罪なき獣



若はまるで踊るように戦う。
華麗で優雅に、広大な大地を駆ける豹のように、気高く、美しい獣。

若の舞う姿を見てるのが焦がれるほどに、好きだった。
ひとたび抗争になれば、若はいつだって誰よりもキラキラ輝いてた。

なのにいつからこんなに緩くなったんだろう―――?

若が煌道連合こうどうれんごうを解散させ、黒龍ブラックドラゴンに入ってからは特にギラギラ感がなくなったように思う。
呑気な真ちゃんの空気に染まって来てるように思う。
初代黒龍の総長なのにケンカに弱い"最弱王"――なんて巷では呼ばれてる佐野真一郎に、私が嫉妬するくらい若は夢中だった。

「聞いてよ、。真ちゃんさー、まーた女に振られてやんの。今回で何連敗だと思う?」
「………」

ベッドにうつ伏せになりながら肘をつき、私の顔を覗き込む若は心底楽しそうで。
また"真ちゃん"の話ですか、と呆れながら「知らない」と素っ気なく応える私に、若は笑いながら「30連敗だよ」と教えてくれる。
私は真ちゃんがどれだけ女に振られようと全然興味なんかないのに、若はいっつも"真ちゃんの失恋連敗記録"を伝えて来る。
それも心底楽しげに、言う前から笑ってるし若ってば。
そもそも若ってこんなに笑うキャラだっけ?
煌道連合結成当時からいる私でも、あまり見た事がないような顔で笑うようになったのは、やっぱり真ちゃんと出会ってからだと思う。

「そーんなに振られてんのに懲りないね。真ちゃんってば」

読んでる雑誌から目を離さずに応える。
だいたい私がこんな夜中に若の部屋に来たのは真ちゃんの失恋話を聞く為ではない。
いつものように電話して、こっそり家を抜け出して、深夜の道を走って来たのはそんな話を聞きたいからじゃない。
渡しそこなったものは、胸のポケットの中に隠したまま。

「真ちゃん、可愛い子に会ったらすーぐ惚れちゃうからさあ。ほんと弱いよなあ、女に」

確かに、と心の中で相槌を打つ。
佐野真一郎という男は街中に出ればすぐに恋に落ちるから呆れる。
そんなどこにでも落ちているようなものじゃないだろう。
逆に若は昔からモテるのに一人の人と付き合っている姿は、殆ど見た事がない。
たまにつまみ食いはしてるようだけど"彼女"と呼べるような付き合いだったのかどうかすら怪しい。
そしてその手の話になると、私はいつも蚊帳の外なのだ。

「ってか暑くない?今日」

若はリモコンを手にしてエアコンの温度を下げている。
ピッという快適な音がして冷たい風が私の頬に触れた。

「若がくっついてるからでしょ。暑いなら離れてよ」

私は壁に背を預けてベッドに足を伸ばして座っていたけど、いつの間にか太ももの上に若の頭がある。

の体温とエアコンの風がちょうどいーんだよ」

若は私の太ももを枕に仰向けになって、エアコンの冷風を気持ちよさそうに受けていた。
ふわふわの若の髪が素肌に触れて、少しくすぐったい。

「何よ、それ。私の美脚は若の枕じゃないから」

文句を言う私を、若は視線だけで見上げて「誰が美脚だって?」とクスクス笑ってる。
だいたい男と女がベッドの上にいるってのに何も起こらないのは若が私を女として見てない証拠だ。
出会って三年になるけど、いつもこんな感じで男女と言うより同性の友達みたいな関係だと思う。

若とは中学で同じクラスだった。
最初に言葉を交わしたのはいつだっけ。
触れたら切れそうな空気をまとい鋭い瞳が印象的で、目が合った時はまるで雷に打たれたのかと思うほど全身が痺れたのだけは覚えてる。
だから、若を一目見た時から、きっと予感はあったと思う。
私は、この男に恋をするって―――。

