刹那ロマンス



1.

朝、目が覚めたら知らない女が隣に寝てた。時々そんな失敗談を昔の仲間が話してたりしてたけど、まさかそんな嘘みたいな話が自分に起こるとは、オレも思っていなかった。少し混乱した頭で夕べ何があったのかを考える。昨日はいつも通りに仕事をして自宅マンション近くのコンビニに寄った。そこでいつもの如く夕飯代わりの弁当やビールと言った酒類、軽くツマミも買ったかもしれない。その後、マンションまでの数分の道のりを歩いていたら――。

(あー…そうだ…女がヤンキーに絡まれてて…)

駅からも比較的近いマンション前に大きな公園がある。そこを通り抜けると駅までの近道になるから昼間は意外と人通りは多い。でも夜になると時々昔のオレのような輩が公園内にたむろしてることがあった。そのせいで暗くなる頃には公園内に人気はなくなり、通り抜けようとする人間もめっきり減る。でもオレは当然のように気にすることなく普段から公園を通って近道をしていた。もしガキが絡んで来たらぶっ飛ばせばいいくらいにしか思っていなかった。夕べもコンビニの帰り、その公園を通って帰ろうとした時だ。女の嫌がる声と、いつもたむろしてるガキどものはしゃぐような声が聞こえて来た。

「放して下さい!」
「いーじゃん。一緒に飲もうって言ってるだけだし」
「そーそー。お姉さんも飲み足りねえだろ?」
「いい加減にして…!あなた達、未成年でしょ?お酒なんて飲んじゃダメじゃないっ」
「ぶははは!バカじゃねぇの」
「そんなの気にしてられっかよなー?」

どうやら不良のガキ共もその女も酔っているようだ。互いに声がデカくて会話が丸聞こえだった。面倒だなと思いつつ、オレは無視して通り過ぎようとした。その時、不良の一人が「説教とか生意気な女だなー!」と怒鳴ってその女を突き飛ばすのが見えた。

「きゃ…っ」

大きく体が傾き、女の体が何故かオレの方へ倒れて来るのを見て、咄嗟に彼女の体を後ろから抱き留める形になってしまった。

「え?…」
「大丈夫か?」
「は、はい…ありがとう…御座います…」

女は驚いたようにオレを見上げるとポカンとした顔でお礼を口にした。そこへ不良達が笑いながら歩いて来て、思わず舌打ちが出る。

「おいおい兄ちゃん、余計なことすんじゃねーよ」
「カッコつけたい年頃かぁ?」

不良は3人。どう見ても高校生くらいのガキどもだ。気乗りしないが絡まれた以上、相手をしないと帰してもらえなさそうだ。オレは持っていた袋を女に渡して「持ってて」と言った。女はキョトンとしてたけど、すぐに「は、はい」とそれを受けとる。久しぶりのケンカでも負ける気はしなかったし、実際そこからは数分で事が済んだ。一人ぶっ飛ばすと残りの二人は青い顔をして逃げていったからだ。口ほどにもないガキどもはケンカもまともにしたことのない素人同然で、本気を出すまでもなかった。

(そうだ…その後、女がお礼に奢るから飲みに行こうとか言いだして…)

だんだん記憶が戻って来て、オレは頭を抱えた。最初は断ったものの、女が「助けてもらったのに何もしないのはわたしの気が済みません!」としつこくて、仕方なしの近所の居酒屋で一緒に飲んだ。女は同僚と飲んだ帰りだとかで下地が出来ていたから、やけにノリが良くて、オレもいつの間にかそのペースに流された気がする。久しぶりに女と飲んだこともあって最後はかなりハイペースで…

「…ん…」

隣で気持ち良さそうに眠っていた女が寝返りを打ってドキっとする。そっと顔を覗き込めば、やっぱり夕べ会った女だった。名前は確か…と言ってた。

(でも…何でオレんちで寝てんだっけ…?)

互いに服を着てるのは一目で分かった。だから夕べは何もしてないはず。ただ、どういう流れでオレの家に来たのかが思い出せない。オレが酔っ払ってスケベ心でも出して家に誘ったんだろうか。でも多分かなり酔ってた気がするから、結局は何もしないで寝てしまったパターンかもしれない。

「ん…ぁれ…」

今度こそ女が目を覚ましたのか、小さく欠伸をしながら上半身を起こした。

「ここ…どこ……って、あ…!」

という女はオレの顔を見て酷く驚いた顔をした。まさか覚えてないってことはないだろうな、と心配になったが――騒がれても困る――はオレをマジマジと見て「君、乾…くんだっけ…」と大きな目をぱちくりとさせた。

