Answer


今年の正月も恒例になってる灰谷家へ、新年の挨拶がてら母の作ったおせちを持って顔を出した。合鍵を使いエントランスを抜けて、エレベーターでひたすら上へ上へと上がっていく。そして再び合鍵で玄関の鍵を開けて中へ入ると、案の定、室内はアルコールの匂いが充満していた。徐に顔をしかめて鼻をつまみつつリビングに向かうと、想像通りの凄惨な光景が広がっていて溜息が漏れる。わたしの幼馴染は飽きもせず、今年も仲間という素行の悪い連中と新年を迎えたのか、いたるところに酒瓶が転がっていた。幸いなのはその不良たちがすでに帰宅してたってことくらいだ。まあ、もう夕方なんだから当然と言えば当然だけど、この家の主ふたりは未だに夢の中なんだろうな。

「ったく…毎年毎年、よく飽きないで大晦日からどんちゃん騒ぎ出来るなあ…」

ブツブツ言いながら散らかったリビングを片付けていく。別にわたしが掃除する義理はない。けど、これもまた恒例になりつつある。でも今年は少し違っていて、ソファには毛布をかぶって寝てる人物が一人いた。誰もいないと思っていたわたしはギョっとしたものの、恐る恐る毛布をはいでみようと手を伸ばした時、その人物が両腕を伸ばして起き上がった。

「ふあぁぁ……って、だ、誰?」
「いや、それこっちの台詞です。あなた、誰?」

起き上がったのは派手な髪色をしたお姉さんで、彼女はわたしを見て心底驚いた顔をしている。聞けば彼女は蘭ちゃんの知り合いらしく、彼女だと言った。と言っても夕べの飲み会中、一瞬だけ付き合ったものの、その後に些細なことでケンカをして、速攻で別れることになったと説明された。ただ酒を飲みすぎたのか、蘭ちゃん達が部屋に戻った後、酔っ払ってそのまま寝入ってしまったようだ。

「ったく…冗談じゃないわ。アイツ、顔はいいけどデリカシーゼロ」
「ははは。そこは同感です。別れて正解」

プリプリしながらお姉さんはコートを羽織ると、呑気に笑ってるわたしをジロリと睨んできた。美人なだけにちょっと怖い。

「もしかしてアンタ?蘭の幼馴染の女って」
「そうですけど…」

否定するのもおかしいので素直に頷くと、お姉さんの顏はますます般若ばりに怖くなった気がする。舌打ちされるほど、おかしなことを言った覚えもない。

「こんなガキんちょに負けるとはね…」
「…はい?」
「ま…私にはもう関係ないからいいけど!蘭に言っておいて。"女の趣味、最悪"って」

お姉さんはそれだけ言うと、ブランド物のバッグを手にプリプリしながら部屋を出て行ってしまった。いったい何だったんだと首を傾げつつ、再び掃除を再開する。まあ幼馴染の蘭ちゃんと竜ちゃんは女にモテるから、あの手の女は今までもいたし、幼馴染ってだけで変なマウント取られたりもしたからあまり深く考えたことはない。どうせ蘭ちゃんに口説かれて浮かれて付き合ったものの、蘭ちゃんに他の女がいることを知ってケンカになったんだろう。蘭ちゃんが女の人と誠実に付き合ってるところを見たことがないし、それくらいの話なら想定内だ。

「蘭ちゃんもホント懲りないな…」

数か月前も似たようなことで彼女と別れて、しばらく大人しくしてたと思えば新年早々これだ。大して本気でもないくせに、その場のノリで適当に付き合っては浮気が元で破局に至る。まあ、よく飽きもせず同じことを繰り返せるものだと苦笑が漏れた。そもそも、そんな不誠実な男が女にモテるってとこからして問題なんだろうけど。

