番外編:灰谷蘭は嫉妬深い。



相変わらず怖い…と思いながら、は病院のロビーへ足を踏み入れた。それもそのはず。
この病院は日本最大の犯罪組織"梵天"が所有する病院だ。当然くる患者に一般人はいやしない。
すれ違う人は頬に切り傷、目つき悪し。ロビーでたむろってる男達も黒スーツにサングラス。形だけ貼られている【禁煙】の張り紙の前で、堂々と煙草を吹かしながら「まだ手術終わんねえのかっ」と医者らしき人が通るたび怒鳴っている。
そして驚くのが、その医者でさえ「黙って待ってろ!」と怒鳴り返していたことだ。人相の悪い男達に対して全く怯んでいない。
さすが梵天に雇われてるだけあるな、と変なことに感心していると、怒鳴り返していた医者がふとに気づいた。

「ああ、君は確か蘭の…」
「こ、こんにちは。小森塚先生」

小森塚と呼ばれた白髪に丸眼鏡の男は、ボサボサの頭を掻きつつ、ぺこりと頭を下げたの方へ歩いて来た。

「何だ。またアイツの我がままで何か買ってきたのか?」
「えっと…我がままとかいうか…」
「どうせ蘭のことだから"病院のコップなんか使えるか"とか、"ぼろいタオルなんか使えるか"とか言ってんだろう」

呆れたようにフンと鼻を鳴らす小森塚の言葉を聞き、はギョっとしたように瞬きを繰り返した。

「……凄い。小森塚先生、もしや病室に隠しカメラ設置してます…?」

どれもこれも小森塚が指摘したことは大正解。だからついもそんなツッコミをしてしまった。しかし当の小森塚は「まさか」と言いながら苦笑している。

「蘭の言うことなんざ、だいたい想像つく。前に入院した時もそうだったしな。で、今日はどんな我がまま発動したんだ?」

小森塚はが大事そうに持っている紙袋を指しながら訊いてきた。これは蘭に言われてがマンションまで取りに行ったものだ。

「小森塚先生の言う通り、歯磨き用のコップと、あとコーヒーカップ専門の有田焼のカップ…バスタオルは今治かテネリータじゃなきゃ嫌だって言うし、洗顔フォームはSABONだし…この袋の中身だけで十万超えてるんですよ。信じられない」

驚愕した表情で訴えてくるを見て、小森塚はなるほど、と苦笑を洩らした。

「だからそんなに大事そうに抱えてたのか」
「だ、だって…カップなんて落としただけで割れちゃうかも…。だいたいコーヒー飲むだけで五万五千円もするカップ使います?そりゃカップがいいものだと美味しさが増すのは分かるけど…」

コーヒー好きのからすれば羨ましい限りだと言いたげに、紙袋に入っている木箱を見下ろす。
それ以前に、これまで借金ありきで生活していたせいか、つい値段のことが気になってしまうようだ。

「ははは。蘭は高級志向が強いからな。前にオレが病院の紙コップでコーヒー飲んでたら、よくそんな検尿用のカップで飲めるな…とゴミ虫を見るような目つきで見られたことがあったよ」
「………(それは灰谷くんに同意するかも)」

小森塚は笑い飛ばしているが、の笑顔は引きつるばかりだ。

「まあ、蘭にもやっと我がまま聞いてくれる彼女が出来たのはめでたいな。しかも君みたいな可愛らしい子だなんて意外だが」
「いえ、そんな…」
「前はケバイ女が入れ替わり立ち替わり見舞いに来て、病室が香水や化粧臭くなって参ったよ」

顎を撫でながら小森塚は呑気に笑っている。しかしの顔からは笑みが消えていることに気づかなかった。

「じゃあアイツのこと頼むな。傷が開かないよう大人しくしとけと言っておいてくれ」

言いたいことだけ言うと、小森塚は再びのんびりと廊下を歩いて行く。それを見送った後、は複雑な心境になりながら蘭の病室に向かった。

(…女が入れ替わり立ち替わり…?それどんな状況なの?)

