塞いだ逃げ道



、わりぃけど今からこの店に行ってコレ、取って来てくんねぇ?」

仕事を終えて、さあ帰ろうと思った矢先、幹部で灰谷兄弟の兄、蘭さんから呼び止められ、一枚のメモを渡された。そこには店らしき名前と住所が手書きされている。
性格に似合わず随分と綺麗な字を書くんだな、と疲れた頭でとてつもなく失礼なことを考えたものの、顏には思っていることがハッキリ出ていたらしい。
蘭さんは苦笑いを浮かべながら「そんな嫌な顔すんなよ」と額を小突いてきた。

「え、そんな顔してましたか?」
「すっげぇだりぃ~みたいな顔?」
「…う…ご、ごめんなさい…。やっと蘭さんから頼まれてた仕事が終わったから…」
「ああ、わりぃな。それ取って来てくれたら家まで送ってやっから」
「えっ?そ、それって…蘭さんの車で?」
「もちろん」
「行きますっ!」

ゲンキンな女と思われてもいい。蘭さんの愛車に乗れるなら。
と言っても、私が蘭さんに恋をしてるとかではなく、蘭さんの車に恋をしているだけだ。
彼が先月購入した車はランボルギーニ"ウラカン"で、私が一度は乗ってみたいと思っている車だ。
"ウラカン"はイタリアの自動車メーカー、ランボルギーニが手がけたスーパーカーラインナップの1台で、車体後方に搭載されたV型10気筒エンジンはF1マシンを思わせるセッティングが施されていて、600馬力オーバーのエンジンパワーを発揮するらしい。
話を聞くだけでウキウキしてしまうような車を、まさか蘭さんが買うとは思わなくて、元々車好きの私はいつか蘭さんが機嫌のいい時に「乗せて下さい」とお願いしてみようかと密かに思っていたのだ。それを残業するだけで乗せてもらえるというなら喜んで行こうじゃないか!と私は快く蘭さんのお願いを聞くことにした。

「お、おう…頼むわ」

不満顔から一転、恵比寿様のような微笑みを浮かべた私を見て、蘭さんの口元が若干引きつっていたけど気にしない。
残業続きでぶっちゃけ凄く疲れているけど、あの車に乗れると思えば命を削っても構わない。
いや、そもそも従妹の春千夜に引きずり込まれ、この組織に入った時点で命などすでに削られているも同然だ。

(そう言えばあの時も車に釣られて入ったんだっけ)

暴走族をやっていたはずの従妹は、気づけば日本最大の犯罪組織である梵天ナンバー2にまで上り詰め、日々ヤバい仕事に精を出している。
そんな反社組織が普通の人間を雇えるはずもなく、だいたいが後ろ暗い人間ばかりしかいない。
その上、女のメンバーがいない為、女手が欲しいと頼まれ、破格の給料とプラス欲しい車を買ってくれるという約束を取り付け、二つ返事でOKをしたのは数年前のことだ。
それは私の人生が死ぬまでアングラまっしぐらを意味していたけど、元々がまっとうな暮らしをしていなかったので問題ない。むしろ一般人だった頃よりは、まともな生活を送れていると思う。

梵天の幹部達は皆がそれぞれ色んな事業に手を出している。表向きはまっとうな会社だけど裏ではヤバいことをしている反社特有のアレだ。
だから頼まれる仕事も雑用的な物から、大切な情報収集やら、時には敵対する組織の幹部にハニートラップを仕掛けさせられたこともある。
まあ、それは春千夜に無理やり頼まれたんだけど、あの時は見事成功させてマンションを買ってもらった。なのに今年になって、いきなり灰谷兄弟の管轄へ回され、朝から深夜までコキ使われる羽目になった。

「今度からコッチの仕事は俺の彼女が受け持つことになったから、オマエはアイツらのとこ行け」

電話一本でそう告げられ――どうせ私抜きでイチャつきたいだけだろ――本気で殴りに行こうと思ったけど、口うるさい春千夜の傍にいるよりはマシかと思っている。
灰谷兄弟のところも仕事量は多いけど、怖いと評判の兄弟は想像してたよりも怖くはなかった。
むしろ一生懸命仕事をすればするほど褒めてくれるフェミニストな兄弟なのだ。
蘭さんはとっつきにくいと思っていたけど意外と頼りになる人だし、竜胆さんは気さくで、いつもご飯を奢ってくれる。
餌付けされて上手く乗せられてるだけだろと春千夜はバカにするけど、嘘でも褒められた方が私は嬉しいし、ご飯付きならもっと幸せだ。
いつもは残業になるとご飯をおごってくれる竜胆さんも、今日は大阪に泊りの出張とかで朝からいなかったから、今夜のご飯はどうしようと考えながら目的地を目指す。

