アイ・ノウ



1.

 それからははオレの部屋へよく来るようになった。だいたい一週間に一度のペースで何かしら「作りすぎちゃった」と言って手作りの物を持ってきてくれる。

「青宗は放っておくと、すぐコンビニご飯に走るから」

はそう言って姉貴のようなことを言って来る。呼び方も「乾くん」から名前呼びになったから余計に赤音を思い出した。

はオレの姉貴かよ…」

この日もが飯を持ってきたから一緒に飲んでいた。でも「青宗、ちゃんと洗濯物は乾いたらとりこまないとダメだよ」と言い出したから、ついそんな言葉を返すと、彼女は「え、青宗ってお姉さんいるの?」と訊いて来た。

「あー…まあいた、だけどな」
「え?」
「ガキの頃、ウチが火事になってさ。姉貴はそん時の火傷が原因で死んだ。オレの顔の傷もそん時の」
「…そう」

は少し落ち込んだような表情で目を伏せた。そんな顔をされるとは思わなくて「んな顔すんなよ」と苦笑いを零す。

「別に昔の話だし」
「え?あ…うん…そっか」

そう言いながらも「洗濯物、とりこんじゃうね」とベランダに干したままの服を手際よく外して、綺麗に畳みだす。そんなことをされるとマジで姉貴みたいで、オレの中では少々モヤモヤしてきた。彼女からは手のかかる弟くらいにしか思われてないかも、という焦りも出て来る。

は来るたび毎回手作りの物を持参して、何だかんだ一緒に食ったり、酒も飲んだりしていくけど、決まって0時前になると自分の部屋へ帰って行く。二人でいても会話は他愛もない職場での出来事だったり、さっきみたいな説教だったりして特に甘い空気になるわけでもなく。今のオレ達の関係性につける名前が見当たらない。がオレのことをマジで弟みたいに思ってるのかは分からない。けれど、オレは彼女との関係がこんな風に緩やかに続いてくれればいいとすら思うようになっていた。彼女と深い関係になりたいと思ったりもするが、今の関係が崩れるくらいなら、このままでもいいとさえ思う。

「そう思うってことはイヌピー、やっぱその子に惚れたんじゃねーの」

この前ドラケンに自分の気持ちを吐露したら、あっさり言われてビビった。あまり自覚はなかったけど、こんな風に関係を崩したくないって思ってるオレは、に本気で惹かれ始めてるってことか。そう自覚してからも、彼女と会う度に想いは増していく気がした。
今日はが持ってきてくれたシャンパンで乾杯をした。何でもはこういった割らない酒が好きみたいで、普段はビールだけど休みの前日には度数の高いお酒を飲むのが彼女の息抜きらしい。

「リーマンのオッサンかよ」
「オッサンって青宗、口悪いなあ。仕方ないでしょー?わたしの業種は個人のシフトで休み決められちゃうから平日とかも多いし、週末休みの友達ばかりでなかなか時間合わないんだもん。だからおひとり様に慣れちゃったし、休みの前の楽しみと言えば好きなお酒こうして飲むくらいになっちゃったの!」
「ふーん。そうなんだ」
「だから隣人のお友達できて嬉しい」

はそんなことを言いながらオレの腕に自分の腕を絡めてくる。もうすでにほろ酔いみたいで、彼女は酔うと少し甘えん坊になるとこがあった。オレとしては意識しないよう気を付けてるのに、はそんなものお構いなしだから困る。

「くっつくなよ…」
「もーいいじゃん。ちょっとくらい。青宗のケチ」
「いや、別にケチで言ってるわけじゃねーよ」

明日は偶然オレも仕事が休みだったから時間を気にすることなく酒を飲んでいる。シャンパンなんて普段飲み慣れていないせいか、酔いが回るのも早くて頭がふわふわと心地がいい。そんな時にくっつかれると正直、理性を保てる気がしなかった。しかも今日は真夏日で、夜になっても温度が下がらない熱帯夜。当然のようには薄着だった。ノーススリーブTシャツのワンピ―スって何気にエロい。売ってるとこを見ても全然そんな感じはしないのに、こうして着ている姿を見て初めて思った。膝上で短い上に身体のラインが分かるくらいピッタリとしているせいだ。

「だって人肌って気持ちいいじゃない。青宗にくっつくと安心する」
「…ハァ?オマエ、暑いの嫌いっつってなかった?っていうか…オレはの弟じゃねえから安心されても困んだけど」

の肩を掴んで無理やり引き離す。これ以上、くっついていられると意識がそっちに集中して理性が飛びそうになるからだ。なのに彼女はちっとも男のそういう性を分かっていない。