過去のことなのだろうが、やはり内心、面白くはない。蘭には好きだと言われたものの、モテるのは知っているだけにも少し心配になってくる。

「今のとこ知らない女の人は来てないけど…来たらどうしよう…」

は毎日この病院へ蘭の世話をしに訪れている。どうせ仕事をさせてもらえないので、寝る時以外はここで過ごしていた。蘭には「オマエも泊っていけ」と言われるが、さすがに病気でもない自分が病院に泊まるというのは躊躇われた。

――別にいいだろ。オマエはオレの彼女なんだし。

ふと昨夜言われたことを思い出し、かすかに頬が熱くなる。彼女、という響きがこんなに嬉しく感じたのは初めてだった。これまでの恋愛がまるで意味のないものへ変わり、蘭に再会するまでの暇つぶしだったように感じる。

(灰谷くんもきちんと付き合った人はいないって言ってたっけ…それはそれで問題だけど、でもわたしが初めての彼女って、凄く幸せなことかも…)

さっきまでは複雑な心境だったものの、それを上書きできるくらい、今のは幸せだった。諦めていた初恋を実らせたのだから、こんな我がままくらい可愛いものだ。
そう思い直しながら病室のある通路を曲がると、廊下には護衛なのか黒スーツの男が二人、病室のドア前に立っている。彼らはを見ると「お帰りなさい」と言って頭を下げてきた。

「た、ただいま戻りました…」

強面の男二人に頭を下げられるのは未だに慣れず、は笑顔を引きつらせながら病室のドアを開ける為の暗証番号を入力した。蘭が入院している病室は当然特別室。どこか高級ホテルのスイートルームのような造りでセキュリティも万全だった。

「灰谷くん、戻ったよ」

中へ入り、ベッドの方へ声をかけると、カーテンの向こうから「おせぇ」という不機嫌そうな声が聞こえてきた。

「ごめん。小森塚先生に会って立ち話しちゃって…」
「小森塚ぁ?ったく、どうせオレの悪口しか言ってねえだろ」
「そ、そんなことは…」

と言いつつ、は内心するどい…と苦笑を洩らした。
とりあえず袋の中からカップなどを出し、タオル類はシャワールームへ置いておく。

「おい、…じゃなくて…
「え…?」

不意に名前で呼ばれ、はドキッとしながらベッドの方へと歩いていく。今までとは違い、付き合うのなら苗字で呼び合うのはおかしいということで、も蘭と呼べと言われている。だが名前で呼ぶのはなかなかに照れ臭く、未だまともに呼んだことはなかった。
が歩いて行くと、蘭は「着替え、取って」とクローゼットの方を指した。そこには昨日、が持って来たパジャマの替えが入っている。言われた通り新しいパジャマを出して差し出すと、今度は「着替え手伝って」と言われた。

「え…でも…」

着替えはだいたい竜胆がやってくれているが、今日は仕事があるらしく、まだ病院へは顔を出していない。
蘭は躊躇するを見て、かすかに目を細めると「まだ手に力入らねえんだよ」と手首をプラプラ揺らした。それならば仕方がない。は新しいパジャマを手に、蘭の胸元へ手を伸ばした。ボタンを一つ一つ外していくと、中にはインナー代わりのTシャツを着ている。それは自分で脱げるだろう、とボタンを外し終えたところでは身を引いた。しかし不意に伸びてきた手に腕を掴まれ、ベッドの上に無理やり上げられてしまった。

「ちょ、ちょっと…」
「Tシャツもー」
「えっ?…っていうか…手に力入ってるよね…」

今、自分を引っ張り上げたのは何なんだと言いたげに蘭を睨みつけたものの、本人はシレっとした顔で肩を竦めた。

「指先に力が入んねーんだよ」
「もー…絶対嘘だし…」
「あ?何か言ったー?」
「何でもないですー」

口を尖らせながらも、は蘭のTシャツをまくり、一気に脱がしていく。だがそこで誤算だったのは、その下が何も身に着けていないということだった。急に視界に逞しい裸体と、体半分を覆うタトゥーが視界に飛び込んできたことで、の頬が一気に熱を持つ。
以前、チラっと見てしまった時、弟の竜胆と同じ図柄を入れたと聞いてはいたが、全貌を見たのは初めてだ。

