Ran Haitani




煌びやかなネオンが彩るこの街には、もう二度と来ないだろうと思っていたはずのに――。

お互い、それなりに変わっていたはずだった。髪型も、好んで身に着けていた服に、靴、時計、アクセサリー。その上から纏う香りでさえ。
なのにどうして――気づいちゃうんだろう。

…?」

クリスマス間近、青と白のイルミネーションが飾られた六本木の街中で、人目を引くような華やかな男とすれ違った瞬間、そう声をかけられて息を飲んだ。人は古い記憶から知ってるものを無意識に探そうとすると聞いたことがある。最初は声、耳が覚えてる。でも一番懐かしいと感じたのはサンローランのMYSLF。そのラストノート。昔、どうしようもないほど好きだった人が、つけていた香りだ。
MYSLFは「ルールに縛られず、ありのままの自分らしさを表現する人に捧げる」というコンセプトで作られた香水だと、彼が教えてくれたのを思い出した。

「…蘭ちゃん?」

その名を口にすることも二度とないと思っていたのに、何年経っていようと、自然な口調で彼の名を呼んだ自分に驚く。
少しはこういう再会を考えなかったわけじゃない。でもドラマや映画のように、そんな都合のいいことは起きないし、現実はそんなに甘くはない。そう、思ってた。

「オマエ…こっち戻って来てたのかよ」

立ち止まって振り向いたわたしを見て、蘭ちゃんの第一声がそれだった。でもわたしは「三つ編み…じゃない」と間の抜けた一言を発してしまった。そのせいで相変わらず綺麗な蘭ちゃんの顔がひくりと引きつった。

「八年ぶりに会った第一声がオレの髪の話か…」
「だ、だって…」

人のイメージとは怖いもので、出会った頃に衝撃を受けた蘭ちゃんの変わったヘアスタイルは、強烈なインパクトを持ってわたしの脳内にしがみついていたらしい。
当時、三つ編みと言えば女の子のヘアスタイルだという思い込みがあったわたしは、男の子が髪を伸ばして、まして三つ編みにするという発想はなかった。ロン毛まではまだ理解できる。国民的アイドルがロン毛ブームを巻き起こしたりして、比較的髪の長い男の子がそこら中に転がってたからだ。でも未だかつて三つ編みをしてる男の子に会ったことはなかった。しかも不思議なくらい似合ってるし、その頃「蘭ちゃん、その髪型で生まれてきたんじゃない?」って言ってしまうくらい自然だった。ついでにその後、デコピンされたことまで思い出す。
蘭ちゃんと言えば三つ編み。三つ編みと言えば蘭ちゃんという具合に、わたしの中にある蘭ちゃんのイメージは三つ編みヘアというのが鉄板だった。だからこんな突然のドラマみたいな再会の時でも、すっきりと短くなってしまった髪型に凄く驚いたんだと思う。通りですれ違っても気づかなかったはずだ。
しばし歩道を行きかう人の群れの中で、蘭ちゃんと見つめ合う。想像よりも全然ロマンティックじゃない再会ではあったけど、この後の正しい台詞が見つからなかった。
その時「蘭さん!」という声と共に、横づけされたピカピカのベンツの窓から、見るからにヤバそうな男が顔を出した。どうやら蘭ちゃんの今のオトモダチ・・・・・らしい。

「遅くなってすみません!道が混んでて」

彼は蘭ちゃんを迎えに来たのか、運転席から慌てて降りてくると、後部座席をサっと開けている。それを見てわたしは本日二度目の驚愕をした。不良だった元カレが運転手付きというセレブになっていたからだ。まあ、当時から蘭ちゃんは不良なのにセレブ感満載ではあったけど。

「あー…わりぃ。行かなきゃなんねーわ」
「う、うん。じゃあ…」

またね、と言いそうになってやめた。わたしと蘭ちゃんに「また」はないのだ。今だってただ偶然、すれ違ってしまっただけに過ぎない。でもわたしが踵を翻して歩き出そうとした時、ガシっと腕を掴まれた。その手の強さにドキっとさせられることすら、懐かし過ぎて涙が出そうだ。

「オマエ…どこ行くつもりだったんだよ」
「え…えっと…用事で近くに来たから懐かしくて適当にフラっとしてたというか…」
「じゃあ時間あるんだな?」
「…うん、まあ」