「ああ…夕べはどーも」
「え、い、いえ、こちらこそ…助けて頂いて…」
「って覚えてんのかよ」
「も、もちろん…そこはちゃんと…っていうか…何でわたし、ここに…」
「知らね。オレも途中から覚えてねーし」
「わ、わたしも…っていうか何でベッドに寝てるの…?」
「さあ?でも別に何もしてねえと思うけど。ちゃんと服も着てんだろ?」

が慌てたように身なりをチェックしてるのを見て、オレは苦笑交じりで言った。

「そ…そう、みたいね…」

オレもきちんと服を着ているのを見て、という女は明らかにホっとしたように息を吐いている。まあ、夕べはあんま意識しなかったけど、こうしてまともに見るとは結構オレのタイプで、少しだけもったいなかったかなとは思う。は自分のバッグをベッドの下で見つけると、中からケータイを出して時間を確認しているようだ。

「え、7時になっちゃう…いけない…用意して仕事行かなくちゃ…!」
「あー…オレも」

この非現実的な状況も、現実に迫っている仕事のことを思い出すとそっちが優先になる。それは彼女も同じだったのか、慌ててベッドから飛び降りた。

「あ、あの…夕べはご迷惑をおかけしました…」
「いや別に…夕べは奢ってもらったし、それでチャラってことで」

オレが言うと、はやっと笑顔を見せた。確かオレより二つ年上って言ってたけど、今の笑顔は少し幼く見える。きっとメイクも取れてスッピンに近いせいかもしれない。

「え、えっとじゃあ…お、お邪魔しました…」
「あーうん。自分ちまでの道のり分かる?近いんだっけ」
「え?」
「ん?」

玄関まで歩いて行くの後をついて行きながら訪ねると、彼女が驚いたように振り向いた。

「覚えてない?夕べも言ったけど…わたしの家、乾くんちの隣だったの」
「……は?」

そこだけすっぽり記憶が抜けていたらしい。彼女の一言で、オレはしばし固まっていた。





2.

「は?マジで?」

オレの話を聞いて、ドラケンが驚いたように顔を上げた。今はバイクの修理中で、床に寝転がっている。その横で使う工具を手渡しながら「マジで」とオレは苦笑した。仕事の合間、何度か欠伸をしてるオレを不審に思ったドラケンが「夜更かしでもしたのかよ」と訊いて来たから、帰りにあった出来事と今朝のことを話してみたのだ。

「そんなことあんの。助けた女が隣人とか」
「オレもビックリしたわ。忘れてたけど、居酒屋から帰る時に家まで送ってくって流れになって、でもついた先がオレのマンションだったからビックリしてたら、何かその流れでオレん家で飲もうってなったらしくてさ」
「へえ…でもヤってねーんだろ?その女、可愛いのかよ」
「あーうん。まあ…かなり可愛かった。渋谷駅近くのメンズ服扱ってるショップで働いてるらしい」
「へえ。いーじゃん。職場も近くて家も隣ってなかなかねえだろ」
「いや、そうだけど…」

シラフになったらは意外としっかりした女だった。会ったばかりの男の家に上がり込んで寝ちまったことは気にしてなかったようだけど、それってオレのことを男として見てないからかもしれない。現に年下だと分かると急にお姉さんぶったような物言いになった。

「夕べは助かったけど…もうケンカしちゃダメだよ」

なんて言われると、ガキ扱いされてるようでムカつく。

「んで?連絡先とか交換したのかよ」
「いや、別に…」
「は?何で。家が隣つっても連絡先は聞いておいた方が何かといいだろ」

ドラケンは苦笑しながら「よし、出来た」と言って体を起こすと、バイクのエンジンをかけて直した箇所を確認している。

「大丈夫みたいだな。んじゃーオレ、先方に連絡して来るわ。イヌピーはもう上がれよ。今日はもうすることねーし」
「おー。じゃあ帰らせてもらうわ」

タオルでオイルのついた手を拭きつつ、繋ぎを脱いでると、ドラケンが不意に意味ありげな顔で振り向いた。

「今日もそのって子を誘って飯でも行けば。イヌピー気になってんだろ?」
「…は?いや、だから連絡先知らねーって」
「でも職場は知ってるんだし迎えに行きゃいいじゃん」
「迎えにって…夕べ知り合ったばっかで?」
「何事も先手必勝だろ。気に入ったんなら押しまくれよ。イヌピーと飲んでたくらいだし男もいねーんじゃね?」
「…さあ?聞いてねえけど」
「いや、そこは聞いとけよ」

