夏の夜は花びらに接吻




「場地さんってちゃんと付き合ってんスか?」

いつものように学校帰り、場地さんの家に寄った時、前から気になっていたことを思い切って聞いてみた。
場地さんは読んでたバイク雑誌から顔を上げると、はあ?みたいな表情で俺を見ている。

「んなわけねーじゃん。前にも言ったろ?アイツは単なる幼馴染っつーか妹みたいなもん」

場地さんはそれだけ言うと、また雑誌を読みだした。
こっそり様子を伺ってみたけど、特に変わったこともなく。
今の言葉が本心なんだろうと感じた。

ちゃんは場地さんと仲良くなった後で知り合った。
今日みたいに場地さんちに寄ったら突然女の子が部屋に入って来たから、てっきり妹かと思えば違うと言う。
聞けば幼稚園から一緒だったとかで、場地さんが違う学校になっても会いに来てるようだった。
確かに幼馴染とは聞いたけど、あまりに仲がいいから実は付き合ってんじゃないかと密かに疑っていた。でもそれは俺の思い過ごしだったみたいだ。
いや、場地さんはそうでも、じゃあ、彼女は―――?
ちゃんが場地さんを好きだっていうことはないんだろうか。
だって彼女は家も遠いのに何故かわざわざ場地さんの家に寄って行くんだから。

「何で?」
「…え?」

アレコレ考えていた時、急に場地さんに話しかけれてハッと我に返った。
慌てて顔を向けると、場地さんはいつの間にかベッドから体を起こして俺を見ている。

「えっと…」

今、何を言われたのか訊いてなくて頭を掻くと、場地さんはニヤリとした笑みを浮かべて「何でそんなこと聞くわけ?」と言って来た。
さっき俺が質問した意味を聞いてるんだと気づいて、急に照れ臭くなった。
そこまで言葉を用意してたわけじゃない。

「い、いや何でっていうか…そうなのかなぁ?って思っただけで―――」
「千冬、のこと好きなのかよ」
「えっ?!あ、い、いや…」

あまりに確信をついた問いかけに、俺は誤魔化すことも出来ず、普通に動揺しまくった。
場地さんはそんな俺を見て「わっかりやすいヤツ!」とゲラゲラ笑っている。
どう誤魔化そうかと思っていたその時だった。
玄関のドアが開く音と「圭介ー」という声。この声は―――ちゃんだ!

「噂をすれば、だな」

場地さんは意味深な笑みを浮かべて俺を見るから、ガラにもなく顔が赤くなってしまった。
というか俺は別に何もそのことについては言ってない気がするのに、場地さんの中では決定事項のようだ。
いや、あれだけ分かりやすく動揺しまくったんだからバレるのも当たり前だとは思うけど。

「あ、やっぱり千冬くんもいたー」

まるで自分の家のように場地くんの部屋に顔を出した彼女は、いつものように明るい顔で俺に微笑んだ。
ちゃんの笑顔は、いつも鮮やかな色を添える花のようで、素直に綺麗だと思う。

「おい、…いつも勝手に入ってくんなつってんだろ?だから変な誤解されんだよ」
「…誤解って?」
「ちょ、場地さん…」

その話題を出され、ドキっとした。
場地さんは明らかに楽しんでるような顔だ。

「千冬が俺とオマエが付き合ってんのかって聞いて来たんだよ」
「えー?何それ。私と圭介が?ないない!」

ちゃんもさっきの場地さん同様に笑いだし、手に持ってた袋から「はい、これ。差し入れー」と中身を出した。

「お、ペヤングじゃん」
「え、俺のも?」

場地さん、そして俺にまでくれたことに驚いて顔を上げると、ちゃんは笑顔で頷いた。

「うん。どーせ彼女いない者同士、部屋でウダウダしてんだろうからペヤングのおすそ分け」
「あ?悪かったなぁ、彼女いなくて。オマエだって男いねーじゃん」
「私は作らないだけだもん。これでもモテるんだから」
「はあ?どこの男にモテてんだよ、オマエは」
「そりゃクラスの男子とか、部活の先輩とか」

そんな話を聞いていると、自然に俺の中で焦りみたいなものが出て来た。
そうだ、何もライバルは目の前の場地さんだけってわけじゃない。
いや場地さんは誤解だったとしても、ちゃんの通う学校にだって普通に男はいるんだから。

「へぇ。物好きな男もいるもんだな」
「あのね、圭介に言われたくなーい」
「ま、物好きな奴はここにもひとりいんだけどよ」
「え…?」
「ばっ場地さんっ」

ボケっとしていたら場地さんがいきなり爆弾を投下してきてギョっとした。
まだ俺、何も言ってないっス!と言いたかったが、ちゃんが驚いた顔でこっちを見てるから何も言えなくなる。
そこで変な空気が流れた。