何で?と聞くより先に、蘭ちゃんはスーツの――蘭ちゃんがスーツってそこも驚く!――内ポケットから一枚の名刺を取り出してわたしの手に握らせた。

「この店で待ってろ。オレの名前とこの名刺を見せれば入れてもらえるから」
「え?」
「二時間…いや、一時間くらいでオレも行くし」

蘭ちゃんは「分かったな?絶対待っとけよ」と何度も念を押しながら、強面のお兄さんが運転するベンツで走り去ってしまった。何とも慌ただしく消えたから、今のは夢なんじゃないかと思った。この街に来てちょうど思い出していたから蘭ちゃんの幻をみたんじゃないかって。けど手の中には黒い名刺がしっかり握られていて、見れば何かの店の名が刻まれていた。

「…lounge…"last note"?何の店だろ…えっと…OWNER:Ran Haitani…って、え?オーナー?」

真っ黒な紙にパープルゴールドの文字でそれだけ書かれている。裏をひっくり返すと住所と電話番号が載っていた。場所は今いるところから徒歩数分のビルにあるらしい。

「え…待ってろって…本気?」

ポカンとした顔で、車が走り去った方向を見る。部下らしい人が迎えに来たところを見ると、行かなきゃいけない仕事があったのかもしれない。でも…。

――二時間…いや一時間くらいでオレも行くし。

あの様子だと本当に戻ってくる気でいるんだろう。何とも蘭ちゃんらしい言動だ。その辺はあまり昔と変わってないなと思った。

「八年…か…」

いつの間にか、そんなに経ってたんだなと一瞬切なさがこみ上げた。
蘭ちゃんと一緒にいた頃を思い出すと、今でも胸の奥が締め付けられる。蘭ちゃんと別れた後も何度か恋をしたけれど、あんなに心をすり減らした恋は蘭ちゃんだけだった。だからこそ、余計に忘れられないのかもしれない。
蘭ちゃんとは17際の頃に知り合った。学校が休みで友達とカラオケに行った帰り道。すっかり遅くなってしまったわたしはとにかく家路を急いでいた。だからいつもは気を付けてる背後を、その時はあまり気にかけてなくて。駅から後をつけてきた男に突然背後から抱き着かれたのだ。口を塞がれ、暗い路地に連れ込まれそうになって凄く驚いた。ああいう時、人は叫んで助けを呼べる人と呼べない人に分かれる、なんて聞くけど、わたしは幸いにも前者だった。殺されるかもしれないという恐怖より、まず驚いたことで大きな声が出た。

――わぁぁぁっ!

よく「きゃーっ」という悲鳴が聞こえたという目撃者の話なんかがニュースで流れることがあるけど、ちょっと疑わしい。怖くて叫ぶにしても人は本気で叫ぶと、まさに「わぁぁ!」っという声が出るものなんだと実感したからだ。きゃーの「き」の字も口から出やしなかった。
そしてその声を聞いて駆けつけてくれたのが二人の男の子だった。

――大丈夫かよ?

痴漢を撃退してくれた三つ編みの子が男の子だと知った時の衝撃はさっき言った通りだ。
とにかく、その時わたしを助けてくれたのが、蘭ちゃんと、彼の弟の竜胆くんで。二人はホっとした瞬間、立てなくなったわたしを家まで送ってくれた。
それから一カ月後、わたしは蘭ちゃんの彼女になった。
思えばあれが運命の出逢いだと思い込んでしまったキッカケになった気がする。吊り橋効果みたいなものだったのかもしれない。だけど、蘭ちゃんはそんな効果なんかなくても魅力的な男の子だった。
そんな蘭ちゃんの周りはいつも華やかで、男でも女でも蘭ちゃんはいつも誰かに囲まれてるような人だったと思う。
だからなのか、わたしはいつも寂しい思いをしていた気がする。
デートをしてたってそれは同じで、誰かからの電話で呼び出されれば、蘭ちゃんはわたしを置いて出かけてしまう。仲間とわたし、どっちが大事?なんて痛いことは言いたくなかったし、ギリギリで我慢して言わなかったけど、いつも心の中じゃその言葉が渦を巻いていたっけ。