「よし、と。片付いた~」

リビングは綺麗になったのを確認して一息つくと、今度は蘭ちゃんの部屋へ向かう。いくら何でも元旦から寝坊させるわけにもいかない。

「蘭ちゃーん、そろそろ起きてよ。夕方だし」

勝手知ったるは何とやら。蘭ちゃんの部屋にズカズカ入ると、ベッドの上で丸くなっている蘭ちゃんの体を揺さぶる。寝起きの悪い蘭ちゃんは予想通り起きる気配はない。それでも何度か布団の上からパンパン叩いていると「うっせぇ…」というボヤきが聞こえてきた。

「蘭ちゃん、起きてよ。もう夕方だよ?」
「あ…?…?」

やっと布団から顔を覗かせた蘭ちゃんは、眩しそうな目を何度か擦りながらわたしを見上げた。竜ちゃん曰く「兄貴を怒らせずに起こせるのはオマエだけ」ということで、蘭ちゃんは機嫌こそ良くさなそうだけど、大あくびをしながらモソモソと起き上がってくれた。きっと幼稚園の頃からわたしが寝ちゃった蘭ちゃんを起こす役回りだったから条件反射なのかもしれない。

「…ああ…おせち持って来てくれたのか…」
「うん。あ、今年も宜しく~」

ベッドの端に座って寝ぼけ眼の蘭ちゃんに挨拶をすると、欠伸のせいで溢れた涙を拭いつつ、蘭ちゃんは苦笑交じりに「ああ」と一言だけ呟いた。

「そう言えばリビングに蘭ちゃんの"元カノ"が寝てたよ」
「……は?」
「金髪ロングのお姉さん」

さっきのお姉さんの外見的特徴を伝えると、蘭ちゃんは少しの間考えてたようだけど「ああ、アイツか」と思い出したようだった。たった数時間とは言え、仮にも一度は付き合った相手のことを忘れてるってどうなの?と首を傾げつつ、これが蘭ちゃんの蘭ちゃんたる所以なのだ。

「アイツ、まだいたのかよ…」
「酔っ払って寝ちゃってたみたいだけど、もう帰ったよ」

わたしが教えると蘭ちゃんは心底ホっとしたような顔をした。

「あんなの彼女のうちに入らねえよ。ほんの一瞬だったし」
「それは聞いたけど…。あ、そう言えば言伝頼まれたの」
「あ?何だよ」
「えっとね…蘭ちゃんの女の趣味が最悪だって」
「………」

言われた通り伝えただけなのに、蘭ちゃんはさもわたしが言ったかのように目を細めて睨んでくるんだから嫌になる。だいたい振られたのは自分の素行が悪いからでしょーが、と言いたくなった。言ったけど。
蘭ちゃんは「振られてねえ。オレが振ったんだよ」と言い張ってた。

「あの女、どんなことがあっても自分を優先しろってうるせえから、面倒臭くなってオマエいらねえって言ったらキレやがってさー」
「それは誰でもキレるでしょ」
「あ?知るかよ。オレの中で優先順位ってもんは昔から決まってんの。それを会ったばかりの女にどうこう言われたくねえわ」

珍しい。蘭ちゃんが至極真っ当なことを言ってる。内心ちょっと驚きながら、乱れた三つ編みを直してる蘭ちゃんをジっと見つめた。寝起きにも関わらず、羨ましいくらいに肌艶のいい幼馴染だと思う。肌艶だけじゃなく。目鼻立ち一つ一つが完成された芸術的な顔だと思う。この端正な顔立ちに騙されてしまう女がどれほどいることか。

「何だよ…人の顔をジロジロと…」
「ん?いや…蘭ちゃんに落とせない女はいないんだろうなあ…と思ってただけ」
「は?何だ、そりゃ」
「だって蘭ちゃんの外見に騙される子、多いじゃない」
「オマエ、人を顔だけの男みたいに言うんじゃねえよ」
「いたっ」

いきなりデコピンをされて、その痛みに思わず叫ぶ。これでも女の子なんだから手加減はして欲しい。ジンジンする額を擦りつつ、蘭ちゃんを睨んでいると、深い溜息で返された。

