彼女が欲しい
夜を劈く排気音が好きだ。全身に思い切り風を浴びながら、仲間と一晩中バイクで走る時間は、何歳になったってかけがえのない瞬間であり続ける。遠くを彩る、夜に宝石をちりばめたように煌いた都会のネオンも、目の前を流れゆく外灯も、気持ちを高ぶらせる最高のスパイスになる。けれど――そんな気分のいい夜を台無しにするのは、いつだってアイツだ。たったひとり不在のせいで不機嫌になっているのは、オレや春千夜の幼馴染であり、東京卍會のトップ、佐野万次郎。通称"無敵のマイキー"。春千代と一虎。せっかく古いつき合いの仲間で集まってるっていうのに、この日のマイキーは最初から不機嫌そうだった。
そもそも今夜、久しぶりに3人で流そうぜと誘って来たのはマイキーなのに――。
「…ったく何でアイツ、ケータイばっか見てんだよ」
何度目かの休憩に立ち寄ったコンビニの駐車場。冬の空気に冷やされた手をホットコーヒーで温めつつ、端っこでしゃがみこんでケータイと見つめ合ってるマイキーに視線を向けた。ここに着いてからかれこれ5分はずっとあのままだ。春千夜が気を利かしてマイキーの好きな"ミルクたっぷりカフェオレ"を買って手渡してっけど、マイキーは春千夜の方を見もしないで受け取っている。
「…さあ?オレが来た時にはすでに機嫌悪かったぜ」
そう応えた一虎はこのクソ寒いってのにコーラを一気飲みしてる。見てるコッチが寒くなるっつーの。聞けば一虎はちゃっかり上着のポケットにカイロを二つも忍ばせていた。一つくらい寄こしやがれ。
「あ~腹減ったァ…マイキーに呼び出されて夕飯食い損ねたし何か買って来るわ」
コーラを飲みほした一虎は再びコンビニの方へ歩いて行く。
「場地は?」
「何だよ、奢ってくれんの」
「肉まんくらいならなー」
「じゃあオレ、ピザまん」
「ハァ?バーカ、オマエ、ここはフツーカレーマンだろが」
「今はピザの気分なんだよ」
「はいはい」
一虎は笑いながらコンビニ内へ歩いて行く。それを見送りつつ、やっぱりマイキーの様子が気になって振り返ると、恐ろしいことに来た時と何も変わらない体勢でケータイと睨めっこをしていた。こうなってくると流石に気になって来る。その時マイキーの後ろで心配そうに見守っている春千夜と目が合ったからコッチに来いと合図を送った。春千夜はイヤそうな顔を隠そうともせず「何だよ、場地」とオレの方へ渋々歩いて来る。ガキの頃はどっちかって言うとオレやマイキーよりも大人しい性格だった春千夜は、マイキーに無理やり東卍に入れられた後から少しずつ性格も変わって、今では一虎と同じくらい短気で粗暴な男になっていた。綺麗な顔立ちなのは変わってねーけど、見た目に反して口が悪いところも一虎そっくりなんだから笑う。でもそんな春千夜が唯一頭が上がらない相手がマイキーだ。
「オマエ、今日はマイキーとずっと一緒にいたんだろ?」
「だから?」
マイキーの名前を出した途端、ギクリとした様子で目を反らす。嘘がつけねえ性格なのは昔からだ。コイツは顔に出やすいんだよなぁ。
「マイキーの様子おかしいだろ。何かあったのかよ?」
「……知らねぇよ」
「嘘つけ。そもそも週末なのにマイキーから誘ってくんの変じゃん。はどーしたんだよ」
「………」
の名を出した瞬間、更に春千夜の顏が引きつって「知らねえってっ」とそっぽを向く。春千夜の反応を見てる限り、マイキーに何かあったのは間違いない。
とはマイキーに最近出来た彼女だ。オレの転校先の学校で同じクラスの女であり、まあオレがマイキーに会わせたようなもんだった。学校帰り、マイキーと待ち合わせをして遊んでた時、バッタリと会って話しかけられたのがキッカケ。しかもマイキーの一目惚れってのが未だにオレの中ではかなりの大事件として残っている。まあ、そこからはオレが間に入ってどうにかふたりをくっつけたけど、何のことはない。の方もマイキーに一目惚れしてたんだからくっつけるのは意外と簡単だった。それ以来、マイキーは人が変わったみたいになった。それまではチーム優先だった男は今じゃが一番。優先順位が見事にひっくり返った。オレらと会う時でもは必ず連れて来るし、暗くなったらきちんと家まで送ってやるという徹底ぶり。アイツのどこのボタンを押したらあんな優しい男――にだけだけど――が出来上がるのか今もやっぱり分かんねえけど、マイキーがに対してマジだってことだけは伝わって来る。そう、だから不思議だった。今夜もてっきりを連れて来るかと思えばいなかった。ならあの機嫌の悪さはに関係してんじゃねえのかと、今頃になって気づいた。