――寂しい。会いたい。

今思えば、照れて身悶えする若気の至りのような台詞を飽きもせず蘭ちゃんに言っていた気がする。
でも蘭ちゃんはいっつもチームに夢中で、誰かとケンカばかりしていた。蘭ちゃんが帰って来るまでマンションの前で待っていたり、帰って来たら来たで、顔見るなり泣き出してしまったり。あの頃のわたしにとって、世界の中心が蘭ちゃんだった。朝も夜も蘭ちゃんでわたしの時間は回っていた。何かにとり憑かれていたとしか思えない。幼かったと言えばもちろんそうだけど、きっと初めて本気で好きになった人だから失うのが怖くて、いつも不安で、そばにいてくれないことが寂しくて、色んなことが重なり心のバランスを崩してたような気もする。苦しくて、蘭ちゃんを責めるようになった自分が嫌でたまらなくて。このままじゃ本当に心が壊れると思った。
だから――わたしから別れを切り出した。
あれはハタチになった夏の終わり。ホームステイ制度で留学することが決まったのを理由に、蘭ちゃんにさよならを言った。不安定だったわたしを知っていたからか、蘭ちゃんは「分かった」としか言わなくて。それに少しの寂しさを覚えたけど、もう蘭ちゃんのそばにいる気力は、あの時のわたしには残っていなかったから、これでいいんだと言い聞かせて日本を後にした。

最初は半年の予定だったホームステイを終えて帰国しても、大学を卒業後、わたしはすぐに渡米した。半年じゃ心は元気になんかならなくて、日本にいるのは凄く息苦しかったからだ。出国する少し前、弟の竜胆くんに偶然会ってチラッとその話をした気がする。だからさっき蘭ちゃんはわたしが日本にいることを驚いたんだろう。
帰国したのは先週だ。アメリカで知り合った人と結婚が決まって、その報告に戻って来ただけ。なのに、まさか蘭ちゃんに会ってしまうなんて、運命の悪戯としか言いようがない。

「ここ…かな」

散々迷った結果、言われた店の前にわたしは立っていた。あのまま帰ることも出来たのに、実際帰ろうと駅に向かって歩き出したはずなのに、蘭ちゃんが待ってろって言った時の真剣な顔がチラついて、つい踵を翻してしまったわたしは、どうしようもなく愚かだと思う。
蘭ちゃんが店に行ってわたしがいないと知った時、どう思うんだろうと考えたら、帰るに帰れなくなった。今更でも蘭ちゃんに失望されたくなかったのかもしれない。
ただ、その店はわたしみたいなパンピーがおいそれと足を踏み入れていいものなのかと怯むくらい、高級感ある門構えで、わたしはさっきから店の前を何度となく行ったり来たりしていた。

(蘭ちゃん、ほんとにこの店のオーナーなの…?)

会員制って書いてるのだから、それ以外の客はお断りなんだろうし、どうしよう。蘭ちゃんはオレの名前を出せば入れてくれるって言ってたけど、どう考えても入りにくい。名刺を見ても蘭ちゃんのケータイ番号らしきものはなく、店の番号しか載っていない。

(どうしよう…やっぱり帰る?店の人に言伝を頼むとか…)

と、そこまで考えて苦笑が漏れた。言伝もなにも、何を言う気だと。このまま帰ったところで、もう二度と会うことはないのだ。わたしは来週またアメリカに帰って結婚するんだから――。

「…!」
「……っ?」

一瞬、本当に帰ろうかと思った時だった。店の少し手前でさっきの黒い車が止まって、後部座席から蘭ちゃんが飛び出してくるのが見えた。

「蘭ちゃん…」
「オマエ…こんなとこで何してんのー?」

呆れたように言いながら蘭ちゃんが目の前まで歩いてくる。そばまで来た時、昔のように蘭ちゃんを見上げると、あの頃のわたしが好きでたまらなかった淡いアメジストと目が合う。その瞬間、一気に昔の自分とリンクして軽い眩暈を感じた。

「店に電話したら来てねえっつーし、慌てて戻って来たわ…」

蘭ちゃんは苦笑交じりで髪を掻き上げると、不意にわたしの手を握った。

「来いよ」

八年という年月はまるで意味をなさなかったように、わたしは蘭ちゃんに言われるがままついて行った。わたしが散々入るのを躊躇した店の重厚なドアを、蘭ちゃんは慣れた手つきで開けて、中へと入って行く。黒服の人に出迎えられ、あっという間に個室へと連れて行かれた。

「何飲む?」

わたしをフカフカのソファに座らせ、蘭ちゃんも隣に腰を下ろすと、アルコールのメニューを見せてくれた。

「ここって…」
「あー会員制のラウンジ。酒飲んだり、シガー吸ったり、主にお偉方の密会場所になってんだよ」
「凄いね…蘭ちゃん。不良だったのにこんな素敵なお店のオーナーになってるなんて」
「不良は余計だろ」

