-04-彼はわたしの救世主



転校した先に、明司春千夜くんという綺麗な顔をした男の子がいた。隣の席で、最初は不愛想な子だと思ったけど、わたしが忘れ物をして泣きそうになってた時、春千夜くんがシャーペンと消しゴムを貸してくれた。それがキッカケで少しずつ話すようになって、一ヶ月が過ぎた頃、春千夜くんと学校帰りにバッタリ会った。聞けば家が近所ということで、何気にわたしの家と近いことが分かった。

「春千夜くん、どこか行くの?」

手に何も持っていないのを見て尋ねると、春千夜くんは「幼馴染の家」と応えた。

「おさな…なじみ…?」
「みんな他のクラスだからオマエは知らないかもな」
「…みんな?」
「その家に誰かしら集まってくんだ」
「そうなんだ」

春千夜くんには幼馴染が何人もいるらしい。そんな存在、わたしにはいないから少しだけ羨ましくなった。

は帰るとこ?遅くない?同じくらいに学校出たのに」

春千夜くんはふと足を止めて振り返った。話すようになってから、改めて名前を聞かれたから「」と下の名前を言ったら、それから春千夜くんはわたしをと呼ぶようになった。男の子に名前を呼ばれるのは初めてで、何となく照れくさい。

「うん。寄り道してアイス買ってたから」
「ふーん。ああ、じゃあまた明日な」
「うん。ばいばい」

手を振って、歩いて行く春千夜くんを見送ると、わたしは家の方向へ歩き出した。学校までは近いから道のりも覚えやすかったこともあり、最近わたしは近道を覚えた。この辺は一軒家が多く並んでいる。その家と家の間に細い道があって、そこを通れば5分は短縮できるのだ。その細道に向かって歩きながら、わたしは手に持っていた袋の中から棒アイスを取り出した。家に着く前に溶けてしまう気がしたので、歩きながら食べようと思ったのだ。案の定、袋から出したアイスは少しだけ柔らかくなっている。

「ん、美味しい」

溶けてきたアイスをペロリと舐めつつ、その冷たさと甘さに思わず笑みが零れる。本当は学校帰りの寄り道も、買い食いも禁止されてるけど、誰も守ってる子なんかいない。例に漏れず、わたしも暑さに耐えかねてアイスを買ってしまったクチだ。前に住んでた横浜より海風がない分、東京は少しだけ暑い気がする。
そのままアイスを食べながら、細道へと入る。いつもは誰もいない道だけど今日は先客がいた。わたしの前に学生服を着た男の子がガニ股で歩いている。しかもわたしより歩くのが遅い。背中を丸めてダラダラした歩き方で「あっちー…」と何やらボヤいていた。

(…追い越しちゃおう)

このままだと前の男の子の速度に合わせてわたしも遅く歩かなければならない。せっかちなわたしは更に足を速めて、その男の子を追い越そうとした。でもその時、最悪なことが起こった。急に速度を上げた足が何かにつまずいて、体が前へと傾いて行く。「あ」と思った時には、わたしの体が前の男の子の背中にぶつかっていた。

「いってぇ!」

後ろからドンっとぶつかる形になって、前の男の子が驚いたような声を上げた。わたしは慌てて「ごめんなさい!」と謝ったけど、顔を上げてギョっとした。男の子の制服のシャツにはアイスがベットリついていたからだ。しかも最悪なことにチョコアイス。どうやらわたしの持っていた溶けかけのアイスが、男の子の背中に突撃をかましてしまったらしい。

「あん?ガキかよ…気をつけて歩け、コラ」

と男の子はわたしをじろりと睨んだ。でもすぐに「あ…?何か背中つめてーんだけど…」と、言いながら、無惨にも地面に落ちた形の崩れたアイスへ目を向ける。わたしはこれから起こることを想像して足が震えて来た。

「あ?!テメェ、オレの服にアイスぶつけてんじゃねーか!」
「ご、ごめんなさい…――」
「っざけんな!これから女と会うってのに、こんなベタベタな服で行けってのかよっっ?」