「春千夜、知ってんだろ?とマイキーに何かあったのかよ」
「……」
春千夜はどうしても言いたくないらしい。完全に背中を向けて無視を決め込んでいる。けど視線はチラチラとマイキーに向けられていて、その顔はどこか心配そうだ。オレは仕方ない、とばかりにケータイを取り出した。
「あっそー。春千夜が言いたくねえっつーんなら仕方ねえ。じゃあ直接に聞くわ」
「…は?」
春千夜がギョっとした顔で振り向く。やっぱりマイキーの機嫌の悪さにはが関係してるらしい。
「忘れてたのかよ。元々オレとはクラスメートだしオレがマイキーにアイツを紹介したんだからケータイ番号くらい知ってるっつーの」
「…ま、待てって」
の番号を表示して発信ボタンを押すフリをすれば、さすがに春千夜も焦ったらしい。その大きな目を更に見開いてオレの手を掴んだ。しばし互いに睨み合う。だが最初に折れたのは春千夜だった。
「チッ…話せばいーんだろ…?」
「最初から素直にそうしろよ」
「…マイキーにオマエにだけは言うなって言われてんだよ」
「は?何でだよ」
そこへ夕飯を買った一虎が「なになにー何の話?」と呑気に戻って来た。すでにカレーマンを頬張っている。
「いや…マイキーが機嫌悪い理由…が原因らしいんだ」
「あ~やっぱそーなんだ」
一虎は何となく察しがついてたと言いながら笑った。いつも連れて来るのに今日に限って彼女は不在。かつマイキーの機嫌が悪いのだから薄々そうだろうと思ってたらしい。
「んで?何があった?ケンカしたとかか?」
一虎の買って来たピザまんを貰いながら春千夜に尋ねる。その間もマイキーは変わらずケータイを見つめていた。
「ケンカとかならまだ…良かったんだけどな」
「あ?」
小声で春千夜がぼそりと呟く。そしてオレと一虎にもっと顔を近づけろとジェスチャーをしてくるから、出来るだけ顔を寄せ合った。何が悲しくて野郎3人で密着しなくちゃいけねーんだと内心思う。けど春千夜から聞いた内容にオレは思わず声を上げそうになった。
「…わ…別れた…っ?」
「バカッ、静かにしろって!」
極力、声を抑え気味にしたものの、春千夜は慌てたようにマイキーの方へ振り返る。でもマイキーは気もそぞろでコッチの会話なんか聞こえちゃいない様子だ。
「ウソだろ…?あんなに仲良かったし、何ならマイキーのことめちゃくちゃ大事にしてたじゃねぇか…」
「…いや、そーなんだけど…」
「やべぇ…原因は何だよ」
一虎も事の重大さを何となく分かって来たのか、顔を引きつらせている。と言うのも、マイキーの理不尽さの防波堤になってくれてたのがだからだ。それが決壊したとなれば、まずマイキーの苛立ちの矛先は近くにいるオレ達に向く。今のマイキーの不機嫌さはその予兆に過ぎなかったということだ。
「原因は…アレだよ」
「…アレって…」
「バカか。一虎が考えてるよーなことじゃねえっ」
途端にエロい顔でニヤけた一虎を春千夜が睨む。オレも一瞬そっち系が頭に浮かんだもののすぐに打ち消した。ということは思い当たる原因は一つしかない。
「……ケンカか」
「ああ」
「なーんだ…」
一虎があからさまにガッカリした。オレも思わず睨む。
「もしかして…マイキーのヤツ、の前でまたケンカしたとか?」
春千夜が無言のまま頷く。オレは思わず項垂れた。はオレとクラスメートで席が隣だから親しくなったが、別に不良というわけじゃない。思い切り普通の子だった。だからなのかマイキーがケンカするのも、あまり良く思っていなかった。
「万次郎くんは強いんだから自分より弱い人を殴っちゃダメ」
よくそんなことを言われるとマイキーが話してたけど、マイキーより強いヤツなんて殆どいないんだから、それはつまりケンカするなに等しい言葉だと思う。それでも東卍のトップなんてやってたら、コッチにその気がなくても相手からケンカ売って来ることもしょっちゅうだ。そのせいで乱闘になり、多少なりとも傷を作ってにバレては何度となく怒られたり、ケンカになったりしてたみたいだが、それでもふたりはすぐに仲直りしてたはずだ。