あれから三年。
その間、喧嘩に明け暮れて仲間と騒いで、泣いたり笑ったりしながら少しずつお互い大人に近づいて。
今もまだ、若は私の傍にいる。いてくれる。だけど、女としては見てくれない。
その上、目下のライバルが男だなんて、ほんと笑えないんですけど。

"とっとと押し倒しちまえよ!じれったい奴らだな"

この前、"元宿敵"のベンケイからも呆れ顔で言われたけど、私としては今更感のこの関係が逆に切ない。
この三年で私と若の関係性はすっかり友人として根付いてしまったような気もする。
だから少しでも変化が欲しくて、今夜0時になる前に会いに来たのに、若はいつもの如く真ちゃんの失恋話なんか振って来るからプレゼントだって渡しそびれてしまったのだ。
きっと若は気づいていない。もうすぐ時計の針が0時を告げる。そしたら若の―――。

「やーっぱさ、が付き合ってやればいーんじゃねーの?」
「…は?」
「真ちゃんと」
「…何言ってんの?」

この男はこの期に及んで他の男と付き合えなんて言って来る。
それも万年振られ男の真ちゃんと?ありえない。
いや、私だって真ちゃんが嫌いとかじゃない。むしろ皆と同じくらい、大好きだ。
素直で真っすぐ。誰にでも分け隔てなく優しくて、喧嘩も恋も最弱王だけど、真ちゃんはとても心が温かい。
だから本当は分かってるんだ。
若がそういう真ちゃんの温かいところに惹かれる気持ちは。
男が男に惚れてしまう瞬間、そこに女の入る余地なんかなくなるって本当は分かってる。

「知ってる?真ちゃんの失恋連敗が始まったのはからだって」

不意に若がニヤリと笑みを浮かべて私を見上げるから、僅かに時が止まり何度か瞬きをしてしまった。

「…何で私…?」
「ほら、前のチーム解散してさー。も俺と一緒に黒龍に入ったじゃん」

それは若と離れたくなかったから。
総長である若の隣で私も走っていたかったのに、一人の男に出会った途端、チームを解散するなんて言うから死ぬほどショックだったけど。
若に泣きながら「私も行っていい?」って訊いたら「あ?オマエ、なに当たり前のこと訊いてんの」と言われた時は本当に嬉しかった。

「あの時、俺がを紹介したら真ちゃんのヤツ、真っ赤になったじゃん。覚えてない?」
「…覚えてない。あの時はコイツのせいでチーム解散したのかってイライラしてたもん」
「あはは…!かーわいそー真ちゃん」

若はゲラゲラ笑いだして、私はサッパリ分からないままで。
真ちゃんが私のこと、好きだったとか、そういう事を言いたいんだろうか。

「あの時さー真ちゃんが"あの子、ワカの彼女?"って聞いてくるから違うけどって言ったら、すぐオマエんとこ走ってって―――」
「あ!」

「「"俺と付き合ってくれないか"!!」」

そこで絶妙なハーモニーが生まれて、笑っちゃうくらい息がぴったりと合う。

「何だよ、覚えてんじゃん」
「え、でもアレ本気じゃないでしょ?」
「いやいやいや…本気だろ、どー見ても」
「嘘だー。だって真ちゃんあの後も他の女口説きまわって振られての繰り返しだったし、ただのチャラ男かって思ったもん」

確かに告白めいた事は言われたけど、本気だなんて一ミリも思わなかった。
だからあの時「私は強い男しか好きじゃない」って真ちゃんの告白を一蹴したのだ。

「あれ本気だったんだよ、実は。オマエに一目惚れしてアッサリ振られて、そんでヤケクソになって手あたり次第、女追いかけまわして今に至る」
「…嘘」
「だから真ちゃんの30連敗のうち1つはオマエだ、

若は意味ありげな視線で私を見ている。
私の反応を伺ってるのは、やっぱり「だから真ちゃんと付き合え」ってそう言ってるのかな。
だけど真ちゃんが本気だったと分かったところで私の気持ちは―――否。
むしろアリか?とそんな思いが過ぎる。

