モラトリアムに心酔する



少しずつ夢の中から現実へと意識が戻っていく中、ふと目が覚めた蘭は無意識に、隣にあるはずの体温へと手を伸ばした。だが、いるはずの存在はなく、手がすっかり冷え切ったシーツを撫でるだけ。それに気づいた時、一瞬で頭が覚醒した。

「…は?」

情事後の他に、未だ残る睡魔で気怠い体を何とかベッドから引きはがし、改めて隣を見た蘭は、すぐにが先に帰ったのだと理解した。ベッドの下に散らばっていた衣服も靴もないからだ。そして、それを裏付けるかのように、の寝ていた場所には一枚のメモ。

『もう会わない。さよなら』

短い別れの言葉を走り書きしてあるのを見た蘭は、文字通り絶句した。夕べ、気持ちが通じ合ったと思ったからこそ、抱いたはずの女に、手のひらを返したように一方的な別れを告げられたのだから当然かもしれない。

「…アイツ…やりやがった…」

蘭は口元を引きつらせながら、手の中にあるメモをぐしゃりと握りつぶす。そのままベッドから抜け出すと、バスルームへ向かい、蘭は顔から熱いシャワーを浴びた。少し気持ちを落ち着けたかった。

蘭には忘れられない存在がいた。中学の頃、時々顔を出した学校で知り合った同じクラスの女の子。
彼女からはいつも花の香りがしていた。
その理由を知ったのは、授業をサボって寝ていた屋上だった。

――ちょっと!ボールが飛んで来て花が潰れかけたじゃない!

下の方から甲高い声が聞こえてきて、蘭はふと目が覚めた。何やら女子生徒が怒りながら誰かに文句を言っている。うるせえな、と思いつつ、蘭は体を起こすと下を覗いてみた。昼休みになっていたのか、校庭の脇には数人の生徒達がサッカーをしているのが見えた。その中の一人が、ちょうど真下に見える花壇の前で、女子生徒とモメているようだ。積極的に声を上げている女子生徒には見覚えがあった。
同じクラスの女――。
蘭の認識はそれくらいで、その時はまだ言葉すら交わしたことはなかった。彼女は飛んで来たサッカーボールが花壇に突っ込んだことを怒っているようだ。そもそもサッカーをするなら校庭へ行ってやれと、ボールを取りに来た男子生徒に文句を言っている。相手の男子生徒もその迫力に気圧されたのか、頭を掻きつつ謝罪していた。

――気の強い女…。

彼女に対しての第一印象はそれだった。話したことはないものの、クラスで見る限りは、気さくで明るく、いつも女子に囲まれているイメージ。そして彼女からは常に仄かな花の香りがしていた。

――花が好きなのか。

花壇が危険にさらされたことで怒っている姿を見て、蘭は何の気なしにそう思った。そしてその後も、見かけるたびに彼女は花壇に水やりをしている。当番なのかと思っていたが、それにしては見かけるたびに毎回、というのもおかしな話だ。
その後、彼女がフラワーの社長の娘だと知った時は、妙に納得したし、先輩の男に言い寄られてるところを助けたという小さなキッカケで彼女と話すようになった際、花が好きで勝手に水やりを買って出ていたと教えてもらい、そこまでするのかと少し驚いた記憶がある。
彼女は歳のわりには落ち着いた、しっかり者といった印象で、だけど蘭には彼女のそれが、どこか虚勢を張っているように見えていた。
家の事情も何となく想像出来たことで、次第に親近感のようなものを覚えた。彼女と話すことで、退屈だった学校に行くのも楽しく感じる。そして、その親近感が少し形を変えて、蘭の中に違う感情をもたらした。彼女の方も同じ気持ちだと、何となく感じていた。でも敢えて気づかないフリをしていたのは、もうすぐ自分がいなくなることを分かっていたからだ。
なのに――告白は思ってもいないタイミングで、彼女の方からされてしまった。