「マジで別れたって?」
「ああ…ってかオレもマイキーから直接聞いたわけじゃなくて…偶然その現場を見ちまったんだよ」
春千夜は溜息交じりで話し出した。それは昨日の夕方のこと。学校帰り、駅前でブラついてた春千代がを見かけたそうだ。彼女は待ち合わせをしてたのか、駅の改札前に立っていた。春千夜が声をかけようとした時、他校の男二人が先にに声をかけたらしい。いわゆるナンパというやつだ。はすぐに断ってたようだが、男の一人が腹を立てた様子で彼女の肩をどついて、最悪なことにはその場に転んでしまった。春千夜は慌てて助けに入ろうとした。その時、ちょうどやって来たマイキーが有無も言わさず男に飛び蹴り。男は改札を飛び越えるくらいに吹っ飛び、もう一人も腹を蹴られて一瞬で気絶。ほんの数秒で片が着いたようだ。
「え、でもそれってちゃんを守ったってことだろ?何がダメなんだよ」
一虎が不思議そうにしている。確かにその言い分も分かるが、何せは弱い者イジメが嫌いと豪語してるくらいに正義感が強い。多分、マイキーがやりすぎたことを怒ってしまったのかもしれない。
「それが相手のヤツも完全に伸びちまってたし、も何か驚いた様子でマイキーと言い合いみたいになってたんだけど…そのうち泣きながら"さよなら!"つって走って行っちゃって…」
「え…でもそれって別れたってことになんの。いつものケンカじゃ…」
「いや、その後、オレがマイキーに声かけたら、がもう別れるって言って来たつってたし…」
「マジか…」
思わずマイキーの方へ視線を向ける。よく見ればマイキーはケータイを見つめながら溜息を吐いている。きっとに電話をして謝るかどうか迷ってる。それとも向こうからかかって来るのを待ってるのか。どっちにしろこの結末に納得してないように見えた。
「そんでむしゃくしゃしてオレら誘って来たってわけか」
一虎は苦笑交じりで項垂れた。まあ嫌なことがあった時はバイクをぶっ飛ばせば大抵忘れらる。マイキーもそう思ったんだろうが、彼女のことだけはそう簡単に吹っ切ることは出来なかったらしい。
「そんなに別れたくなきゃ電話でも何でもして謝りゃいーのに」
「一虎…オマエ、あのマイキーが素直に謝れる男だと思うのかよ?」
苦笑する一虎に思わず突っ込めば、確かに、と納得したように頷く。ただ、あの様子じゃマイキーもまだ諦めがつかねえって感じだろうし、確かに弱い相手を目の前でブチのめしちまったことはにとってもショックだったろうが、要は助けようとしたわけだし、お互い冷静になればまだやり直せるチャンスはある気もした。
その時――オレのケータイが鳴った。かけてきた相手の名前を見て、さすがに驚く。
「…からだ」
「「マジで?」」
春千夜と一虎が綺麗にハモる。
「まさか…オレがふたりくっつけたようなもんだし別れたって報告じゃねえよな…?」
「い、いーから早く出ろよ…」
一瞬ビビったものの、春千夜に急かされ、通話ボタンを押す。すると『場地くん…?』とのか細い声が聞こえて来た。
「お、おう…何だよ…どーした?」
『……急にごめんね』
の声は小さく、いつもの元気がない。やはりマイキーと別れたという報告か?と何故かオレがドキドキしてきた。
『今…話してても大丈夫…?』
「あーああ…大丈夫だけどよ…どした?珍しいじゃん。オレにかけてくんの」
『うん…』
以前はテスト前とかヤマを教えてもらうこともあったが、マイキーと付き合いだしてからは「万次郎くんに悪い」と言って電話はしてこなくなってた。だからオレにかけて来る=マイキーと別れたって図式が脳内に浮かんで地味に焦っていた。は同い年だけどシッカリしてるし、マイキーにも物怖じせずハッキリ言いたいことは言うタイプだ。だからやりすぎることがあるマイキーにはみたいな子がいいんだろうなと思ってた。出来れば別れて欲しくはないが、なりの言い分もあるんだろうと思うと無理は言えないという気持ちも湧いて来る。
は何か言いにくそうにしていたが、不意に口を開いた。
『あのね…万次郎くんと昨日ケンカしちゃって…』
「……え、ケンカ?」
思わず春千夜と一虎を交互に見てしまった。ふたりも「え?」みたいな顔でオレを見てる。
「ケンカって…どんな?」