どうせ若には振り向いてもらえない。
ずっと報われない想いを抱えて、いつか若に本気の彼女なんか紹介されたら目も当てられない。
このまま一人寂しく生きていくくらいなら、喧嘩なんて最弱でもいいから心の温かい真ちゃんみたいな男に守られて生きてくのも、アリかも。

「やっぱ無理か。、好きなヤツいるんだもんな」
「…え?」

脳内ですでに自分の未来の事まで案じていた時、若の一言で我に返った。
好きな奴がいるんだもんな―――?
って、どこからそんな情報を得たの、若は。

「だ…誰からそれ…」
「この前ベンケイが言ってた。オマエもたいがい男作らねーじゃん。んで仲間内で誰が落とせるかみたいな話になって―――」
「はあ?何よそれ!賭けでもしようっていうの?」

まさか仲間内でそんな会話がされてるなんて思わなかった。
人の事を何だと思ってるんだ、黒龍の男どもは。

「賭けぇ?違う違う。みーんな、オマエの事を狙ってるって話だっつーの」
「…は?狙ってる?私の…こと?」
「はあ…オマエ、ほんと鈍だよな…。意外と人気あんだよ、は」
「い、意外って何?失礼すぎ!私だって中学の頃から若の知らないとこで告白されたりしてるんだから」
「うん、知ってる」
「え?」

ドキっとして視線を下に向けると、若も未だ寝転がったまま視線をこっちに向けていた。
そろそろ脚が痺れて来たんですけど。

「知ってるよ?オマエが色んなヤツに告られてたこと」
「……な…何で…」
「一年の時は2組の高木と5組の岩田。二年の時は1組の日下部と3組の山内、あと4組の―――」
「わー!もういいってば!ってか何で相手の事まで知ってんの?」

次々に懐かしい名前を出されて顔が熱くなった。
もう顏すら覚えてないけど、確かに今名前を挙げられた男達に告白された。
されたけど、でも―――。

「あ、でも何人かには返事する前に何か避けられるようになった気がする…」

殆どはその場で断ってたけど、返事はゆっくり考えてなんて言って来た相手もいるにはいて。
でも告白後、その人達と廊下で顔を合わせれば逃げられ、返事をしようとクラスに行けば隠れられ。
そんな態度をされて結局からかわれただけか、と何気に腹を立てた事まで思い出した。

「あ~それは俺が威嚇してたからだな、多分」

苦笑気味に応えた若は静かに私から視線を反らす。その態度と言葉が少しだけ引っかかった。
威嚇?威嚇してたって…何。
でもその答えを訊く前に若の方が先に「で、の好きなヤツって誰?」と訊いて来た。

「え…」

再び話を戻されドキっとしたのもつかの間、若は急に上半身だけ起こすと「つーかさー」と言いながら私の顔を覗き込んで来た。
その目は何故か不機嫌な色に変わっている。若は私の手から読んでた雑誌を奪っていった。

「…そういう話、何でベンケイにしてンの?」
「何でって…ベンケイとは話してみたら意外と気が合うし兄貴肌で話も聞いてくれるから一緒にお酒飲むようになって…」
「は?俺、そんなん聞いてねーけど」
「な、何で若にいちいち言わなきゃいけないの?」
「いやむしろ言えよ。俺に」
「だから何で―――」
「だっては俺のモンじゃん」

あっさり告げられたその言葉は脳に届くまで少し時間がかかった。
射抜くように私を見つめる若の瞳に、ポカンとした顔の私が映ってる。

え、今のどういう意味?俺のモンってどういう意味だ?
それって俺の所有物ってこと?は?私は若の所有物なの?
そりゃずっと傍にはいたけど、それは古い友人とか仲間とか、そういう枠でしょ。物じゃないでしょ。
だいたい俺のモンだって言うわりに自分は綺麗なお姉さんといけない事いっぱいしてたでしょーよ。
私、知ってるんだから。なのに何でベンケイとお酒を飲んでただけで不機嫌になるわけ?
自分は良くて私がダメって、そんなの勝手じゃない?
でもそれ言っちゃうと、何だか彼氏と彼女の会話みたいになっちゃいそうで言いたいけど言えないって何、このジレンマ。

それともホントにそれは男女の間でいう所の―――意味?