――灰谷くんが好き…なの。良かったらわたしと…

焦った蘭は咄嗟に頭の中にあった言葉を口にしてしまった。

――あー…悪い。無理。
――…え?
――無理つったの。オレさあ…

その後の言葉は言わせてもらえなかった。彼女に思い切り、引っぱたかれたからだ。

――…っいて…
――もっと…他に言い方があると思う!
――は?いや、違…

彼女の言葉を聞いて、蘭は初めて自分が言葉足らずだったことに気づき、理由を話そうとしたが、時すでに遅しとはこのことで。この後、は泣きながら帰って行き、次の日から学校に来なくなってしまった。
蘭にとっても、苦い初恋の思い出だ。
あれから七年経っても、蘭は当時のことを後悔して引きずっていたせいか、どんな女に言い寄られても、体以上の関係になろうとは思えなかった。
そんな時、自分の店に、彼女とよく似た雰囲気の女が通ってくることを知ったのは、カフェバーをオープンしてから二カ月後のことだった。裏でオーナーとしての仕事をしてから、帰りがけに店を覗き、店長に声をかけた時、ボックス席で飲んでいる数人の大学生を見かけた。その中にいたのがだ。どこか懐かしい面影を持っているに自然と目がいき、苦い初恋のことが頭を過ぎった。

――まさか、な。

最初はそう思って、それ以降、思い出すことはなかった。でも店でがトラブルに巻き込まれた時、ついお節介を焼いたのは、彼女のことがあったからかもしれない。

「ハァ…バカはオレか…」

シャワーから出ると、蘭はすぐに身支度を整え、ホテルを後にした。
もう迷う気持ちは一切、なかった。




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ホテルから一人で帰って来た日の午後、は講義に出る為、大学へと顔を出した。なのに講義の内容など全く頭に入ってこない。未だどこか夢心地で、蘭とのことを何度となく思い出してしまう。
罠にはめるはずが、自分の方が本気になってしまうなんて笑い話にもならない。あんなメモ一枚で帰って来てしまったことを早くも後悔している自分に、ほとほと呆れていた。

(ダメだ…コーヒーでも飲んで気分を落ち着けてから帰ろう)

講義を終えた後、は食堂へ足を向けた。今日は人もまばらで、普段よりは静かな空間になっている。少しホっとしながら、注文したコーヒーを手に、空いてる窓際の席へと腰を下ろす。その時、下腹部の辺りにかすかな鈍痛を感じて、思わず顔をしかめた。

(まただ…これ…いつまで続くの…?)

行為中の痛みこそ殆どなかったが、時間が経つにつれ、少しずつ破瓜後の痛みが出てきたのだ。といっても我慢できないほどのものでもなく、ジクジクヒリヒリといった、かすかな痛みが残っているくらいだった。でも動くたび、思い出すくらいの鈍痛がくるので、一向に忘れさせてくれない。しかも、それが不快なものじゃなく、どこか幸せに感じてしまう自分が嫌だった。
結果的には初恋の相手に捧げたことになるのだから、どうしても気持ちが入ってしまう。忘れなくちゃいけないのに、と思いつつ、もう蘭に会いたくなっていた。

(きっと灰谷くんも怒ってるよね…。それとも…やることやったから気にしてないかな…)

一人でボーっとしていると、ついそんな思考に引きずられ、は軽く息を吐いた。そこへ「あ、」と声をかけて来たのは、別の講義に出ていた友達のすみれだった。と同じく、帰る前にコーヒーを飲みに来たらしい。

「やっぱりいた。そっちの方が終わったの早かったね」
「うん。すみれは?今終わったとこ?」
「そう~。あの教授の話長いからさ~」

すみれは大げさに溜息を吐きながら、の向かい側に腰を下ろした。

「ね、は今夜ヒマ?」
「今夜…?」
「そう。久しぶりに沙穂とかと飲み会しようって話になってさ。も行こうよ」

沙穂とはすみれと同じ講義を取っている子で、いつも合コンなどを仕切っている。今夜の飲み会も合コンということだろう。

「あー…ごめん。今日はちょっと…」
「えーまた?あ、最近できた彼氏とデートとか」

すみれには蘭のことをチラっと話してはいるが、例の初恋の相手とまでは話していない。ここ最近は蘭との約束を優先させていたので、飲み会の誘いも断ることが多くなっていた。