ドラケンは笑いながら事務所の中へと入っていく。他人事だと思ってとボヤきつつ、でも足は自然と駅前の方へ向いてるんだからオレもたいがいだなと呆れる。ただ夕べ、彼女と飲んでた時、楽しかったことだけは確かだ。

(連作先か…聞いておきゃ良かったな…)

今はだいぶ落ち着いて来たが二年前までは抗争だ何だとケンカに明け暮れてて、彼女もほったらかしてたから当然フラれた。それから今の生活になるまで色々あって、女に気を向ける余裕がなかったかもしれない。でもそろそろオレも普通の恋愛ってやつを腰を落ち着けてしてみたくなった、気がする。これもと過ごしたせいかもしれない。女と飯食ったり酒を飲んだり、そんな他愛もない時間が意外と楽しいんだってことを思い出させてくれた気がする。信号待ちで立ち止まりながら、ふとそんなことを思う。

「…あ?」

その時だった。反対側の歩道を歩いてるを見つけて、思わず声をかけようとした。ただ隣に男が見えて思わず言葉を飲み込む。は楽しげにその男と話していて、こっちにまで彼女の明るい笑い声が聞こえて来た。

(何だ…男いたのかよ)

思った以上にガッカリしてる自分にも驚いたが、本気になる前に分かって良かったかもしれない。仕方なくオレは踵を翻した。先手を打つ暇すらなかったな、と苦笑しつつ、帰路につく。まさかこの後、あんなことになるとは思いもしなかった。




3.

家についてシャワーに入った後、コンビニで買った夕飯をレンジで温めながらビールを飲んでると、家のインターフォンが鳴った。こんな時間に尋ねて来るような人間に心当たりはない。以前ならココがよく来ていたが、今は互いの道を行こうと決別してからは連絡すら取っていなかった。だからココでもないはずだ。

「誰だ…?勧誘だったらうぜーんだけど…」

ブツブツ言いながらビールを飲み干すと、インターフォンの画面を見る。そこに映る人物を見て、本気で驚いた。

「は…?何で…」

驚きすぎて固まっていると、もう一度インターフォンが鳴った。画面に映る彼女はおかしいなといった顔でドアを見上げている。きっと部屋の電気がついてるのを確認してたんだろう。家にいることはバレてるようだし、軽く深呼吸をしてから「はい」と応答した。

『あ、良かった。やっぱりいたんだ』
「…どうした?忘れ物でもした?」

咄嗟に思いついたのはそんな理由だった。でも彼女は『え、違うよ。ちょっといい?』と言って来る。それはドアを開けろと言うことだと理解して「ちょっと待って」と一度インターフォンを切った。何だろう?が訊ねて来る意味が分からない。彼氏らしき男と一緒に歩いてたのは、つい2時間ほど前だと言うのに何でオレんとこに来るわけ?玄関に向かうまでの短い時間に、そんな言葉がぐるぐると頭を回っていた。

「こんばんは!」
「どーも…」

ドアを開けると、彼女は明るい笑顔でオレを見上げた。今日は一度着替えたのか、夕べの服装よりもカジュアルなキャミソールブラウスにショートパンツ姿だった。何気に露出が多くてドキっとさせられる。マズい。何をドキドキしてんだか。には男がいるってのに。そんなことを考えていると、は手に持っていたタッパーウェアをオレに差し出した。

「え?」
「これ、夕べ約束したでしょ。スコッチエッグ」
「スコッチ…エッグ?」
「ほら、これ」

彼女がタッパーの蓋を開けて中を見せて来る。覗き込むとメンチカツみたいなやつの中にゆでたまごがめりこんでる(!)食いもんが入ってた。それを見た時、ふと夕べの居酒屋での会話を思い出す。

――え、何これ、めちゃくそ美味い!
――これスコッチエッグって言うの。わたしもたまに家で作るんだ。
――マジで?すげーじゃん。今度オレにも食わせろよ。
――え…い、いいけど…。
――じゃあ約束な。

した。確かにそんな約束をさせてしまった。でも夕べの今日で作って来てくれるとは思わない。

「……マジで作ってくれたの」
「え…っと…昨日話してたら作りたくなって…」

ダメだった?と訊かれた時、思わず首を振った。っていうか普通に嬉しかったし、彼女の作ったそれを食べてみたいと思った。

「食っていい?」
「あ、うん。もちろん。はいこれ――」

と、タッパーを差し出す彼女の手を掴むと、オレはそのまま彼女を中へ引き入れた。は驚いたように「え?」とオレを見上げている。

「一緒に食うのはダメ?」
「…え、い、いい…の?」
「いいも何もが作ったやつじゃん」

笑いながらキッチンに行くと、冷蔵庫から缶ビールを出して彼女へ渡した。こうなったらさっき見かけた男のことをハッキリ聞きたくなったのもある。もし本当に彼氏だったなら諦める。でも万が一違うなら――本気で口説いてみようかと思った。