「何赤くなってんのー?まさか男の裸見るの初めてかよ」
「そ、そんなことないけど…」
「…へえ?あんのか、やっぱ」

からかわれて更に顔を赤くしたはすぐに視線を反らしてしまったが、蘭が僅かに目を細めたのを気づいてはいなかった。

「あ、当たり前でしょ…あるわよ、裸くらい…」
「どこのどいつだよ、それ」
「え?きゃ…」

急に強い力で引き寄せられたと思ったら、今度は視界がぐるりと回り、気づけば真上にある蘭を見上げる形になっていた。背中が羽毛布団に沈んでいく感触に、やっと押し倒されたのだと気づく。

「な、何してんの…」
「んー?何かオマエに脱がされてくのエロいなあと思ったらムラムラしてきたわ」
「…は?ひゃ…」

首筋をツツツっと指でなぞられ、何とも言えないむず痒さが襲う。

「く、くすぐったい…んですけど…」
「へえ?じゃあ…これは?」
「ちょ…んっ」

挑戦的な笑みを浮かべた蘭は、の首筋へ顔を埋めると、喉元をペロリと舐めていく。さっきよりも強い刺激にゾクゾクとして、は身を捩ろうとした。しかし蘭の体重がかかっている為、あまり意味はない。

「ダ、ダメ…傷口開いちゃう」
「別に言うほど動いてねえし。でもが望むなら、もっと動いてもいいけど――」
「の、望んでない」
「ほんとにー?」

慌てて首を振ったものの、蘭の指が首から鎖骨、肩をなぞるように撫でていく。それだけでの顔に熱が集中していった。

「こ、ここ病室…」
「だから?」
「だ、だからって言われても…――ん…」

ゆっくりと近づいて来た綺麗な顔に見惚れていると、無防備だった唇を塞がれ、大きく瞳を見開いた。蘭とはこの前キスを済ませたものの、未だに慣れることはなく、思わず腕にしがみついてしまう。
挑発的な態度とは裏腹に、蘭のキスはあくまで優しく触れてくるせいで、ドキドキも一気に加速してきた。
馴染ませるように唇を合わせ、角度を変えながら触れるだけのキスを繰り返されると、体の力が少しずつ抜けていく。最後にちゅっと小さな音を立てて蘭の唇が離れた時には、の目もとろんとしてかすかに潤んでいた。

「キスだけでそんな可愛い顔すんなよ」
「……はっ」

鼻先にもちゅっとキスを落とされ、はふと我に返った。顔が燃えるように熱いので、真っ赤になっている自覚がある。蘭は満足そうな笑みを浮かべると、その赤くなった頬へも軽く口付けた。

「やべ…何かオマエがそんな顔すっからマジでムラムラしてきたんだけど」
「な…ひゃ…」

いきなり首筋にも唇を押し付けられ、ゾクリとしたものが背中を走る。ついでに肩へ置かれていた手が再び動いて、胸の膨らみを包んだ時,は初めて蘭の胸元を手で押し戻した。このまま流されたらいけないとばかりに、理性をフル回転させる。

「こ、ここじゃしないって言ったのに…」
「んー?そりゃあの治療台みたいなベッドじゃってことだろ。この部屋のベッドはフランスベッドだから高級だし」

そう言われてみれば確かにフカフカだ…ともつい納得してしまいそうになった。でもすぐに違う違うと首を振った。

「そ、そうじゃなくて…すぐそこに部下の人もいるし。その…」
「…ぶは…」
「…っ?」

本当にここで襲われるのかと焦っていると、首元に顔を埋めていた蘭が突然吹き出した。
驚いて見上げると、蘭が顔を背けて肩を揺らしている。どうやら爆笑しているらしい。それにはの口も尖ってしまった。