「あ…じゃあ渡す物も渡したし、帰るね」
「は?オマエ、これ渡すためだけに来たわけ」
「…だって買いすぎたから」

そう言って立ち上がったちゃんは、俺に向かって「またね、千冬くん」と手を振った。
あんな空気のままで帰られると、さすがに俺もどうしていいのか分からない。

「千冬」

その時、場地さんが不意に「オマエ、送ってってくんねえ?」と言って来た。
さすがに驚いて「えっ」と声を上げると、ちゃんは「い、いいよ、悪いし」と首を振っている。
やはり自分に気がありそうな俺に送られるのは嫌なのかと少しだけへこむ。

「いーから千冬に送ってもらえ。外、もう暗いだろ」
「で、でも…ウチ、遠いし…大変でしょ?」
「前にも一度送ってるからいいよ。あ、でもちゃんが良ければだけど」

俺が何も言わないのも何なので勇気を出してそう言えば、ちゃんはどこか照れ臭そうに俯いてしまった。
やっぱ断られるか?と思って、更にへこみそうになった時、

「じゃ、じゃあ…送ってもらおうかな」

とか細い声が聞こえて来た。
思わず「え?」と顔を上げると、彼女は慌てたように、

「え?あ…千冬くんが良ければ…だけど」
「あ、いや…俺は全然!」

これは二人になれるチャンスとばかりに立ち上がると、場地さんが後ろで小さく吹き出した。
キッカケをくれた場地さんに感謝しつつ、「じゃあ…お願いします」というちゃんの後からついて行く。
俺は場地さんに「行ってきます」と振り返って頭を下げると、いつものように「おう」と笑顔で手を上げてくれた。
この日を境に――場地さんの家に彼女が来た時は、俺が家まで送るというのが決まりごとのようになった。








この日も場地さんの家から帰る彼女を送ることになって、二人でいつもの道のりを歩く。
夏の終わりを惜しむように公園に植えられた大木からは蝉が最後のあがきでジージー鳴いている。それを聞きながら、意識は隣を歩くちゃんに向いていた。
最初に会った時から明るくていい子だな、と思っていたけど、会えば会うほど彼女が気になりだして。好きだとハッキリ自覚したのはいつだったか。
あれはまだ初夏の、夜はまだ涼しい頃だったように思う。

俺の家から愛猫のペケJが脱走をはかり、必死で探していると、たまたま場地さんち帰りのちゃんと団地前でバッタリ会った。
あまりに俺が必死の形相で植え込みを覗いてるから、彼女は驚いたらしい。
でも事情を話すと、ちゃんは一緒にペケJを探してくれた。
夏の制服になったばかりの彼女は、少し肌寒い夜だったにも関わらず、本当に一生懸命探してくれて。
でもどこを探しても見つからなくて、俺はこれ以上彼女を付き合わせたらダメだと、一度団地に戻ることにした。
そしたら何とペケJが団地の階段のところに座っていたのを見つけて、二人で笑ってしまった。

「見つかって良かったね」

可愛い笑顔と一緒に、ちゃんはそんな言葉を俺にくれた。
きっとあの瞬間、俺はこの子が好きだって自覚したんだと思う。
関係ない彼女を遅くまで付き合わせてしまったから、ペケJを家に連れ帰った後で彼女を家まで送った。
そこからは場地さんと彼女の関係が気になりだして、ひとり悶々とするのに疲れたからこの前あんな質問をしてしまったんだけど。
結局あれがキッカケで場地さんに気持ちもバレたから未だにからかわれるけど、場地さんは何だかんだ応援してくれてる。
今日も「とっとと告っちまえよ」と言われたばかりだ。

も言ってたけど、アイツ昔から何でかモテんだよなぁ。色気もねーのに。ま、でもモタモタしてたら誰かに盗られんぞ」

そこまで言われると本気で心配になって来る。
でも確かにこのまま単なる送り要員でいたいわけじゃない。
そろそろちゃんに気持ちを伝えるべきかも、と思っていると、彼女が不意に顔を上げてもろに目が合ってしまった。
まずい。ジロジロ見てたのがバレたんだろうか。
内心焦っていると、ちゃんは少し慌てたように視線を反らした。

「…千冬くんはさ」
「え?」
「毎日圭介と遊んでるけど…ほんとに彼女、いないの?」

その質問にドキっとしたけど、そこは「いないよ」と応える。
正直、今の中学に入った頃は学校シメるのに必死で、女の子になんか気が向かなかった。
そのうち場地さんと知り合って、その日からずっとツルんでるから、今俺に一番近い女の子はちゃんだけだ。
隣りを歩く彼女はあの時と同じ夏服で、白いシャツが良く似合う。
場地さんは色気がねぇなんて言ってるけど、俺から見ればちゃんは色っぽいと思う。
変な色気じゃなく、仄かに香るシャンプーの匂いとか、風が吹いて流れる長い髪とか、それによって少しだけ見える首元とか。
色白で線が細い彼女は、抱きしめたら折れてしまいそうで、そういうどことなく儚い部分が綺麗だと思う。