「オレにだって落とせねえ女くらいいるわ」
「えっ嘘」

呆れ顔で言われてビックリした。わたしが知る限り、蘭ちゃんが口説き損なった女なんていなかった気がするのに。

「え、誰?わたしの知ってる人?」
「…知ってるっちゃ知ってるかもなー?」

食いついたわたしを見て、蘭ちゃんがニヤリと笑う。その表情一つさえ絵になるんだからムカつく。ってか知ってる女って誰?幼稚園で一緒だった美羽ちゃん?それとも小学校で仲の良かった佳奈美ちゃん?それとも中学校の時の美人なクラスメート?
わたしの知りうる限りの女の子を挙げていくたび、蘭ちゃんの口元が引きつっていく。

「え、違うの…?わたしが知ってる子で他に思い当たる人いないけど」
「まだ挙げてない奴がいんだろ」
「え…でもじゃあ…その人が蘭ちゃんの優先順位の上位に入ってるんだよね。竜ちゃんの次ってことでしょ?そんな子いる?」

蘭ちゃんが恋人よりも優先する人物は竜ちゃん以外に心当たりがないし、まして女の子となると…ちょっと首をひねってしまう。

「ハァ?オマエ、マジで分かんねーの?」

延々と考えているわたしを見て、蘭ちゃんは心底呆れたように項垂れた。そこまで知ってて当然という態度をされると、ますます気になってくる。

「ちなみに…ソイツの優先順位は竜胆より上だから」
「えっ嘘!竜ちゃんより上ってどんだけ蘭ちゃんと仲良しなわけ?」
「そりゃー幼稚園の頃から傍にいるからなぁ?」
「……へ?」

蘭ちゃんはベッドボードに置きっぱなしのケータイをチェックしながらニヤニヤ笑っている。その意味ありげな表情と幼稚園から傍にいるというワードが脳内をぐるぐると回りだした。蘭ちゃん達と幼稚園から一緒の幼馴染は結構いるけど、女の子はわたしの他にいなかったはず――。

「…え、まさか」
「やっと分かったー?」

驚愕して固まったわたしの顔を覗き込みながら、蘭ちゃんのくちびるが綺麗な弧を描く。竜ちゃんよりも優先順位が上で、蘭ちゃんが絶対に落とせない女の子。そんな子は存在しないと思っていたのに、まさかそれが――。

「…わた…し…?」
「気づくのおせぇわ」

蘭ちゃんは持っていたケータイを戻すと、空いた指先をわたしの方へと伸ばしてくる。条件反射で思わず体を引きかけたけど、その前に蘭ちゃんの手はわたしの背中へと回された。無駄に手足が長いから、小柄なわたしはすっぽりと蘭ちゃんの腕に絡めとられてしまった。いくら付き合いの長い幼馴染でも、こんなに密着したことはなくて。スラリとした体形のわりに意外にもがっちりしてる蘭ちゃんが改めて男なんだと思い知らされた気がした。

「か、か、からかってるんでしょ」
「…はぁ?寝起きからオマエからかう元気ねえし」

抱きしめられてるこの現状が恥ずかしくて、つい思ってもいないことを口走ると、蘭ちゃんがつかさず苦笑する。ううん、本当はわたしだって分かってる。蘭ちゃんがからかう為だけにあんなことを言う男じゃないって。だけど蘭ちゃんがわたしのことを女の子として見ていたなんて信じられない。ただ、これまで蘭ちゃんがわたしの我がままなお願いを一度も断ったことがないのを思い出していた。優先順位が一番だと言われた時、素直に信じられたのは、きっとそういうことが何度もあったからだ。でも蘭ちゃんが他の女の人と付き合ってたのは事実で、やってることが最高に矛盾してるとも思う。

「蘭ちゃん…わたしのこと…好きなの…?」
「じゃなきゃ毎度毎度優先にしねえだろ。だいたい普通そこで気づかねえ?」
「き、気づくはずないでしょ…?蘭ちゃん、いっつも他の人と付き合ってたんだから…」

