエは」
「…いちいち蹴らないで…」
「そ、そうだよ、灰谷くん。暴力はダメだってば」

目に涙を浮かべている竜胆を見て、もつい口を挟んでしまった。そのことで蘭の矛先がへも向く。
蘭はの頬をむにゅっと摘まむと、その痛みでが声を上げた。

「いたたっ」
「オマエもさっきオレのこと苗字で呼びそうんなったろ」
「……う…ご、ごめん…でも同級生って正直に話したんだし、少しくらい大丈夫だと思う…けど…」

と言葉が尻すぼみになっていくのは、蘭が不良時代を彷彿とさせるような睨みを聞かせるからだ。蘭曰く「その油断が招いてバレたらどーすんだ」ということらしい。

(そんなに本気の恋人がいるとかいないとかのプライドって大事なのかな。わたしなんてそんなもの借金と一緒に遥か彼方だよ)

ちゃんとやれと怒る蘭を見ながら、はふとそんなことを考えていた。
ただ蘭に本気の恋人がいなかったという点は、も驚いたし、また少し嬉しくもあった。別に初恋相手が大人になった今、誰と付き合ってようと関係ないと言えばないのだが、やっぱり少しは気になってしまう。

「おい、聞いてんのか、
「あ、灰谷くんも苗字で呼んだ」
「……今はいいんだよ」

が揚げ足をとるように突っ込むと、蘭は気まずそうにそっぽを向いて呟く。そのやり取りを見ていた竜胆はしばし呆気に取られていたものの、すぐに軽く苦笑しながら「いいね、ちゃん」と身を乗り出した。

「兄貴にそんな態度できる女って他にいねえし、兄貴がキレないのは奇跡だわ」
「へ?」
「うっせーな、竜胆。余計なこと言ってんじゃねえ」
「だって今のやり取りも他の女が揚げ足なんてとったら速攻でキレてるっしょ。いやぁ、いいもん見れたわ」

竜胆は酒を飲みながら、一人うんうんと頷いて何やら納得している。はその話を聞いて、ふと隣の蘭へ視線を向けた。竜胆の言うことが事実ならば、それは自分が昔の知り合いだからじゃないかと思う。
自分がそうであるように、蘭もまた、元クラスメート相手に気を許しているような気がした。

「二人、マジで付き合っちゃえば」
「「は…?」」

空になったグラスに再びウイスキーを注ぎ足すと、竜胆はそれを軽く揺らして氷と馴染ませている。その一連の動作を眺めながら、蘭とは互いに顔を見合わせた。

「あれ、やっぱまんざらでもない感じ?」

ウイスキーを一口飲んで、ふと前に座る二人へ視線を向けると、蘭とは互いにそっぽを向いた。でも頬はかすかに赤い気がする。
その様子を見た竜胆の顔に笑みが浮かんだ。兄に本当に好きな子が出来れば、弟としても安心だからだ。
そもそも一人の女と付き合うのは面倒だと、蘭は適当な女しか選ばない。
それでは体を満たすことが出来ても、心は満たされない。
少なくとも、竜胆はと話す時の兄の自然な笑顔に、ちょっとだけ驚いていた。となら、いい関係が築けそうな気がする。

「お似合いだと思うけど」

あともう一押しと思いながら言えば、蘭は「うっせぇな…」と竜胆を睨みつけた。

「誰がこんな――」

といいながら隣へ視線を向けると、ムッとしたように蘭を見上げると目が合った。そこから先の言葉が出てこない。自分が着飾らせたのだから、当然に似合う髪型やメイク、服にアクセサリーを見に付けさせている。
おかげで普段の数倍は可愛く見えたからだ。

「な、何よ…その顏」
「…別に。それより…モッチーが戻って来たら、ちゃんとやれよ」

別にそんなことを言いたかったわけじゃないのに、ついいつもの調子でやってしまう。他の女になら嘘でも優しく接することが出来るのに、が相手だと昔の自分に戻ってしまうようだ。

「…そりゃ仕事だしやるけど…」

が渋々ながらに言ったその時、個室のドアが開いて望月が戻って来た。
その瞬間、蘭は慌てての肩を抱き寄せ、テーブルに出されていたチーズをフォークでブっ刺し(!)「ほら、食わせてやるよ」とニコニコしながら言い出した。
で驚いた顔をしたものの、すぐに笑顔で「嬉しい、蘭ちゃん」と甘えるように身を寄せる。ただその笑顔は若干引きつり気味で、蘭よりかはの方が無理をしてるな、と竜胆は内心吹きそうになった。

「おいおい、弟の前でもイチャついてんのかよ」

何も知らない望月が笑いながら座ると、竜胆はつかさず「もう慣れたよ」と二人の調子に合わせておいた。

(へえ…兄貴、なかなか楽しそーじゃん)

今度はからチーズを食べさせてもらう蘭を見て、竜胆は笑いを必死でこらえていた。この調子なら本当にくっつくかもしれない。いや、くっついて欲しいと思う。
蘭に本気の彼女が出来れば、自分も安心して恋人を作れるし、将来は結婚という未来も見えてくる。

(兄貴にちゃんとした恋人が出来れば、オレも安心だしな)

まだそれほど知らないが、ならきちんと蘭の手綱を握れる気がした。

(ここは一発、弟のオレが一肌脱ぐか!)