「何だよ、その間抜け面は」
「だ…って若が変なこと言うから…」
「変なことぉ?」

若は完全に体を起こしてジリジリと私に近づいて来るから自然に体が引き気味になっていく。
未だ不機嫌そうな若の態度に内心焦りながらも精一杯「私、若の所有物じゃないし!」と不満を口にしてプイっとそっぽを向いてやった。

「誰も所有物なんて言ってねーだろ」
「じゃあ何よ。私は若の友達で仲間でしょ?ただそれだけでしょ?――って近い…っ」

前に顔を戻せば、四つん這いでジリジリと詰め寄って来る若の顏が気づけば目の前にあって。
壁に追い詰められてる私はさながら獣に追い立てられた弱い獲物になった気分だ。
若はさしずめ豹ってところか。いやマジでそうだよ、この人。
だって若は"白豹"なんて異名で呼ばれてたような男なんだから。
今だってその鋭い瞳に熱が帯びてて、いつもと少し違う。若は普段こんな顔を私に見せない。見せた事がない。

「な、何…」
は友達だし仲間だし。でもそれだけじゃない」
「え…?」
「それだけだったら黒龍にまで引っ張ってこねーよ。作ったばっかのチームなんて何があるかわかんないのに」

若はいつもとは違う少し低めの声で。
こういう時の若は真剣なんだってこと、私は知ってる。

「気づいてる?俺が煌道連合から黒龍に連れて来たのはだけってこと」

言われてみればそうだ。
チームを解散するってなった時、他の仲間に若は「ついてこい」とは決して言わなかった。
若より弱い男の下につくなんて嫌だと言うヤツが殆どだったし、それまで敵対していたベンケイと同じチームになるなんて嫌だってヤツもいた。
でもそれ以上に、総長が最弱王でもベンケイがいたとしても、今牛若狭いまうしわかさという男について行きたいと慕う連中は大勢いた。
彼らはついて来たがってたけど、結局若は自分を慕う仲間すら手放した。
それはきっと、たった数人で立ち上げたチームがその後どうなるか責任が取れないと思った若の優しさだ。
なのに若は私にだけ「ついて来るのは当たり前」だと言った。
あの頃はそう言ってくれたのが嬉しくて深くは考えてなかったけど、それって私には責任が取れるって意味だったんだろうか。
若は私の瞳から目を離さない。私も若の熱から目を反らせない。

「で…オマエの好きなヤツって…?」
「……へ?」

色々考えてたらドキドキが加速しすぎて頭の中も整理できなくて、その問いにはすぐに応えられなかった。

「ま、答え次第じゃーソイツ、ボコボコにしちゃうけど」
「な…」

ニヤリと笑う若に、うるさい心臓がまた音を上げた。

「…何それ…」
「だっては強い男が好きじゃん。俺より強いヤツっていんの?」

得意げな笑みでヌケヌケとそんな事を言う若はホント強気。でも…好き。
現在において、この今牛若狭という男は日本最強。
"赤い壁レッドクリフ"と恐れられたベンケイとも互角にやりあえる唯一の男なのだから当然だ。
厳密にいえば最強2トップの一人、ベンケイがいるのに、若は私がベンケイを選ぶという頭はないみたいだ。

「い、いない」
「んじゃー必然的にの好きな男は俺って事になるけど?」
「…う…」

やっぱり上手く誘導されて獣の巣に追い立てられた羊のような気分だ。
でもそもそも今夜ここへ来る事を決めたのは私で、突然電話したのも私だ。
それは何も進展しない二人の関係を、少しでも動かしたくて、だからこの日を選んだ。
もうあと数秒で訪れる若の誕生日―――。
いつもなら仲間とドンちゃん騒ぎで終わるその特別な日を、特別になる瞬間の時を二人で迎えたくて。
だからこんな遅い時間に家を抜け出してまで若の元へ走った。
なのに蓋を開けてみれば何故か若のペースにハマっていて、いつもとは違う若に壁際まで追い詰められてる。