「上手くいってるんだ、その彼氏と」
「…もう別れたよ」
「えっ嘘…もう?」

どっちみちバレることだ。本当のことを言うと、すみれは呆れたように溜息を吐いた。

「何か楽しそうに見えたし、今度こそ続くのかと思ってたのに」
「……そうかな」
「何で別れたの?またのこと、ただのアクセサリーにするようなヤツだったとか」
「…そんなことはないけど…」

と応えながら、そう言えば蘭は常に自然体で、を対等に扱ってくれたなと思い出す。そういうところも好きになった理由かもしれない。

(まさか同じ相手に二度も惚れちゃうなんて、わたしもつくづくバカだな…)

内心、苦笑しながら、すみれにはどう説明しようか考えていた時だった。そのすみれが「え」と声を上げて、窓の外を見ている。それに釣られて視線を外へ向けた瞬間、は思わず息を飲んだ。

「嘘、あんなイケメン、うちの大学にいた?」

すみれが浮足立った様子で身を乗り出す。でもは応えることが出来なかった。食堂から見える大学の敷地を堂々と歩いて来たのは、今朝別れてきたはずの蘭、その人だったからだ。
蘭はキョロキョロしながら誰かを探す素振りをしている。はマズいと咄嗟に立ちあがり、慌ててバッグを掴むと、すみれがギョっとしたように振り返った。

?どうしたの?」
「えっと、用を思い出して…」

そう言いながらもは焦っていた。そもそも何故ここに蘭がいるのかが分からない。

(どうして…大学名までは話してなかったはずなのに…)

蘭には自分の通う大学までは言っていなかった。蘭が特に訊いてこなかったこともあるが、元々振る予定でいたのだから、正直に話すこともない。だからこそ、蘭がここへ来たのが不思議だった。
その時――すみれが「えっあの人こっち来るんだけどっ」と声を上げたことで、はハッとして再び窓の方へ視線を向けた。

「……っ」

蘭と目が合い、息を飲む。に気づいた蘭は、ニコリともせず、真っすぐ食堂へ歩いてくる。逃げ出したい衝動に駆られたものの、の足は固まったように動かない。その間に、蘭は食堂へ入ってくると、真っすぐの方へ歩いて来た。

「え、嘘。何で?」

事情の知らないすみれは、ただ驚いて蘭を目で追っている。だが自分の友人の方へ蘭が歩み寄った時、何かを察して口を閉じた。

「やっと見つけた」
「…蘭…」

目の前に来た蘭を、恐る恐る見上げながら、は頬を引きつらせた。の中では、蘭はここまでして自分に会いに来ることはないと踏んでいたからだ。

「何でここが…」
「あ?んなのバーの店長に訊いたに決まってんじゃん」
「あ、マスター…」

そこで思い出した。蘭と再会したあのバーのマスターが、の通っている大学のOBであることを。
大学の友人とバーに行った際、世間話で大学の話になり、マスターもそこの卒業生だったことで盛り上がった記憶がある。もし蘭がのことを本気で探そうと思ったなら、マスターが何か知ってると思っても不思議じゃない。

(にしても…あのメモ見たら怒って絶対に会いに来ないと思ってたのに…)

一番最初に送ってもらったマンションも、自分のマンションより手前にある建物の前で別れた。だから自宅もバレることもないだろうと思っていただけに、この予期せぬ状況に言葉が出てこない。

「あ、あの…」
「ちょっと顔かせよ」
「……っ(こ、怖い…)」

昔の蘭を彷彿とさせる物言いに、の肩がビクリと跳ねる。再会した蘭がにこんな態度をしたことはないから余計に怖い。

「ちょっとコイツ、借りていい?」
「…へ?」

すぐ隣で固唾を飲んで見守っていたすみれは、突然蘭に声をかけられ、ドキっとしたようにを見た。二人の様子を見れば訳アリなのはすぐ分かる。もしここでが本気で嫌がってるようなら友人として「NO」と言ったかもしれない。でもの様子はどう見ても嫌がってるようには見えなかった。