「えっと…この店かな」

事務所の近くにあったその店はケーキ屋さんだった。
蘭さんがケーキ好きなのは知ってるけど、わざわざ予約して買うケーキっていったいどんなに豪華なケーキなんだろうと少しだけ興味が沸いて来る。
店内に入り、予約した灰谷ですと告げると、可愛らしい制服を着た女の子の店員が「少々お待ちください」と訝しげな顔で私を見ながら店の奥へと消えた。
あの顔は蘭さんが直接取りに来ると思ってた顔だ。間違いない。私のそういう勘は良く当たる。
もしかして蘭さんはケーキ目的じゃなく、あのアニメから飛び出してきたような可愛い女の子を口説く為に通っていたんだろうか。
それか、普通にケーキを買いに来てて、あの子が蘭さんに一目ぼれしたかのどっちかだ。※多分こっち。蘭さんと竜胆さんのところで働くようになって知ったのは、ふたりがめちゃくちゃにモテる、ということだった。
仕事の打ち上げで一緒に飲みに行けば、海千山千のクラブのお姉ちゃん達をメロメロにしてるし、バーに行けば逆ナンされてる。
私という女を連れていても、それは変わらないのが少しだけ腹立たしい。
そんなに私って女とカウントされないくらいに魅力がないんだろうか、という気持ちになってしまう。

「まあ…今は確実にないな…」

今日は朝から事務仕事をしてたからメイク直しもせず、さっきまでデスクに張り付いていた。
髪も邪魔だからと一つに縛り、ハッキリ言って今夜の私は女子力ゼロと言ってもいい。
本音を言えば今すぐマンションに帰ってシャワーを浴びたい。そんな気持ちだった。

「はあ…でもウラカンの為…」

この疲れを癒してくれるのは、もはやスーパーカーしかない。
そんなことを考えていると、さっきの店員さんが大きな箱を抱えて戻って来た。

「こちらでお間違えないですか?」

そんなことを言われても私が選んだわけじゃないから分からない。
そう思いながら箱の中身を覗き込む。
中には今まで生きて来て見たこともない色のホールケーキが入っていた。マジか、灰谷蘭。

「こ…これ…ですね、多分」

こんな不気味なケーキを買うのは蘭さん以外に考えられない。
とりあえず箱を受けとり、店を出ると、すぐに事務所へ引き返した。

「…誕生日ケーキだったんだ。でも…誰の?」

ケーキの上には"Happy birthday"のプレートが乗っていた。
もしかして蘭さんの?それとも…彼女さん、とか?っていうか彼女いるんだっけ。
でも本命の彼女にあげるケーキならあんな色は選ばなそうだ。

「青いケーキって初めて見たかも」

事務所のエレベーターに重たい足を引きずって乗り込むと、最上階のボタンを押す。
入口にいる警備員の人達が、苦笑気味に「お疲れ様です」と言ってくれるのは、きっとまた灰谷兄弟の無茶ぶりですね的な意味合いだと思う。

「でもいいの。これを渡せばウラカンが私を待っている…」

今か今かとエレベーターが到着するのを待つ。
そしてやっとビルの最上階へ着き、扉が開いた時、すぐにその異変に気付いた。

「あれ…真っ暗…?」

さっきまで明るかった廊下も、さっきまで私が張り付いていたデスクのある部屋も、全ての電気が消されている。

「う…嘘…。まさか蘭さん帰っちゃった?」

でもそんなに待たせたつもりはない。
このビルからあのケーキ屋まで歩いてもせいぜい10分…いや、そんなにかからなかった。

「ど…どうしよ…って、どうすんの?このケーキ…」

崩れないよう大事にゆっくり持ってきたから自分で思ってるよりも遅くなってしまったんだろうか。
それでも私を置いて帰るなんて酷い。いや、あの蘭さんなら通常運転かもしれないけど。
女からの呼び出しでもあったんだろうか。…ありえる。

「と、とりあえず電気、つけよ…って、こんなに暗いとスイッチも分かんないよ…」

転んでケーキを落としてしまったら、と想像してゾっとしたので、ケーキの箱はエレベーター横の隅に置いておく。
そのままスマホの明かりを頼りに私の部屋として与えられた場所へ手探りで入っていった。