「だ、だったらどうするの…?」
「どうする?」
「だ、だから私が…若のこと好きだって…言ったら―――」

そう、これは確認。私が好きだと言ったら若はどうするんだろうっていう素朴な疑問が湧いて、だから確認の為の質問のはずだった。
なのに最後の"どうする?"という言葉は、ゆっくり近づいて来た若の唇によって突然飲み込まれた。
押し付けられた唇が離れていく瞬間、小さなちゅっという音で私は我に返った。

「Happy birthday!To Me!」
「…は?」

若は突然そんな事を言ってニヤっと笑みを浮かべた。
でも私は今、自分の身に起きた事も、若の言葉の意味も、混乱した頭で処理出来ないくらいに頭の中が真っ白だ。

「0時ジャスト!から誕生日プレゼント、勝手に頂きました」
「…な…」
「ファーストキス、ご馳走さま~♡」

意味深な笑みを浮かべたまま、若はとんでもない事を口にした。
そうだ、今いきなり奪われたのは私の初めての、そう、人生で初めてのキスだった。
そして彼氏いない歴=生まれた年数という事を知っている若は、私がキスすら経験がないと言う事も知っている。

「あれ…?」

あまりに私が固まったままなのを見て、若は戸惑うように目の前で手を振り出した。

「怒った?」

勝手にキスをしておきながら、若は急に心配そうな表情を浮かべて私の顔を覗き込んでいる。
そうだね、怒ったと言うなら私は怒っているのかもしれない。
こんな不意打ちみたいに、まだ私だって何も伝えられていないのに、若の気持ちだって聞いてもいないのに勝手にキスするなんて許せないじゃない。
そんな思いがこみ上げて来て、私は目の前で心配そうに私を見つめている若の頬へ手を伸ばした。

「ぃででっ」

ぶにっと頬をつまんで指に力を入れれば、若が情けない声を上げた。
自分より大柄なベンケイとタイマン勝負で殴り合いしてた時だってそんな声は上げなかったくせに。

「いってーよ、…」
「ビンタされるよりマシでしょ?人のファーストキス奪っておいて!」
「だって俺、誕生日じゃん」
「だから?!」

誕生日って言うなら今日までに何回一緒に祝った?
そりゃーいつもチームの皆が一緒だったけど。
去年だって、その前の年だって、その前の前の年……あー!もうとにかく!何度だって機会はあったはずだ。
訳の分からない言い訳にイラっとして怒鳴ると、若はスネたようにその大きな瞳を細めて唇を突き出した。
若の綺麗な顔の造形が可愛さで崩れるのを見られるのは、私だけの特権でもある。
仲間や敵の前じゃ、絶対にこんな顔は見せないから。二人きりで過ごした時間は他の誰にも負けない。
でもそこで思い出した。若の誕生日に二人きりで過ごしたのは今日が初めてだって事に。

「だから…欲しいもの貰っただけ」

私がつねった頬を擦りつつ仏頂面をしたまま、若はさも当然のように言ってのけた。

「ほ、欲し……ってゆーか何で若はいっつも言葉より先に行動しちゃうの?普通そういう事する前に言う事が―――」

またしても話してる最中に若は仕掛けて来た。
いきなり腕を引き寄せられたかと思えば、今度は視界がぐるりと回転して、気づけば私を見下ろす若を見上げていた。
つまり、これは……

「な…何…」
「俺、動物だから言葉より先に行動に移しちゃうんだよ」

私を押し倒した獣はシレっとした顔で笑った。

「ちょ…ちょっと待って…」
「もー三年も待たされたし今更"待て"はきけねーな」
「な、何で急にこんなことすんの?そ、それにさっきは真ちゃんと付き合えとか言ってなかったっけ…?」

若がいつもとは違うから私もいつになく焦った。
文字通りパニックだ。
上から見下ろしてくる若の熱のこもった瞳は、ファーストキスを奪うだけじゃ飽き足らないとでも言いたげに細められている。
目の前の獣は盛りのついた豹に変身しようとしているようだ。
ダメだ、私は文字通り若に食い殺されるかもしれない。
豹の時の若は誰にも止められないという事を、私は嫌と言うほど知っている。