「も、もちろん」
「ちょ、ちょっとすみれ…?」

勝手に承諾したすみれに、がギョっとしたように抗議の声を上げた。でもすみれはの初めて見る狼狽えた姿に、何となく色んなことを察してしまったのだ。

「素直になれば?好き、なんでしょ」
「…え?」
「ま、その辺のことは後で詳しく教えてよ」

そう耳打ちしたすみれは、蘭に手を引かれていくを笑顔で見送った。
一方、蘭に強引に手を引かれて食堂を連れ出されてしまったは「放して」と、必死に藻掻いていた。だが蘭は大学の裏手にある人気のない庭まで行くと、突然の手を引き寄せる。あっと思った時には体を木に押し付けられていた。

「な、何するの」
「それはオレの台詞。オマエこそ、どーいうつもりだよ」
「な…何が」
「あのメモの内容。もう会わないって何で?」

蘭の顔には昨日まで見せていた優しい笑みはなく。やはり昔の蘭を思い出させる。正直、怒ってるだろうなとは思っていたものの、ここまでとはも考えていなかった。

「何でって…好きになれないと思ったからに決まってるでしょ…そういう条件だったはずだけど」

ここはどうにか誤魔化すしかない、とは少し強気で言い返した。最初の予定通り、蘭のプライドをへし折れたのなら、復讐としては成り立つ。ここで終わらせればいい。そう思った。でも蘭は軽く失笑すると「嘘つけよ」と言い切った。

「オマエが本気かそうじゃねえかくらい、抱けば分かんだよ」
「…な…っわたしはホントに好きじゃ――」
「もし仮に、が本気じゃなかったんなら…何で処女なのにオレに抱かれたわけ?」
「―――っ」

その一言に、心臓が大きな音を立てた。誤魔化せたと思っていたが、どうやらバレていたらしい。

「そ、それは…大学生にもなって処女なんて…恥ずかしいから…蘭なら女慣れしてるし、捨てるにはちょうどいいと思っただけだよ」
「オマエはそんな軽い女じゃねえだろ」
「…っわたしのこと、そんなに知らないクセに…っ」

カッとなって言い返した時、蘭が強引にの顎を持ち上げ、唇を寄せてきた。驚いたは慌てて顔を背けると「やめて…っ」と蘭の腕から逃げ出そうとする。

「や…やだ…やめて――灰谷くん!」

強引に口づけられそうになった時、咄嗟に出たのはその言葉だった。ハッとして顔を上げると、蘭は怪訝そうに眉をひそめてから――苦笑いを零した。

「もう初対面のフリはいいのかよ。――
「……っ」

蘭のその一言に、の心臓が大きな音を立てた。聞き間違いじゃない。今、蘭はハッキリと、昔と同じようにのことを呼んだ。

「な…何で…」

そんなはずはない、と思いながらも、今、を見つめる蘭の瞳は何もかも、あの頃と変わっていない。どこか皮肉めいた笑みを昔と同じように浮かべていた。

「何でって…マジでオレがオマエのこと気づかないとでも?」

蘭が少し呆れたように笑う。その言葉に、は後頭部を思いきり殴られたかのような衝撃を受けた。

「……じゃ、じゃあ…気づいてたの…?バーで会った時にはすでに?」
「当然。まあ…最初にバーでオマエを見かけた時は、似てるなくらいしか思わなかったけどな。メイクもガッツリしてたし、オレの記憶にあるとはだいぶ印象も違ってた。でもあの日…オマエが変な男に言い寄られてた時、声を聞いて確信した。似てるどころか、本人だってな」

苦笑しながら説明され、は今度こそ唖然とした顔で蘭を見上げた。

「…な…じゃ、じゃあ…何であの時、初対面のフリなんてしたの…?」
「別にわざとそうしようと思ってしたわけじゃねえよ。こっちも驚いたし、どう声をかけようか考えたけど、最後あんな形で別れたままだし、気軽に"久しぶり"なんて言えねえだろ。それにオマエがオレに気づいてんのかも分かんねーから、まずは名乗ってから反応みようと思ったんだよ。そしたらオマエもフツーに自己紹介するし、あげく名前しか名乗んねーから、自分がだってこと気づかれたくねえのかと思って、それに乗っかっただけ」
「な…乗っかったって…」
「だってあんないかにも女子大生ですって空気出されたら乗っかるしかねえだろ。コイツ、どこまで初対面のフリ通す気かなって思ったし。オレだって内心ちょっとショックだったんだよ」