男の子は髪が金色で眉毛がない。怖い。こ、これは世間でいうところの…いわゆる不良では――?
最近流行ってるヤンキー漫画の世界が頭に浮かんだ。あの漫画の世界では、だいたい通りすがりのわたしみたいな弱い生き物はボコボコにHPを削られて、ゴミクズみたいに路地裏とかに転がされる運命だ。弱者はひたすら謝り続けて、相手の怒りが収まるのをひたすら待つのみ。あの漫画の主人公の気持ちが少しだけ分かった気がした。

「ごめんなさい…ごめんなさい」
「謝ってすめばケーサツいらねーんだけどー?オマエ、金とか持ってねーのかよ。クリーニング代寄こせや、コラ」
「お…お金…」

小学生のわたしにお金を寄こせなんて言われても、そんなのあるはずがない。今日のオヤツ分の200円は殆どアイスで消えてしまった。残りは…

「80円んんっ?」
「こ、これしか持ってない…ぐす…」

ポケットにあった小銭を差し出すと、不良の男の子はますます怖い顔で詰め寄って来た。怖くて体が勝手に震えて、涙がじわっと浮かんで来る。

「泣けば許されると思ってんのかよ?!オマエの親んとこ連れてけ。親に支払ってもらうわ」
「や、やだ…!」

ぐいっと腕を掴まれ、パニックになった。

「痛いっ…やーだ!」
「うるせえ!オマエがわりーんだろ?いいからオマエんちどこだよっ」
「やー…っ!」

足で踏ん張っても男の子の力には敵わない。ズルズルと引きずられ、引っ張られてる腕がすごく痛かった。こんな細い裏道は人もあまり通らない。こんなに必死に叫んでるのに誰も助けに来てくれない。
――怖い。誰か――助けて!

「おい!」

背後から聞き覚えのある声が聞こえてハッとした。不良の男の子が「あ?」と言いながら立ち止まって、そのまま振り返ると、「は?またガキかよ」と笑っている。その声につられて振り返ると、そこには――。

「は…春千夜…くん…」
「そこの眉なし!から離れろ!」
「あぁ?!誰が眉なし――」

と不良がキレかかった時、わたしの視界に何かが飛び込んで来てふわっと宙を舞った。

「ぐぁ…っ」

突然不良の男の子がのけぞり、掴まれていた手が離された。驚いて顔を上げると、ちょうど春千夜くんが地面に着地をするところで、いったい何をしたんだろうと驚いてしまった。

「こ、このクソガキ…!」

見れば不良の男の子はお腹を押さえてヨロヨロしている。
まさか、春千夜くんが何かした――?
よろけていた不良の男の子は更に怖い顔で、春千夜くんの肩を掴んだ。

「このガキ…死にてーらしいな!」
「は?死ぬのはオマエだろ」

言うや否や、春千夜くんは不良の男の子の股間辺りに思い切りグーパンをかました。

「ぎゃぁぁ…!」

股間は男の子の急所だと聞いたことがある。よほど痛かったのか、不良の男の子は股間を抑えながらその場に崩れ落ちてしまった。

「ぐ…この…ガキ…ぐぁっ」
「バーカ。オレより身長あっても、こうなれば関係ないよな」

春千夜くんはそう言って蹲ってる不良の子の鼻っ面を再びグーパン。さすがの不良もこの連続攻撃には耐えられなかったらしい。鼻血を垂らしたまま、ひっくり返って動かなくなった。唖然としてると、春千夜くんはくるっと振り返ってわたしの手を掴んだ。

「行くぞ」
「え…?」
「オマエも来れば…って呼びに来たんだよ」
「ど、どこに――」
「マイキーんち」
「まいきー…?」

外人さん?と思っていると、春千夜くんはどんどん先を歩いて行く。もしかしたら、さっき話してた幼馴染の家かなと考えていた時、ふと気づいた。わたしの手を掴んでいる春千夜くんの手が、かすかに震えていることに。

「あ、あの春千夜くん…!」
「なんだよ…」
「助けてくれて…ありがとう」

嬉しくてお礼を言うと、春千夜くんは急に立ち止まって振り向いた。

「別に…マイキーに自分より大きな奴と戦う時の方法教わったから試したかっただけだし…」
「…でも…嬉しかった。ほんとにありがとう…」
「な…何で泣くんだよ…っ!もう怖くないだろ?」
「う…うん」