「あーあれはオマエの気持ち探ろうと思って。ベンケイから聞いた話が本当かどうか確かめるために」
「…は?き、聞いたって…じゃ、じゃあ…初めから私の気持ち知ってて…」
が俺の誕生日になる寸前にウチに来ていい?なんて電話くれた時から確信してたけどさ。念のためだよ」
「な…何それ…」

全部見透かされてたと知って、私は顔が真っ赤になった。
これまでの関係を少しでも変えたい、なんて悩んでた私がまるでバカみたいだ。
でも、そんな悔しさよりも、若が私の事をそんな風に想っててくれた事の方が数百倍も嬉しいんだから嫌になる。

「…若のバカ…」
「だっていつまで経っても何も言わねーし雑誌まで読みだした時はコイツ何しに来たんだって思ったわ。俺の自惚れかって軽くヘコんだし」
「そっちが延々真ちゃんの話してくるからでしょー?あの流れで私にどうしろって言うの?」
「いや、まあ…が来た時点で俺も緊張して、つい真ちゃんのバカ話で場を和まそうと…」
「…はあ?若が緊張って…そんなのした事ないくせに」
「あるよ、それくらい。オマエ、俺のことなんだと思ってんの?今だってめちゃくちゃ緊張してるわ」
「……え」

言われてみれば、プイっと顔を反らした若の頬はかすかに赤い。
若のこんな顔はさすがの私も初めて見た気がする。そっと指先を若の頬へ伸ばすと、ほのかな熱を感じた。
でもその手はすぐに若の手で拘束される。

はさ、俺と友達のままでいたいのかと思ってたから我慢してきたけど…もう一ミリも我慢する気ねーから。それでもいい?」

握り締めた私の手を自分の口元へ持って行った若は、指先に口付けながら心臓に負担のかかる言葉をぶつけて来る。
それを言うなら、私だって若との関係を壊したくなくて我慢してきたんだから。

「…ほんとはいつもに触れたかった。こんな風に」

若の親指が私の唇を優しく撫でるように触れてゾクリとしたものが胸の辺りを轟かせる。
いつもは涼しげな若の瞳が少しずつ熱を持っていくようにゆらゆら揺れて、凄く綺麗だと思った。
ゆっくりと近づいて来る瞳から目が離せない。こんなにも至近距離で見つめ合ったのはきっと初めてで。
若の長いまつ毛に覆われた大きな瞳の美しさにドキドキが加速してしまう。

「……っ」

若の細い指が頬にかかった髪をよけてくれるだけで、頬にかするだけで胸の奥がヒリヒリと焼けるようだ。

「…いいの?」
「え…?」
「これ以上触れたら止める自信ねーから先に聞いとく」
「……そ…そんなこと言われても…私は…初めてで分かんないよ…」

恥ずかしくて赤い顔を見られたくなくて、思わず顔を反らしたら若はかすかに笑ったようだった。
顔を背けた事で無防備にさらされていた首筋に熱い吐息がかかって柔らかいものが押し付けられる。
それが若の唇だと気づいた時にはもう遅くて、ちゅうっと強く吸われたと思ったらかすかにチクりとした痛みが走った。

「ひゃ…な…何…」
「言ったろ。は俺のモンだから虫よけ」
「…は?」
「こんな事になるならチームの奴らにそう宣言しときゃ良かったわ…」

若は舌打ちしながら小さな声でボヤいていて、さっき聞かされた話を思い出した。
皆が私を狙ってるって話は本当だったようだ。

「……若?」

私を見下ろして来る若はやけに艶っぽくて、素肌に白シャツ一枚という普段の恰好なのにこんな状況だと凄く色っぽく見えてしまう。
大きく開いた襟元のせいで見える鎖骨がやけに男を感じさせて、こうして見上げていると勝手に頬の熱が上がっていくのが困る。
ついでに大きな手が私の頬に添えられ、長い指先が耳を撫でて行く感触にビクリとした。
若に触れられている場所が全て性感帯にでもなったように、そのかすかな刺激に全身が反応してしまう。