蘭はどこかスネたように目を細めながら、を見下ろした。だが真相がわかって来ると、何とも言えない気持になってくる。まさかあの夜からバレていたなんて思わなかった。
ただ一つ分からないことがある。

「じゃあ…何であの後にわたしを口説いてきたの…?昔振った女だって分かってたくせに。やっぱり遊んでやろうとか思ったわけ」
「あ?そこまで趣味悪くねえよ」

と蘭は不本意といった様子で顔をしかめた。そして――。

「そもそもの話。オマエを振った覚えはねえけどな」
「―――は?」

仏頂面で言った蘭の言葉に、は今度こそ驚愕した。振った覚えはない?何を言ってるんだというように蘭を見上げた。だが蘭は一向にブレることなく「オマエが一方的に勘違いして怒っただけだろ」と言い切る。それにはもさすがに納得はいかなかった。

「だ、だって、あの時灰谷くんは無理って言ったじゃないっ」
「言ったけど…でもあれはオマエと付き合うのが無理って意味じゃねえし」
「…何それ…意味分かんない」

この七年、ずっと引きずってきた失恋の真相が揺らぎ始めて、も混乱してきた。蘭はそんなを見下ろして小さく息を吐くと、近くにあったベンチへ促し、自分も隣へ腰を下ろした。

「まあ…本当はオマエに言いたくなかったけど…こうなったらちゃんと話す。だから…も聞いてくれる?」
「…え…」
「あの頃、オレが何でオマエにそう言ったのか。その理由」

真剣な顔で見つめられ、ドキっとしたように瞳を揺らしたは、それでもあの頃、蘭に何があったのか知りたいと思った。素直な気持ちのまま頷くと、蘭はホっとしたように微笑むと「まあ…あまりいい話じゃねえけどな」と自嘲気味に笑う。それでも覚悟を決めたように息を一つ吐くと、蘭は静かに話し始めた。

「オレ、に告られる少し前に、人を殺したんだよ」
「……え?」

あっさり、でも慎重に。蘭は少し逡巡した後でそう言った。

「あの頃、オレと竜胆は結構荒れててさ。六本木界隈で誰彼構わずケンカを売っては補導されるの繰り返し。でも懲りずにまたケンカをするような毎日だった。でもそのうち、狂極っていうデカいチームに目をつけられて、そこの総長に勧誘されたんだ」

――オマエらが六本木で暴れ回ってる灰谷兄弟か。おもしれえ奴らだ。ウチのチームに入れよ。

「それを断ったら、今度はお決まりの暴力でねじ伏せようとしてきた。こっちがガキだと思って完全に舐めてかかってきたのが癪に触って…だから、総長と副総長、オレと竜胆の一対一でタイマン張って、オレらが負けたらチームに入ってやるよって言ったんだよ」
「……え」

蘭のことは不良だと思っていたが、暴走族の総長に勧誘されるほどだったとは思っていなかった。自分の知らない世界の話で、思わず息を飲むと、蘭は「勝算はあった」とハッキリ言った。

「相手は高校生で体もデカかったけど、負ける気はしなかったんだよ。実際、オレは一撃で総長を沈めたしな。オレがバカだったのはその後」
「何を…したの?」

その問いに蘭は軽く目を伏せると、深い溜息を吐いた。

「竜胆が関節技で抑え込んでいた副総長にまで手を出した。動けなくなってる相手を意識が失っても殴り続けたんだよ」
「な…何で…」
「ああでもしないと、また報復にくるような連中だから。徹底的に痛めつけて、二度とオレや竜胆に歯向かえないようにする為だった」