そう考えた竜胆は、望月に向かって「あ、今度ウチで鍋やらないっスか?」と声をかけた。

「あ?鍋?」
「そろそろ寒くなってきたし。あ、ちゃんの作るキムチ鍋がめちゃ美味いんだよ。な?兄貴」
「は?キムチ…?」

突然の竜胆の無茶ぶりに、蘭もも一瞬だけ目が点になる。だが蘭はすぐに「あーそうだったなー」と普通のテンションで話を合わせた。だけが取り残されている。

「え…何?」
「だからオマエの作ったキムチ鍋が美味いって話だよ」
「…キムチって、そんなの作ったことな――」
「へえ、じゃあオレもご相伴にあずかろうかな。キムチ鍋、大好きなんだよなァ、オレ」

の言葉を遮るように、ちょうど望月が竜胆の話に乗ってきた。
きっと竜胆もそれを知ってて提案したんだろう。蘭は弟が何故そんなことを言いだしたのかは分からなかったが、とにかく誘ってしまったのだから撤回できない。比較的仕事が楽な日を選んで、蘭と竜胆の家で鍋をすることになってしまった。
また一人取り残された感のあるは、自分抜きで盛り上がる男達を見て、笑顔がどんどん引きつっていく。

(どうすんの、これ…?キムチ鍋って…そもそも誰が作っても同じなんじゃ…?)

だいたいはスーパーで売ってる出来上がったスープでしか、鍋は作ったことがない。母親が生きてた頃も、確か売ってる物を買っていた気がする。
は隣で「楽しみだなー?オマエの鍋」と楽しそうに飲んでいる蘭を睨みつつ、今頃になって報酬に目がくらみ、恋人のフリを承諾したことを後悔していた。


▼△▼


「ハァ~疲れた…」

望月との食事会が終わり、マンションまで帰って来たは、グッタリしながらソファへ身を沈めた。何だかんだと結構な量を飲んだ気もするが、緊張していたのと、気を抜けない状況だった為、殆ど酔っていない。ただアルコールは入っている為、無駄に体が火照っていた。

「…シャワー入らなきゃ…」

そうは思うのだが、なかなか重たい腰が上がらない。店の仕事をしてる時よりも疲れた気がする。

「恋人のフリをするって意外と大変なんだ…」

溜息交じりでソファに寝転ぶと急激に睡魔が襲ってくる。早くシャワーに入ってメイクを落として…と頭では考えるのだが、一向に身体が動かない。
ああ、こんなゆっくりしている時間はないのに。明日は通常通り、仕事に行かなくちゃと思いながら、時計を確認しようとして視線を動かす。
その時、玄関の方でカチャリと解錠音が聞こえた気がして、ふと体を起こした。

「おい、
「…は…灰谷くんっ?」

またしても合鍵で入って来たのか、先ほど一緒に帰宅した蘭が部屋着姿でリビングに入ってきた。さすがに二度目ともなると黙っていられない。

「あのね…いくら大家さんでも勝手に入って来たら不法侵入だよ」
「あ?別にオマエから家賃なんかとってねーだろ」
「………(ごもっとも)」

そうだった、とガックリしたは「何の用ですか、オーナー」と嫌味のように尋ねた。蘭は「ああ、そうだった」と言いながら、勝手にグラスを出してウォーターサーバーで水を注いでいる。それも蘭のものだからは何も言えないと思いながら見ていると、そのグラスはへ差し出された。

「ん」
「え」
「水飲んどけ。オマエ、結構赤い」
「え、嘘…あ、ありがとう…」

まさか自分へだとは思わず、お礼を言いながらグラスを受けとる。一口飲んでみれば、やはり酔っていないと思っていても、かなり酔ってはいるようだ。
やけに水が美味しく感じた。

「そ、それで…どうしたの…?わたし、何か失敗でも――」

早速望月にバレたのかと思ったが不安そうに顔を上げると、蘭は「あ?いや、違う」と言って隣に座った。蘭は手にスマホを持ち、表示させた画面をへと見せた。

「どうせオマエ、鍋とか作れねえだろうと思って、レシピいくつか探してたんだけど…こん中から自分で作れそうなもん選べよ」
「え…うわ、こんなにあるの?キムチ鍋のレシピ」