「何笑ってるの…?」
「いやだって…マジで襲われると思ったー?」
「な…だ、だって…」

が上半身を起こすと、蘭も笑いながら起き上がり「あー腹の傷口に響く…」と腹部を擦っている。

「ちょっと動いただけで痛ぇのにヤるわけねえじゃん」
「…む。さ、触ってきたくせに…」
「そりゃ触りたくなんだろ。好きな女が隣にいたら」
「………」
「ぶ…オマエ、ほんっと分かりやすいなー?可愛いかよ」

好きな女、というパワーワードに首まで赤くなったを見て、蘭がまたしても笑い出した。それはそれで腹立たしいと思うものの、今の一言を聞いてしまえば、許してもいいかなくらいは思ってしまう。案外自分もちょろい女だったんだ…とも内心苦笑してしまった。

「あーでも気分的に盛り上がったせいで、ここが反応しちゃってんだけど」
「え…?」

不意に蘭が下半身を指さし、は自然とそこへ視線を向けてしまった。そして見た瞬間、ギョっとしたように顔を反らす。
蘭の言う通り、そこはしっかりパジャマのズボンを押し上げている。

「な、何考えてんの…っ」
「何ってオマエのことじゃねーの、もちろん」
「だ、だからってそんな…」

真っ赤になりつつ、蘭に背中を向けたはベッドから下りようとした。だがすぐに後ろから腕が伸びてぎゅっと抱きしめられる。

「逃げんなよ」
「に、逃げるわけじゃ…」
「こーなったのオマエのせいじゃん」
「そ、そんなこと言われたって…」

肩に顎を乗せて話されると首筋に吐息がかかり、それだけでゾクリとしてしまう。ハッキリ言えばも蘭に触れて欲しい…とは思う。だが初めて蘭に抱かれるのなら、ちゃんとした場所がいい。いや、場所だけの問題ではなく。きちんとまずはシャワーへ入って、それから髪にメイクにネイルも全て整えたい。それに蘭に見せてもおかしくないような下着だって。
蘭との初めては特別なものにしたいから。
にとって、蘭はそれだけ大きな存在だった。
一方、蘭も本気で抱こうとしたわけではないが、あまりに逃げようとするにちょっとした意地悪のつもりだった。ただ、やはりそこは初めて好きになった相手ということで、体が素直に反応してしまっただけだ。

「はー…マジ、つら…」
「…ツ、ツラいって…そ、そんなに?」

耳元でシミジミ言われると更にの羞恥心が上昇していく。これまで付き合った相手から求められたことはあれど。その時は特に何とも思わなかったのに、蘭から求められると恥ずかしい気持ちと嬉しいという真逆の気持ちがごちゃ混ぜになってしまう。

「そりゃそーだろ。目の前に人参ぶら下げられて走ってる馬の気分だわ」
「な、何その例え…」

の脳内で、蘭が逃げる人参を必死に追いかけてる姿が浮かび、思わず吹き出してしまった。

「いや、笑い事じゃねえから。ほら」
「……っ」

後ろから抱きしめられていた体を更に抱き寄せられたと思った瞬間、背中…と言うよりは腰の辺りに何か硬いものが押しつけられ、ビクリと肩が跳ねる。それが何なのか本能で理解した時、軽い眩暈がしそうなほどに顔が熱を持った。特に何をしたわけでもないはずなのに、さっき一瞬だけ見た時よりも大きくなってる気さえする。

「な…何もしてないのに何でそんな…なってるの…」
「んー?そりゃ…こうしてくっついてるからじゃね?オマエのナカに早く入りたいってウズウズしてっから」
「…っん…」

蘭の指が髪を掻き寄せ、露わになった項へ口付けられた瞬間、思わず声が漏れてしまうほどにゾクゾクした。その反応に蘭もまた腰が疼き「、かわいー…」とを抱く腕に力を入れた。
こうなると、ここで抱くつもりはなくとも体が暴走気味になってくる。これまで女に対してここまで欲情したことはなく、未成年で脱童貞をした時でさえ、主導権は蘭が握っていた。
なのに相手だと「抱かせて」と拝み倒したくなるほど、欲しくなってしまう。
ただ、ここまで我慢の限界がきても、をここで抱くという選択肢はやはりなく。と言って、どうにもおさまりそうにないと思った蘭は、切なそうにの耳へ口付けた。