とりあえず知らないフリをして聞いてみると、は少しずつケンカの原因を話し出した。おおよそ春千夜から聞いた通りの内容ではあったが、一つだけ違ったのは…。
『万次郎くんが"ケンカしねえとオマエ守れねえだろ"って言うから……彼にケンカさせない為には別れるしかないのかなって思って…ついそう言っちゃったの』
「……え?」
『"じゃあ私達別れた方がいいね"って…さよならって言って帰って来ちゃって…でも私、やっぱり…』
の声はそこで泣き声に変わった。何て言葉足らずなんだと思いながらもオレはどうしていいのか分からず、目の前の春千夜や一虎に助けを求めたけど、口パクじゃ伝わらなかった。でも結局も後悔してんなら話は早い。
「おい、。泣いてねーで今すぐマイキーに電話しろ」
『…え?』
「アイツ、絶対オマエからの電話待ってっからオレとの電話切ったらすぐマイキーにかけろ。分かったか?」
『…で、でも別れるって言ったの私の方なのに電話なんかしたら何だコイツって思われるよ…』
「あーもうめんどくせーな!好きならグダグダ言ってねえで今すぐ電話しろっ!じゃーな!」
男女のことなんて知らねえけど、お互いにそこまで好きならもう答えは出てる。オレはサッサと電話を切って今の話を春千代と一虎にも伝えた。
「え…ってことは本気じゃなくて…」
「売り言葉に買い言葉的なヤツか?」
「ああ…だからまあ…大丈夫だろ」
と言ってた矢先、マイキーのケータイが一瞬鳴った。ワンコールで途絶えたのはマイキーがソッコーで電話に出たからだ。
「もしもしっ?…うん…つーか……良かったあぁぁ…」
マイキーは一瞬立ち上がったものの、脱力したようにその場にしゃがみこんで盛大な溜息をついていた。よほど安心したんだろう。さっきのお通夜みたいな表情から一転、いつもの明るい笑顔に戻ってる。
「全然…オレもやりすぎちまったし…ごめん。うん…怒ってねーって。オレもかけようか迷ってたっつーか…うん…うん…」
何やら楽しそうに会話してるし、もう大丈夫だなとオレまで何故かホっとした。ホっとしたら喉が渇いて結局オレも自販機で冷たいコーラを買って一気に飲み干す。春千夜も安心したのか「良かった…」とグッタリした様子で呟いた。
「ただのケンカで終わって良かったわ…もし本当に別れてたらその辺のチーム潰しに行きかねねえ」
「言えてる」
「つーか安心したとこで、このままもうひとっ走りしねえ?」
「そーだなー」
オレ達3人はすっかり安心して、すでにどこ走るかなんて話題で盛り上がってた。するとと電話を終えたマイキーがサッサとバイクにまたがりエンジンをかけている。気の早いヤツ、と思っていたら不意にマイキーがオレ達を見て、
「わり。が会いたいって言うからオレ、行くわ」
「「「………は?」」」
「じゃーなー♡」
マイキーは満面の笑みで手を振ると、そのままバイクをかっ飛ばし東京方面へと戻っていく。バブの排気音が遠ざかっていくのを聞きながら、オレと春千夜と一虎はただただ唖然としたまま小さくなっていくテールランプを見送っていた。その時、オレのケータイにからメッセージが届く。
"万次郎くんと仲直り出来た♡ 場地くん、ありがとう"
そのメッセージを見ながら、何とも言えない思いがこみ上げてくる。いや、焚きつけたのはオレだけども。
「なあ……」
一虎がふとオレを見た。
「今夜誘ってきたのってマイキーだよな…?」
一虎が半目のまま呟く。まあ、何となく気持ちは分かる。
「ああ…でもまあ…会いたいって言われて飛んでくなんて可愛いじゃん」
「いや、そーだけど!置いてかれたオレらは悲しいだろ」
オレの言葉に春千夜が本当に悲しそうな顔をした。
「…………これからどーする?」
一虎の問いにオレと春千夜も顔を見合わせる。さて、どうしようかと考えだしたその時、強い北風がオレ達3人を容赦なく痛めつけてきた。
「「「…さぶっ」」」
ぶるりと身体を震わせ、ついでにクシャミまで出て来やがった。彼女持ちの男に振り回された彼女なしのオレ達は、とんだピエロだったということだ。
「……帰るか」
「「……おう」」
春千夜の一言にすぐ頷く。さっきまでどこ走ると盛り上がってた3人とは思えない程、帰りは寂しい空気に包まれていた。この時のオレ達が心の中で切実に思っていたことは、きっと同じだったに違いない。