「もー青宗すーぐ怒る。怒りんぼー」
「チッ…がいちいち甘えるからだろ…?オレはオマエの彼氏でもねえ」

そう、こんな状況、付き合ってる関係ならきっと楽しいし幸せな時間になるんだろう。でもオレ達はただの隣人で、友達枠に格上げされたばかりの関係だ。ここから男女の関係になれんのかどうかすらの態度を見てたら微妙で。結局オレは彼女にしてみれば年下の安牌あんぱいな男なんじゃねえかなって思ってしまう。なら男と意識してもらえるように押し倒すなりなんなりしてみればいいのか?とも思うが、そんなことをしてに嫌われたくないって思う情けないオレもいるから厄介だ。
悶々としながらウダウダそんなことを考えていると、は一瞬、悲しげな顔でオレを見て目を伏せた。何か言いたそうなその表情が気になって「何だよ…」と彼女の顔を覗き込む。そこでハッと息を飲んだ。

「な…何で泣いてんだよ…」

は瞳に涙をためて唇をかみしめると、ぷいっと顔を反らす。これまで彼女と何度も酒を飲んだけど泣き上戸ってわけじゃなかったはずだ。なのに何で今、こんなにも悲しそうな顔してんだ?

「おい…何とか言えよ」

無言のまま鼻をすするの肩に手をかけると、彼女は「やっぱり忘れてるんだ」と呟いた。その言葉の意味が理解できず、「何を」と尋ねた。

「オレが何を忘れてるって…?」
「最初に…青宗と会った日…わたしをここまで送ってくれた時のことだよ…」

会った日に送って来た時?と聞いて思い出したのは、そこだけ記憶が全くないってことだった。彼女を送ったら同じマンションの、しかも隣人だったと聞いたのは彼女からで、何故その後にオレの部屋で飲むことになったのかも覚えていない。

「どーいう意味。オレが何か…」
「キス、したくせに」
「…は?」
「わたしにキス、したでしょ?それも覚えてないんだよね」

まさに寝耳に水。はスネたようにオレを睨んでいて、今の言葉に嘘はないように見える。っていうか何でそんな大事なことを忘れてんだ、オレは。

「マジで…言ってる?」
「ほら、やっぱり忘れてる!」

恐る恐る確認すると、今度はハッキリと不満そうな顔でオレを睨んで来る。でもさすがにキスまでしたら忘れるはずが…と思った瞬間、頭にある光景がフラッシュバックした。

――オマエ、フラフラしてんじゃん。大丈夫かよ。
――大丈夫~!あ、ビール持ってきてあげる!
――バカ、いいって、急に立つな――あっぶな!
――いったぁ…
――大丈夫かよ?
――頭おもいっきし打ったぁ…
――だから言わんこっちゃねぇ…

そうだ。思い出した。がオレの隣に住んでるってことが分かって、凄い偶然だと騒いだ後、飲み足りないと言ってたが「わたしの家、お酒置いてないから青宗んちで飲もう!」と言い出した。まあその場のノリでオレもOKして、結果彼女を家に招いてまたビールを飲みだしたんだった。散々ビールから始まって焼酎サワーとか飲んだ後、最後はまたビールに戻って飲み始めたら、思った以上に酔いが回って…そこから記憶が曖昧になった。でもハッキリしてんのはフラついたがひっくり返りそうになったのを助けようと手を伸ばして間に合わなかったこと。その時、押し倒したような体勢になって、それで――。

「思い、出した?」

は伺うようにオレを上目遣いで見上げて来る。少し不安そうな顔で、オレの返事を待っている。

「…キス、したのは思い出した」
「したのは…?じゃあ…他のことは?」
「……わりぃ。ところどころ抜けてるかも」

あの時、ひっくり返ったに覆いかぶさるような体勢になって至近距離で目が合ったのをいいことに、オレは酔いに任せてスケベ心を出した。ついキスをしようとして唇を近づけたと思う。けどに「彼氏でもない人とはチューしない」と顔を背けられた…とこまでは思い出した。でもじゃあ何でキスした光景が浮かんだんだろう。無理やりしちまったのか?と一瞬焦った。

「もー…肝心なとこ覚えてない…」
「肝心な…とこ?」
「そうだよ…青宗が言ったんじゃない。なら"彼氏にして"って…」
「…は?オレが?」
「……酷い。付き合おうって言ったのもやっぱり遊びだったんだ…」

オレの反応を見たの瞳にまたしても涙が浮かぶのを見てギョっとした。付き合おうって言ったのは正直マジで覚えてない。でもいくら会ったばかりの女でも、遊んでやろうとかは思ってないはずだ。

「い、いや、ちょっと待て!別にオレは遊びとかは思ってねえって!」
「覚えてないくせにっ」
「ぐ…そ、そりゃそうなんだけど、でもオレは遊びで女にそんなこと言わねえよ!」

だいたい彼女に手を出そうとしたなら、それはオレが少なからずに気があったってことで、これまで全くそんな気持ちがない女にその気になったことはない。だから、もしオレがの彼氏にしてって言ったなら、それは本当にそう思ったからだ。っていうか現に記憶がなくてもオレはとそう言う関係になりたくて、この曖昧な関係を続けてるんだから。

「つーかさ…キスしたってことは…がOKしてくれたってこと?」
「……」

ふと気になって尋ねると、は真っ赤になりながら頷いた。

(え、ということは、オレ達はすでに両想いだったってことか?それが事実なら間抜けすぎるんだが?)