――チームなんかいらねえよ。六本木は灰谷兄弟が仕切る。

徹底的に相手をねじ伏せた後に放った言葉は、当時の狂極のメンバーを震え上がらせた。

「結果…六本木は手に入ったけど、相手は瀕死の重傷。当然警察沙汰になった。でもオレは未成年だし、決闘罪や傷害だけなら、そこまで重たい罪にはならねえと思ってたとこがあって…でもそれが甘かったと思ったのは、オレがボコボコにした副総長が数日後…病院で死んだ時だった」
「…そんな…」

蘭の一言にの血の気が引いた。人ひとり、当時の蘭が殺めていたなんて、思いもしなかった話だ。

「引くだろ?オマエからしたらオレは単なる人殺しだもんな」
「……」
「だから…言えなかった。オマエに告られた時も、本当は凄く嬉しかったけど、オレは鑑別所に送られることは決まってた。だから無理って言ったのは…オレはもうすぐいなくなるから無理なんだってことを説明しようとしたんだよ」
「え…?」
「まあ、でもオレも急な告白にテンパって、あげく言葉足らずでオマエに引っぱたかれる羽目になったんだけど」

蘭は自分の頬を軽く叩く真似をして笑った。それを聞いた時、はその時のことを思い出した。確かに、蘭はあの時、何かを言いかけた気がする。それがこの話だったのかと、は言葉を失った。
もし、あの時ちゃんと話を最後まで聞いていたなら、きっとここまで引きずらなかったかもしれない。

「まあ…オレも人殺しになったわけだし…鑑別所を出てから誤解を解きに行ったところで、だって困るだろと思ったから行けなかった」

蘭はふとを見ながら微笑む。それは今の蘭の優しさがにじみ出るような眼差しだった。

「何で…?」
「あ?」
「何で…そこまで気にかけてくれたの…わたしのこと…」

ふと顔を上げて蘭を見つめる。確信があったわけじゃない。だけど、蘭の話を聞いていて思ったのは、もしかしたら、あの頃、蘭も自分と同じような想いでいてくれたんじゃないかということだ。
蘭はの問いに、一瞬目を見開き、軽く目を伏せた。

「そりゃ…オレもオマエのこと…好きだったからな」

どこか照れ臭そうに視線を反らす蘭を見て、は泣きそうになった。初めて、蘭の本心が分かった瞬間かもしれない。

「だから再会した時…オマエが初対面を装う気なら、今度はオレから口説こうかと思った」
「…え?」
「そっちが知らないフリすんなら…自分の過去のことは言わなくてもいいかってズルいこと考えたんだよ。けど…さっき目が覚めて"もう会わない"ってメモ見つけた時に気づいたわ」
「…何に?」
「今日までの全部が…オレに対するオマエの復讐だったんだって」
「……っ」

蘭の言葉に息を飲んだ。だが蘭は怒るでもなく、の方へ視線を向けると、ただ微笑む。

「ま…抱き合ってオレの気持ちは分かってくれたと勝手に思ってたから、かなりショックではあったけど、オレもそれだけオマエのこと傷つけたんだろうし、甘んじてそれを受けようかと思った。だけど…」
「…だけど…?」
「やっぱ諦めるの…無理」

蘭はそこで初めて真剣にを見つめた。偽りのない真っすぐな瞳が、それを物語っている。

「もう一度オレにチャンスくれねえ?」
「…灰谷くん…」

夢かと思った。蘭の方から会いに来てくれたことも、過去の本音を話してくれたことも。今日まで色んなことを誤解して生きてきたのかと思うと、やけに悔しい。だけど、蘭からの告白を幸せに感じてしまった。

「七年前に言いたくても言えなかったけど…オレはが好きだ」
「――っ」
「もう一度、最初から…やり直さねえ?」

蘭からの歳月を超えた告白を受けて、はやっと、自分の初恋が実った気がした。

「やり直したい…」

だからこそ、素直に言える。
の言葉に嬉しそうに微笑んだ蘭は、彼女の手を引きよせて強く抱きしめると、耳元で呟いた。

「やっと…気持ちを言えたわ…」



...END




今回で短編連載終わりです。
考えてたものと少し…いや、かなり変わってしまって物足りないまま終わってしまいました笑💧
拙い作品ですが、最後までお付き合い下さった方がいましたら、本当にありがとうござました✨