慌てて涙を拭いながらも、目の前で顔を赤くしている春千夜くんを見た。口ではそんなこと言ってるけど、きっと春千夜くんも怖かったのかもしれない。なのに、わたしを助けてくれた。それがすごく嬉しくて涙が出たんだ。怖かったからじゃない。

「春千夜くん、大好き」
「……は?」

その時こみ上げた気持ちを素直に言葉に出来たのは、後で思えば自分でも驚きだったけど、この時は本当にそう思った。春千夜くんはすごくビックリして、また色白の頬が赤くなった気がする。

「さっき王子様みたいだった。カッコ良かった」
「恥ずいこと言うなよ…っ。何だ、王子様って…」
「だってホントのことだもん。春千夜くん、強いね!不良のお兄ちゃん、あっさり倒しちゃうなんて」
「……たまたまだよ。オレも初めてだったし…」
「え、春千夜くん、ケンカしたの初めてなの?そんな風に見えなかった」
「…その幼馴染に叩き込まれたからな」

そこでやっと春千夜くんは笑顔を見せた。

にも紹介してやるよ。オレの自慢の幼馴染」
「え…いいの?」
は友達つくんの下手くそだからな」

春千夜くんはそう言ってニッと笑って歩き出した。その気持ちが嬉しくて、また泣きそうになる。前を歩く春千夜くんの背中が頼もしく見えた。
本当は友達が出来なくて寂しかった。何も言わなくても、春千夜くんはわたしの気持ちを分かってくれる。そんな気がした。




+ + + + +



「おい、!オレと付き合え」
「……え」

春千夜くんに連れて来られた幼馴染の家。大きな門のところには"佐野道場"って書いてあって、敷地にどんと建っているお家は純和風。なのに目の前にドヤ顔で立っている男の子はマイキーって外国人みたいな名前で呼ばれていた。しかもいきなり"つきあえ"って、いったいどこに?そう思っていると、彼の後ろに立っていた可愛らしい女の子――この子も外国人みたい――が、いきなり飛び上がってマイキーと呼ばれてた男の子の後頭部をパシッと叩いた。

「いきなり、なに言ってんの!マイキー!」
「い…ってぇな、エマ!」
「ほんっとマセてんだから!ごめんね、ちゃん。うちの愚兄が」
「…ぐ…ぐけい…?」
「うち、エマっていうの。よろしくね」

わたしより小さい子が難しい言葉を口にしたからびっくりしたけど、エマちゃんは可愛らしい笑顔を向けてくれた。何か笑顔が眩しくてヒマワリみたいだ。

「よ、よろしく」
「春千夜のクラスメートなの?」
「う、うん…」

人見知りのわたしだけど、そんなことをしてる暇もないくらい、佐野家の子達はグイグイ来る。何かその気楽さがわたしの緊張をほぐしてくれた。

「賑やかだろ?」

春千夜くんはそう言いながら、佐野家の人達とすごく馴染んでいるようだった。その後も目つきの鋭い場地圭介くんや、春千夜くんの妹の千壽ちゃんまで遊びに来て、佐野家の庭先はホントに賑やかになった。

「おー何か可愛い子が増えてんじゃん」

最後に顔を出したのは、マイキーくんのお兄さんだった。真一郎というそのお兄ちゃんは"暴走族のリーダー"らしい。よく分かんないけど優しそうな人だった。

「10年後にオレのお嫁さんになって」

と言われて驚いたけど――その後にエマちゃんに殴られてた――誰かのお嫁さんになるなら、相手は春千夜くんがいいと自然に思った自分がいた。
困ってる時に助けてくれて、友達が出来なくて寂しいと思ってたわたしに、後に幼馴染と呼べるみんなを紹介してくれた。春千夜くんはわたしの救世主みたいな人だ。

この日、わたしは春千夜くんに初めての恋をした。
この淡い想いが大人になっても続いていくことを――この時のわたしは、まだ何も知らない。


~ Prologue end ~