蘭ちゃんは軽く吹き出した後、美味しいワインをご馳走してくれた。これまで飲んだこともない高級ワインだった。

「いつ日本に帰ってきたん?」
「…先週かな」
「そっか…。で?帰国したのは日本に戻って来たってことかよ」

蘭ちゃんはシガーに火をつけながら訊いてきた。そんなの吸うようになったんだとボーっとしながらライターの火が揺れるのを見ていた。

?」
「え?あ…ううん…用が終わればまたアメリカに帰るよ」
「用って?」
「………」

結婚のことを蘭ちゃんに言うのは躊躇われた。でも蘭ちゃんはふとわたしの左手薬指に光っている指輪に気づいて、かすかに眉を寄せた。

「…へえ、結婚すんのか」
「………うん」

しまった、と思った。ここに来た時点で外しておけば良かったと咄嗟に思う。同時に、そんなことを考えるなんて婚約者に対して酷い裏切り行為だという自覚はある。
だけど、蘭ちゃんにだけは知られたくなかった。

「…どんな奴?」
「…どんなって…普通の人だよ」
「まさかアメリカ人とかいう?」
「ううん、日本人」
「へえ」

あまり興味はなさそうに蘭ちゃんは相槌を打ちながら、ワインを口へ運んでいる。この瞬間、どう思われてるのか考えると、変に胸の奥がドキドキした。

「ら、蘭ちゃんは?彼女とか…」
「あー…まあ…今はいねえよ」
「そ、そっか…」

今は、ということは、その前は彼女がいたんだと思うと、やけに気持ちが沈んだ。自分のことは棚に上げてバカみたいだと思う。
でもわたし以外の子が、蘭ちゃんの彼女と呼ばれてることを想像しただけで、過去のわたしが傷ついていることだけは確かだ。傷つく権利なんてわたしにはないのに。
わたしと別れた後、蘭ちゃんはいったいどんな子と付き合ってきたんだろう。

「蘭ちゃんは…結婚しないの…?」

自分で自分の首を締めるような質問をしてしまったのは、わたし自身、今の蘭ちゃんのことが気になったからだ。わたしと付き合ってた頃、ふざけて「オレの嫁になるのはしかいねえよ」って言ってくれたのを思い出した。あの時はどんなに嬉しかったか。例え冗談だったとしても、わたしもそうなりたいと本気で願った。
蘭ちゃんはわたしの問いに苦笑いを浮かべると「オレが結婚するような男に見える?」と言った。そして今はある組織の為に働いてるから、決まった女を作らない、とも。
組織、と聞いて驚いたけど、あの頃も蘭ちゃんは危ないことばかりしてたから、それはそれで何故か納得してしまった。
そして一人に決めないという言葉に、少しの嬉しさを感じてしまうのと同時に、わたしがこれまで付き合った人といつも最後の最後でダメになるのは、きっと蘭ちゃんのことをいつまでも引きずってたからなんだと、今頃になって気づいた。
その時、不意にグラスへ伸ばした手を握られて鼓動が大きく跳ねた。驚いて顔を向けると、そこには大人になった蘭ちゃんがいる。八年も経ってると言うのに、蘭ちゃんは相変わらず綺麗でカッコ良くて、これじゃ世の女性は放っておかないだろうなと変なことを考える。
強く握られた手が熱い。

「蘭ちゃん…?」
「なあ…オレ達、やり直さねえ?」

思わぬ言葉に小さく息を飲んだ。

「じょ、冗談…だよね」
「あ?マジだっつーの。つーか…ずっと後悔してた。オマエのこと。色んなこと」
「…後悔…?」

あの蘭ちゃんが?と驚いていると「驚きすぎだろ」と額をつつかれた。

「あの頃はさ…とにかくオレもガキで何にも分かってなかったし…に寂しい思いをさせてるって分かってたのに、何故かオマエだけはオレから離れて行くわけないって頑なに信じて疑わなかった。きっとオマエの想いに甘えてたんだろうな」

バカだろ?と言って蘭ちゃんは少し寂しそうに笑った。

「だから…から別れようって言われた時、なーんか気が抜けてさー…。そこまで傷つけてたんだって思ったら、別れたくないって言えなかった。言う権利もねえと思ったし、あとは…下らねえ男のプライドとか、そういう色んなもんごちゃまぜで、まともに考えることも放棄してたっつーか…」