画面を覗き込めばズラリと並ぶレシピに、も目が点になった。何がどう違うのか分からない。

「え、魚介類から出汁とるの…?市販のスープじゃダメ?」
「あ?市販のなんてそこそこの味しかしねえだろ。望月はあんな顔して鍋にはうるせーんだよ」
「え…まさか鍋奉行とか…」
「そー。その奉行様ってわけ」

蘭は笑ったが、は逆に頬が引きつった。小さなことに拘っている人間が面倒臭いというのは世の常だ。
鍋ならば必ず一人は仕切りたがりがいて、自分のペースで食べたいのに、肉や野菜を片っ端から「これ出来てる」と言いながら、忙しなく小皿にとりわけ始める。それをする人間はもちろん焼肉でも然り。
お好み焼き奉行なら、運ばれてきた生地をかき回すところから始めて、綺麗な形に焼き上げるまでを仕切りたがる人間がいた。適当でいいと思うのに、キッチリと形を整えながら、パンケーキみたいに焼き上げるのを見た時は、地味にこの男面倒くさいとは思ったことがある。まあ、それはの元カレであり、別れた後は一人で好きなようにお好み焼きを焼いて食べたことまで思い出した。

「望月さんは奉行様か…」
「あ?それが何だよ」

ガックリと項垂れるを見て、蘭がスマホからへ視線を向けた。

「苦手なの。元カレが奉行様で、付き合ってる間は外食の時、ホントに面倒だったし…」
「……元カレ?」

その言葉に蘭が反応した、僅かに眉根を寄せたのだが、項垂れているがその不愉快そうな顔を見ることはなかった。

「そう…もういちいちうるさかったの…。わたしは焼肉の甘いタレが苦手だからニンニク醤油を貰って、それで食べてたら、元カレにそんな食べ方はするなとか文句言われて…あ、それにお寿司なら最初に注文する順番が違うとか、シャリに醤油つけるなとか…食事中、あれこれ口を出されると食欲なくなるでしょ?あ、あと酷かったのがお好み焼きともんじゃ焼きはずっとヘラ握って放さないし、最後の方でマイヘラ買ってきた時はホントにドン引きしちゃって。…って、どうしたの?灰谷くん…怖い顔して……あ!ご、ごめん。愚痴なんか聞きたくないよね」

ついつい元カレの横暴さを思い出して熱く愚痴ってしまったと、は慌てて謝罪した。しかし蘭はそんなことよりも、が元カレとそんなにあちこち食事に行ったのかよ、という思いしかなかった。

「どこのどいつだよ、そのアホは」
「え…?あ…前の…会社の人、なんだけど…」

と応えたものの、蘭の纏う空気が何となく重たくなったように感じて、そっと顔を覗き込んでみた。すると視線を下げた蘭と徐に目が合う。どことなく不機嫌さが漂う蘭の表情に、の頬が僅かに引きつった。

「な、何か機嫌悪い…?」
「あ?別に…」
「で、でも顔が怖い…」
「もともとこういう顔だよ」

蘭は目を細めながら言い放つと、背もたれに腕を乗せて天井を仰いだ。

「まあ、オレなら?オマエが肉を醤油で食おうが、寿司を何から食おうがシャリに醤油つけて食おうが何とも思わねえけどな」
「え…?」

蘭の言葉に驚いて何度か瞬きをする。まさか蘭の口からそんなフォローするような言葉が出て来るとは思わなかったのだ。

「何だよ、その顏」
「な、何でもない…」

つい頬が綻びそうになり、慌てて首を振ったものの。やけに胸の奥が疼いた気がして、の顔が熱くなっていく。素直に嬉しいという気持ちがこみ上げてきたせいだ。

「ただ…ちょっと嬉しくて」
「…嬉しい?何が」
「だから…散々ね、その食べ方がダメだなんだって言われると、本当にダメなのかなと思うし、人と焼肉やお寿司行ったりするのが怖くなっちゃって。だから灰谷くんが何とも思わないって言ってくれて嬉しいなと思ったの」

素直に思ったことを口にすると、今度は蘭の方が驚いたような顔をした。こんな他愛もない言葉にお礼を言われるとも思っていなかった。
普段は頑固なくせに、変なところで素直。昔の自分が好きだったのいいところでもある。

「…バッカじゃねえの。そんなアホ男に何言われたからって、いちいち引きずってんじゃねえよ」
「うん、そうだね。もう気にしないことにする」
「………」

明るい笑顔で言われて、蘭は普通にドキっとしてしまった。頭の中で"可愛い…"という思いが過ぎったからだ。
結局、可愛いと思う女は、昔も今もコイツだけなのかとハッキリ自覚してしまった。

「灰谷くん?どうかした?」

急に黙ってしまった蘭を見て、が不思議そうに首を傾げる。今度は何でもねえよ、とは言えなかった。
蘭は素直な気持ちに従って身を屈めると、自分の唇を彼女の唇へと寄せた。



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