…」

いつもより少しだけ掠れた優しい声に名前を呼ばれるだけで、頬に熱を持つ。
まともに若の顔を見られなくて強く目を瞑ってしまったのが間違いだった。
空気が僅かに動いたと思った時には唇が塞がれていて、さっきの触れただけのキスとは全然違う。
その名の通り喰われたのかと思うほどに深く交じり合った。
唇から若の熱が伝わってきて、熱い吐息が漏れている事すら私の全てを刺激する。
角度を変えながら何度も唇を貪る獣のような激しいキスで、私の呼吸が悲鳴を上げた。
本当に唇が食べられてしまうんじゃ、という恐怖がチラリと脳裏を掠める。
キス初心者の私にはハードすぎ…っていうか若のキスはエッチ過ぎて私の羞恥心が耐えられそうにない。

「ん…っ…ふ…わ、わか…」

空気を求めて僅かに唇が離れた隙に彼の名を呼ぼうとした。
それすら飢えた白豹に次なる獲物を与えてしまうキッカケになってしまうなんて思わなかった。
僅かに開いた隙間から唇をこじ開けるようにぬるりとしたものが口内に侵入してきて。
それが若の舌だと認識した途端、それまでドクドクしていた心臓が更にスピードを加速させたように早鐘を打つ。
自分の口の中で暴れる他人の舌の感触に顔だけじゃなく全身に熱がまわり、額に汗がじわりと浮いた。
口付けながらも私の耳たぶを刺激してくる若の指にまで翻弄されて、少しだけ怖くなる。

「…んゃ…ぁ」

若は器用に動かして舌先で口蓋を撫でて来る。
その感触にお腹のずっと奥がズクンと熱くなった。
自分の体に初めての感覚が埋め込まれたようで、いつの間にか若の腕にしがみついてた手にギュっと力が入る。
でもまだそれは序の口だったようだ。やんわり口内を愛撫していた舌先が私の舌に絡まって来た時、今度こそ本当に食われると思った。
絡まり合う舌からくちゅっと淫靡な音が漏れては私の耳を刺激する。
いや同時に耳の中に若の指先が入って来たのを考えれば、どちらの刺激なのかすら分からなくなって来た。
舌も耳も、こんなに敏感だったのかと驚くほど、触れられただけで体にびりびりと電流が流れるみたいな快感が押し寄せる。

「……ふ…ぁ…」

息もままならず、僅かな空気を吸いたくて無意識に離れようとしたら、耳に触れてた指が首の後ろへ滑り落ちて固定された。
このまま若に触れられていたら、私の体はどうなってしまうんだろう。
頭の奥がジンジンとしてきて、じわりと目尻に涙が浮かぶ。
何も考えられなくなっていくのが、怖い。私の中が若で溢れかえって溺れそうだ。

「…、力抜いて」

気づけば若の腕を強く握りしめていた。僅かに離れた若の唇が艶やかに濡れていて、いっそう淫靡に思えた。
すでに全力疾走したかのように呼吸が乱れて、胸が上下に動いているのは気のせいじゃないはずだ。
しがみついていた私の手を外し、力なくくたりとしたそれに、若はちゅっと口付けるとベッドに固定した。

「…んっ」

若は私の首筋へ顔を埋め、さっき触れていた耳たぶを、今度は舌先でペロリと舐めてきた。
その強い刺激に首の後ろがゾワっとする。

「わ…若…」
「ん?」
「そ、それ…くすぐっ…たい…っ」
「気持ち良くない?」
「…ひゃ」

若は笑いながら意地悪するように耳の穴に舌先を入れて来て、さっき以上に体が跳ねた。
耳だけにちゅるっという水音が直接鼓膜を刺激してくるのが死ぬほど恥ずかしい。
されるがままでいたら本当に最後まで若に食べられちゃいそうで身の危険を感じた。