「あ、ありがとう…」

は缶ビールを受けとると、ソファに腰を掛けた。でも少し落ち着かないといった素振りだ。とりあえず乾杯しながら、彼女の作ったスコッチなんたらを口に運ぶ。ハッキリ言ってめちゃくちゃ美味い。

「んま…夕べ食ったのよりすげー美味いわ」
「え、ほんと?良かったー!あの店のは普通の卵なんだけど、わたしはうずらの卵で使ってみたの。一口サイズになるし、乾くんは晩酌するからツマミみたいな物が好きって言ってたでしょ?」
「ああ、うんまあ…」

彼女はオレが言ったことを意外と覚えててくれたようだ。そういう些細なことは結構嬉しいかもしれない。人の話をきちんと聞いてくれる子なんだと思った。オレって何気にそういう女が好きだったりする。前の彼女は同い年だったのもあるが、オレの話より自分の話しかしない女で、あげくオレの話は殆ど聞いてなかった。だから余計がいい女に思える。いや、見た目は文句なしにタイプだった。
隣に座る彼女にこっそり視線を向ければ、ショートパンツから伸びた白い太腿が視界に入る。キャミソールブラウスの胸元は大きく空いてるせいで、少し屈むと谷間がチラチラ見えて心臓に悪い。そもそも彼女も食べ物を渡したらすぐ帰るつもりだったんだろうし、部屋に上げたのは間違いだったか?とも思えて来た。って言うかオレの理性が危ういってだけだけど。

「今朝も思ったけど…乾くんって結構きちんと部屋を片付けてるんだね」
「え?あー…そんな物もねえし散らかしようがないだけ」
「そう?もしかして彼女とかが掃除してたり?」
「いやオレ、今は彼女いねえし」
「そーなんだ」

はふーんと言いながらビールを飲んでいる。でも今の話の流れはチャンスかもと思った。

「そーいやさ。さっき見かけたわ」
「え…?どこで?」
「駅近くの交差点。何か男といたけど彼氏だったり?」

変に思われないよう、一気にそこまで言ってに視線を向けると、彼女はキョトンとした顔でオレを見上げている。その顏は絶妙に可愛い。

「ああ!それ違うよ。さっき一緒にいたのお兄ちゃん」
「…は?兄貴?」

またベタな嘘を、と思ったが、の様子を見てるとそんな感じでもない。

「うん。今日、わたしの店に服を買いに来て。ちょうど上がる時間だったから駅まで見送りに行ったの。え、乾くん、近くにいたなら声かけてくれれば良かったのに」
「いや、オレ、反対側の歩道にいたし……でも何だ、兄貴かよ」

思わず心の中でガッツポーズをしてしまった。っていうか、かなりその気になってる自分に笑う。

「え…彼氏に見えた?」
「まあ…楽しそうに見えたしな」
「そっか…。え、もしかして…コイツ彼氏いんのにオレんち泊ったのかよって軽蔑したりした?」

が一瞬心配そうな顔をするから「しねーよ」と間髪入れず応えてしまった。は少し驚いたようにオレを見ている。ちょっとくらい間を空けた方が良かったか?と思っていると、が突然吹き出した。

「乾くんって優しいんだね」
「え?」
「そうやって気を遣ってくれてるし」
「別に…気を遣ったわけじゃねえよ…」
「そう?でも乾くんってモテるでしょ。優しい上にカッコいいもんね」

はそんなことを言いながら笑っている。どうも年下扱いされてる気がして褒められてる気がしない。

「…別に今は特に出会いもねーしモテてもねーけど」
「そうなの?」
「そっちはどーなんだよ…もモテんだろ?昨日も高校生にナンパされてたもんな」
「あれは酔っ払いにからまれただけだよ。それにわたしも出会いなんかないし、最近は仕事場と家の往復になってる」
「それはオレもだけど」
「何だ、ぼっち仲間がこんな近くに」

楽しそうに笑いながら、は缶ビールをオレの持ってる缶にコツンと当てた。

「お仲間ってことで今後とも宜しくね」
「……おー」

素っ気なく応えたものの、内心はやっぱり嬉しかった。出会いがないって言ったけど、これだって立派な出会いだと思う。ただの隣人から発展するのも何かドラマティックな気がするし、滅多にないチャンスが転がり込んだ。そんな気がした。