「確かこの辺にあったような…」

思い出しつつ、手で壁に触れながらスイッチを探していた時だった。
突然、パっと小さな灯りがついて、私は「ぎゃあっ」と飛び上がった。

「ぶははっ!やっぱ兄貴の言った通りの反応じゃん、
「…て、竜胆さん?!」

声のする方へ振り返ると、そこには今日いるはずのない灰谷兄弟の弟、竜胆さんが苦笑しながら立っていた。彼の指はデスク上にあるライトのスイッチに置かれている。

「え、あれ…出張のはずじゃ…」

今朝、竜胆は大阪に出張になったから、と竜胆さんの分の仕事まで割り振って来たのは蘭さんだ。

「あーそれ?行ったよ、もちろん。でもソッコーで終わったから、さっき帰って来た」
「一泊の予定じゃなかった?」
「それは…そうなんだけどさ。誕生日を慣れない土地で過ごすのって嫌じゃね?」
「……たん…じょうび?」

その単語を聞き、ふと廊下に置いて来たケーキのことを思い出す。

「え、もしかして…」
「そう。が取りに行ってくれたケーキは、兄貴が俺の為に予約してくれたやつ」
「そ…そう、だったんだ…。あ、あのケーキはあっちに置いて…」

と言いかけて、ふと気づいた。さっきからいい匂いがする。
デスクの上のライトに照らされて、何やら応接セットのテーブル上にシャンパンのボトルが見える。
目が慣れて来て室内を見渡せば、いつの間に用意したのかオードブルがずらりと並んでいた。

「それ…」
「あーこれも兄貴が用意してくれた」
「え?じゃあ…もしかしてここで…パーティするとか…?」
「まあ、そう、なるかな」

竜胆さんが意味深な笑みを浮かべたのを見て、ピンときた。
きっとここで彼女か誰かと一緒にお祝いする為にわざわざ大阪から日帰りで帰ってきたんだ、と。
だから蘭さんは私にケーキを取りに行かせて、自分はお酒や料理の手配をしてたに違いない。
この最上階の部屋は事務所として使ってるけど、普通にホテルみたいに洒落てる部屋だ。
窓からの夜景も綺麗でデートに使うには最適な場所だと思う。
ということは…私は邪魔になるということだ。

「あ、もしかして彼女さん呼んでるとか?私、邪魔だよね…。えっとすぐ帰るし…あ、その前にケーキ取って来る――」

と廊下に戻りかけた私の腕を、竜胆さんが強引に引き戻した。

「なーに勘違いしてんだよ」
「…え?」
「俺、彼女いねぇし。も知ってんだろ」
「…あ、いや…彼女じゃなくても女の人が来るのかなって…」
「あ?何で」
「だって…グラスがふたつずつ用意されてるし」

テーブルの方へ視線を向けて、上に並んでいるシャンパングラスやワイングラスを指さす。
あれはどう見たって女が来る雰囲気だ。まさか男兄弟がふたりで祝うはずもない。
そう思いながら竜胆さんを見上げると、さっきより少し機嫌の悪そうな双眸が私を見下ろしていた。

さぁ、ほんとに鈍感だよなぁ?」
「……え?」
「ここまでしてんのに気づかねぇとか、マジかよ」
「な…何の、こと?」

本気で分からなくて戸惑った。竜胆さんが不機嫌なのは、私としたら凄く嫌だ。
いつも優しい人が不機嫌になるのって何か凄く、怖い。

「だーから、俺が兄貴に頼んでに残業させたんだよ。俺が戻るまで帰らせんなって」
「……えっ?」
「それでもギリギリになりそーだったから、にケーキも取りに行ってもらった。まあケーキ見れば多少は気づくと思ったんだけどな」
「…気づく…って?」

竜胆さんは溜息交じりでかけていた眼鏡を外すと、ふと真剣な顔で私を見つめた。
これって気づいてはいけない空気のような気がする。
ある種の、独特の空気になっているのは、気のせいなんかじゃないはずだ。

「俺は…に誕生日祝って欲しかったんだよ」

竜胆さんはあっさりと爆弾を投下してきた。
その言葉の意味を理解出来ないほど、子供じゃない。
昨日まで優しい上司だと思ってた人が、急に男の人に見えて来て頬が熱くなった。
でも竜胆さんが私を好きだなんて、そんなことあるんだろうかという気持ちも残っている。
春千夜の従妹だと知った時は、うっかり手なんか出せねぇなとまで言われたこともあったのに。