「…何で?」
「え?」
「あ~またモテない者同士でツルんでるってバカにしてんだろ」
「ち、違うよ…」

ちゃんは慌てたように首を振りながら俺を見上げた。
その大きな瞳がかすかに潤んでるように見えてドキっとする。

ちゃんって猫みたいな目だよな」
「え、それって釣り目ってこと?」
「じゃなくて。綺麗な目ってこと」
「……」

つい思ったことを口にすると、彼女は黙ってしまった。
失敗したか?と思っていると、ちゃんは「千冬くんって何で私のこと、ちゃん付けするの」と訊いて来る。
どこか不満げな響きに聞こえたのは気のせいだろうか。

「何でって…」
「同じ歳なのに変だよ」
「じゃあ何でちゃんは俺のこと、くん付け?」
「あ…そっか」

ふと思い出したように彼女は笑った。

「じゃ…くん付けやめたら、ちゃん付けやめてくれる?」
「…いい…けど。でも何で?」
「んー何か距離、感じるから」

彼女はそう言って足を止めると、俺を真っすぐ見上げた。

「今、この瞬間から千冬って呼ぶから、千冬もって呼んで」
「わ…分かった」

彼女に千冬なんて呼ばれたのは初めてで、思った以上の破壊力がある。
一気に動き出した心臓が、聞こえてしまわないかと更にドキドキしてきた。

「えーと…じゃあ……」
「……う、うん」

たかが名前を呼び捨てにするだけなのに、こんなに照れ臭いものなのかってくらいに照れた。
もドキっとしたような顔をするから、ますます顔が熱くなる。

「な…何か照れるね…」
「あー…まあ…うん。でも…ひとつ進んだみたいで俺は嬉しいけど」
「…え」

歩き出した時に本音がポロリと零れ落ちる。
でも彼女がまた足を止めたから振り返ると、の頬が赤くなっていることに気づいた。

…?」
「それ…どういう意味?」
「意味?」
「ひとつ進んだって…」

ふと顔を上げたの顏は真剣で、俺は少し戸惑ったけど、でもこれは告白するにはいい流れなのかもしれないと思った。

「意味は…そのままの意味。俺…のことが好きだから。名前で呼べるのも呼んでもらうのも…嬉しいってことで」

言ってしまった。もう後には引き返せない。は驚いたのか、そのまま固まってる。
ついでにさっき以上に顔が赤くなっていて、また胸が大きな音を立てた。

「…何か言えよ…」

何も言わないに、その場の空気が耐えられなくなった俺はついそんな言葉をぶつけてしまった。
この沈黙はどっちだ?吉と出るか凶と出るか――。
は「あ…ごめん」と我に返ったような顔で俺を見る。
ごめん、と言われたことで、一瞬振られたのかと思ったその時、はやっぱり恥ずかしそうに「私も…同じ」とだけ呟いた。

「え、同じ…?」
「だ、だから…千冬と…同じ気持ちってこと」
「…マジ?」

一瞬、本気でダメかと思ったから、さすがにそれは驚いた。
は俺のところまで歩いて来ると、また隣に立って歩き出した。

「家が遠いのに…私がどうして圭介の家にいつも寄ってくか分かる…?」
「え?」

彼女が歩き出したのを見て、俺もそれに続いた時、がそんなことを訊いて来た。

「何でって…場地さんに…」

会いに来てたんじゃないのかよ?と言おうと思った。
でもは場地さんちに来ても、特に何をするでもなく、俺達のバカ話に耳を傾けて笑って、それで――いつも帰って行く。
そう聞かれたら、がしょっちゅう遠回りにして場地さんの家に寄る意味なんかないように思えた。
だって二人は付き合ってるわけでも、異性として好き合ってるわけでもないんだから。

「千冬に…会いたかったから」

彼女はいとも簡単に俺の心臓を撃ち抜く。
予想もしていなかった答えをくれた彼女は、頬を赤くして俺から視線を反らした。
そんなことを言われたら、また好きが増えて、そして―――抱きしめたくなるに決まってる。

「ち…千冬…?」
「今のは…反則」

の手を引き寄せて腕の中に収めると、やっぱり壊してしまいそうなくらいに華奢だった。その前に鼓動がうるさくて、俺の心臓の方が持ちそうにないけど。
辺りはまだまだ人気のない住宅街で、さっきから蝉も気を利かしてるのか、鳴くのをやめた。
急に静寂が俺達を包むから、お互いの鼓動だけを感じることが出来る。

が…好きだ」

さっきよりも真剣に告げた言葉が、どこか遠くで響いてる気がする。
腕の力を緩めて、初めて至近距離での顔を見つめると、彼女は照れ臭そうに、でも嬉しそうに微笑んだ。
俺の大好きな彼女の笑顔は、夏の夜を彩る花のように綺麗だった。
二人の唇が重なるのは、それから数秒後―――。