「なあ…」
「ん、な…なに…」
「…口ですんのはダメ?」
「……え?」

ギョっとした瞬間、巻き付いてた腕が離れ、体を蘭の方へ向けられた。向かい合う形になり恐る恐る見上げると、熱っぽい蘭の瞳と目が合った。蘭から男の欲を感じてドキドキが大きくなっていく。だが先ほど言われたことの意味を理解できていない。何のことかと思っていると、蘭がニッコリ微笑んだ。

「これ、オマエのお口で静めてくれると助かるんだけど――」
「…な…っ」

何とも艶のある笑みで微笑まれ、指で唇を厭らしくなぞられると、ゾクゾクしたものが背中に走る。ただ、言われたことを理解した時、顏がこれ以上は赤くなれないというほど真っ赤に染まり、ついでに肩がわなわなと震えだす。
次の瞬間、ばちんっと病室に乾いた音が響いた。

「…ぃてっ」

恥ずかしさがマックスまでいったらしいは、蘭の頬を軽く平手打ちした。その直後、凄い勢いでベッドから飛び降りると、茹蛸のようになった顔で振り向く。

「灰谷くんのエッチ!」

捨て台詞のように叫んだが病室から飛び出していく。その素早さと台詞に呆気にとられた蘭は、ポカンとした顔でそれを見送った。少しして、じわじわとこみ上げてくるものがあったのか、蘭は軽く吹き出した。どう考えても大人の女が言う台詞ではない。

「照れちゃって。かーわい」

ベッドに倒れ込んだ蘭は傷の痛みも忘れて笑ってしまった。
女にあんなお願いをしたのも初めてなら、拒否されたあげくに怒鳴られたのも初めてだ。それが蘭にとってはやけに新鮮だった。
とりあえず今の衝撃でどうにか体の方も静まってくれたようだ。

「やっぱ可愛いな…は」

何歳になっても、あの頃の可愛さを残しているを見て、昔のように胸の奥が疼く。

「しっかし…あれでホントに男なんていたのかよ…」

過去の男を匂わせるような発言をしていたを思い出し、本気で首をかしげてしまう。
そこへノックの音がして、蘭は体を起こした。

「兄貴ー?」
「おー竜胆か」

すぐにドアが開き、竜胆が病室へ入ってくる。だが不思議そうな顔で後ろを振り向きながら、ベッドの方へ歩いて来た。

「今、ちゃんが物凄い勢いで病院から飛び出して来たんだけど…何かあったわけ?」
「んー?別に~」

蘭はニヤニヤしながら再びベッドへ横になると、上体が起きるようベッドの機能を操作した。

「で?仕事は無事に終わったかよ?」
「ああ、そっちはバッチリ。表の店の方も順調だから心配すんな」
「そ。なら良かった。あーところでさー」

蘭は思い出したようにベッドボードの扉を開けると、中からスマホを取り出した。

「もうすぐの誕生日なんだけど、何あげていいか分かんねーんだよ。竜胆、オマエ何か思いつかねえ?アイツの喜びそうなもん」
「え、誕生日?」
「ああ、多分アイツは忘れてると思うけどな。自分の誕生日」
「マジ?」
「まあ、それはそれで都合いいからサプライズしてやりてーの。何かいいのねえ?」

スマホの画面で検索しながら、蘭が竜胆に尋ねた。しかし竜胆の驚愕した顔を見た時「何だよ、その顏」と眉間を寄せた。

「い、いや…兄貴が女にプレゼント…ってとこで、すでにビビってる」
「ハァ?」
「ってか、兄貴、ちゃんの誕生日なんて覚えてんのかよ」
「あー…そういや…覚えてたな」