正直、わたしのことは妹みたいに可愛がってくれてるんだと思ってた。蘭ちゃんは昔から「みたいな妹が欲しかった」って言ってたからだ。

「まあ…オマエの反応見る為に色々言ったり、他の女と適当に付き合ったりはしたな。でも本気じゃねえし」
「な…何それ…。そんなの不誠実じゃん…」
「別にそこは否定しねえけどさぁ。でもオレはずっとオマエのこと好きだったのに、オマエは隣のクラスの何とかくんがカッコいいだの、バスケ部の何とかくんがイケてるだとか、他の男ばっか見てただろ」
「う…だ、だって…」

蘭ちゃんとは小さい頃から一緒だし、男とか女とか意識しないようにしてた。きっと報われないと本能的に感じてたんだと思う。ただ、大人になるにつれ、蘭ちゃんや竜ちゃんがどんどんカッコ良く育っていくのを見るたび、知らない女の子と一緒の姿を見るたび、寂しいってよく分からない思いがこみ上げてくることは確かにあった。

「で…?オレの気持ちを聞いて、オマエはどう思ったんだよ」

腕の力が緩んだのを感じて顔を上げると、蘭ちゃんと至近距離で目が合った。意外にも真剣な顔でわたしを見つめるから、じわりと頬の熱が上がっていく。見慣れたはずの蘭ちゃんがやけに男らしく見えて、感じたことのないドキドキ感に襲われた。

「ど、どうって言われても…」
「もう互いに昔みたいなガキでもねえから、オレはそろそろ幼馴染から卒業したいと思ってんだけどさぁ~。は?まだ幼馴染がいいわけ?」

これって追い詰められてる?と思ってしまうくらいの圧を感じる。これは返事をするまで帰してもらえないパターンかもしれない。でも蘭ちゃんとは違って、わたしは恋愛に対して全くの素人だ。急にどう思うって聞かれても自分じゃよく分からない。幼馴染を卒業するってどういうことだろう。

「わたしは…蘭ちゃんのこと好きだよ…。それじゃ…ダメなの…?」
「それって男としてじゃねえじゃん」

わたしの答えに対して蘭ちゃんは不満げに目を細めると「オレはの特別な存在になりてーの」とハッキリ言った。

「で、でも蘭ちゃん、絶対浮気しそうだし…」
「は?するわきゃねえだろ。オマエが手に入るなら他の女なんかどうでもいい」
「蘭ちゃん…」
「オレは昔から以外の女を可愛いと思ったことも、好きだと思ったこともねえの」

真剣な顔で言い切られて、心臓が素直に音を立てた。蘭ちゃんってこんなにカッコ良かったっけ?わたしが欲しい言葉を全てくれてる気がする。よく分からない熱が心臓の辺りに生まれて、いっそうドキドキが加速した。

「そろそろ落ちてくれる気になった~?」

わたしが答えを探していると、蘭ちゃんは見計らったかのように微笑む。綺麗な瞳には今まで知らなかった蘭ちゃんのわたしへの想いが揺らめていて、勝手に頬が熱くなっていく。
これまで恋愛をしてこなかったのは、この日の為だったのかもしれないと思わされてる時点で、わたしの負けは確定した気がした。まだ名前すらつかない、形すらなかったものが埋まれていく感覚をどう伝えればいいのか分からないけれど。確かなのは蘭ちゃんの腕の中が安心するってことだけだ。

「……浮気したら絶対、許さないから」

か細い声で何とかそれだけ口にすると、突然体が引きはがされた。恐る恐る顔を上げれば、そこには蘭ちゃんのビックリしたような顔。でもすぐに綺麗な顔を破顔させた。

「言ったろ。オマエさえいればいいって」

蘭ちゃんは元々わたしに優しい幼馴染だったけど、今日ほど甘ったるい笑みを見せたことはない。優しく髪を撫でる手も、頬に口付けるくちびるも、わたしは知らなかった。だけどそれが幸せを運んでくるんだから、本当に人って不思議な生き物だと思う。誰かに愛されてると感じるだけで、昨日までの自分とは全く違う存在になれるんだから。
わたしの出した答えは、きっと間違ってない。蘭ちゃんのくちびるを受け止めながら、ふとそう思った。


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