いや、でも腑に落ちないことがある。

「じゃあ…何で今まで"ぼっち仲間"だとか"友達"だとか言ってきたんだよ。ってかがオレと付き合うことOKしたなら、次の日にそれ言うのおかしくねえ?」

そう、は次の日、約束したっていうスコッチエッグなる物を作って来た。その時にも散々友達って言葉を言われた気がする。オレに記憶がなくてもは覚えてて付き合ってるって思ってたなら、そんな言葉を言うのはおかしい。
オレの疑問をぶつけると、はまたしても不満げに目を細めて顔をそむけた。

「だって…青宗、全然覚えてない感じだったし」
「だったら言えばいーじゃん」
「言えるワケないでしょ?覚えてなさそうな人にわたしとあなたは付き合うことになったんだよって言える?会ったその日のことだし、もしかしたらあの場のノリで言ったのかなって不安もあったから、色々そういうワードを口にして確認してたの!」
「確認…?」
「もし覚えてたら、わたしが友達って言えば違うだろって言ってくれると思って…でも青宗、全然言ってくれないし、むしろ友達って言葉受け入れてるから、ああ覚えてないんだって気づいて…」

はそこまで言うと再びシュンと落ち込んだように俯いてしまった。聞いたこと全て頭の中で整理すると、今度は不思議に思ってたの行動の意味が少しずつ分かって来て改めて驚いた。しょっちゅう飯を作ってくれるのも、家に来ては何だかんだ言いながら掃除してくれたりしたのも、酔うと必ず甘えてくるのも、全部彼女なりの愛情表現だったのかもしれない。オレはマジで大バカ野郎だ。

「わりぃ……何か…傷つけたよな、オレ…」
「…知らない。青宗のバカ」
「いや、バカって…バカだけど…」

未だに拗ねてるに困り果てて頭を掻くと、彼女は寂しそうな顔で俯いてしまった。

「わたしは…青宗よりも年上だし…やっぱりそういうのも気になってわたしからなんて言いにくいに決まってるじゃない…青宗が本気かどうかも分からないのに…」
「ごめん…でも歳なんか関係ねえし…オレはがいいなって思ったからそんなこと言ったんだと思うし、そこに絶対嘘はねえよ」
「…ほんと?」
「ああ」

オレが頷くとはやっと笑顔を見せてくれた。彼女の明るい笑顔はやっぱり好きだなと思う。

「じゃあ…正式につき合うってことでいい?」
「…う、うん…」

スタートは間違えたけど、結局お互い会った時から惹かれてたらしい。遠回りした分、今は素直になれる気がした。

「きょ、今日のことは忘れないでね…」
「は?忘れねえよ…。まあ…ぶっちゃけ今日も結構酔ってるけど」
「え…もう!やっぱり青宗って意地悪…」

シャンパンを飲みながら笑えば、はすぐにふくれっ面になる。ほんとに年上かよって苦笑いしながら彼女の腕を引き寄せると、途端に頬を赤く染めるところが可愛い。

「もう遠慮しねえけど…いいの」
「……う、うん。え…?今まで遠慮してたんだ」
「そりゃ…強引なことしてに嫌われたくねーし」

何、恥ずいこと言わせんだと顔を反らせば、腕の中で彼女が笑った。

「何だよ…」
「…だって…青宗、可愛いなあって思って」
「あ?ガキ扱いすんじゃねーよ」

言いながら噛みつくようにの唇を塞ぐ。腰を抱き寄せて更に密着した体が、かすかに震えたのが分かった。何度も啄んで唇を愛撫しながら舌を絡ませる。今日まで我慢した分の欲望を全部ぶつけるようなキスを交わし、をその場に押し倒した。

「…オレが可愛いかどうか…確かめてみる?」

呼吸を乱しながら両目を潤ませている彼女が可愛くて意地悪な笑みを浮かべた。返事の代わりに彼女の両腕がオレの背中にまわる。

「…確かめたい」

そんな挑発ともとれる台詞を言って、彼女はいつだってオレを煽る天才だ。もう一度キスをしようと唇を寄せれば、「好き…」という可愛い告白がオレの耳を掠めた。