中学の頃、がクラスメートから誕生日のプレゼントを受けとってるとこを見て以来、蘭の頭に自然とインプットされていたらしい。

「マジか…オレの誕生日しか覚えてないと思ってたわ…」
「あ?それはオレがバカだって言いてえの。どうでもいい奴の誕生日なんて忘れるだろ、フツー」
「まあ、そうだけど…え、で…誕生日プレゼント何あげていいか分かんねえの?」
「そーなんだよなぁ…。アイツ、どんなもんに興味あんのか知らねえし。昔は女子の間で流行ってた何かのキャラグッズ集めてるって言ってたのは覚えてっけど、さすがに今はいらねーだろ」
「まあ、確かに…じゃあ無難にアクセサリーとか?」
「それも好みあんじゃん。まあ…似合いそうなもん選んでもいいんだけど…」

蘭はそう言いながら真剣にスマホで検索している。その光景を見ながら、竜胆は兄貴が女に惚れるとこんなになるのか…と静かに驚いていた。

「あ…じゃあ…下着とかは?オレ、前にプレゼントしたら喜ばれたけど」
「は?下着?」
「女の下着もピンキリで、高いのはかなりの値段するからプレゼントすると喜ばれるって。サイズなら分かんだろ」
「あー…まあ履歴書に書かせたのあった気もするけど」
「は?履歴書見なきゃ分かんねえの…?」

そこに引っかかった竜胆が思わず尋ねたものの、蘭はスマホ操作に夢中で聞いていない。あげく「やっぱ下着はダメだろ」と言い出した。

「まだヤってもねえ女に、初めてのプレゼントが下着じゃ、下心が見え見えで引かれそうじゃん」
「えっ?」
「あ?」

驚きの声を上げた竜胆に、蘭もやっとスマホから目を離して顔を上げた。

「何だよ…」
「え、兄貴、まだちゃんとは…ヤってねーのかよ」
「…ヤるわけねえだろ。この前、付き合ったばっかなのに」
「あ…そっか…」

そこで竜胆も思い出し、苦笑いを浮かべた。入院したその日に付き合ったのだから、それもそうかと納得する。

「あーどーすっかなー」
「何でもいいんじゃねえの?兄貴があげたいと思ったもので」
「……まあ、それは分かってんだけどさ。アイツは多分、何をやっても喜ぶって」
「へえ~」

ガシガシと頭を掻きつつ、ボソリと呟く兄を見て、竜胆は自然に笑みが零れた。きっと彼女のそういうところも好きなんだろうな、と感じたせいかもしれない。ついでに女に本気で恋をしている兄ちゃんが可愛い…とも思ったが、言っても殴られるだけなので、その言葉は飲み込んでおいた。
そこへ再びノックの音がした。

「蘭さん」
「ココか。入れよ」

次に顔を出したのは九井で、手には何かの書類を持っている。

「具合はどうですか」
「まあ、何とか。まだ動くと痛ぇけど。それより――」
「ああ、頼まれてたやつ、終わりましたよ」

九井はそう言いながら手にしていた書類をひらひらと振ってみせた。それを見た竜胆が「何を頼んだんだよ、兄貴」と不思議そうに首をかしげている。
九井は書類を開けると「まあ、ちゃんの過去というか…」と笑いながら中身を取り出した。

「え、過去?」
「おー。オレの知らない十三年間を調べてもらったの」
「は?何で」
「いや、気になんだろ。そこは普通に。それとまあ…の失踪した父親のこととかな」
「あー…借金の元凶か…」
「もし何か分かったら教えてやろうと思ってさ。まだ生きてんならの話だけど」

蘭がそう言うと、九井は「そのことなんですけど…」と言いながら書類を開いた。

「彼女の父親、健吾は失踪後、フィリピンに渡ったようで、そこからの足取りは分からなかったんすよ」
「…そうか。まあ…金借りてそのまま海外に逃亡ってパターンかもな。自分の妻を連帯保証人にして」
「…クソ野郎だな」

と、そこで竜胆が呟く。九井も納得したように頷くと「とりあえず分かったことだけ報告しますね」と言って、の過去を話し出した。
は中学卒業後、高校へ入学。そこで普通の学生生活を過ごしていたが、父親が失踪したことで、日夜働きづめだった母に負担をかけないよう大学に進学はせず、バイトを経てアパレルメーカーに就職したとある。