「何か言えよ」
「…えっ…えっと…」
「俺、誕生日なんだけど」
「あ、そ、そっか…。お、お誕生日…おめでとう」

この空気で言うのも変だけど、今はこれしか思いつかなかった。
竜胆さんは僅かに目を細めると、「それだけ?」と私の顔を覗き込んで来る。
蘭さんとはまた違う、整った綺麗な顔が視界一杯に広がって、やたらと心臓がうるさくなってきた。
こういう感覚は久しぶりで、去年彼氏と別れてからは仕事に追われて新しい恋も出来ていない。
なのに急に訪れたこの甘い空気に気持ちが追いつかなくて、だんだん恥ずかしくなってくる。
灰谷兄弟が上司になると決まった時、恋愛対象から除外していたこともあり、突然の告白めいた竜胆さんの言葉に動揺しているのは確かだ。
でも、正直言えば、そんな風に思ってくれてたのは…嬉しいとか、私はなんて簡単な女なんだろう。

「言葉だけかよ」
「……と…言いますと?」
「もっと色々お祝いの仕方、あるんじゃねぇの?ちゃん」
「な…なな何ですか、その顔…」

艶のある笑みを浮かべて、ジリジリと近寄って来る竜胆さんに追い詰められ、私は応接セットのソファに追いやられる。

「ぶっちゃければ…三途の従妹っつーことで俺ものことは女と言う枠から外してたんだけどなー」
「…ひ、ひど…」
「そっちだって俺や兄貴のこと、男として見てなかったろ」
「そ、それは…上司になるんだし…色恋沙汰はマズいかなあと…うっかり好きになっちゃったら沼りそうだし…」
「すっとぼけた女だよな、オマエは。どうせ兄貴の車目当てだったんだもんなぁ?ここまで残業したのも」
「…う…」

竜胆さんも蘭さんも私が極度の車好きと言うのは知っている。
あれ…?もしかして蘭さんのあの言葉も計画の内のひとつだったとか?
そう思いながらも後ずさると踵がソファに当たって体が後ろへと傾く。
竜胆さんが「あ」という声を上げて私の腕を掴んでくれたけど、重力には逆らえずそのままふたりでソファに倒れ込んだ。

「…いたぁ…」
「わりぃ…大丈夫か?」
「な、何とか…」

ソファに倒れ込んだとはいえ、竜胆さんの体重までプラスされたおかげで、あちこちぶつけた個所が痛みを訴えている。でも次の瞬間、至近距離で目が合ってドキっとした。
ドラマじゃあるまいし、こんなベタな形で押し倒されるなんて、笑い話にもならない。
って言うか足の間に竜胆さんの足があって、地味にエッチな体勢だ。
恐る恐る竜胆さんを見上げれば、心なしかニヤケているように見える。

「あ、あの――」
「いい体勢になったな?」
「…ちょ…どいて…欲しいんだけど…」
「どけると思う?」

竜胆さんは押し戻そうとした私の腕をあっさりと拘束して顔の横へ置いた。
これは本気でマズいかもしれない。

「セ、セクハラで訴えますよ…」
「そんな生き急ぐなよ」
「……竜胆さんが言うと冗談に聞こえない」

ポツリと呟けば、竜胆さんはかすかに笑ったようだった。

「俺、オマエに惚れてんの。もう分かってるだろ?」
「………ぅ」
「真っ赤になっちゃって…かーわいい」

竜胆さんに上から見下ろされるだけで、こんなにも迫力があるのかと、その動揺を心臓が訴えて来る。これは蛇に睨まれた蛙状態だ、と思った。
だから、竜胆さんがゆっくりと屈んで、互いの唇が重なった時も、私は一ミリたりとも動けなかった。挑発するような言葉とは裏腹に、竜胆さんのキスは意外にも優しくて。
角度を変えて触れるだけの唇に、私は随分と酔わされてしまった。

「……俺の誕生日プレゼントになる覚悟は出来た?」

甘いキスの後、竜胆さんは何とも甘ったるい顔で微笑んだ。
きっと、この人からは逃げられないんだろうなあと思いながら頷けば、昨日まで上司だった竜胆さんが私の恋人になった。

「…お誕生日、おめでとう。竜胆」



「…でも何でケーキ青いの?」

「あー。あれは……竜胆色だから♡」



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