蘭ちゃんはワイングラスをゆったりと揺らしながら、自嘲気味に笑っている。でもわたしは今の告白に酷く驚いて、かすかに握られている手が震えてしまった。

「でもさーこれでもオレはのこと凄く好きだったんだよなー…今更言っても遅いのかもしんねーけど…オマエと別れてから、どんな女と付き合っても長続きしなかったわ」
「蘭ちゃん…」
「だからさっき…オマエと再会できた時…今しかねえって思った。八年も経ってるし…オレの知らない時間をが過ごしてきたのも分かる。でも…オレはやっぱりじゃないとダメかも…」

最後は独り言のように言った蘭ちゃんを見て、喉の奥がツーンと痛くなった。
蘭ちゃんとやり直す。そんなの無理だと頭では分かってる。なのにハッキリ無理だと言えなかった。きっと、わたしも同じだから。
どんな人と付き合って、好きだと言われて、蘭ちゃんより大事にしてくれても、結局、わたしは蘭ちゃんが好きなんだ。でも、もうあの頃の自分に戻りたくない。蘭ちゃんのことで、またわたしはわたしを壊していくかもしれないと思うと、本気で怖い。

「…ごめん。結婚は…やめられない」

胸が焼けるように痛い。心が引き裂かれそうなほどに軋む。何か答えを間違えたような、重苦しい泥濘にハマっていくような感覚だ。
蘭ちゃんは「…そっか」とひとこと言っただけで、黙ってワインを飲んでいる。その横顔を見ていたら、もしかしたら蘭ちゃんはわたしの答えを知ってて言ったのかもしれないと感じた。
あの頃言えなかった自分の気持ちを、今のわたしに伝えようとしてた気がする。

「オレのこと二度も振った女はだけだわ」

重苦しい空気を払うように、蘭ちゃんが苦笑した。その顏を見ていたらたまらなくなって、気づけば両腕を蘭ちゃんの首へ回して抱き着いていた。

「…ごめん、蘭ちゃん」
「……謝るなよ。オレがクソだせえじゃん」
「違うの」
「あ?」

少し身を引いて、至近距離で蘭ちゃんの瞳を見つめると、胸の奥が疼いて仕方ない。

「わたし…嘘ついた」
「…嘘?」

蘭ちゃんが怪訝そうに眉を寄せるのを見て、わたしは応える代わりに、そのくちびるへ自分のくちびるを寄せた。軽く触れあわせると、蘭ちゃんは驚いたように綺麗な虹彩を見開いて、でもすぐにわたしの背中へ腕を回した。わたしから仕掛けたはずなのに、いつの間にか蘭ちゃんからキスを返されている。吐息が、くちびるが、深く交わるくらいに何度も、何度も角度を変えて触れあうキスに、わたし達は夢中だった。八年分の空白を埋めるよう、わたしと蘭ちゃんは縫うようなキスを交わした。

「せっかく諦めてやろうと思ったのに…煽ってんじゃねえよ」
「…うん…ごめん…」

くちびるを離した後、わたしを強く抱きしめながら、蘭ちゃんが呟いた。

「…こうなったら…アメリカ帰す気ねえけどいいのかよ」
「…うん…」
「ひでぇ女」
「ほんとだね」

軽く苦笑したら笑ってんじゃねーよ、と言いながら、蘭ちゃんもかすかに笑ったようだった。

「オレのとこに来たら…もうがどこへも行かないように首輪つけて部屋から一歩も出さねえかもよ?」
「蘭ちゃんも相当ひどい男だよ」
「そりゃ反社だしなー」
「…確かに」

また蘭ちゃんが笑うから、わたしも笑った。まるで昔に戻ったみたいに、何もかも上手くいってた頃のわたし達みたいに。

「蘭ちゃん…」
「…ん?」
「…好きだよ。ずっと忘れたことなんてなかった」

心の奥深くに封印した想いを解き放つように口にする。蘭ちゃんは少し黙ったあと「…」と耳元でわたしの名を呼んだ。

「…約束通り…オレの嫁になる?」

鼓膜を揺らした甘いプロポーズに、今度こそ涙が溢れてきた。あの頃は若さゆえに蘭ちゃんへの大きな気持ちを持て余してしまったけど、今ならきっと受け止められる気がしていた。

「…蘭ちゃんのお嫁さんにして」

そう応えてから蘭ちゃんの首にギュッと抱き着く。その時、懐かしいラストノートの香りがして。今度こそウッドとアンバーグリスが幸せな記憶として刻まれた。


last note


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