「そっか…やっぱ苦労したんだな、アイツ」

それを聞いていた蘭がふと呟いた。

「母と娘で頑張ってたみたいっスけどね」
「その母親まで亡くなって、その直後に会社も倒産か…ったく、不幸を背負い込む女だな…」
「確かに。ああ、それと…元カレ情報もあるんすけど…聞きます?」

と九井が笑顔を引きつらせながら訊いてきた。その顏はどう見ても話したくないといった様子だ。蘭も元カレと聞いて徐に顔をしかめたものの、やはり気になるらしい。一瞬、逡巡した後で頷いた。

「あー…聞きたくねえけど教えろ」
「え、その手の話は聞かねえ方がいいんじゃねえの」

そこで竜胆が口を挟んだものの、蘭は「ここまで聞いたら気になんだろ」と譲らない。からチラホラ過去の男を匂わされたこともあり、そこを気になっていた蘭は「どんな男と付き合ってたんだよ」と九井に尋ねた。
九井も仕方ないとばかりに、二枚目の書類に目を通す。

「えっと…初めての彼氏が高三の時で、相手はサッカー部所属の男っスね。まあ、彼女の同級生情報では、ファーストキスの相手だとかで――」
「あ…?ファーストキスだ…?」
「え?えーと…まあ…そうらし――」
「…殺せ」
「……ぅ」

ここは北極かと思うような極寒の空気が流れ、九井と竜胆はごきゅっと唾を飲み込んだ。
だがその冷え冷えとしたオーラを発している蘭は「次」と低音の声で次の元カレ情報を促す。

「え、えっと…高校卒業後、そのサッカー部の男は海外に留学することになり、そこで破局。次に付き合ったのが…就職活動中に知り合った同い年の男っす。さわやかイケメンで読モをやってたことがあるので調べやすかったんすよ」
「…へえ…読モねえ…しょせん素人止まりの男だろ」

蘭の頬がピクリと引きつる。しかし次の言葉でそれがまたしても殺意へと変わった。

「ソイツが…まあその…いわゆる初体験の相手らしいんすけど…浮気してちゃんを捨てたらしく――」
「解体して海に撒け」
「「……っ!」」

殺意を駄々洩れさせながら、蘭のどすの効いた低音が二人の鼓膜を震わせた。これは冗談ではなく、本気で言ってるな…と竜胆は背筋が凍り付く。
今彼の嫉妬で殺されては、元カレもたまらないだろう。

「で、後は…?」
「え、あ…あとは…最後の一人で…」
「は?最後?」
「はい。ちゃん、可愛いのに一人としっかり付き合うタイプだったみたいっすよ」
「…まあ…は真面目だからな…」

ムスっとした顔ながら、蘭がボソリと呟く。しかしやはり最後の男も気になるようで「どんな奴だよ」と訊いてきた。

「えーと、最後は就職先のアパレルメーカーで同期の男と交際。その男はスポーツマンタイプで性欲が強いタイプらしく…」

と、そこまで話した九井は言葉を切った。蘭の額にくっきり血管が浮きでたのを見てしまったからだ。この先の更に酷い話をしていいものか…と一瞬だけ躊躇った。だが蘭が「性欲が強くて…何だよ」とすでに殺し屋みたいな目つきで睨んでくるので、仕方なく報告を続けた。

「…エッチの際、ちゃんが淡泊過ぎてつまんねえ…と同僚たちにボヤいてたらしいっす…。その後…それを理由に浮気して、ちゃんとは破局。浮気相手と結婚し、会社が倒産した後、妻の親の会社で専務として働いて――」
「チッ…クソが。アソコちょん切った後に生きたまま粉砕機に突っ込め」
「「―――ッ!(それじゃスプラッターっす!)」」

九井の脳内に人気シリーズのスプラッター映画"クライモリ"の残虐シーンがぐるぐると回る。
いくら梵天でもそこまでの惨殺をしたことはない。あのキレたNO2の三途でさえ、そこまでの残虐性はないだろう。

(この人が一番危ないかもしれない…)

今では交じりっ気のない本気の殺気を垂れ流している蘭を見て、の元カレをこの世から全員消さない限り、梵天に安住の地はないかもしれない…と九井は思った…。


何気に続く。


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