「ちょ…ダ、ダメ」
「…さっき聞いたじゃん、俺。いい?って」
「い、いいなんて私…言ってな…ぁっ」

またしても首筋を吸われ、チクリとした刺激が来る。
若は首筋に口付け、そんな私を見て満足そうな笑みを浮かべるから、顏の熱が更に上がっていく。
その時、もう片方の手がお腹から胸の膨らみを駆けあがるように這っていくのを感じて腕に力が入った。
でも気づけば若は隣に横たわるような姿勢で私の首の後ろへ右腕を入れ、その手で私の右手を拘束している。
私の左手は若の背中へ回っているから彼の左手を止めたくてもそれすら敵わない。

「ちょ、ちょっと何して…」
「何って…のヴァージン貰おうかなって」
「ヴァ…ダ、ダメだってばっ!手、放して」
「え~ここまでさせてお預けは酷くない?」

言いながらも若の手が胸の膨らみへと辿り着き、ぎゃっと変な声が出た。

「ちょ、ちょっと動かさない…でよ…っ」
「色気ねー声」

と若が苦笑いを浮かべながらも、鎖骨の辺りにもキスをしていく。
でもその時、カサっという音がして、若がふと膨らみを弄んでた手を止めた。

「胸のポケットに何か入ってる?」
「え?あ…忘れてた…」
「ん?」
「出すから手、放してよ」
「俺が取ってやるよ」
「え?あ…ちょっと」

若はニヤリと笑いながら、胸ポケットのボタンをいとも簡単に外すと、中に指を突っ込んだ。
胸の辺りでモゾモゾされると嫌でも刺激が伝わって来て羞恥で顔が熱くなる。

「ん?何これ」

若はポケットの中から小さな黒い包みを取り出し、訝し気な顔をした。

「若に…誕生日のプレゼント…」
「え?俺に?開けてい?」
「う、うん…もちろん」

思った以上に嬉しそうな顔をする若にドキっとしながら頷けば。
若はあっさり私の腕の拘束を解いた。
そこで今のうちと言わんばかりに若の体の下から抜け出せば「そんな逃げなくても…」とスネている。
それでも袋から中身を取り出すと、若の瞳が一瞬で輝いたのが分かった。

「これ、俺のしてたピアスと同じやつ!」
「うん。若、気に入ってたのにこの前の抗争で千切れてなくしたって言ってたでしょ?だから特注で頼んで…」
「ありがとー!!」
「わ…っ」

突然抱きつかれ、あげく「んんー-ッ♡」と言いながら私の唇に唇を押し付けて来る。
その行為に驚いてジタバタ暴れる私を、若は力いっぱい抱きしめた。

「すっげー嬉しい!」

少しだけ体を離すと、若は本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
そうだ、私はこの顔が見たくて、今夜ここへ来たんだという事を思い出す。

「つけてい?」
「うん」

若はそのカラフルな玉の連なったロングピアスを嬉しそうに左耳へ付けると「似合う?」と訊いて来た。
元々若が付けてたものと同じものだ。似合わないわけがない。

「すーごく似合ってる」

笑顔で応えると、若もまた嬉しそうな笑みを浮かべて私の肩へ両手を置いたまま、ゆっくりと顔を傾けた。
その触れるだけの優しいキスは若からの「ありがとう」のような気がして、私の心も満たされて行く。
だからすっかり油断していた。相手は白豹と呼ばれた獣だったという事を。

「わ…」

そのまま押し倒されて、再び若を見上げる事になった。

「お礼にいっぱいサービスしてあげる」
「へ?ササ、サービスって…な、何?」
「俺の口から言わせたいの?」

若は何とも言えない艶っぽい笑みを浮かべて、ゆっくりと唇を近づけて来る。
私は思い切り首を振った。拒否ったつもりだった。
若からのサービスなんて何をされるか想像するだけで恥ずかしい。
なのに若は「遠慮しないで」と言いながら私に覆いかぶさった。

「俺はいつだってに飢えてるから」

サラリとそんな殺し文句を言った若の耳で、私のあげたピアスがカランと揺れた。

「―――俺を満たしてよ」